010 ありのまま
ドームに到着すると、中では尚も本番に向けた準備が着々と進められていた。稑はライブ会場に着くと、リハーサルが始まるまでの間にいつも必ず訪れる場所があった。それは最上階の最後列だ。そこから見下ろすステージは、いつもびっくりするほど小さい。
「やっぱり何度目だろうとこの独特の緊張感は毎回新鮮だよね。」
「うん。」
稑と共にやって来た新がしみじみと言った。
「新はさ、まだ章さんと出会ってない頃、自分があそこに立つ未来をどれくらい想像できた?」
「え?」
新はあまりにも突拍子のない質問にすぐに答えることができなかった。稑はステージを見つめたまま続けた。
「僕は限りなく、こっち側の人間だと思ってた。あそこに立つ自分なんて、全く想像してなかった。でも…。」
続きが気になり新は耳を澄まして待ったが、それきり稑の言葉が続くことはなかった。しかし胸のうちに何かを思っているのが伺えた。
すると今度は新が言った。
「今日もし稑がいなかったら、僕もダメだったかもしれない…。」
「え?」
今度は新の突拍子もない言葉に稑は思わず新の方に視線を移した。
「僕はさ、そもそも稑がいなかったら、章さんと出会えたとしても、きっと魂狼には選ばれてなかったって思ってる。」
「えぇ?」
驚きを隠せない稑にもうそれ以上何も言わせないように新は続けた。
「でも!僕たちは今、向こうから届ける側にいる。だから、届けようね、ここまで。」
新のたまに見せる思わずドキッとするような真剣な眼差しに、稑にもライブモードのスイッチが入った。
「うんッ。」
そして翌日。今回もあの席までちゃんと埋まっているのだろうか。そんな不安は一瞬で吹き飛ぶほどの満員大歓声の中、ライブは始まった。
父さん。
稑は大阪に発つ前の晩、一枚の手紙を書いていた。
父さんは今、どこで何をしていますか?
僕は今月で、18才になりました。
もしかして、
父さんにも今子どもがいて、
実はその子と僕のライブに来てたりしますか?
僕は魂狼という、Soul Wolvesという、
ダンス&ボーカルグループのメンバーとして
5年前から活動しています。
僕はライブのステージが大好きです。
誰の主観も、何のフィルターも通さない、
1人ひとりと直で触れ合える、
この瞬間が大好きです。
それはおおげさだけど、
生きててよかった、
そう思える瞬間でもあります。
でもそれは、
僕1人では決して成し得ない。
その中に、あなたもいます。
僕がこのステージに立つことを
今でもたまにふと、
不思議に思うことがあります。
僕は限りなく、
ステージを見つめる側の人間だと思ってた。
このステージに立つ自分なんて、
全く想像していなかった。でも…。
稑は持っているものをすべて出し切るかのように歌い、そして踊った。ここにいる一人ひとりに、この空間の一番遠くにいる一人にまでしっかりと自分の思いが届くように、全身全霊で踊り、そしてその声に思いを乗せた。
父さんと母さんが出会った時点で、
僕の人生はすでに決まっていた、
そう思える時がたまにあります。
母さんが父さんと出会っていなかったら、
僕たちは名古屋に住んでいなかった。
名古屋に住んでいなかったら、
僕は清子ママに出会えていなかった。
清子ママに出会えていなかったら、
僕は歌と出会えていなかった。
歌と出会えていなかったら、
僕は章さんとも、
本当の自分にも、
まるで本当の兄弟のようなみんなとも、
出会えていなかった。
「さて、本日のライブもいよいよ終盤に差し迫ってまいりましたが、皆さんしっかり楽しめてますかぁ?!」(勇)
「お、いい反応ですねぇ。」(優)
「今日はここでね、もうサプライズでも何でもないけどッ!」(勇)
「ひどい…、言い方ちょっとひどい。」(蓮)
「まぁまぁまぁ、もう当然の周知ということで。」(優)
「さぁ稑君ッ!!!」(新)
メンバーたちにチヤホヤされながら、稑はみんなの真ん中に連れて来られた。その時の稑は、すでにもう感極まっていた。
「えー僕まだ何も言ってないよぉ?」(新)
「まぁコイツすぐ泣くから。」(勇)
「確かに。一番泣き虫。」(新)
「えぇ?!一番泣き虫なのは新じゃね?」(優)
「えー最近はそうでもないよ!稑の方が上回ってるよ!」(新)
