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ラディヴィータの伝説と、ソルミラの詩から。  作者: 荒間文寧


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41/44

5-11

 ペスカが用意した地図は合っていたらしい。そして出立前日、必死に頭へたたき込んだのは正解だった。後ろからはもちろん、前や脇、四方八方から新人類はセルペへ襲いかかってくる。それらを往なし、伸し、そしてときに殺した。

 何時間もかけて暗記した地図を現実の風景に重ねる。がむしゃらに走りながら隠し通路の入り口にたどり着いたころには、追っ手も六人ほどにまで減っていた。止まると同時に魔獣姿のチリエが、追っ手のうちの一人に噛みつく。セルペもそれに続いた。入るところを見られてはいけない。早く、早くと焦る心を必死で押し殺して爪を奮う。

 全員が動かなくなったことを認識してから、絵画の裏に隠されたハンドルを引く。その下の壁が動き、高さ一メートルほどの隙間が現れるので二人で急ぎ潜り込んだ。その先で続いている暗い隠し通路をひたすらに走る。あの日から約半年。コッコ側がどれだけこの王宮内部を調べているか、セルペたちが知ることはできない。隠し通路の存在を知っていればすぐに追いかけてくるだろう。挟み撃ちにされることだけは避けたかった。進んで暫くののち現れた十字路で、セルペは足を止めた。完全に上がった息を整えようとするも上手くいかない。壁に凭れたのち、ずるずるとその場に座り込んだ。三角に立てた両膝に額をつけてセルペはうなだれる。チリエの前足が視界の端にちらりとだけ映った。

 ペスカは死んでしまった。合流できているのは一人だけだ。そして魔獣姿ゆえ会話はできない。解くこともできるが、そのためにわざわざ戦力を下げるわけにはいかない。自分で考えなくてはいけない、とセルペは頭を抱えた。冒険者四人の所在、および生死は不明。新人類たちはピンピンしていたから核の破壊もまだできていないのだろう。そして核と魔岩の保管場所も不明である。分からないことだらけだった。ただ、足下の彼は玉座にたどり着き、そして己は今こうして隠し通路に逃げ込めている。だからあの地図は正しい。分かっているのはそれだけだ。

 撤退の選択肢はない。自身が器具を外していることはバレているのだから、逃げたところで状況は好転しないだろう。遅くとも、王都に書類を提出しに来た時点でバレていると考えるべきだ。ギルドにいた受付か、メラがいた地区の管理者か、もしくはその間にすれ違った別の新人類か。どこから伝わったにしろ、己が人を連れ出していることも伝わっているのではないだろうか。ただしそれがメラだとは気づかれていない可能性が高い。阿呆のような石碑まで建てているのだ。コッコは彼をしっかり殺したつもりでいる。であれば、ペスカを連れ帰ったと思われているのかもしれない。メラを見つけて王都を出てから、今日で約半月。ここまで放置されていたのは、ペスカを連れて戻ってくると読まれていたからではないだろうか。

 と、そこまで思考を進めたところでセルペは最大の失態に気づいた。バレてからの半月間、自身は一度もソルミラに帰還していない。

 あー、と情けない声が自身から漏れだす。隣でチリエが小さく鳴く。それに答えず、セルペは「どこで間違えたんだろう」と呟いた。王都や大都市では多くの新人類が定住しているが、田舎では管理者一人しか配備されていない村も多い。ソルミラも当然そうであった。村唯一の新人類が謀反人であることが発覚している状態で、放置する馬鹿がいったいどこにいるだろうか。なにせ王都には新人類がいくらでもいるのだ。気づいた時点ですぐにでも向かわせるだろう。王都からソルミラまで、旅慣れした人間の足で約十日。新人類ならもっと早く到達できる。今から全速力で帰ったところで、全ては後の祭りだろう。

