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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第二章 第二十二SAS連隊A部隊 悲しき聖女編
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第二章 第十話

 雲ひとつない青い空は、聖システィーナ上空にも広がっていた。

 クリスの車で聖システィーナ修道院に赴いたレオは、眩しい空に春の兆しを見つけて、小さく目を細めて見上げた。


 丘の上から背後を振り返り、自分が浮いていた海を見ているレオをクリスはじっと見ていたが、やがて小さくクスッと笑った。

 不思議そうに振り返ったレオに、クリスは笑顔を浮かべながらも真っ直ぐな瞳を向けた。

「貴方がそうでしたか。何時か、ジニアにも会ってやって下さい。彼女も傷を抱えています」

 車中の話で、この【守護者( パトロネス)】は【(コア)】や【鍵】とは同じ学校で、そのW校崩壊時のSASとの戦闘にも参加していたのだと聞いた。

「ああ、何時かはそうさせてもらいます」

 今はまだ遠い湖水に居るその女性(ひと)と、何時かは会う事になるんだろうとレオはぼんやりと思っていた。だがその前に命があればな、と内心でクスッと笑って、レオはマクニール尼僧(シスター・マクニール)が導いた通用門を潜って再び修道院に入った。



 昨日感じた清廉な空気は一転してどす黒く重く感じられ、レオは小さく眉を顰めた。

 マクニール尼僧も院内に入った途端に具合が悪そうに胸を押さえ、それでも気丈にレオを時計塔の入口まで案内すると、手元の小さな薬瓶を二つ手渡した。一つは、昨日も見た精神安定剤だと渡された薬だったが、恐らくもう一つが、対になる目覚めの薬なんだろうとレオは思った。

「もし、上手くいかないようでしたら、直ぐにまたこの薬を彼女へ」

 マクニール尼僧は不安げにレオを見上げたが、レオは小さく敬礼を返すと口元には笑みを浮かべた。

「ご心配には及びません。自分の命は、とうに尽きていて当たり前の命でした。此処で落としたところで、何の悔いもありません」

 そして心配そうなクリスに向かって、

「もし、暴走が外に漏れそうなら、尼僧(シスター)ごと、俺も結界外へ弾いて下さい。共に堕ちるのは地獄かもしれませんが、俺は地獄で彼女を守ります」

 と、自嘲めいて笑うと、クリスは悲しそうな顔をしただけで何も言わなかった。

「冗談です。行ってまいります」

 レオは最後まで笑顔だった。



 

 時計塔の内部に入ると空気は一層重くなった。薄暗い中を慎重に階段を下り、彼女を寝かせた地下室に入る頃には、足を踏み出すのも難儀するほど体が重く、彼女の負の力の強さにレオは舌を巻いて小さく口を歪めた。


 バーグマン尼僧(シスター・バーグマン)は昨日のまま、硬いベッドの上で、両手を胸の上で組んで同じように昏々と眠っていたが、彼女からどす黒い思念が霧のように立ち上るのが見えて、レオは初めて少し浮かんだ不安を吹き消すように首を振って、彼女の横に立った。

 変わらず蝋細工のように色の抜けた白い頬にそっと手を当てて、この静謐な院で清らかに生きてきた彼女が抱えた黒い闇に、レオは向き合った。同じ闇を抱えて生きる者として、その闇同士が互いを引き付け合っているとレオは感じていた。


 だから俺は此処へ来たんだと思いながら、彼女の冷たい頬の感触にレオは小さくため息をついたが、険しい顔を上げると、もう一つの薬瓶の蓋を開けて彼女の体を抱きかかえた。

 その閉じた口元から薬を流し込もうとしたが、強張って開かない彼女の唇に手を止め、暫くレオは眉を寄せて考えていた。が、薬瓶の薬を一口、自分の口に含むと、そのまま彼女の冷たい唇に自分の唇を押し当てて、ゆっくりと薬と注ぎ込んだ。


