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/エピローグ

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 その日空は透き通るように青くて、遙風に遅れることおよそ二週間後に晴れて退院を果たした久刻十字が初めに訪れたのは自宅ではなく旧都の災害跡地だった。瓦礫の上に寝転がる。冬の冷え込みが浸透するコンクリートは、氷みたいに冷たかった。風邪引きそう。

 後日談として語ることがあるのなら、まずは一つ目、遙風輪廻についてである。

 中学時代に数多くの偉業を成し遂げた時代のトップランナーはなんと、二年半と少しの時間を経て陸上競技界への復帰を決意したらしい。今からなら三年最後の大会に出れないこともないそうなので、タイミング的にはギリギリセーフ――と言いたいところだが、現実はそんなに甘くないのだ。

 遙風的には大会へのエントリーが可能な時期として、期間的に間に合ったといえばそうなのだが、その他で間に合わなかった人物がいる。そいつは速さに取り憑かれ、遙風輪廻に憧れたある少女で、残念なことに今度は少しばかり早過ぎた。もう少し、もう少しだけここにいられれば、彼女も遙風と共にトラックを駆けていたかもしれないというのに。

「箱崎……パズルさんですか? ええ、はい。知っていますよ、陸上部のエースランナーですよね」

 僕を見舞いに来た遙風は、自身の陸上復帰を宣言した後でそう言った。ちなみにそれに至るまで様々な罵詈雑言にて僕の所業を非難したりしてくれたのだが、それは慎んで割愛させてもらう。いつもの一風景と同じ。それは久刻十字と遙風輪廻の変わり映えしない日々の再現とだけ言っておく。

「残念ですね、彼女は良い選手でしたのに」

「なんだ、やっぱり陸上部のことは気にしてたんだな」

「……? いえ、私は高校の陸上部には出来るだけ近寄らないようにしていたので、活動を拝見する機会はありませんでした。彼女とは一度、中学の大会で走ったことがあるんですよ」

「……へえ、そうなんだ。あいつさ、なんつうか、やっぱり凄かったのか?」

「ええ。私の後ろをついてこれたのは彼女だけです。……ただ」

「ただ?」

「他の競技にも参加する予定だったようですが、体調を崩してしまったらしく全て欠場してしまったんです。惜しいですね、私がいなければ結果は確実に出ていたはずなのですが。……と、どうしました久刻くん?」

「……いや、なんでも」

 恋は人を狂わせるというが、箱崎は相当の重症だったらしい。ともあれ、遙風の中にその存在があったことに僕は安堵する。何一つ報われないまま死んでいった訳ではないのだと、後輩の贐に持っていく話が出来たのが嬉しかった。――よかったな、箱崎後輩。

 丁寧にも僕が欠席している間の授業をノートに纏めてくれていた遙風は、副教科も含め全ての科目別に色分けされたノートをサイドデスクに重ねていた。適当に一冊開いてみる。……うわあ。これ、板書だけに留まらず要点の纏めとか、遙風先生直筆のアドバイスなんかも書かれてる。これは凄い。だって、僕でも授業が分かるもん。しかし、保健体育を詳しく筆記されているのはどうなんだろう遙風さん。

「……あ、ありがとう遙風。多謝するよ」

「いえ、この程度授業の片手間ですから」

「そうかい……もうあれだよ、お前には頭が上がらないよ」

 今度また、購買の甘い物を奢ってやろうと思う。ただし、人込みに入る際、僕は傍観に徹するが。とはいえ、遙風と手を繋ぐのは全身を疲労させるだけの価値があるのかもしれない。などと不純な葛藤をしていると、

「私のことはいいんです。ただ、一つだけお願いをしてもいいですか?」

「なんなりと。僕は君の肉奴隷だ」

「いえ、そんな卑猥な奴隷は要りません」

 卑猥じゃない奴隷は欲しいのか? 

「約束してください、久刻くん。遙風輪廻(ここ)にいた、遙風輪廻(かれのことを」

 遙風輪廻は二つで一つ。一人で二つの遙かな世界を廻る風。またいつか、同じ場所に帰って来る、輪廻のような風。忘れるはずがない。少年のように笑った彼を。同じ場所で同じ空を見上げた大切な友人を。

 二人を分かつ確かな隔たり。彼女は彼を他人のように語る。これからは、自分が遙風輪廻なのだと。自らを犠牲にしてその夢を守り抜いた彼の分も背負い、前に進むという確固とした自我を主張する彼女。

 答える言葉は要らなかった。多くを語らずとも伝わる心がある。この時、僕と遙風の思いはきっと同じだっただろう。だから何も言わない。言う必要がない。形にすれば消えてしまうものもあるのだから。視線に籠める意思。静かになった病室。遙風が先に目を逸らした。