「どこから間違ってたんだろう」

 また隣から鳴き声がする。小さく肩を突かれる。しかしそれに反応する気力は、もうセルペには残っていなかった。

 あの日、脳を支配されるような破壊衝動から逃れるために胸の魔石を割ったのがいけなかったのか。

 それとも、背反を誤魔化そうと書類を出しに王都へ赴いたのがいけなかったのか。

 メラの様子を見て、その分己が頑張らねばいけない、などと欲をかいたせいだろうか。

 もしかしたらその全てだったのかもしれない。国家奪還どころの話ではなかった。メラに頼まれていたソルミラすら、己は守れてはいないではないか。

「どうすればいいんだよ、ここから」

 いっそ逃げてしまおうか。

 なかったはずの選択肢が、ここに来てセルペの脳裏を過る。魔石を割って一か月経ったあたりから、セルペは自覚していた。己の体は、あれから少しずつ魔獣へと戻っている。あの日の波長による劇的な変化とは別に、自身の体から徐々に人間の部分が減っている。魔獣化の魔石が砕かれたときのように一瞬で元に戻るわけではないが、やはりやがては完全な魔獣へと戻るのだろう。そうなればきっと、己は野生の魔獣と見分けがつかなくなるのではないだろうか。そこまで逃げ延びてしまえば、己だけは山の中でひっそり生きていけるかもしれない。

 一向に顔を上げることができないセルペの耳に、二つの足音が届く。敵にばれたかなあ、とセルペはのんきに思った。であればもう殺されてもいいとすら思う。これだけの犠牲と失態を抱えたまま、一人ひっそり生き延びるくらいならここで終わったほうがよっぽどマシだ。

 ――メラもそう思っていたのだろうか。

 足音が自身の正面で止まる。それでもセルペは顔を上げなかった。魔獣の鳴き声がする。しかしそれは、隣ではなく正面からだった。不思議に思ったセルペはゆっくりと顔を上げる。そこには二匹の魔獣がいた。そのうち一匹の姿をセルペは知っている。旧研究所で何度も見たからだ。もう一匹は知らない。初めて見る魔獣である。だけど一目見ただけで分かった。随分と小柄で、燃えるような赤い毛皮。左の前足を欠損した魔獣が、真正面からセルペをじっと見つめていた。

「ごめんなさい」

 目に映る魔獣の姿は、やがて滲んで輪郭がぼやけていく。目元を拭いながら、セルペは「来ないと思ってた」と呟く。

「ごめんなさい、メラさん」

 目の前の赤い魔獣が小さく吠える。セルペの涙は止まらなかった。

「ペスカさん死んじゃった」

 セルペは泣きながら、絶え絶えに謝罪と説明を繰り返す。

 玉座で起こったこと、自身が魔石を外していること、それがとうにバレていたこと。そしてソルミラもおそらく無事ではないであろうこと。

「ごめんなさい。全部だめだった。最初から全部だめだったみたい。ごめんなさい」

 セルペは絶え間なく流れ続ける涙を拭い続けた。メラの顔もまともに見られない。ただじっと、彼がこちらを見ていることだけは気配で分かった。セルペが黙り、ただ鼻を啜りながら泣くだけになったころ、メラが動いた。もう一人の背に括り付けられた荷物へ鼻先を突っ込み、やがて大きな布を咥えて引き摺りだす。旧研究所でペスカが作った文字表であった。それを片方しかない前足と口で、地面へ広げようとしていたが、当然上手くいくはずもない。もたもたと苦戦する姿を見たセルペはもう一度強く目元を拭った後にそれを手伝った。敷かれたそれの前に立ち、メラは一度小さく吠えた。そのまま布へ乗り、一文字ずつ鼻先で指し示していく。一文ごとにメラは顔を上げる。そしてセルペが頷くたび、メラはまた言葉をつないでいく。

『過去は変えられない』

『失ったものは取り返せない』

『選べるのは現在の行動だけだ』

『間違うかもしれない』

『それでも、死ぬ瞬間まで正解だと思うものを選び続けるしかない』

『あいつみたいに』

 うん、とセルペはまた大きく頷いた。確かにペスカの作戦は最初から破綻していた。それが判明したのは彼が亡くなった後であり、自身が今ここにいること自体が間違いなのかもしれない。それでも己は今ここにいる。悔やんだところで過去に戻ることはできない。選べるのは、今この場からどう行動するか、その一点のみだ。

『多分、魔獣化はバレていない、そして』

『魔獣化同士もまた波長が分かる』

 同時に左の道から足音がする。セルペは少しずつ冷静さを取り戻していた。だから先ほどと違い、その足音を聞き分けることができる。こちらに向かっているのは、四足歩行の魔獣四匹だ。怯える必要はなかった。その足音をセルペはよく知っていた。

