表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今ここであなたと出会えたことは 本当の家族編  作者: 安田 木の葉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/11

008 お互い様

 大阪公演はもう2日後に迫っていた。しかし稑が今この状況でステージに立つのは難しいということはもはや言うまでもなかった。詩帆はマネージャーとしてずっと傍にいながら稑の心情に気付いてあげられなかったことを悔やんだ。

 望んでも叶わず会えないのと、会えるのに選んで会わない。大切な人に会うことはないという表面上は一見同じように見えても、バックグラウンドはまるで違った。詩帆は稑の立場になり考えるも、やはり今の稑の気持ちは想像で察する他なく、同じ温度で寄り添うことはできなかった。詩帆はまず自分のことで稑が深く囚われてしまっているその誤解を解くために舵を取った。


「稑。私には、気を遣わなくていい。そもそも私は稑に対して、そんなふうに思ったことは一度もないよ?」


 稑は恐る恐る顔を上げ、詩帆を見つめた。詩帆は目にものを言わせるが如くそれが本心であることを訴えた。しかし稑は納得しきれていないようで、またしょんぼりと俯いてしまった。詩帆は続けた。


「ずっといなかった父親の正体を知る手段が、突然手の届くところに現れて、もしそれに触れてしまったら、間違いなく人生は大きく変わる。稑はもう自分次第で知ることができるそんな手紙を手にして、ちょっと混乱しちゃったんだよね…。律子さんは?そのことについては何か、言ってなかったの?」

「…、この手紙のことは、『そういうことだから。』って…、それだけ。」

「??はッ?!?すくなッッッ!!!」


 詩帆は思わず腹の底から叫んでしまった。


(律子さん!!それは言葉が足らな過ぎるよッ!!!…でも。)


 言ってしまえば確かにそういうことだ。成人した稑にはもうすべてを委ねる、そういうことなのだ。詩帆は何とか律子の思いを汲み取るべく、あの年末に話していた時のことをもう一度じっくりと思い返した。そして言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。


「律子さんは…、稑のことを心配してた。自分もいつ稑を独りぼっちにしてしまうか、それを案じていた。時として、人は突然いなくなることもあるから…。」


 そう言った詩帆の声は、明らかに沈んでいた。稑はそんな詩帆が心配になり思わず顔を上げた。詩帆はそんな稑の心情を汲み取り、慌てていつもの声のトーンを保ちながら続けた。


「だからきっと…、万が一にもそんなことが起きてしまった時のために、本当の父親のことを知る術を、残しておきたかったんじゃないかな。そして成人になったら、それを知るタイミングは、もうすべて稑に委ねようって、ただ純粋に、そう思ってのことだと思う…。」


 それを聞いた稑は、ただ床の一点をじっと見つめていた。稑には思い当たることがたくさんあった。近所の人たちへの接し方も、家での生活に関わる家事のことも、律子は普段から率先していろいろと教えてくれた。家事は実際に稑がやれば生活に少しゆとりができるのもあったが、稑はそれが先ほど詩帆が言ったことが背景にあることを何となく悟っていた。


(母さんはいつもいつも、一番に僕のことを気に掛けていてくれた。そんな母さんが、父さんと会うために僕を利用しようとするなんて、どうしてそんなこと考えちゃったんだろう…。)


 何かが伝わったような、しかし稑は未だすっきりとはしないまま、尚も思い詰めた表情で床の一点を見つめていた。律子が稑に委ねた手紙は、稑にはあまりにも荷が重かった。


(もしかしたら稑はこれからもずっと、こんな葛藤を抱えて生きていくのかな…。それはやっぱり、しんどいよな…。)


 すると詩帆は次の瞬間、思うよりも先に言葉が出ていた。


「あのさ、稑。」


 それは久々に聞いた、いつものまっすぐな詩帆らしい詩帆の声だった。


「その手紙、私が預かるよ。」

「…へ?!」


 稑は寝耳に水といった表情で詩帆を見た。


「稑の気持ちが落ち着くまでの間、その手紙は私が預かる。」


 詩帆は続けた。


「私は稑にたっくさん助けてもらったから。でも私はそれを稑に同じようには返せない。でも、その手紙を預かることで、稑の気持ちが少しでも楽になるなら、私は喜んで稑のためになりたいって思うよ。」


 それを聞いた稑は、まだ口をぽかんと開けたまま詩帆を見つめていた。しかしようやく稑が囚われていた核心に響いたようだった。


「…ほんと?本当にいいの…?」

「うんッ。これはもうお互い様、つまりそういうことだッ。」


 詩帆は小柄ながらにピンッと背筋を伸ばし、嵐にも揺るがない大樹のようにどっしりと構えながら言った。すると稑のこれまで強張っていた顔が、みるみると和らいでいくのが分かった。その後稑はしばらく放心状態になっていたが、それからしばらくすると、ポツリポツリと話し始めた。


