第二話
元々、この『君と奏でる愛の歌』はやりこみ要素こそ多いものの、主人公のパラメーターを一定以上にしてしまえば、至極あっさり攻略対象の好感度を上げることができるゲームだ。
主人公のパラメーターは、学力・運動・家庭力・人間関係力・魅力であらわされる。人間関係力と魅力は客観的に計れないからどうだかわからないが、私のパラメーターはそれなりに高いはずだ。なぜなら、緑ヶ丘第一高校に入学するために必死に勉強も運動もがんばったから。そして、母が厳しいおかげで料理や裁縫もかなり得意だ。
今からパラメーターを下げることは難しい。いや、できるできないで言ったら、できるだろう。だが、したくないのだ。なぜ苦労して苦労して身につけたものを、あんな男どものために捨てねばならぬ。
でも、パラメーターで攻略キャラたちを惹きつけてしまうのはどうしても避けたい。
イベントを避けまくるだけでは不安だった私は、代役を立てることにしたのだ。
「かなんちゃん、お昼ご飯どこで食べる?」
お手製の弁当を片手に音羽が聞いてくる。
数か月前まではリンゴもまともに剥けなかった子が、よくここまで…。母さんはうれしいよ。
「えーと…。今日は屋上にしようか。私購買部寄ってくから、先に席取りしてて」
確か、屋上で腹黒生徒会長が寝てるはずだからさ。
その手作り弁当で籠絡しちゃってくださいな。
購買部で照り焼きチキンサンドをゲットして、屋上にゆっくり向かう私はご機嫌だった。
ちなみに購買部に攻略対象の兄さんがいるのは、月・木・土のみだ。今日は火曜日なので、おばちゃん。しっかり避けさせていただいてる。
音羽は見た目こそヒロインだったが(しかも隠れ巨乳だった)、運動はだめ、勉強もイマイチ、家事は壊滅的な残念美少女だった。
私はまず音羽をジョギングに誘い基礎体力をつけさせた。勉強もつききりで見て、テスト前にはとっておきのノートを渡し丸暗記させた。家事に関しては互いの家に泊まりあい、文字通り手取り足取りだ。
半年に及ぶ私の執念と、何においても素直な音羽の頑張りあって、今や音羽はどこからどう見ても完璧なヒロイン。500人を超える全校女子生徒の中でピカイチだ。女子からも男子からも、“一年のカワイイ性格も良い子”と評判だ。成績だって、学年20位くらいには必ず入るようになった。
おかげで、狙い通りどんどんイベントは起きた。
陸上部のシャワーシーンに遭遇したり、腹黒生徒会長の弱みを握っちゃったり、ピアニストに愛の歌を弾いてもらっちゃったり。購買部に行けばどんな後ろにいても音羽の注文は届く。どんな耳してんだオッサン。
残念ながらここは現実なので、好感度がどのくらい上がったかは確認できないのだが、男どもの顔を見たらわかる。
もう音羽にでろでろのメロメロだ。
どこどこ発生するイベントに最初こそ戸惑っていた音羽だが、イケメンとキャ!なイベントやウフフ☆なイベントをして悪い気にはなるまい。
最近では、まんざらでもない様子だ。
しかも、「気になる人ができた」とか言っていたので、次の段階に進むのも近いかもしれない。
だが、同じクラスの学園アイドルとのイベントだけは、なぜか一つも起こらなかった。入学式の出会いイベントを逃してしまったせいだろうか?
本当ならこの時期までには自転車二人乗り下校とか、痴漢から助けてもらうイベントとか、階段落ちイベントもあるはずなのに。
実は私は学園アイドル――笹村圭詩――が攻略キャラの中で一番好きだった。
親衛隊の嫌がらせは今思い出しても食欲が失せるほどだが、ツンツンしてる笹村くんがデレ始めるところがたまらなくツボだったのだ。頬を染めて「別に。何でもないけど」なんて言われたら、奇声を上げてクッションを連打したものだ。喧嘩しちゃったときはマジ泣きした。
密かにイベントをリアルで見たかったんだけどな。
まあでも、学園アイドルはいわゆるアイドルなので、忙しい。あれほど完璧な音羽に興味をもたないなら、私には近寄ってもこないだろう。放っとくか。
鼻歌を歌いながら屋上へ行くと、生徒会長にねだられて音羽がアーンをしているところだった。
ふふ。順調順調。
音羽の煮物はさぞ美味しかろう。なにせ下山家の味を叩き込みましたからね。家庭の味に飢えている生徒会長には涙が出る味でしょうね。
いい雰囲気なので邪魔せず、回れ右をした。
音羽には、もう少しあとでお腹が痛くなったとでもメールすればいい。
階段を降りていくと、途中で階段を上がってくる笹村くんと会った。
会釈で通りすぎようとすると、がっしり腕をつかまれる。
「え」
「照り焼きチキンサンド」
笹村くんの目は、私の持ったビニール袋に釘付けだ。
「最後の一個、俺狙ってたのに」
「えぇ?!そんなの早い者勝ちでしょ」
学生なら誰しも知っているだろうが、購買は戦場だ。最前線まで出れば後ろからものすごい圧がかけられ、後方では品物が見えない上に注文の声も届かない。
ちなみに私は小・中と合唱部だったので、通る声をしていると言われる。それを駆使して「照り焼きチキンサンド!」と中央あたりで叫ぶのだ。
ボリュームたっぷりの照り焼きチキンサンドは、ぴったり500円なので支払いも楽チン。
「下山さん、それ俺のBLTサンドと取り替えてよ」
「え。やだ」
BLTサンドは照り焼きチキンより50円高い。私も割と好物だ。だが、今の私の口はすでに照り焼きチキンを迎え入れる準備ができてしまっている。今さらベーコンには変えられない。
「じゃあ半分こ」
「私にとってメリットが何もない」
さらに食い下がる笹村くんに、げんなりする。
これ以上、こんな目立つところでこいつとしゃべっている訳にはいかないのだが。
いっそ、照り焼きチキンを捨て…いやいやいや。無理。これは私の照り焼きチキン。
「笹村くーん、何やってるのー。今日私とお昼する約束ぅ」
鼻にかかった甘い声に振り返れば、笹村くんの親衛隊の一人がいた。
エマージェンシー!緊急脱出を開始します!!
「あ、良かったね笹村くん!じゃあ私はこれで!」
何が良かったかと突っ込まれる前に、私は走って逃げた。
あー。危ないところだった。
イベントを全力回避しているというのに、親衛隊に睨まれてしまっては平和な高校生活とは永遠のお別れだ。
ゲームでは親衛隊に隠れて付き合うルートや、親衛隊に吊し上げられたヒロインを笹村くんが助けに来て最終はみんなに認められるルートもあるが、親衛隊の嫌がらせの果てに足を滑らせたヒロインが溺死するバッドエンドもあるのだ。
ヒロインの葬式で泣き崩れる笹村くん。半狂乱の親衛隊。相手が誰であっても現実になってたまるものか。
笹村くんには近づかないに限る。
音羽がイベントを起こしていないこともあってか、笹村くんは誰に対しても淡白な態度だ。誰にもデレてない。
どうか、その調子でツンツンしといてくれ。同じ高校の中から溺死者が出るのは嫌だ。まあ、危なくなったら全力で阻止するけど。