第四話
数日後、文化祭の実行委員を決めることになった。男女ペアでなるものなので、私は高城くんをこっそり脅して立候補。めでたく実行委員になった。
実行委員の何が素晴らしいって、忙しいことだ。クラスの展示にはほとんど参加せず、企画案を全体の会議に持って行ったり、予算案を立てて許可をもらいに行ったり、そんなことばかりだ。
そして、パシリに使わされそうな役職だが、逆に采配をふるうことが許されているのでどれだけでも避けられるのだ。
「いいんちょー、こっちペンキ足りないんだけど」
「シモちゃん、ターメリックなくなっちゃったぁ」
あちらこちらから不足する物品が挙がってくるので、メモメモ。
買い出しを頼めそうな、手が空いている人を探す。
「シモ、俺行こうか?」
キターーーー!!!笹村くん!
予想通りの申し出に、内心、腹踊りをするほど浮かれているが、おくびにも出してはいけない。
「ああ、うん。じゃあお願い。水戸さん一緒に行って調味料を買い足してきて」
調理担当の水戸さんに声をかけると、みるみる真っ赤になった。
水戸さんは、笹村くんのことが好きだ。親衛隊に入る勇気こそないが、こっそり笹村くんを遠くから見つめ、体育祭の写真をこっそり生徒手帳にはさんでいるのを知っている。
私の明るい明日のために、頑張れ水戸さん。バッドエンド回避には私も力を貸すからさ!
そんな調子で、何度となく起こりそうだった買い出しイベントはすべて回避した。体育倉庫閉じ込められイベントは回避方法に悩んだが、「閉じ込められたことがあって怖かった」と体育教師に涙ながらに相談したところ、内側からも鍵が開けられるサムターンに鍵を取り替えてくれた。
これで、万が一閉じ込められても問題ない。私賢い。
そうやって、万事うまくいっていたはずなのに。
どうしてこんなことに。
「ナマステ。インドカフェ、カーリーへようこそ」
出迎えた私を見た途端、隣のクラスの友人がぎょっとするのがわかった。
「ちょ、シモ?!化けたねー!いつもそうしてればいいのに」
友人のことばには口をつぐんでノーコメントだ。
開店準備中まではなにも問題なかったはずなのに、いたずら心を起こした音羽のおかげで、なぜか私はメガネをはずし髪を巻き、おまけにばっちりメイクを施されている。
綺麗な格好は嫌いじゃない。このメイクや髪だって、サリーにはすごく合っていると思う。
でも、今日目立つのは本当に避けたいのに。
「お客様がいらっしゃいましたー!」
教室内に向かって声をかけると、「シャゴトムー!」と声が返ってくる。何事にも本格派な高城くんの発案で掛け声もインド風なのだ。
しばらく客引きしていると、クルターパジャマを着た笹村くんが出てきた。
白い上下にちょっと装飾したベストを着ているだけなのに、妙に様になっているのはやっぱりイケメンだからか。
「シモ、休憩入っていいって。行くよ」
うんともすんとも返事する間もなく、笹村くんがぐいぐい腕を引っ張る。
「え?や、ちょっと離して!」
「騒ぐと目立つよ」
さらりと言われた一言に、慌てて口をつぐむ。校内には他校の人も多くいるが、圧倒的に在校生が多い。笹村くんと連れ立ったサリーの女が何者なのかじろじろ見る視線も多い。
なるべく顔を伏せながら歩いていくと、南校舎一階の休憩室に連れて行かれた。
まだ昼時には早いため、休憩している人はほとんどいない。入り口近くに中学生らしき女の子が座っているだけだった。
「あ、お兄ちゃん、こっち!」
ふと、こちらを見た女の子がひらひらと手を振った。
…お兄ちゃん?確か設定では笹村くんは、街はずれの海辺に父一人子一人で暮らしているはずだけど。
「シモ、これは妹の美緒。美緒、この人が…」
「下山歌南さんだよね!!すぐわかったよ!」
立ち上がった美緒ちゃんはにこにこと私の手を握ってくる。笹村くんとよく似た、色素の薄い髪に大きめの瞳の美少女だ。
「ええっと…?」
さっぱりわけがわからず、首を傾げてしまう。私はなぜ、ここで笹村くんの妹さんを紹介されているのかな?しかも私のことをご存知?