 唇を離してしばらくすると、ゆっくりと立ち上っていた黒い霧が渦巻くように流れ始め、急激に力を増し、息苦しさを感じてレオは顔を顰めた。

 やがて彼女はゆっくりと目を開き始めたが、美しかった茶色の瞳は闇色に染まって、光の消えかけた瞳が妖しく光っているのを見て、レオはすかさず叫んだ。

「マリア! マリア! 戻って来い! 自分を取り戻せ!」

 誰かが自分を呼んでいると、怪訝な眉を寄せたバーグマン尼僧に、重い空気が肺を締め付けるのを感じながらも、レオは叫ぶ事を止めなかった。

「マリア! お前は穢れてない! 兄も無事だ! お前の兄さんが、お前を待ってるぞ! 可愛い嫁さんと一緒にお前の事を待ってる。だから、戻って来い! マリア」

「兄様……」

「ああ。兄さんはずっとお前を探してた。お前の事を守ろうと懸命だった。お前の兄さんは罪人じゃあない。誰よりもお前を愛して、お前を守ってた。そして誰よりも幸せになった。心配はいらない。心配はいらないんだ。お前に会いたがってるぞ、マリア」

 昨日よりは、顔に張り付く膜が薄いとレオは思った。それでも、呼吸をするのがやっとの中で、レオは抱えあげた彼女の瞳に、少しずつ光の戻ってくるのを見下ろして、優しく微笑んでいた。


 そんな芸当が自分に出来るなんて思ってもいなかったが、抱きかかえたこの手の中の傷ついた魂が愛おしいと、レオは自分に初めて湧いた愛情を噛み締めていた。

「貴方は……」

「俺はお前の兄の知り合いだ。お前を助けにきた」

「私は……私は……」

 全ての記憶を取り戻したバーグマン尼僧は、狼狽を瞳に浮かべて恐怖に慄き始めた。

「私は、この手で、何人も、何人も……」

 震える両手を広げて、ガタガタと震え続けるバーグマン尼僧を、レオは咄嗟に抱き締めた。


 怯えた彼女の瞳が見開かれ、またしても強大な力が自分に迫っているのを感じながら、レオは力を振り絞った。

「マリア! 俺がどれほど穢れた人間か、お前は知ってるだろ! 俺はお前に懺悔をした。俺の汚い半生を懺悔した。苦しみから身を守っただけのお前と違って、俺は何の思慮も無く人を殺した。その俺が生きて此処にいる。生かされている。お前は新しい世界を築くために俺は生かされていると言った。だったら! 自警のために、自分を守っただけのお前が、世界から弾かれる理由が何処にある! マリア、お前には分かる筈だ!」

「でも、でも」

 狼狽えるバーグマン尼僧を、途切れそうな呼吸で気を失いそうになりながら、レオは更に抱き寄せた腕に力を籠めた。

「本当は、俺はお前に触れられるような人間じゃない。俺はクズだ。最低のクズだ。でも、守りたい。お前を、守りたいんだ。お前も、コンラッドもローラも。皆を守りたいんだ」

 抗うように硬直していたバーグマン尼僧の体から力が抜け、同時に黒い力は弱まり、肺に流れ込む空気に安堵して小さく息をして、レオは抱き締めたバーグマン尼僧の耳元で囁き続けた。

「マリア、マリア、俺に守らせてくれ。お前を守らせてくれ。俺の負った咎は、それでないと祓えない。そのために俺は此処へ来た。此処へ来たんだ。マリア」

 静かな優しい声が響いていた。強張った顔で、黙ったままじっと聞いていたバーグマン尼僧は、その瞳から零れ落ちる涙が止まらず小さな嗚咽を上げ始め、やがて力無く降ろしていた両手を、レオの背に廻して縋りついた。

「マリア、いいぞ。幾らでも泣いていいぞ。ずっと俺が抱き締めてやる。俺がずっと傍に居る」

 大声を上げて泣き始めたバーグマン尼僧を抱き締め続けながら、レオは愛おしそうにその背をそっと撫で、小さな頭に手を乗せ胸の中に抱え込んだ。


 それまで闇しか感じていなかった自分の心の中に、唐突に小さな明かりが灯り、煌々と照らし出される自分の心の中に穏やかな風景が広がっているのをレオ自身も驚いていたが、それが、自分が本当に人間としての自分を取り戻した証なのだと、静かに受け止め続けていた。

 やがて、光はレオから溢れ出して、黒々とした靄に覆われたこの地下室にも広がり始めた。


 号泣し続けるバーグマン尼僧を抱きながらも、その光の鮮烈さに驚いて暗い天井を見上げたが、その光が窓の無い部屋に広がって、煌々とした光を煌かせているのを感じて、立ち込めていた黒い霧が光に追われて晴れていくのを黙って見守っていた。

 彼女が泣き止むまで、一晩でも二晩でも、何日でも傍に居てやろうとレオは思った。

 穏やかな笑みを浮かべて、寄り添うようにベッドに腰を下ろしたまま、レオは身じろぎもせずに彼女を抱き締め続けていた。

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