002 詩帆の変化 / 成人した稑
それから祝日を挟んだ火曜日の朝、9時から始まるミーティングに備え、魂狼のメンバーたちは次々とミーティングルームに集まってきた。稑は今日、詩帆とは一緒に出勤できなかった。チャットで"先に出る"とだけ告げられ、この日はまだ一度も会えていなかった。ミーティングルームには、その詩帆が一番最後に入ってきた。
(…!!!!!)
その詩帆を見るなりメンバー一同は言葉こそ発しはしないものの皆同じような顔をしていた。この日の詩帆の服装が、スーツでなく私服だったからだ。しかし詩帆はそんな彼らの反応は想定内だと言わんばかりに、そのことには一切触れずにミーティングを始めた。
「みんな、この三連休はしっかりリフレッシュできた?今週からは、いよいよ年末に向けてじわじわと忙しくなるよ。歌謡祭だの音楽番組はもちろん、それと並行して新曲の完成および発表、それに伴う宣伝活動、その他取材や雑誌のインタビューと撮影、あと来年から始まるコラボ企画も話がだいぶ具体的になってきてるから、スケジュール諸々がハッキリしたらまたチャットで共有します。そして何といってもドームツアーがあと2カ所残ってるからね、もうほんとに体力勝負になってくるよ。今年もみんなで無事走り切れるように、引き続き、しっかりよろしくね!」
「うすッ。」(勇)
「けど言葉にすると何だかめちゃくちゃ大変そうに聞こえるけど、僕たちとしては、もう目の前のことを一つひとつ誠実にやっていくのみだよね。」(優)
「うん。」(稑)
「だから詩帆さんも、これからも僕たちのフォローをしっかりよろしくお願いしまっすッ。」(新)
「…うん。そのことなんだけど…。」
「え…、何?」(新)
詩帆は打って変わって途端に歯切れが悪くなった。しかしすぐにまた先ほどの詩帆に戻ると言った。
「いやッ、ごめん!今はいい!さ、あと今週の個々のスケジュールも確認しよッ。」
すると詩帆はiPadを見ながら1人ずつ名前を読み上げ、一緒にスケジュールを一つひとつ確認していった。
「以上ッ!!じゃ、今週も1週間よろしくお願いしますッ。」
嬉しいことに、最近はそれぞれのスケジュールがとても充実してきているため、みんなで顔を合わせて行うミーティングは週1回になっていた。そしてこの日の詩帆は彼らに一切の隙を与えずそそくさとミーティングルームを出ていった。
「なんか…、めちゃくちゃ"いつも通り"を装ってたな。」(蓮)
「うん…。」(稑)
「何の心境の変化だ?詩帆さんがスーツじゃないって、もう違和感しかなくね?」(勇)
「それに何?さっき言いかけた意味あり気な話。」(新)
「うん。あまりいい感じの話じゃなさそうだったよね。」(優)
稑は蓮と一緒にミーティングルームを後にすると、そのままダンススタジオへと向かった。
「稑、おまえは何か知ってるのか?」
「いや…、僕にも分からない…。でも、詩帆さんはこの三連休でまた長崎へ章さんとお墓参りに行ってきて、その時のことが、何か関係してるのかも…。」
「そうか。なんだろな。」
稑がそう思う理由にはもう一つ心当たるものがあった。しかしその時はまだ確信がもてなかった。
詩帆の服装はその後も私服が続き、結果的にあの日から万年スーツを卒業した。詩帆はあゆみや明から受けたコーディネートのレクチャーを忠実に遂行しているようで、自身も自覚している無頓着な組み合わせになることはなかった。詩帆が着る服は季節的な要素もあり、これまでの襟付きシャツに比べると首元が少しオープンになっていた。そこに、もうあのネックレスらしきチェーンが見当たらないことに稑は気付いていた。
それからは詩帆が言っていた通り、いや、それ以上に激動の日々で、気が付くとあっという間に2週間が過ぎていた。稑は今までと変わらずすぐ目と鼻の先には詩帆がいるのに、お互いに日々こなすことが山積で、あれからゆっくりと話せる時間は皆無だった。しかし稑にはどこか、詩帆が自分と2人きりになることを避けているようにも思えて仕方がなかった。
