第二章 記録と予兆
それでは、くどくどとした内省や余計な思索がじわじわ増えていく構成で、次章に進んでまいります。
人間の記憶というのは、どうしようもなく不確かだ。
それなのに俺たちは、記憶のなかの誰かを“本当の君”だと信じて疑わない。
だが、あのとき笑った彼女と、いまどこかで生きているかもしれない彼女が、同じ存在である保証なんて、どこにもない。
――にもかかわらず、俺は“あのアイリ”を探している。
わかっている、滑稽な話だ。
十四の少年が胸に抱いた、ろくに恋とも呼べない憧れ。
それを十年引きずって、大の大人が風の音に意味を探すなんて。
だが、それでも。
それでも、俺は。
その古書を最初に手に取ったのは、偶然だった。
いや、そう言うと“運命的なもの”に寄りかかってるようで気持ちが悪いが、事実として、それは偶然だった。
半地下のような古本屋。
店主の姿を見たことがない。というか、気がつくと本だけが増えていて、誰が補充しているのかもわからない。
そんな胡乱な店の、詩集や神話の混じる棚のいちばん奥。
“それ”は埃をかぶってひっそりとそこにあった。
表紙は黒。装丁には一切の文字がない。
背表紙にだけ、擦れて読みにくい銀のインクで、こう書かれていた。
> 《記憶の風と忘れられた門》
なんて大仰なタイトルだ、と最初は思った。
が、なぜかそのとき俺の指は、躊躇いもなくそれを引き抜いていた。
中は、短い断章で構成されていた。
夢の記録のように曖昧で、だがところどころ、やけに具体的な描写がある。
《赤茶けた柵に囲まれた丘の上。風の巫女が最後に消えた場所。》
読んだ瞬間、胸の奥が冷たくなる。
それはまさに、あの丘のことだった。
俺とアイリが最後に会った場所――誰にも話したことのない、あの場所の描写だった。
《風はすべてを知っている。記憶を運び、声を伝える。君が忘れたものも、君がまだ知らないものも。》
そして、最終ページにはこうあった。
> “門をくぐる者は、記憶を捧げよ。
> たとえそれが痛みであっても、後悔であっても。
> それこそが、風の鍵となる。”
それが何なのか、いまの俺には説明できない。
ただ、知ってしまった。見てしまった。
そういう種類の“気づき”が、確かにあった。
昔、アイリが言っていた言葉を思い出す。
「ねえ、リュカ。風って、記憶を運べると思う?」
あのとき俺は笑って、
「それはロマンチストすぎるよ」
と、言った気がする。
だが今は、笑えない。
彼女の言葉のほうが、ずっと現実に近い気さえするからだ。
だから俺は、あの丘へ戻った。
あの風をもう一度感じて、
今度こそ“何か”をつかめるような気がしたから。
それが何なのか、まだわからない。
けれど、わからないままにしておくには、
この十年という時間は、あまりにも重たすぎた。
次章からは、いよいよ“風の門”への手がかりをたどり、現実の中にゆっくりと“異界の兆し”がにじみ始めていきます。
内面の“くどさ”も増しつつ、幻想と現実の曖昧な境界を描いていきますので、どうぞご期待ください。