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そこからのメラは仕事も碌に手がつかなかった。帰宅後も気が休まらず、案の定寝不足で迎えた翌日、ひたすら所長室で唸るばかりである。夕方、と呼ぶにはまだ少し早い時間だが、そろそろ日が傾きだしていた。部屋に籠もっていても鬱々とするばかりだ。メラは全ての防寒具を纏って外へ出た。村の端まで歩いて山を見上げる。今日もセルペは朝から山へ入っていた。落日前には戻ってくるので、今から山道を上がれば会えるのではないだろうか。様子の確認と気分転換を兼ねて、メラはゆっくりと山道を進んだ。昨晩はまた降っていたが、朝方からは晴れている。道に一つある足跡はセルペがつけたものだろう。
冬の山はしんとしている。生き物は揃ってじっと身を潜め、さらに雪が音を吸収していく。自身より幾ばくか大きい足跡を辿りながら、メラの聴覚は自身の衣擦れと呼吸音ばかり拾っていた。運動量に合わせて少しずつ上がっていく体温と対照的に、露出した耳や頬は痛いほど冷たい。そんな感覚に神経を研ぎ澄ませている一方で、メラの思考は転勤辞令に支配されたままであった。
メラが中央を離れて、もう五年以上経つ。月日の分だけ当然、共生化の研究も進捗しているのだろう。そして明らかにそうだと分かる名称の部署を新設し、書面で寄越してきたのだ。おそらく、共生化自体の情報を一般にも公開する気なのだろう。コンテッラ大陸、ラディヴィータ王国の最北端へと飛ばされた今のメラに、中央の情報は殆ど届かない。研究の詳細も進捗も、ここから推測することは不可能だ。現状を知るには辞令に従って中央へ行くしか方法はなく、そして行ったところでどこまで開示されるかも不明だ。そもメラの経歴を考慮すれば、共生化にまつわる部署へ配属されること自体が奇怪だ。間違いなくヴェルドの仕業であり、であればまともな扱いは期待しないほうがいいだろう。
転勤辞令自体は完全なる強制ではない。拒否も可能だが、最悪首もありえる。それを間逃れた場合は、延々と地方をグルグルするだけの人生が待っているはずだ。昔のメラならそんな人生にも不満を抱かなかっただろう。今のメラは、心穏やかにそれを受け入れる気にはなれなかった。
地方と中央の凶暴化格差は近年広がる一方であり、それは数字として明確に現れている。どこにいるのが正解なのか、メラは必死に答えを探すが、どこに身を置いたところで自身にできることは碌に思いつかない。
ヴェルドはなぜ自身を中央に呼び戻そうとしているのか。なぜこの山の魔獣二体へ共生具を装着したのか。そしてなぜそれを山へ置いていったのか。それすら分からないまま黙々と山を登るメラの耳に、やっと自分以外の音が届く。セルペ、と呼べばすぐに返事があった。山道からそう外れていない、すぐ脇に入った場所からであった。
「お疲れ様です」と軽く頭を下げるセルペは小型のナイフを握っており、すぐ側にはそこそこ大型の魔獣が伏せている。そこから流れている血が、真っ白な雪をじわじわと浸食し溶かしていた。
「こんなでかいのが凶暴化してたのか」
「いや、凶暴化はしてなかったんだけど、こいつ、冬前はもっと上にいたんだよね」
冬眠し損ねたのかな、とセルペは続けた。
「ここまで降りて来ちゃってたから、餌探してるんじゃないかなって思って。村まで来ると危ないでしょ? だから駆除しちゃった」
そうか、とだけ返してメラは魔獣の脇へしゃがんだ。毛皮の状態はかなり悪い。肉付きもよくなさそうだ。食料を求めて村まで来る可能性は高いだろう。セルペの判断は間違っているとは言いがたい。しかし凶暴化していなければ依頼も出ていない魔獣だ。報酬も出せないし、状態が悪いから持ち帰っても売れる部位はないだろう。山にいる肉食獣に影響を与えないよう死骸を処分するほかない。
