第二章 第七話
翌日、レオは再びサヴァイアー大佐からの呼び出しを食らった。今度は冗談も言わずに淡々と送り出すマクダウェル中佐に、レオは内心、今回こそ骨を拾ってやると言ってくれればいいのにと思った。今度こそ自分は間違いなく、コンラッド・アデス中尉に殺されると思っていたからだ。
海軍指令本部の大佐の部屋に入ったレオは、重苦しい空気の流れる場に、大佐とアデス中尉の他に二人の人物が居るのに気付いた。
一人は老齢の修道尼で、昨日院内でも見た顔だった。もう一人は一見すると十代に見える華奢な黒髪の青年で、少し眉を寄せた不安そうな顔ではあったが、その黒い瞳は穏やかな光を放っていた。
「陸軍第二十二SAS連隊A部隊、軍曹アレックス・ザイア、参上仕りました」
敬礼を返したレオが淡々と報告すると、ドアに背を向けて大佐の方を向いていたアデス中尉がゆっくりと振り返った。
何時もと同じ緑の瞳の筈なのに、その奥に憎悪と殺意を秘めた瞳は闇に飲まれたように黒ずんで見えた。
小さく光を放ったアデス中尉の視線がレオを射抜き、自分は今、視線だけで殺されてるなと感じながらも、それでも、アデス中尉の瞳から目を離せない自分に困惑して、敬礼を上げた手が震えているのを悟られないよう、頭から引き離す事にレオは懸命だった。
「今日呼んだ理由は、説明するまでもないな?」
椅子に腰掛けたまま、正面のレオを見上げた大佐の黒い切れ長の瞳も、先日の穏やかな柔らかさが消え失せ、レオの内心を抉りぬくように鋭かった。
「はっ」
短く返事をした後は黙り込んだレオから視線を外さずに、アデス中尉はゆっくりと壁際に移動して立ち大佐の前を空け、レオは右手のソファに腰を下ろしている二人に、チラリと視線を送ってから、ゆっくりと大佐の前に立った。
それでも背後から突き刺さるアデス中尉の視線からは逃れられず、背中に何度もナイフを突き立てられているような感覚を悟られまいと、強張ったまま表情を変えずに、レオは淡々と立ち続けた。
「貴君が昨日訪問した聖システィーナ修道院の院長バーグマン尼僧は、知っての通り、其処に居るコンラッド・アデス中尉の妹君だと判明した。しかし、その事実は伏せられる事になった。少なくとも『発動』が終わるまではな。ところが、貴君が昨日その事実を院長に告げたため彼女の精神は不安定になり、現在は昏睡状態に陥った」
大佐は少し憔悴の浮かんだ頬に翳りを見せて、小さく息をついた。
昨日レオは、倒れたバーグマン尼僧の体を支えながら、傍に駆け寄って来る尼僧達に強張った顔を振り続けていたが、その尼僧達が急に崩れ落ちるようにバタバタと倒れていくのを見て、見開いた目を抱かかえている彼女に向けた。
バーグマン尼僧は、大きな茶色の瞳を見開いて真っ直ぐにレオを見ていたが、その瞳には光は無く何も見えていないようで、真っ白に色の抜けた頬はまるで蝋細工の如く、レオは一瞬自分は等身大の人形を抱えているのかと錯覚したが、バーグマン尼僧は小さな声で呟き続けていた。
「助けて、お願い、触らないで。何もしないで」
その言葉にレオは、彼女は暴行を受けようとしている少女の頃の記憶に戻っているんだと察して、出来るだけ優しく「何もしないよ」と語り掛けようとして、自分の声が出ないのに気付いた。
顔に薄っすらと薄い膜を貼り付けたように、鼻からも口からも、吸い込もうとした空気は入って来なかった。
恐怖に慄いたレオが次第に苦しくなってくる呼吸に、苦悶の表情を浮かべ抱いていたバーグマン尼僧の体を地面に投げ落とし、喉を掻き毟って口を大きく開けて酸素を求めたが、顔に張り付いた膜は消えず、途切れていく意識の中で、地面に横たわったまま何も見てない瞳で呟き続けているバーグマン尼僧を見下ろした。