(章さん…。今回ばかりは、僕には話してくれなさそうです…。)
稑は消化不良のまま、暦は10月へと突入した。そして訪れた最初の木曜日、稑はとうとう18歳の誕生日を迎えた。
その日の夜、章の家には章の家族の他に魂狼のメンバー全員と詩帆、誠、要が集まった。そして成人を迎えた稑の誕生日を盛大に祝った。
「ハァピバースデー トゥーユー!!」
「お誕生日おめでとぉーーー!!稑〜〜!!」
みんなでバースデーソングを歌い終えると、各々が稑にお祝いの言葉を贈った。
「ありがとう、みんな。」
それから稑には次々とみんなから誕生日プレゼントが贈られた。章からは万年筆、あゆみからはジャケット、てるてるからはフォトプレート、そのフォトプレートには稑の生まれた時から幼少期、そしてこれまでの写真が収められていて、どうやらあゆみにも協力してもらい、律子から素材を預かって制作されたものだった。
「うわぁーありがとうッ。」
「ここには、今日この後みんなで撮る写真を入れてね!あと、来年と再来年の写真も、またみんなで撮ろうね!」
そこには二十歳までの写真を収めることができるようになっているのだと明は嬉しそうに説明してくれた。
「うん、来年も再来年も、絶対にみんなと撮った写真を飾るよ!」
「もちろん稑1人の写真でもいいんだからね。あるいは好きな人とのツーショットでも。」
光が冷静にフォローした。それを聞いた魂狼のメンバーたちは、少しニヤニヤしながら皆互いを見つめ合っていた。そんな彼らには気付かず、稑は目をキラキラさせながら言った。
「うん、光君もありがとうッ。」
そして詩帆からはサングラス、メンバーからはいつもみんなで相談して一つのものを贈ることにしているが、この度用意されたものは随分と嵩張るものだった。
「これも開けていい?」
「あ!今はダメ!!!部屋で開けてッ。」(新)
「…?」
「えー何、気になるじゃん。」(詩帆)
「ダメダメダメッ!特に詩帆さんは絶対見ちゃダメ!!絶対にッ。」(新)
「は?なんで?」(詩帆)
「おいバカッ、余計なこと言うな!」(勇)
蓮は新の失態に呆れ腕を組みながらため息をつき、優もやれやれといったジェスチャーをした。
「ま、お楽しみってことでいいじゃないか。」
そう言った章の声からは、わいわいと賑わう雰囲気に満足している様子が伺えた。そしてひと通りのセレモニーが終わると、章は改まって稑に声を掛けた。
「稑。」
すると周りも一旦手を止め、章の方に耳を傾けた。
「これは律子さんからの手紙だ。今日、成人を迎えるこの日に稑に渡してほしいと預かった。あとでゆっくり読むといい。」
(あ…。)
詩帆は"手紙"、そして"成人"というワードから、稑がここでの生活を始めてからちょうど一年が経った年末に律子と話した時のことを思い出した。
(そうか、稑はとうとう、知ることになるんだ。でもそれは、稑が望めばだけど…。)
「ありがとうございます。」
稑はそんなことなど露知らず、少し顔をほころばせながらその手紙を両手で受け取った。それは市販の便箋用の封筒だったが、思いの外分厚かった。
「それから稑、今日成人を迎えるにあたって、俺からも一つ話しておきたいことがある。」
「…はい。」
稑は先ほどまでの和やかな雰囲気から僅かに空気が変わったのを感じた。
「成人した稑には、これからは他のメンバーと同じように、自立し、一人暮らしをしてもらおうと思う。」
「え…。」
稑は突然の章の話にビックリして、思わず言葉を失ってしまった。
「わぁ〜い大人の仲間入りだおめでと〜〜!!」(新)
そんな新の言葉に稑は我に返った。そうなのだ。考えてみれば、章は当たり前のことを言っていた。しかし稑にとってはあまりにも突然で、ましてや全く望んでいないことだったので、まるで頭を鈍器で殴られたかのような、ついそんな衝撃を受けてしまった。そんな稑の心情を悟った章が続けた。
