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今ここであなたと出会えたことは 本当の家族編  作者: 安田 木の葉


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005 心が一番近くにいる人

 稑は過去に自身のベッドの上で詩帆に枕で殴り殺されそうになったことはあったが、この度のこれまた予想だにしない詩帆の行動には、稑の心拍数はもはやハードなダンスヒップホップを一曲踊り切るに値した。稑も遅れて起き上がるとうっすら額にかいた汗を手の甲で拭いながら、もう片方の手でTシャツの首元をパタパタして心を落ち着かせた。そしてようやく我に返り詩帆を見ると、詩帆は床の一点をただじっと見つめ、まだぼぉっとしていた。


「詩帆さん、大丈夫…?」


 すると、詩帆の顔はみるみるとしわくちゃになっていき、口はへの字に曲がると目からは再び大粒の涙が溢れてきた。詩帆はその涙がこぼれ落ちないように両手で目を押さえながら掠れる声で言った。


「…よかったッ。よかった…。」

「え、何が?」


 詩帆は込み上げる涙と嗚咽の隙間からポツリポツリと話し始めた。


「ずっと…、ずっとずっとッ、不安だったんだよ…。稜太は…、"大丈夫だ"って言ってたけど、あれは本当にッ、正しかったのかなって。ただッ、私に…、気を遣っただけだったんじゃッ、ないかなって…。」

「ん?稜太さんが??」


 詩帆は拭っても拭っても溢れてくる涙にもう手で押さえるのを諦め、再び床の一点を見つめながら続けた。


「あの日、私が洋子さんに返そうとしたネックレスを、実海さんに、これからは自分が寄り添いたいって、だから託してほしいってッ、言われて…。でも、稜太はどう思うのかなって、嫌だったらッどうしようって…。でも、そしたら稜太が出てきて、」

「出てきてッ?!」

「違うッ!!」


 詩帆はお化けが出てきたみたいなリアクションをした稑を考えるよりも先に睨みつけ全力で否定した。そして続けた。


「私に会いに来てくれて、"大丈夫だ"って。でも、その時何かを一生懸命伝えようとしてたんだけど、何て言ってるのか全然分からなくて…。その時は、稜太の笑顔に納得できたんだ。でも、やっぱり…、段々と不安になって来ちゃったんだよ…。そしたらさっき、稑が、ハッキリ言ってくれたから。ちゃんと稜太の本心を聞けたから…。だから…ッ、本当に…、本当に、よかった…ッ。」


 詩帆は一旦落ち着きかけた涙が再び込み上げ、肩で息をしながら少女のようにわんわんと泣いた。

 稑もあの日からずっと引っ掛かっていた。あんなに目を腫らした翌日から元気にみなぎる詩帆も、これまで万年スーツだった服装を私服に変え忙しい毎日に全力で取り組む詩帆も、そして音楽療法士のことをカミングアウトしたことも、どこか無理をして、まるで考えたくない、気付きたくない何かから逃げているようにずっと感じていた。そんな詩帆を、まさか自身の言葉が解放することになるとは思いもしなかった。


「本当に…、本当によかった…。」


 そう言いながら、詩帆は尚も泣いていた。稑はデッキチェアから立ち上がると詩帆の前で膝をつき、詩帆が落ち着くのをじっと待った。その間、詩帆の頭を撫でたい、肩をさすってあげたい、そんな衝動に何度も駆られたが、今は違うと、床についた膝の上で拳を握りながらただじっと見守っていた。詩帆は段々と落ち着きを取り戻していった。そして言った。


「稑はさ、いつもほしい時にほしい言葉をくれるよね。本当に…、稑にはどれだけ救われたことか…、どれだけ私の心を安らげてくれたことか…。もう、何度お礼を言ったって全然足りないよ。」

「そんな…、僕は何もしてないよ。」


 実際稑は、どれも自覚を持って取った行動ではなかった。


「それに、それを言うなら詩帆さんだって。いつもみんなを助けてくれたり、音楽療法士をしてる時も、たくさんの人を笑顔にしてるし、詩帆さんだって、たくさんいろんな人を、救ってるよ?僕はそれを、たくさん見て来てるよ?」


 詩帆は目の前に座り自分を覗き込むようにして優しく見つめる稑を見て言った。


「うん。ありがとう。」


 その時の詩帆の顔も、やはり目を腫らしたあの時と同じ穏やかな笑顔だった。しかし稑は、今度はその笑顔に自分も同じ笑顔を返すことができた。



 壁の裏側でガラス戸の隙間から2人の会話を聞いていた章も、やはりあの日自分に見せた詩帆の笑顔を思い出していた。言葉にならない、しかし口角を僅かに上げ、今笑える精一杯の優しさに満ちた笑顔を、恐らく稜太に会ったのであろうその直後の詩帆を…。やがて章は自身も穏やかな笑顔で、手元にある空のブランデーグラスを両手に持つと僅かにチンッと鳴らし、小さく乾杯をした。そしてその日はそのままその場を退散した。