祈るように両手を握り締めたバーグマン尼僧の両手をがっしりと両手で掴んで、レオは全身を振り絞って、微かに残った空気を全て吐き出すようにして叫んだ。
「マリア!!」
その言葉にバーグマン尼僧が体をビクッと震えさせると、レオに掛かっていた呪縛が途切れ、大きく開けた口から雪崩れ込むように空気が肺に満ちてくると、その息をまた大きく吐き出したレオは、何度も荒い息をついて肩を揺らした。
「兄様は悪い子じゃないの。兄様じゃないの。悪い子は、私なの。私なの」
バーグマン尼僧の瞳に少しだけ光が戻ってきていたが、涙を一滴溢すとやはり呆然と呟き続け、やがて目を閉じて力の抜けた両手がゆっくりと解かれて地面に落ちた。
「……ミスター……お願いが……ございます」
背後に倒れていた尼僧の一人が、必死に体を起こして立ち上がろうとしながらレオの方を向いていた。
その老齢の修道尼を振り返ったレオに、マクニール尼僧は震える体を両手で支えて小さく頷いた。
「こちらは修道院の副院長マクニール尼僧だ。昨日会ったそうだな。こちらの方はMr.クリス・エバンスで、この結界の【守護者】であられる」
大佐がソファに腰掛けた二人に視線を送って紹介すると、立ち上がった二人はゆっくりとレオに向かって頭を下げた。
「昨日はありがとうございました」
短い言葉で礼を述べるマクニール尼僧にレオは敬礼を返しながら、小さく「いえ」と返事をした。
マクニール尼僧の願いとは、バーグマン尼僧を時計塔の地下室迄運んで欲しいというものだった。言われた通り、今は完全に意識を失っている彼女の体を抱いて、言われた時計塔の窓も無い地下室に彼女を運ぶと、手渡された薬を彼女に飲ませるように指示された。
「これは?」
「精神安定剤です」
マクニール尼僧は、時計塔の入口で薬を手渡して、まだ憔悴した顔で答えた。此処の尼僧達は彼女に近づく事が出来ないようだった。
レオは言われた通りに、眠っている彼女にひと匙その薬を飲ませると、今度は追われるように院から放り出され、城壁のように聳え立つ外壁の大門は、大きな音を立てて閉じられたのだった。
彼女が昏睡状態と聞いて、昨日飲ませた薬は果たして何だったのかとレオは訝しんだ。あれはきっと只の精神安定剤じゃなかったのだと気付いて、眉を寄せた顔をマクニール尼僧に向けたが、老尼僧は悲しむようにレオのその視線から目を逸らし、そんな二人のやり取りを横目で静かに見ていた青年が、レオに向き直った。
「初めまして、僕はクリス・エバンスです」
穏やかな青年は少し笑みを浮かべて挨拶をした。この男が此処の【守護者】なのかとレオは子供にも見える童顔のその青年を繁々と眺めた。
此処の結界はエリアも広大で【守護者】の力は絶大だと、この間ローラに聞かされていたレオは、そのイメージから壮年から老齢の位の高い聖職者の姿を想像していたが、穏やかな微笑みを浮かべている気弱そうな青年と結びつかず、混乱させた頭を小さく振った。
「仔細は大佐から伺いました。僕は何も知らなくて、力になれずに済みません」
尊大なところなど欠片もない青年は申し訳なさそうに頭を下げた。
「貴君がまさか、聖システィーナ修道院に行くとは、我々は考えていなかった。これは我々の落ち度であり、貴君に非は無い。責めるつもりはないから、その点は心配いらない」
大佐は小さくため息をついてが、再びレオに鋭い視線を向けた。
「ただ、何が起こったのかだけを報告を――」
「その前に、伺いたい事があります」
言い掛けた大佐を遮ったレオの黒い瞳には、確信に満ちた強い光があった。
「何をだ」
レオはそのまま、問い掛ける大佐から視線を外し、自分の背後に立ち、まだ突き刺さる視線を投げ掛けているアデス中尉に正面から向かい合った。
「アデス中尉殿に、聞きたい事がある」
向かい合った『虎』と『豹』の視線が、激しくぶつかり合った。