「この前言ったこと…、あれはね、半分嘘、嘘なんだ。」

「…?嘘?」

「うん。」


 すると稑はまた以前のように、両肘をそれぞれ膝に乗せ、前で手を組み、その中で指遊びをしている自身の親指を見つめながら続けた。


「僕は父さんがいないことで、やっぱり嫌な思いはしてた。でも言えなかった。それを言ったら、きっと母さんは悲しむから…。」

「…うん。」

「10歳を過ぎた頃からが、一番ピークだった。僕の容姿がみるみる大人びていって、他の子たちとは明らかに違っていって、そのことで知らない人がたくさん僕のことを知ることになって、でもそれは自分の知らない自分で、その時、これってもしかして父さんに似たからなのかなって、父さんに似なければ、こんな思いなんてしなくて済んだのかなって、会ったこともない父親のせいにして、本当はすっごくすっごく嫌ってた。」

「うん…。」

「あれはいつかの夏休みだったかな…。伯父さんちで過ごしてた僕を母さんが迎えに来てくれた時に、夜すごく言い争ってたことがあって…。あれは多分、父さんのことで揉めてたんだ。それを見てから、僕はもう絶対に父さんのことを口にしちゃいけないって、それからずっと、もう父さんのことは考えないようにしてた。」

「…そっか。」

(そうだよな…。やっぱり、何とも思わないはずがないよな…。)


 詩帆は稑がさらけた本心を聞き、ようやく少し稑に寄り添える距離が縮んだように思えた。


「でもね、今はそれも引っくるめて、全部が今に繋がってるって、本当に心からそう思えるから、だから今は感謝してるっていうのは本当。」


 その時の笑った稑の顔に、詩帆は少し救われた。しかしその笑顔の中にほんの少しの切なさも混じっていて、詩帆は胸が苦しくなった。


「そっか。」

「うん。」


 すると稑は、両手を高々と天井に突き上げ大きく伸びをした。そしてその腕を下ろすと同時にドサッとソファの背もたれに寄りかかり、大きく息を吐いた。


「僕、この2週間、久々に父さんのことをずっと考えてた。自分の中でこんなに考えたの、本当に久しぶり。それに、誰かに父さんのことをこんなに話したことも、今までなかったな。」


 すると稑は身体を起こし、まっすぐに詩帆を見つめながら言った。


「詩帆さん、話を聞いてくれて、どうもありがとう。」

「いえいえそんなッ、礼には及びません。」


 あまりにも素直に感謝を述べる稑に、詩帆は大袈裟なまでに謙遜しながら改まってペコッと頭を下げた。そんな詩帆に稑はクスッと笑った。すると詩帆もそんな自分に思わず笑ってしまった。2人はようやく張り詰めていた緊張から解き放たれ、そこはいつの間にかいつものリラックスした雰囲気に包まれていた。


「稑?」

「ん?」

「稑はね、今のままでいいんだよ?父親のことを知らないままでいたって別にいい。稑が今の自分が大好きで、今を一生懸命に生きていれば、もうそれだけで充分。稑が稑でいてくれるのが、一番だよ。」

「うん。」

「そして改めて、生まれてきてくれて、ありがとう。」


 それは稑にとって今の自分のすべてを肯定してくれる最強のメッセージだった。まるで目には見えない何かに包み込まれるような、そんな不思議な感覚を覚えたのと同時に、稑の胸はじんわりと熱くなった。詩帆の突然のその言葉に、稑は最初どうリアクションすれば良いのか困ってしまったが、とりあえず照れながら答えた。


「あ、りが、とぅ?」

「ははッ、何だそれ!」

「ふふふ、はははッ。」


 それからしばらく賑やかに笑っていた2人だったが、やがてそこに沈黙が生まれた。詩帆は思った。


(いつもなら、こんな時はいつも、稑の髪をくしゃくしゃにいじったり、背中をバシバシ叩いたりしてたな。でも…、稑の気持ちを知った以上、その気持ちに応えられないなら、これからはもう、一線を引かなければならない。)


 一方で、稑もその沈黙の中思った。


(いつもなら、こんな時はいつも、詩帆さんは僕の髪をくしゃくしゃにしたり、背中をバシバシ叩いたりして絡んでたな。でももう僕の気持ちを知ってるから、きっとそういうことはしてこない。でも、それでいい。もう今までとは違っていい。これからはもっと僕のことを、そういうふうに意識すればいい。)


 2人はそんな胸のうちを明かさないまま、しばらく互いを見つめていた。


「じゃ、行こっか、稑の部屋。早速手紙を預かります。」

「うん。」


 踏み込まず、踏み込まれず、2人はそんな空気を共有し、次の行動へと気持ちを切り替えた。




「うわぁ!!僕の荷物!!!誰かが運んでくれたんだ、申し訳ないことしちゃったッ。」


 部屋の前まで戻ってくると、稑はその時初めてその荷物の存在に気付いたようだった。


「誰だろうねー、ちゃんとお礼言っとけよぉ?」

(私だけどな!)

「うんッ。新かな…。いや、あゆみさん?え、まさか章さんだったりして!?」


 稑はぶつぶつ独り言を言いながらその荷物を抱え部屋に入っていった。詩帆もその後に続いた。スキンシップは控えるものの、その者の部屋に入るということに関しては未だ控えるという概念はないようだった。そして稑もそれはもういつものことでそこに違和感はなく、そこら辺の2人の価値観は同じだった。しかしそれがまた一つの事件を招くことになった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