007 呪い
側から見ればすでに両想いなのではないか、そう思えなくもない2人であったが、結局のところその夜思いが通じることはなかった。そして稑にとってはいよいよ戦い、なのかどうか、だとすればそれは誰との戦いなのか、詩帆なのか、自分なのか、誠、あるいはまだ見ぬ誰かなのか、それはもうよく分からないが、兎にも角にも稑の人生で最重要案件である詩帆と本当の家族になるという夢の火蓋は切られた。しかし稑は意気揚々としていた。自信に満ち溢れていた。想定外ではあったものの詩帆に面と向かって自分の思いを伝えられたことで、これまで心の中で行き場もなくモヤモヤしていたものが綺麗に消え去り、後はもう前に進むだけ、そしてたとえ自分に立ちはだかるものがあったとしても、今なら何だって乗り越えていける、稑は今そんな気分だった。
翌日、稑は学校を終えるとSmall Gateのスタジオにいるメンバーたちと合流した。
「お疲れーーーッ!!」(稑)
「…お疲れー。」(優)
「何だ稑、めっちゃ張り切ってんじゃん。」(勇)
「あ!もしかして昨日の夜早速夢に出てきたとか?!」(新)
「いや、それはなかったけど、でも僕、今日からは一段階ギアを上げて行くんでッ。」(稑)
「へえ。」(新)
「ま、いいんじゃないか?次のドーム公演まであと2週間だしな。前に章さんも言ってたけど、慣れてきた頃っていうのが一番危ないんだ。みんな、今一度気を引き締めて行くぞ、いいなッ。」(蓮)
「おぉッ!!!!」
メンバーたちも皆次の公演に向けて徐々に気持ちを高めていった。しかしそれから日を重ねるごとに、あの一番張り切っていた稑の様子に異変が起こり始めた。
「おい稑ッッ!!おまえ今日これで何度目だよ?もっとしっかり集中しろッ!!!」(勇)
「ごめん…。」
「はいはいはいちょっと1回休憩挟もッ。ね!」(優)
それはいよいよ本番前にSmall Gateで練習ができる最後の日だった。稑はその日だけでフォーメーションや振付けのミスを何回も繰り返していた。稑は決してもぬけの殻でも上の空でも心ここに在らずでもなかった。至って真剣に取り組んでいた。しかしどうにも空回りしてしまっているようで、誰よりも稑がそんな自分に苦しんでいた。さすがに謝罪もすでに口先だけになっている稑は苛立ちが抑えきれず、頭からタオルをすっぽり被ると無言のままスタジオを出て行ってしまった。
「ごめん…、責めるつもりはなかったんだ…。でも、俺も焦っちゃって、つい…。」(勇)
「大丈夫、稑だって分かってるよ。」(優)
「あんな稑、見たことない…。いったいどうしちゃったんだろう…。」(新)
見るにみかねた蓮は稑を追おうとしたが、新が慌ててそれを止めた。
「蓮!僕が行くよ。」
メンバーは皆仲が良いが、新の稑に寄せる親しみはその中で少し抜きん出ていることをメンバーたちは皆周知していた。勇も優も蓮も、何とか打開する糸口が見つかればと稑の後を追った新を見つめていた。
新が思い当たるところを捜すと、稑は休憩スペースの椅子に腰を掛け、まだタオルをすっぽり被ったままテーブルに突っ伏していた。
「見ーつけた。」
新は遠くからわざと稑に聞こえるように言ってみたが、稑は全く無反応だった。
「稑、ちゃんと汗拭かないと、身体が冷えちゃうよ?」
「…。」
新もちょいちょいナーバスになることがあるが、まるでそんな自分を客観的に見ているようで新はその時少しだけ周りの人たちに同情をした。新は一先ず稑の隣りに腰掛けた。
「…。」
(あれぇ…。なんか、言葉が出てこない。なんて声掛けたらいいんだ?"大丈夫?"??でもどう見ても大丈夫じゃないし。"どうした稑ぅ、元気ないなー"なんて、そんな気休めなこと絶対に言いたくないし。何だろう…、心配なのに、ただただ心配なのに…、こういう時、いつもどんな言葉、掛けてあげてたっけ…。)
新は一向に言葉が見つからないでいると、しばらくして稑が伏せたまま、新に聞こえるか聞こえないかの小さな声で一言ぼそっと呟いた。
「新…。もしかしたら僕、次の公演無理かもしれない…。」
「えぇッッッ。」
新は驚き過ぎて、ついとてつもなく大きな声が出てしまった。
(そんな…、そんな、そんなそんなそんなッッ!!)
「稑…。」
稑の言っている事の内容があまりにもスケールがデカ過ぎて、それを聞いた新は若干パニックになってしまい、もう何から紐解いていけばよいのか益々分からなくなってしまった。すると遠くから誰かがこちらに向かって歩いてくる足音が聞こえた。振り向くと、それは稑の荷物の一切合切を抱えた詩帆だった。稑が学校から直接スタジオ入りしたため、それは学生として、そして魂狼としての二刀流分の荷物だった。詩帆は言った。
「稑。今日はもう帰ろう。」
(えッ、いやいやいやそれはマズいって。さすがに帰るわけにはいかないでしょ。だって今このまま帰っちゃったら、もう明日からのリハはマジで厳しいって!)