「私も、彼のことは忘れません。いつまでも、それを過去の……終わったことにしたくはないので――」

 部屋の天井の、角を眺めている横顔。目の錯覚か、少しだけ頬が赤くなったように見えた。

「――十字。……これからは、そう呼ばせてもらいます」

 これはこれはまた。

 からかい様が増えたぞ、このご主人様。

 とまあそんなことがあったわけで、遙風と僕との関係が深まったとさ。めでたしめでたし。……あ、やばい。そういえば遙風に今日が退院だって伝えてなかった。

 後日談その二。というかこれは今までのことと、これからのこと。

 世間を騒がせた連続失踪事件とそれに連結する女子高生連続殺傷事件。前者と後者に関連性があると知っていたのは実は僕と天門坂だけである。世の中も薄々感付いてはいるだろうが、それを口に出さないのが暗黙の了解による世の美徳なのだ。失踪事件は都市伝説のまま、闇に葬られる。この先は世の中の知らぬ領域で、また僕の予想でしかないが、事件の隠蔽には少なからず天門坂家が関与しているのではないだろうか。

 そして本題。後者の女子高生連続殺傷事件について。被害者には一人、男子高校生も含まれているのだが。トピックの話題性を求めるなら表記はそっちの方が人目を引く。箱崎外流、遙風輪廻、久刻十字、天門坂一月の四人が被害者として数えられる。内、死傷者は二人。重傷者が三人。合計人数に矛盾が出るのはこちらの都合だ。

 結局犯人は夜杜兄妹だとする僕の証言は、その後の家宅捜査とか何だとかの結果一応信じられはしたのだが――事件後犯人の姿を見たものはおらず、詳しい動機や殺害方法については謎のまま。……僕が包み隠さず全てを語ってもよかったが、こちらも天門坂家の権力により揉み消されるのがオチだろう。

 そうした様々な過程を経て今がある。追記しておくと、あの事件から久刻十字は天門坂一月に会っていない。お互いに入院していたのだから当然とも言える。しかしそもそも、同じ病院に入院していたのかも怪しい。

 かくして。

 晴天の本日を以って、久刻十字は世間復帰を果たした。

 情景は冒頭の通り。場所は全ての始まりにして、何もかもが終わった場所。

 思うこともなく空の果てを眺める。綺麗な青色。雲は斑で、地平線はずっと遠い。彼方には過ぎ去ったこれまでが滲むようで、見詰めていることで回想をする気分になれた。

「いい天気だよな。本当、見事な退院日和」

 呟いた言葉は風に乗り、

「退院するのに天気は関係ないでしょ。……ていうか、退院早々なにをしてんのよアンタは」

 それを、拾ってくれる誰かがそこにいた。

「よ、久し振り天門坂」

「久し振り、じゃないわよ。ちゃんと質問に答えなさい、ここで、何をしてたわけ?」

「こうして寝転がってるとさ、たまーにいいものが見えたりするんだよ」

「例えば?」

「パンツとか」

 思いっ切り顔面を踏み付けられた。止めろ、傷が開く。いやだがしかし、それでも言わせて貰おう。我が生涯に一片の悔いなし。痛みの代償は貰い受けた。……鼻血が出てるかもしれないのは、単純に血管の損傷が理由であって他意はない。

 冗談はさておき、

「無事で何より。また会えて嬉しいよ天門坂」

「ふうん。わたしはそんなに嬉しくないけど。貴方こそ無事でよかったわ、久刻くん」

 いつもの口調だ。僕の知っている天門坂一月がそこにいた。

「そいつはつまり、僕を心配してくれてたのか?」

「まさか」

 天門坂が膝を曲げるのを見て、こちらも体を起こす。腹筋運動の要領を実行すると、まだ腹部には僅かな痛みを伴った。退院と言っても完治した訳ではない。特に肩の怪我に関しては残り一ヶ月は安静を要する。無理に扱えばまた出血してしまうそうだ。

 だがまあ、そんなのも悪くないと思う。この傷だけは別だったから。これが残っている間は少なくともあの事件のことも――あの誓いも忘れないだろう。痛みと共に思い出すのは悲しい記憶だけではないのだ。