「"思いがあれば、この世だろうがあの世だろうが、一方通行なはずがねぇ"。稑の伯父さんが言ってたヤツ、あれ、本当だったよ。稜太は最後に、ちゃんと会いに来てくれた。」

「うん。」


 詩帆はデッキチェアの上に体育座りをし夜空を見上げながら言った。そして稑もそのデッキチェアのすぐ傍に体育座りをして、同じ空を見上げながら詩帆の話を聞いていた。


「今度、ほんとに一度会いに行きたいな。私も稑の伯父さんと、いろいろお話してみたいッ。」

「うん!いいよ!行こッ!伯父さんも絶対に喜ぶよッ!」

「うん!」


 2人はクスクスと笑い、また夜空を見上げた。そして再び沈黙が訪れた。


「稑はさ、」


 詩帆は尚も夜空を見上げたまま言った。


「今私にとって、一番心が近くにいる人だな。」

「うん。………、ん?」

(一番心が近くにいる人…?)


 稑は思った。


(それって、詩帆さんも僕のことが、好きってこと…??)


 稑の解釈は飛躍し過ぎていた。そして恋モードになるとすこぶる単純が故に、ひとたびその発想が頭に思い浮かぶと、稑はもうそれしか考えられなくなっていた。そして稑は言った。


「僕も、詩帆さんのことが好きだよ。」

「……………、ハイ?」


 稑は再び暴走した。しかし見上げていた夜空から稑に視線を移した詩帆の顔とさらにはその力強く歪んだ眉間のしわを見て、自分は完全に見誤ったことを悟った。稑は一先ず笑って誤魔化した。すると詩帆もそんな稑に、はいはいだってこの稑だもんねと言わんばかりに笑って聞き流した。そして再び沈黙に突入した。


 稑は考えた。失態をおかしたわりには、そこにはやけに冷静な稑がいた。恐らく以前の暴走で、もう免疫ができていたのであろう。


(詩帆さんは恐らく、やっぱり僕の気持ちには全く気付いていない。さっきの"一番"だって…。)


"もし詩帆さんに何かあったら、僕は一番に見つけ出すから。"


(あれだって、かけっ子か何かの一番とか、きっとその程度なんだ…。)




 すると稑の頭の中には突如魂狼のメンバーたちが出てきて、彼らは開けた運動場にいた。そこはよく見るととてもきれいに整備されたトラックの上で、各々は各レーンにスタンバイすると勝負直前の緊張感の中何とか心を落ち着かせようとストレッチをするなり黙想をするなりリラックスを心掛けていた。


「位置についてッ。」


 遠くから拡声器を通した章の声が聞こえた。すると皆スターティングブロックに足を置き両手をスタートラインギリギリに這わせると、全神経を耳に集中した。


"パァンッ!!"


 5人は一斉に走り出した。スタートには若干のバラつきがあったもののほぼ横並び、ではなかった。みるみる蓮が遅れていった。残りの4人は尚も全力で走った。デコヒコありながらも誰が先頭かはもう一進一退、そしてゴールッ!!4人は写真判定になった。しかし優は結果は二の次で、全力を出し切った自分を褒め称えていた。一方稑は己の肌で感じた敗北を潔く認め項垂れていた。その隣りでは勇と新が揉めていた。


「俺の鼻先が一番だったッ!!」

「違うよ!僕の左足の爪の先だよッ!!!」


 そんなもみくちゃになっている2人の脇を終始流しで走り終えた蓮が横切っていった。しかし蓮は軽く上がる息もほどほどに、ストイックにももう次のレースに向けてストレッチを開始した。そんな彼らを、


「さ!次も頑張ろッ!!ファイトーーーッ!!!」


と観客席から詩帆が激励していた。




「そうじゃない…。そうじゃないんだよ詩帆さんッッッ。」

「…はい?」


 稑は1人勝手な妄想にやはり項垂れていた。


(でも、僕にはもう時間がない。それに、この気持ちはこの先も変わらないッ。)


 稑は一瞬で腹を括った。そして意思を持ってゆっくりとその場に立ち上がった。そして詩帆の座っているデッキチェアの前に移動し詩帆を真正面から見下ろすと、仁王立ちになり両手には拳を握っていた。そして言った。


「僕は詩帆さんが好きです。僕は詩帆さんと、本当の家族になりたいって思っています。」


 それを聞いた詩帆の目は点になり、口はぽかんと開いていた。






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