セルペの戦闘力は申し分ない。被害を最小限に抑える、という観点からの判断力も備わっている。しかし一任するにはまだ心許ない。悩みの種は尽きないな、と一瞬こめかみを押さえたのち、メラは解体用のナイフを抜いた。一人でできるからいいよ、と制止するセルペを軽くあしらって作業を始める。黙々と刃を入れるメラを、セルペはただじっと見ていた。
「……メラさん、王都へ行っちゃうって本当?」
メラは思わず手を止めた。犯人はどうせスコイアだろう。人の口に戸は立てられない。隠し通せるものだと思ってはいないが、まさか一日で言いふらされているとは思わなかった。誤魔化すのも変な話なので、メラは「辞令は出たな」とあっさり返す。
「ただ、行くかどうかはまだ迷っている。転勤を拒否できない訳じゃない」
「メラさん、ここの出身でもないでしょう? 拒んでまで残る理由があるの?」
「……ないだろうな、普通は」
メラは作業を再開しようとしたが、どうやらセルペは納得しなかったらしい。メラの真横にしゃがみ込むと同時に、ナイフを持つ手を制止するように手首をつかまれた。
「危ないだろ」と咎めながらメラは顔を上げる。セルペは今まで見せたことのない表情をしていた。思い詰めたように、切羽詰まったように目元へぐっと力が入っている。
「俺ってそんなに信用できない?」
大きくはないものの、その声は間違いなく怒気をはらんでいた。セルペ自身も分かっているのだろう。こうしてメラが一緒に片付けるのは、倒された魔獣の様子を、つまりはセルペのやり口を見たいからだ。もう誤魔化しても仕方がないのだろう。メラは強ばっていた体の力を意図的に抜いた。セルペと視線をしっかり合わせて、落ち着いた声で言う。
「逆に聞きたいんだがな、信用できると思うのか?」
ソルミラのために尽くしてくれている。怪しい行動もゼロ。人格や人間性にも難は一つも見られない。しかしそれだけでは、この異常な強さと過去の不透明さがもたらす疑心は晴れない。
「セルペお前、王都のどこにいた? 何をしていた?」
なんでこの村に来た。とメラは続ける。セルペはただじっと、恨めしそうにメラを睨みつけていた。怒りを堪えるように十秒ほどそうしていたが、やがてセルペは口を開いた。
「聞かなきゃ信用できない、ってこと?」
「当たり前だろ」
「……じゃあ、聞けば信じるってことだよね?」
「それは」とメラは口ごもる。この少年からなにが飛び出してくるのか、メラにも想像できない。曲がりなりにも三十二年間、このラディヴィータ王国で生きてきたのだ。許せないものなんていくらでもある。
メラの気がそれた瞬間、捕まれていた右手が急に強く引っ張られる。当然メラはナイフを持ったまま体勢を崩した。メラがその危険性を認識すると同時に、今度はセルペが空いている右手で躊躇いもなくメラの首を鷲づかみにしてくる。
「分かってる、分かってるよ。おかしいもんね俺。こんなやつ放置して行けないよね」
メラは下を目視する余裕もなくナイフを手放した。抑えられた右手を振りほどこうとしても逃れられず、空いた左手で首を解こうと抵抗するもセルペは容赦なく締め上げてくる。片手なのに完全に気道を塞がれていて、まともに息が吸えない。力も加減してくれないらしい。首の側面に爪が食い込んで刺すような痛みがずっと続いている。
「あのねメラさん。別に俺、隠してるわけじゃないよ。言わないんじゃない、知らないんだよ。俺も自分のことなんにも知らないの」
言い切ったセルペはやっと両手を離した。同時にメラは咳き込む。止まらないそれのせいでじわりと視界が滲んでいくのが分かった。それでもメラの目は情報を求めてセルペを映す。彼の表情にはもう怒りや恨みは浮かんでいなかった。セルペはなぜだか泣きそうな顔でうつむいていた。
「王都のどこにいた? 何をしていた? って言われても、分かんないんだよ」
前は、刑務所にいたと思ってた、とセルペは零す。
「でも何か罪を犯した覚えはないよ。そもそも、記憶自体が二年くらいしかない。鉄格子が填まった小さな部屋の中に入れられていた。俺以外も沢山いて、なんか制服みたいなのを着た人たちに管理されてて、飯と入浴、あと運動と勉強のときだけそこから出してもらえたんだよね。勉強って言っても、なんだろう、一般常識みたいな。俺はそこを刑務所だと思ってた。覚えてないけど、なんかやらかして、だからここに入れられているんだろう、って思ってた。それで刑期が終わったから出してもらえた。そう思ってた」