『セルペが見つけて、あそこまで連れて行ってくれたから俺は今ここにいる』

『充分に休んだ』

『ありがとう』

 メラがそう示し終わると同時に足音は止む。彼の後ろには魔獣が増えていた。ゼンゼロ、クルクマ、ラメリーノ、そしてティーモだ。王都までともに来た彼らは無事だったらしい。

 冒険者四人に、玉座まで助けに来てくれたチリエ、そして留守番だったのに王宮まで来てくれた二人。そこにセルペ自身を合わせて計八人。お世辞にも多いとは言えないだろう。だから友好的な振りをして潜り込もうと画策していたのだ。それが今や完全に国賊扱いである。悲惨だ、とセルペは素直に思う。それでも八人は今ここにいて、八人はここからどう動くのか、その一点しか決められないのだ。

 七人はじっとセルペを見ていた。皆、魔獣化しているとはいえ、戦闘に一番長けているのはやはり自身だろう、とセルぺも分かっている。そして己以外はみんな魔獣の姿なのだから、会話には表がいる。一対一ならともかく、大勢で意見を出し合うのは難しい。自分が舵を取らねばならない。それで成功するかも分からない。ここにいる何人が死ぬのかも分からない。それは重たくてとても辛い。だけどもうここでじっとしているだけ、という選択肢はなくなった。ここで項垂れて、敵に見つかって殺されるまでじっとしている訳にはいかない。駆けつけてくれた味方は二ケタにも満たない。それでもそう自身を鼓舞する程度には頼もしく感じていた。

「玉座にはなかった。残る候補は三カ所」

 だよね? と自身の隣にずっといてくれたチリエに問いかける。頷いたのを確認してから、セルペは考えをポツポツとしゃべり出した。

「一つは三階にある王族用のプライベートルームが集まっているところ。もう一つは演説用バルコニーに出るための準備室。あとは研究所の奥」

 プライベートルームが集っている三階は、この隠し通路も繋がっている。表からでも簡単には入り込めないようになっているため敵も比較的少ないのでは、とペスカが読んでいた場所だ。逆に演説用バルコニー側は危ない。あれは大人数での厳重警備の元に立つように作られているから、死角になるような細やかな通路が繋がっていないのだ。こちらの方が近いが、危険度は高いだろう。研究所は以前セルペがいた、そしてコッコの話を聞いた場所だ。動かされずまだあの場にある可能性もある。あの日セルペが見たとおり、研究所奥の扉にはからくり仕掛けの複雑な錠が掛かっている。研究所関係者がいなくては破れないだろう。だからセルペやメラ、そして冒険者たちだけはたどり着けない。

「三手に分かれるのがいいんだろうけど、あんまり少人数に分かれたくない。だから二手にしよう。研究所奥を目指す組と、残り二カ所を回る組」

 ペスカとともに王都から逃げ延びた二人は研究所で確定だ。「俺は二カ所回るほうに入るね」とセルペは続ける。おそらくこちらの方が危険だからだ。後はどう分かれようか、とセルペが皆を見回しながら悩んでいると、ずっと静かにしていた冒険者のうちの一人、親分のゼンゼロがずいと文字表の上に乗った。そして鼻先で示し始める。

『俺たちは四人で行く』

 え、と驚いてセルペは言葉に詰まった。それだと研究所の扉は解錠できない。だから彼らがより危険な、王宮内を行くことになる。『長年四人でやってきたんだ。戦い方も分かってる。他と組むよりよっぽど安全だ』

「……分かった」

 正直に言えば、不安だ。彼らも危険性は理解しているだろう。それでも買って出てくれたのだ。信じるしかないのだろう。

「ただし、マシな三階から行くこと。それから、自分たちの命を最優先すること」

 そこだけは約束して、とセルペははっきりと言った。四人がしっかりと頷いたことを確認したのち、セルペは立ち上がる。

「それじゃあ全部終わったら……玉座に集合で。ちゃんと全員来るように!」

 解散! とセルペが言い切ると同時に、七体の魔獣とセルペは二手に分かれて駆けだした。

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