期待値
帰り道にある電柱の陰。
目の前のオジサンは、僕にじゃんけんを挑んでいる。なぜだか小声である。
「負けたらね、あなたには鬼ごっこにチャレンジしてもらいます」
オジサンといっても、頭がバーコードで小太りの、といった典型的なオヤジではない。顔こそメガネで分からないが、黒いスーツが似合う、若い頃は僕よりずっと良かったであろうスタイルの持ち主だ。
「鬼ごっこ……って、どんな?」
「あなたにはこれから24時間、普通に生活してもらいます。その間、7人の敵に出会います。その敵は全く知らない人かもしれないし、仲の良い友達かもしれない。とにかく、誰かから肩を叩かれて、ニッコリと微笑まれないように、逃げ切ってください。24時間トイレにでもこもってたらなんとかなる、と思ってちゃだめですよ。それでも敵はやってくる」
「誰もそんなこと考えてないです」
というか、参加する気すらさらさら無かったのだが。じゃんけんに負けたくらいでこんな大掛かりなことが行われるなんて嘘に決まっている。負けたら負けたで、適当に言い逃れてこの場から離れてしまおうと思っていた。
だがとりあえず、内容は気になる。
「もし捕まったら、どうなるんですか」
「秘密結社『鬼ヶ島』の会員になってください」
なんじゃそりゃ。
「入会金1000円で年会費100円。お得でしょ? あ、入会特典は福々堂の高級ドラ焼き三種詰め合わせ(小倉あん・抹茶・カスタード)だから」
誰がそんなもん入るか、と僕は内心爆笑である。どんな宗教団体でもここまでポップじゃないだろう。
「えっとじゃあ、もし逃げ切ったら?」
「私とは一生会わないでしょうね」
妙に喜ばしい報酬だ。人生で2回もこんな人に巻き込まれたくないからな。
――ようし。
「分かりました。じゃんけん、やりましょう」
僕がぐっと拳を差し出すと、オジサンはニッコリと笑ったようだった。
「それではこの、『渡る世間は鬼ごっこ』への参加権を決しましょう」
「さーいしょーはグー! じゃーんけーん、ホイ!」
僕はパー。彼はグー。
勝った。
やったぜ。
「んじゃ、サヨナラ」
悔しそうなオジサンを尻目に、僕は歩き出した。
しばらく歩いていると、僕はある気配を感じた。
さっきのオジサンの不穏な空気ではなく、嬉しい足音。これはきっと、クラスメイトのミキちゃんだ。帰り道が同じで、時間帯もよくかぶるせいで、いつしか喋るようになっていた。
よぉ、といつものように振り返って声をかける。だが、ミキちゃんの反応はいつもと違っていた。
僕をじっと見たあと、一目散に駆け出したのだ。
「え、いやちょっと、待って!」
びっくりした僕が慌てて追いかけようとすると、ミキちゃんはさらに必死の形相になって、僕の視界から姿を消した。
「はっや……」
もしかしたら、と僕は思った。彼女は、あのじゃんけんに負けてしまったのかもしれない。
いつのまにか、さっきのオジサンが背後に立っていた。
僕の肩をポンポンと叩き、さっきよりも気楽な感じで話しかけてきた。
「あの娘の敵をやる気はないかい?」
「……嫌です。お断りします」