メラの咳はまだ止まらない。それでも彼の声が聞こえるように、メラは音が小さくなるように努めた。そうしながら聞き取ったセルペの話はあまりにも突っ込みどころが多すぎる。しかしセルペ本人が『分からない』と言い切っている以上、深掘りしたところで情報がでてくる可能性も低そうだ。それでもメラは咳を堪えつつ「なぜソルミラに?」と聞いた。
「出るときに片道分だけ旅費が出るんだよ。行きたい町を選ばせてもらえて、着いたら証拠の手紙を出さなきゃいけないんだけど。一番遠くがいいって言ったんだよね、俺。それが一番お得かなあって思って」
あと、海が見てみたかった、とセルペは続ける。
「勉強の時間に教えてもらって、絵も見せてもらったけど信じられなかったから。遠くの、国の端っこに行けば見られるでしょ?」
セルペは未だ泣きそうな目のまま、口角を上げて見せた。笑顔を作っているつもりなのだろう。へにゃりとゆがんだ口元は、残念ながら笑顔のそれとはほど遠い。
「前は、刑務所にいたと思っていた、って言ったな。今はどう思っているんだ。なぜ考えが変わった?」
「違うかも、って言うか、違う可能性もあるよな、って思うようになったのはあいつらを捕まえてから」
あいつら、とはいったい何を指しているのか。メラは近状を脳内で攫った。しかしヴェルドの置いていった共生化魔獣くらいしか思い当たらない。
そのあと数秒、セルペはなにやら迷うように視線を動かしながら口黙ったが、やがて自身が着ている服の裾を両手でぎゅっと掴む。そしてセルペはそれをゆっくりと胸の上までたくし上げた。露わになった彼の上半身を見て、メラは驚愕する。色も大きさも違う。だがその胸にあるのは間違いなく共生具だった。多面カットされた真っ赤な石、そこからのびる金属製の足が六本、完全にセルペの胸に食い込んでいる。
あの魔獣たちにつけられている、魔獣につけて使うはずのそれが、目の前の少年につけられている。その意味をメラは読み取ることができなかった。想像したことすらなかったからだ。
「これをつけた魔獣は大人しくなるんでしょう? だから俺、二択じゃないかなあって思うんだよね」
未だ絶句するメラを置いて、セルペはそっと服の裾を戻した。
「俺がどうしようもないくらい危ないヤツだから、大人しくするためにつけられた。もしくは」
俺が魔獣だからつけられた。
静かにそう語るセルペの言葉を、メラは飲み込むことができなかった。
「メラさん、これのこと知ってるんだよね? どっちなの? 俺ってなにものなの?」
すがるように尋ねるセルペに対して、メラは「知らない」と首を横に振ることしかできない。未だメラの脳は驚愕から戻らず、衝撃で固まった思考で必死に記憶を掘り返すも、メラはその答えを持ち合わせていなかった。
「関わっていたわけじゃない。王族主導で、秘密裏に研究と実験が行われていた。ギルドも一部関わっていたみたいだが、そこまで調べたところでここに飛ばされたんだ。一職員が知っていい情報ですらなかった。少なくとも当時は」
辿々しく、ただ、自身は関係者でも有識者でもない、と伝えることしかできないメラに対して、セルペは「そっかあ」と寂しそうな顔で笑った。
「さっきはごめんなさい。痛かったよね」
「いや、こっちこそ事情も知らずに踏み込んで悪かった」
と言いつつメラは自身の首をさする。咳こそ治まったが、側面に食い込んだ爪の後はきっとまだ残っているのだろう。
「この村にいるのは、他に行くところも帰るところもないからだよ。だから俺、あのとき嬉しかったんだよ」
「あのとき?」
「メラさんが戻ってこいって言ったとき。この村で冒険者をやらないか、って言ってくれたとき」
だから俺、ここにいるんだよ。とセルペは呟いて、魔獣の死体の片付けへと戻っていった。




