表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

前日譚 ―風の声が聞こえた日―

それでは今回は、リュカとアイリ――ふたりが“心を寄せ合うようになった過程”を、物語の中でもっとも繊細な“前日譚”として丁寧に描いてみようと思います。


このお話は、小説本編の前日譚にあたる「記憶のはじまり」としてのエピソードです。

語りはリュカの一人称、グダグダと堂々巡りの内省をしつつも、少しずつ心が寄っていく“ゆっくりとした時間”を描いていきます。


なお、前回最後にお知らせした、登場人物紹介は少し後にしたいと思います。

アイリと初めて言葉を交わしたのは、小学校の裏庭だった。


 季節は初夏。まだ梅雨入り前で、日差しが強い日だったのを覚えている。

 俺はひとりで図書館から抜け出し、裏庭の木陰に座っていた。理由はなかった。というか、理由などない、ということ自体が、あのころの俺にとっての“理由”だった。


 それまでの俺は、人との距離を測るのが苦手だった。

 騒がしい教室、必要以上に明るいクラスメイト。そこにうまく馴染めず、常に少しだけ端に立っているような、そんな立ち位置にいた。


 その日も、たぶん何かに疲れていたのだと思う。

 日陰で目を閉じて、ほんのすこしだけ風が通るのを感じながら、何も考えない時間を過ごしていた。


 「……風の声、聞こえる?」


 ふいにそんな声がした。


 目を開けると、木の反対側に少女が立っていた。

 細い身体、色素の薄い髪、そしてこちらを見ていない視線。

 それは俺に話しかけているようで、風に話しかけているようでもあった。


 「風に、声なんてあるのか?」

 気づけば、そう返していた。


 彼女は笑った。

 笑ったけれど、どこか“照れ”のようなものを含んだ表情だった。

 「あるよ。誰にでも聞こえるわけじゃないけど、私は聞こえる。たぶん、君も少しだけ、聞こえてる」


 そんなことを言われたのは初めてだった。


 それから、彼女とは、気がつくと同じ場所にいることが増えていった。


 別に約束したわけではない。

 でも、図書室のすみっこや、渡り廊下の端のベンチ、裏庭の木陰――

 そのどこかに、自然と彼女がいて、俺は隣に座るようになった。


 彼女は、たくさん喋る子ではなかった。

 でも、静かに風の音を聞くのが好きで、

 それを言葉にするのが得意な子だった。


 「いまの風は、怒ってた」

 「今日の風はね、ちょっと悲しそう」

 「君のこと、好きって言ってたよ」


 ……その最後の言葉は、たぶん冗談だったのだと思う。

 でも俺は、その日、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


 何かをはっきりと“好き”だとか“惹かれている”とか思うには、

 俺たちはまだ少しだけ幼すぎた。


 けれど、一緒に風を感じる時間が続くなかで、

 次第に、彼女の沈黙が心地よくなっていった。


 目が合わなくてもいい。話さなくてもいい。

 ただそこにいてくれればいい。


 ――それが、好きという気持ちの始まりだったのかもしれない。


 ある日、彼女がポツリと呟いた。


 「リュカってさ、いつも泣きそうな顔してるよね」


 俺は思わず笑ったけれど、

 彼女は真剣な顔でこちらを見ていた。

 「でも、そういう人の方が、ちゃんと風に触れると思う」


 そのとき、初めて、

 “自分の弱さ”を誰かに肯定されたような気がした。


 その日を境に、俺は彼女のことを、ただの“変わった子”だとは思わなくなった。

 たぶんそのときから、彼女はもう、俺の中で“特別”になっていたのだと思う。


 それが恋だったのか、依存だったのか、祈りだったのかはわからない。

 けれど、風の吹くたびに、彼女の声を思い出すようになった。


 そうしてふたりは、言葉ではなく、風を通して、少しずつ心を寄せ合っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