「心配するな。今はまだ学校にも通っているし、もちろんすぐにという話ではない。だが、来年の4月からは、稑も皆と同じような扱いにする。だからこれからの半年間で、稑自身もいろいろと準備を進めてくれ。いいな?」
「…はい。」
「それと、これは今ここにいる全員に関わる話だ。詩帆、いいな?」
「はい。」
名前を呼ばれると詩帆はその場に立ち上がった。
「え〜もぉ〜今度は何ぃ…?」
一瞬騒ついたがみんな静かに様子を伺う中、新だけはあからさまに心の声をさらけた。
「詩帆はSmall Gateに入社するまでは、ピアノの講師をする傍ら、音楽療法士として依頼のあった施設に出張演奏を受け持っていたんだ。本人の希望で入社後も後者の活動は続けてきたが、先月そのことで詩帆から申し入れがあった。詩帆、あとはいいな?」
「…はい。」
詩帆は若干緊張した面持ちで、一旦すぅっと息を吸い込むとそれをゆっくり吐きながら自身の気持ちを落ち着かせ、慎重に言葉を選ぶように話し始めた。
「今まで、みんなの大事な時にも度々寄り添えないことがあったのは、その活動のためです。でもそれを、これまでハッキリとは伝えずに曖昧にしてきてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
そう言うと詩帆は深々と頭を下げた。そして続けた。
「でも今、その活動に取り組む上での気持ちというか…、心構えみたいなものにようやく整理がついて、これからはもう、隠さずに堂々と歩んでいきたいと思って、章に相談させてもらいました。」
すると章は詩帆にアイコンタクトを送り、そこからはまた章が話し始めた。
「具体的には、今後マネージャーの業務に関しては、要をメインとする。そして詩帆はサブに代わってもらう。ただ、デビューして以降ありがたいことに、メンバー内の個々の活動も多岐に渡り始めている。そしてもう一つ、今後Small Gateの中で新たなプロジェクトを立ち上げることを踏まえ、5人の担当を要と詩帆で振り分ける。勇、稑、そして蓮は、そのプロジェクトに関わってもらうため要が担当、そして新と優は対外的な活動が多いため、この2人を詩帆に担当してもらうこととする。これらの引き継ぎに関しても今後半年を目処に進めてもらい、来年の4月からは、いよいよ新体制でスタートするつもりだ。」
すると章は誠に視線を移した。誠はその合図に反応した。
「ま、新たなフェーズに向かって、ゴー!!!って感じっすかね。」
章も詩帆も、そんな砕けた口調の誠にクスッと笑った。そしてかしこまって固くなってしまった雰囲気を和らげてくれたことに感謝した。詩帆は続けた。
「要君は本当に真面目で、どんなことにも主体的に取り組んでくれて、もう充分にマネージャー職を務めてくれています。」
するとその場にいた何人かはささやかに拍手を贈るジェスチャーをした。それに少し照れた要を、隣りにいた誠が悪戯っぽくどつき、またささやかな笑い声が沸いた。
「研修時代を含めれば、要君の方が先輩なわけで、私としては、もう全幅の信頼を寄せています。ただ、私もサブとしてマネージャー職に残る以上、今後もご迷惑は最小限に留め、魂狼に関しても全身全霊で取り組んでいく所存です。そして、今一度初心に返って、今しかできないこと、私にしかできないこと、そのことにも正面からしっかりと向き合って、音楽療法士としても後悔のないよう、新たに挑戦していきたい、今はそう思っています。今後とも、皆様のご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い致します。」
そう言うと詩帆は再び深々と頭を下げた。その場は一瞬静まり返った。しかし以前から少しずつ感じていた詩帆の変化にみんなはようやく納得したといった表情で、やがてその場には拍手が起こり、リビングは再び温かい雰囲気に包まれた。そんな中ただ一人、稑はどこか戸惑いを隠せなかった。確かにはっきりと、心の中がもやっとしていた。しかしそんな心情を悟られないように、稑は何とか笑顔を心掛けながら拍手を続けた。




