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1.沈黙の令嬢

 王立ローゼンベルク学園には奇妙な噂がある。



 

 ——マリエッタ・アルヴェーンは恐ろしい女だ。



 

 毎日、下級生をいじめて楽しんでいるらしいとか。

 夜会に出かけては男性をとっかえひっかえしているとか。

 表の顔は凛としているが、裏では感情を露わにして従者を怒鳴りつけているとか。



 

「……」


 当の本人が廊下を歩けば、周囲の生徒が小さく固まり、噂の種が花開く。

 マリエッタは顔を真っすぐ上げたまま、気付かれないようにそっと息を吐く。


「ほら……」

「マリエッタ様よ」


 声は小さい。

 だが、聞こえないほどではない。


「怖いわ……」

「今朝も下級生をいじめたって」

「噴水に教科書を投げ入れたんですって?」


 マリエッタは表情を変えなかった。

 長い金髪を背に流し、ゆっくり歩く。

 姿勢は優雅で、視線は静か。

 

 その様子が、かえって周囲の噂を強めていた。

 

「本人を落としたって聞いたけれど」

「よくあんなに涼しくいられること……」

「何考えてるか分からないのよね」


 いつからだろう。


 学園で彼女はこう呼ばれるようになった。


 “沈黙の令嬢”。


 滅多に怒らない。

 声を荒げない。

 感情を表に出さない。


 何を考えているのか分からない。


 そんな令嬢。


 ——それがマリエッタ・アルヴェーン。


(まったく)


 マリエッタは心の中で呟いた。


(好き勝手に言ってくれますね)



 

 噂はここ数週間で急激に広がった。


 最初は小さなものだった。


 下級生に厳しいらしいとか。

 夜会で男性と親しくしていたらしいとか。


 それがいつの間にか、いじめやら関係を複数持っているやらと尾ひれがついて。

 随分と底意地の悪い女に仕立てあげられていた。

 

 『らしい』、『聞いた話』、そんな曖昧なものばかり。


 それなのに皆、妙に信じている。


(おかしいですね)


 噂の広がり方が不自然だ。


 まるで誰かが——意図的に流しているようだった。



 

「マリエッタさま!」



 

 甘い声と小走りの足音が廊下に響く。


 そこにいたのは小柄な少女。


 肩までの薄茶色の巻き髪に、輝く丸い瞳。

 年齢には少々そぐわない、大振りのリボンが頭頂部で揺れている。


 リズ・フェルディナンド。


「おはようございます、マリエッタさま」


 彼女はにこやかに微笑む。


 庇護欲をそそる可愛らしい笑顔。

 男子生徒たちが自然と視線を向け、色めき立っている。


「おはようございます、リズ様。廊下を走らないようにと前もお伝えしたはずですが」

「あっ、ごめんなさい! わたしったらまた……はしたないですよね。いつもこうやってマリエッタさまにお叱りを受けて……」


 リズが焦りのまま勢いよく頭を下げると、周囲の囁きが再開する。


 傍から見ると、噂を強化するのに十分な場面だろう。


「その……マリエッタさま、大丈夫ですか?」

「なんのことですか?」

 

「最近、学園内の噂がひどいので……」


 リズは悲しそうに眉を下げ、目を伏せる。

 緩く握った手が祈るように胸元に合わさり、儚げな印象を与えている。


「ええ、問題ありません。お気遣いありがとうございます」


 マリエッタが穏やかにそう答えると、リズの唇が震える。


「私、本当に心配なんです。皆マリエッタさまを誤解しているみたいで……」


 パッと顔をあげたリズの瞳は潤んでおり、マリエッタを映している。


「でも私は信じていますから!」


 その声は、周囲にもよく聞こえた。

 近くにいた女子生徒がささやく。


「リズ様って優しいわよね……」

「悪女にもあんな風に接するなんて」


 また別の集団も、口々に言う。


「本当に健気だよな」

「いい子だ……」



 

(なるほど)



 

 マリエッタは静かに微笑んだ。

 答えが向こうからやってきた。


 噂の構造。


 誰かが悪役を作り、誰かが善人になる。


 リズは、いつもこうして声をかけてくる。


 人前で。

 優しく。

 心配そうに。


 その姿を見て、周囲は思う。


 恐ろしいマリエッタと、優しいリズ。


 とても分かりやすい構図だった。


(ですが)


 マリエッタの微笑みは変わらない。


「ありがとうございます、リズ様」

「いえ、当然です。元気を出してくださいね、マリエッタさま!」


 リズは嬉しそうに笑う。

 それはそれは、輝かんばかりの笑顔で。

 

 そして彼女は周囲の視線を集めながら去っていった。


 一連の、騒動とも言えない邂逅が終わると、周囲の生徒の興味も逸れたようだ。

 廊下が静かになる。


 マリエッタは再度、小さく息を吐いた。


(元気を出すも何も、問題ないと伝えたはずなのですけれどね)


 誰がやっているのか。

 もうほぼ分かっている。


 ただ——証拠がない。


 そして相手は賢い。

 『抜け目がない』と表現すべきか。


 決定的なことは言わない。


 いつも善意の顔をして、マリエッタを気遣い、あくまでも『聞いた話』として話題を振る。


(目的はわかりませんけれど)


 マリエッタの目がわずかに細くなる。


(私を陥れようとするなら)


 マリエッタは静かに歩き出した。

 その表情は相変わらず穏やかだった。


 だから誰も気づかない。


 彼女の心の内に。


「きっちり、痛い目を見てもらいましょう」



 

 沈黙の令嬢は、ただ黙っているだけではない。

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