「林檎、食べる?」

「サンキュ。……て、待て。何で林檎なんだよ」

「ちょっとね。知り合いのお見舞いに行ったら、そいつ、今日退院なんだって。買っちゃった物は仕方がないから、アンタに上げる」

 どうやら、天門坂は僕よりも早く退院していたらしい。それなら何も、こんな日に見舞いに来なくてももっと早くこればよかったのに。

「バカ言わないでよね。わたしだって心の準備がいるんだから……その、どんな顔して会えばいいのか分からないじゃない」

「どんな顔でもいいんじゃないか。大事なのは誰が来るかだ」

「うっさい……バカ!」

 なんだこいつ。

 こんな顔も出来るんだ。照れてるみたいな赤い顔は遙風の専売特許だと思ってたけど、天門坂は天門坂で様になっていた。顔のいい奴はどんな表情も似合うらしい。本当に、何をするかではなく、誰がするかだよな。

「あの実験のことだけど」

 真っ赤な林檎をそのまま手渡しされた僕は、それをどうするか迷ってとりあえず弄んでいた。ワイルドにかぶり付くべきか、いやいやそれは久刻十字のキャラじゃない。そんな葛藤を繰り返していると、不意に天門坂が言った。

 あの計画という言葉が何を表すのかなど、訊く必要もない。

「七年前で全部が終わったのかは、わたしにも分からないのよ。天門坂は完成したサンプルはただのデータとしてしか見てないから、家の中でのわたしの扱いは基本的に放任。実験のその後についても、だから何も知らない」

 訊けば、天門坂は屋敷を出てそれなりになるそうだ。仕送りを貰って生活をしているそうで、月に一度の生存報告を義務付けられている以外は互いに無干渉だと本人は語る。あくまで、天門坂家に取って天門坂一月は終わりの月という研究成果でしかないらしい。

「だけど確かに言えることは、あの実験が奪ったものは何をしても補えないってこと。誰かの悲しみを、苦しみを、絶望に償うことは出来ない」

 風に流れる髪を絆創膏を貼った指で押さえながら、最後に強い口調をして天門坂は言った。

「だからわたしは止まらないで生きていく。終わりの月が終焉を迎えるまで、振り返らないことが天門坂一月に出来ることだと思うから。……それと、アンタには謝らないわよ。助かったんだから、構わないでしょ」

「いいよ、別に」

 どころか殺したいほど恨まれているくらいだから、今更そんなことなんてどうでもいい。

 それを理解した上で、やっぱり久刻十字は天門坂一月のことが好きだと思えるから。胸を張って彼女の隣に立っていよう。失われた全てが悲しくないと言えば嘘になる。強がっていてもやはり、空白は虚しく別れは悲しい。それでも目一杯虚勢を張って生きていこうと思う。天門坂の言う通り、立ち止まらないことで報われなかった全てに答えられる気がするから。ここにいる自分は、大丈夫なんだと。

 いつかその強がりの果てに、辿り着く彼方があるのならその時が終わりだ。

 みっともなくしがみついていた、この命を彼女に差し出そう。

 だからそれまでは、当てのない歩みを止めないように前を向いていたい。走り続けた先にはきっと、答えがあると思うから。

 自分がここにいる意味に、出会える日がくるはずと信じている。それは誰かの代わりではなく、誰かに与えられるものではなく――

「なあ、天門坂」

「なによ」

「ありがとう、ここにいてくれて」

「はあ? 急にどうしたのよ、バカなのもしかして」

「……なんでもねえよ」

 生涯を経て為し得るもの――ただ一つの、自らに与える価値。

 そして最後の瞬間、世界の果てで僕は終わりの月に答える。胸を張って確かな回答として。


 ――この世界は貴方にとって幸せ?


 その問いにはっきりと、答えたいと思っている。



 †



“ごめんね、私はキミを妹の代わりにするよ”

 抱き締められた記憶。

 一人だけが救われた夜。

 本当の意味で言うなら――久刻十字はその日、死んでしまった。

 だから今ここにいるのは、彼女の夢。天門坂標月が生きていて欲しいと願った、人並みに平穏に暮らしていて欲しいと祈った妹の――その叶えられなかった望みの結晶。祈りの代用品でしかないのだ。

 そうして思った。この命の意味は、きっと彼女への贖罪の為に残されているのだと。

 悲しくもそれを、僕は認めた。

 認めた、はずだったのに。

“ありがとう……ここにいてくれて。わたしに、生きる意味をくれて”

 絶望しかないこの場所で、始まりの月は微かに輝く。夜を照らす、生きていたいと願う心を導く眩い光。その涙を忘れていた。

“……妹を救えなかった、その代わりになるけれど。キミはキミとして生きていて”

 有り体に言えばこの世界は終わっていた。

 四方を照らす紅蓮の灯火。

 夜空に昇る黒い狼煙と誰かの叫び。

 夢の終わりと少年の始まり。その、凄惨な邂逅の夜、何もかもが終結した最果ての世界の中。

 終わりの月の満ちる夜に――

“キミの明日に続く道は、私が照らすから”

 ――――僕は彼女に出逢った。

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