「おまえらさっきからちょっとひどい。でもまぁ確かに俺の結婚式の時も、俺よりも先に俺の母ちゃんよりも泣いてたわ。」(蓮)
「でしょ?!」(新)
「と言うわけで、稑君はいったいいくつになったんですかぁ?」(優)
「…18に、なりました。」
「そうなんです!!もう2週間近く経っちゃったけどね!ではここで、お祝いメッセージを送ってくれたりいつも応援してくれているファンの皆様に向けてひと言お願いします!」(新)
「…。」
「稑ッ、ガンバレッ。」
「稑ぅー!」
すると会場からも稑の背中を押す囁き声があちらこちらから聞こえてきた。稑は益々言葉に詰まってしまった。
「分かった!じゃあもう本当にひと言だけ!!行け!稑ッ!!」(新)
すると稑は心を決め、思い切り深々と大きく息を吸い込むと、ひと言マイクを通さず生の声で叫んだ。
「ありがとうございますッッッ。」
「わーーーぃ!!お誕生日おめでとぉーーー!!!」
僕はみんなのことが大好きです。
本当の自分でいられるこの場所が、
大好きです。
僕はあなたとは、
一度も会ったことはないけれど、
これからも会うことはないけれど、
この先生きててよかったと思う度に、
母さんと、あなたのことも思い出します。
そしてこれからも、
ありのままでいられるこの場所で、
ありのままを受け入れてくれるみんなと、
自分をしっかりと、生きていきます。
2025年10月16日
川名 稑
その手紙は、あの日詩帆に渡した手紙と入れ違いで、律子からもらった手紙と共に大事に箱に収めた。
ライブはいよいよ最後の曲となった。稑はその歌詞のひと言ひと言を噛み締めながら、自分も誰かの背中を押せるようにとその役割を改めて胸に刻むように、しっとりと「三つ星」を歌い上げた。
「母さん、僕は、父さんには会わないよ。この先知ることも、きっともうないと思う。」
2日間の大阪公演を無事に終えた日の夜、稑は律子に電話を掛けた。
「でも、感謝してる。世界一のありがとうを伝えたいのは母さんだけど、これからは、父さんのことも大事にする。母さんが、そうであるように…。」
「…うん。」
「母さんは、父さんに会いたかったりするの…?」
「稑、私のことはいいのよ。私はね、あなたがちゃんと地に足付けて、これからも生きていってくれれば、お母さんはそれ以上に望むことなんて何もないから。」
「うん。」
やはり律子は律子だった。
「僕、幸せになるから、だから母さんも、しっかり自分のことで幸せになってね。絶対だよ?」
「うん…、ありがとう、稑。本当に、ありがとう…。」
律子もあの手紙を、一方的に、しかも直接渡せなかったことを少し後悔していた。しかしこっそり観に行っていたDAYS1のライブでの稑のパフォーマンスを見て、この子は大丈夫だ、そう思えた。稑はその手紙を通して、様々な絆を再認識した。
閑話
詩帆「おまえら、ちょっと来い。」
それは大阪公演を無事に終えた数日後、魂狼たちが稑の部屋に訪れ各々が陽だまりの中ぬくぬくまったりとくつろいでいたある日の休日のことだった。詩帆は本人に無許可で自身の抱き枕を制作し稑に贈ったことを反省させるため、彼らをとある寺に連れて行った。そして午前中に座禅を終えた彼らは、午後から写経に取り組んでいた。
長男 蓮は、すこぶる姿勢が美しかった。
「っておぉーーい!蓮!目開けたまま寝ないでッ!!」
四男 新は、情熱的な芸術肌だった。
「ミ…、ミミズッ?!?もっと読める字書いてッ!!」
三男 優は、筆の達人だった。
「うっわヤバ。めちゃきれい!!もう反省どころか楽しんでるしッ。」
五男 稑は、気真面目で切実だった。
「こら!稑!漢字が難しいからって勝手にひらがなにしないでッ!!」
次男 勇は、我が道を貫いた。
「ってこっちは英語かーーいッ!!勝手に英訳すんなッ!!」
詩帆は反省の心が全く見られない彼らにさらに荒れ狂っていた。
「詩帆。」
「えッ?!章?!なんで章がここにいるの?!?」
「写経は反省させるために書くものではない。心を鎮め、先祖を敬い、健康を祈願する。今写経が一番必要なのは詩帆なんじゃないのか?」
「むむむッ、むっきぃーーーーッ!!!」
「うむ、良き良き。」
庭先で忙しなく戯れる7匹の子犬たちを、今日も縁側から住職が穏やかな眼差しで見守っていた。
「おじちゃん!僕たちはね、犬じゃないよッ!!狼だからね!!!」