「あ、ごめんなさい。びっくりしましたよね。私、『君と奏でる愛の歌』の大ファンだったんです!」
「…………は?」
美緒ちゃんの話をまとめると、こうだ。
美緒ちゃんが、この世界が『君と奏でる愛の歌』の世界だと気付いたのは小学校の頃だったらしい。
自分の兄がメイン攻略キャラの笹村圭詩だとわかり、狂喜したらしい。だが、そんな喜びもつかの間だった。
小学校の頃からモテモテだった笹村くんは、いろいろなトラブルに巻き込まれた。髪を練りこんだクッキーを送りつけられることや、待ち伏せされることなんてかわいいもので、誘拐されそうになったり、ゴミ袋を荒らされたりもした。
美緒ちゃんにもお父さんにも、家に帰っても息をつく暇はない。電話も呼び鈴も、鳴らないようにしておくしかなかった。
そんな生活の中、笹村くんはどんどん荒んでいった。
『君と奏でる愛の歌』の笹村くんが親衛隊を放置していたのは、こういう過去があったかららしい。常にいろいろな女の人の視線にさらされ、迷惑を被ってきたので慣れていたようだ。
だが、現実の美緒ちゃんには耐えられなかった。
ある日笹村くんをリビングに正座させて懇々と説教したのだ。
そのまま、目を背けて生きていくつもりなのか、と。
もし、本当に好きだと思える子ができても、周囲にいる女どものせいでその子とは結ばれないかもしれない。それでもいいのか。
お兄ちゃんのことを人とも思っていないような女の人たちに、幸せを奪われたまま黙っているつもりか。
その日から、笹村くんと美緒ちゃんは必死に戦ったそうだ。
嫌がらせに近いものは記録をとり、証拠を残し、まずは相手の親御さんと学校へ。それでもだめなら警察へ。
話してわかる相手には、常識を守って接してほしいということを説いてまわった。
戦いの効果が出て、笹村くんの周囲に平和がやってきた頃には、笹村くんは高校生になろうとしていた。
「お兄ちゃん、高校に入ったら親衛隊っていう過激な集団ができると思う。お兄ちゃんに好きな子ができたら、絶対に親衛隊から守ってね」
入学前から美緒ちゃんはことあるごとに笹村くんに言っていたらしい。
親衛隊ってなんだよ、と笑っていた笹村くんも、実際入学して間もなく結成された親衛隊の存在を知り、顔色を失くした。
なぜ親衛隊のことを知っていたのか、と問い詰める笹村くんに美緒ちゃんが打ち明けたのは突拍子もない話。
ここが、『君と奏でる愛の歌』の世界だということ。
当初、笹村くんは信じなかった。そりゃそうだろう。夢見がちな小学生の子が空想の世界に浸るのは珍しいことではない。
だが、美緒ちゃんは譲らなかった。
「お兄ちゃんのクラスに、下山歌南さんているでしょう。勉強も運動もできるかわいい女の子。その子がヒロインだよ」
今どきの学校では、個人情報の関係もあってクラス全員の名簿は配らない。笹村くんだって、緊急連絡網の前後の人の連絡先しか知らない。当然美緒ちゃんが知っているはずもないのだが、そんな中、名前だけでなく漢字の表記まで当ててみせた。
その上、これから笹村くんと私の身の上に起こるであろう『イベント』まで事細かに教えられたのだ。
「このね、階段落ちイベントがもうたまらなくって!ヒロインのおでこと笹村くんの口が当たっちゃって…キャー!!」
悶えながらイベントの説明をする美緒ちゃんを尻目に、絶対にイベントなんて起こすものかと笹村くんは決心した。
そのため、私のことは密かにずっと観察していたらしい。
「そうしたら、すぐにシモの様子がおかしいことに気づいた。自分はひたすら裏方に徹して、必死に井上を表舞台に立たせようとしてたよな?」
イベントを避けようと思う前に、そもそも近寄っても来ない。話しかけても最低限の返事しかしない。
「俺には、シモ自身が何が起こるかを全部知っていて、イベントを避けているように見えた。だから、俺の方からイベントを起こせないか試してみたんだ」
そうしたら、どんどんイベントが起きた。目に見えて、私の様子もおかしくなった。
「これは、確信犯だなと思って。俺一人だと何を言ってもしらばっくれそうだったから、今日美緒を連れてきたんだ」
「そういうわけでーす。びっくりさせてごめんなさい!」
ぴょこん、と頭を下げると美緒ちゃんのポニーテールが柔らかく揺れた。
笹村くんはここがゲームの世界だと知っている。
笹村くんは私がヒロインを回避するため努力してきたことを知っている。
「……なんでわかってて、イベント起こしたわけ。私、溺死したくないんだけど」
思った以上に低い声が出た。怒りからか、握った拳がぶるぶる震えているのがわかる。
私だって半年以上頑張ってきたのに。ゲームの世界のヒロインなんてわけのわからない立ち位置で、必死にやってきたのに。起こせないか試してみた、だと?
「シモがむかついたからだよ。俺がこんなに見てるのに、こっちを見向きもしないで」
「ばっかじゃないの!ちょっとイケメンだからって誰もが見るとでも思ってんの!?そんなんで親衛隊に睨まれたら私の人生おしまいじゃない!!」
思わず叫ぶと、笹村くんはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。親衛隊にはしっかり釘を刺してある。お前らのパンダになる代わり、餌くらい好きなもの食わせろって」
パンダ?餌?何の話だ?ぽかん、と口を開けた私を見て、笹村くんは呆れたようにため息をついた。
そして、一歩距離をつめる。
「まだわかんないの。かなんのことが好きだって言ってるんだよ」
ザッと音がするほどの勢いで血の気が引いた。慌てて逃げようとするが、あっという間に抱きすくめられてしまった。
頭一つ分身長差があるので、すっぽり腕に収まってしまい、身動きが取れない。
「ぎゃー!!!離して!!!」
美緒ちゃん!と視線を送るが、いつの間にかいない。どうして?!逃げたのか!!
「えーと、ゲームではどうするんだっけ。一緒に文化祭を見て、後夜祭で告白だっけ?」
嬉しそうに喉を鳴らしながら、笹村くんが微笑んだ。
俺としてはこのままエンディングでもいいんだけど、どうする?
ゆっくりと落ちてくる形の良い唇に、気絶できたらどんなにいいか…!と私はきつく目を瞑った。