太古の狼
「―――――そんなに人間を殺してもお前には悔いはないのか?誰かに復讐されるのが怖いとは思わないのか?神に罰を与えられ地獄に堕ちるのが怖くないか?」
不意に何者かに聞かれたミネルヴァは身体をビクつかせた。彼女には珍しい反応だった。近づく者が居れば、直ぐにでも察知する。そんな神経を尖らしていながら気配に気がつかなかったのだ。謎の声がした方へゆっくりと顔をあげる。
ミネルヴァの前には黒い毛並みをした狼が立っていた。だが、狼が人間の言葉を話すわけがないとミネルヴァは思った為か、あたりを警戒するように目だけど見渡した。
(――――――誰かがいる?どこに……)
「おい?どこを向いておる。わしが見えんのか?」
再び謎の声がした。
「…?」
ミネルヴァはその謎の声の主が狼である事に気が付いた。驚いたように目を大きく開くが恐怖はなかった。警戒心だけは少し高まり、長剣の柄の部分を右手で握った。
「……あなたは誰ですか?」
声を低くしてミネルヴァは尋ねる。
「ほぉわしを恐れないとは見慣れているのか?」
「闘技場で異形の狼は見たことがあります。しかし言葉を話す狼は見た事はありません」
「闘技場か……となるとお前は剣闘士か?」
「数年前まではそうでした。しかし、私は今のご主人様に買われたのです」
「淡々と物を言う奴だな。あぁそうだ。……わしの名はゾス。狼族の長にして、狼の王である」
「狼族の王?……そんな高貴な方が私に何の用ですか?」
それにゾスは鼻を鳴らし誇らしげに胸を張る。
「お前は闇を好み闇と共に生きようとしている。そして、同族の臭いがするぞ……」
(――――――どういう意味…?)
「私は狼ではありません。それに闇とはなんですか?」
ミネルヴァはゾスの言っている意味が全くわからなかった。
「そうだな。お前自信はわしの一族ではない。お前の血の臭いが、同族であると、言ったのだ。そして、闇とは一種の復讐心、あるいは―――――報復、それを望んでいるような面をしている」
ミネルヴァ確かに復讐を望んでいた。帝国を自らの手で滅ぼし主であったヨハンネの仇を取らなければならないと数々の戦場でそう心で思いながら戦って来た。
ゾスはミネルヴァの瞳を見つめ、何かを探るようなおかしな仕草をしていた。
「確かに私は帝国を滅ぼし皇帝フェザールを殺すことを望んでいます……」
「事を成した後、それからどうする?」
「ご主人様の墓石を建てます」
「そのあとは?」
「この命、尽きるまで、ご主人様の墓石を守ります」
ミネルヴァにはこれだけではなかった。もう一つ目的があった。なぜかそれはゾスに言いたくなかった。それは、世界に残るおとぎ話や伝説などを集めてヨハンネが眠る墓の前で読み聞かせる事。読み書きを誰かに習ってもしくは書として記録してそれを側に置いてあげる事。それが彼女の最後の役目だと考えている。
「――――――なかなかの忠誠心。そして、しっかりとした目的がある」
ゾスが少し考え込む。そして続けて言った。
「ふむ。気に入ったぞ。貴様になら頼めるやもしれな。だが、どうやってさせるか……」
ミネルヴァには聞こえないくらいの小さな声でソスは何やら独り言をつぶやく。