そう思った新だったが、隣りに座っていた稑はそう言われると迷うことなくスクッと立ち上がり、頭から被っていたタオルを手に取ると、トボトボと詩帆の方に向かって歩き出してしまった。
「稑…ッ。」
稑は新とは顔を合わせず、塞ぎ込んだままその脇を横切っていった。しかしそれから2、3歩歩いた辺りで一度立ち止まると、新の方に振り返り言った。
「新…、ごめんね…。」
そう言った稑の顔は、僅かに微笑むも物悲しさがいっぱいの笑みだった。そして再び歩き出すと、すれ違う詩帆にもやはり顔を合わせず、そのまま廊下の先へと消えていった。詩帆は無言のまま新を見つめた。その時の詩帆からも、やはり困惑している様子がひしひしと伝わってきた。しかし一方で、その顔にはマネージャーとしての使命感もみなぎっていた。新は詩帆のそんな心情を汲み取ると、言葉を発することなくそんな詩帆を見つめ返した。詩帆はその無言の眼差しから見えないバトンを受け取ったような気がした。そしてただ小さく頷くと、そのまま稑の後を追いかけた。
詩帆が運転する車の中でも、稑は終始無言だった。そんな稑に、詩帆も何も話し掛けなかった。家に着くと稑はそのまままっすぐ階段を上り部屋に向かったので、詩帆も稑の荷物を抱え、尚も黙って稑の後に続いた。
(こんな稑、見たことない…。本当にいったいどうしちゃったの…。)
いつも章を見習い紳士的な稑が、詩帆に自分の荷物を持たせていることにさえも気付いていないというこの状況がいかに深刻であるかを物語っており、詩帆は細心の注意を払って稑を観察した。すると部屋の前までたどり着いた稑は、ドアの前で俯いたまま動かなくなってしまった。
「稑…?入らないの?」
「…。」
稑は尚も固まったままだった。
「…稑?」
すると稑は僅かに聞こえる声で言った。
「今日は…、ピアノ室で過ごす。夜も…、そこで寝る。」
「へ?なんで?」
「…とにかくッ、今はこの部屋に帰りたくないッ!」
そう言い放つと稑は詩帆に見向きもせず足早に階段を駆け上っていってしまった。
「稑?!」
とりあえず詩帆も稑の荷物をその場に置くと慌てて追いかけていった。
ピアノ室に入ると、稑はソファに座り頭を抱え込んでいた。詩帆はそんな稑に恐る恐る近づき、そして言った。
「稑…?隣り…、座ってもいい?」
稑は僅かに頭を上げるも"…うん。"とジェスチャーだけしてそのまままた俯いてしまった。一向に塞ぎ込んでいる稑であったが、詩帆はその返答に大きく胸を撫で下ろした。もしここで拒絶されたら、それはイコール詰みだからだ。詩帆はまるで何かが吹っ切れたかのように、ためらわずに稑の隣りに座った。
"ドサッ"
「で、何があった?」
詩帆はどストレートのど直球だった。もしここに新がいたら、きっとまた"雑ッ!!"と突っ込まれていたに違いない。しかし詩帆からしたら、もうこれ以外のタイミングでこれ以外のことを今稑に聞くことなど何もなかった。稑はしばらく黙っていた。しかししばらくすると、俯いたままポツリポツリと話し始めた。
「僕は…、このままでいいのかなって…。」
「え?」
「あの手紙を読まないままで、いいのかなって…。」
あの手紙、それは稑の父親のことが書かれた手紙のことだと詩帆はすぐに分かった。
「最近、部屋に帰るとそればかりが頭の中をぐるぐるぐるぐる回ってて、夜もなかなか寝付けない最後の最後までそのことばかり考えてて、それで朝目が覚めると、あぁ、昨日は何とか読まずに済んだ、でも、今日はもしかしたらって、そんなことばかり考えてて…。」
「え…、でもあの手紙は、今は読む必要はないと思ってるって、そう言ってなかったっけ…?」
「うん…。そうなんだけど…、でも…ッ。」
「でも…?」
その頃には稑の表情は悲痛な叫びを物語る顔へと変わっていた。
「母さんは、本当は読んでほしいのかなってッ…。それで自分に再会の機会を委ねてるのかなって…。それに詩帆さんも…。」
「え?私?!私が何?!」
詩帆は突然自分の名前も出てきたことにとても驚き思わず声が上擦ってしまった。
「だって詩帆さんは、もうどう願ったって稜太さんと会うことは叶わないでしょ?それに比べたら、僕はまだ会うことができるのに、それなのに、会わないでいていいのかなって…。詩帆さんは僕の考えを、本当は良く思ってないんじゃないかなって…。でもッ、僕は会いたくないの!会う必要が無いんじゃなくて、会いたくないの!今のままがいい!今を壊したくないの!でもそれは、ただの独りよがりの、わがままなのかなって…、許されるのかなって…ッ。」
稑はこれまでに見たことがないほど追い詰められていた。
詩帆はあの手紙のことは、あの時すでに気持ちの整理がついているものだと思っていた。しかしあの日稑の身体に取り込まれた異物はあの時すべてを吐き出すことは敵わず、まるで呪いと化して今も尚稑の身体を蝕み続けていた。確かにそんな簡単に片付けられるものではないと、詩帆は目の前で打ちひしがれる稑を目の当たりにして思い知らされた。そして思った。
(これは昔の私だ。他の誰かの分まで背負い、自分を見失ってしまっていた、あの時の私だ。)
詩帆は目の前の稑が、稜太を亡った後に苛まれていた昔の自分と重なって見えた。




