二つの結末
ライアはその日、お見合いに臨んでいた。
相手は、悪友レオンの妹、エスリナである。レオンが何かにつけて彼女を推してくるので、一度ぐらいは会ってみるかと一念発起して、見合いの場を用意してもらったのだ。
エスリナは何かと煩く騒がしい兄とは似ても似つかず、落ち着きのある清楚な感じの少女だった。
年齢は十八というから、少女と評するにはいささか歳を食っているが、そう評したくなるほど幼い見た目をしていた。だがそれだけに可憐さが際立ち、完全に大人になりきってしまった美女とは違う、何とも言えない趣きがあった。
「妹が作る料理は絶品だぞ。それに我が母が全てを叩き込んだから、掃除洗濯、なんでもござれだ。お前みたいなズボラな男には一番相応しい女だと思うぞ」
ガハハと愉快気に笑いながら妹の長所を熱弁するレオンは、親バカならぬ兄バカを極めているように思われた。
「どうだ。結婚する気になったか?」
今日の今日、今の今会ったばかりで、そんな決断ができるわけもないと分かっていながら、平然と問うてくるレオンに、ライアはいささかウンザリしたように苦い顔を浮かべた。だがそれはエスリナも同じであったようで、「兄上は少し黙っていて」と声を荒げていた。
妹の強烈な抗議には、さすがのレオンも堪えたようである。
「わかったよ。確かに俺があれこれ言っても仕方ないな。当人同士で語り合うがよかろう」
と言ってすごすごと引き下がっていった。
残されたのは今日が初対面の男女二人だけである。
それはそれで辛いものがある。ライアもエスリナも性格的に人見知りがちで、積極的に話を展開していくタイプではない。会話を回し、空気を掻きまわしてくれる存在の不在は、そのまま空気の停滞と重量化を招く事になった。
とはいえ、いつまでに何も口にしないわけにはいかない。
重い空気に居た堪れなくなって、ライアの方から先に一つ二つ会話を切り出すと、それをきっかけに話は転がり出した。ひとたび転がり出してしまえば、案外趣味も性格も合う二人である。ことに盛り上がったのは二人の共通の”知人”であるレオンの事だった。レオンに対する愚痴だったり、彼の過去だったりを延々語り合っているうちにいつしか昼になり、夜になっていた。二人は時を忘れてレオンの事を語り尽くしたわけである。
そんな折の事だった。
「おい、ライア」
なおも会話に盛り上がり続けている二人の下に、ばつが悪そうに割り込んできたのはレオンだった。
「お前に客が来ているらしいぞ」
「客?」
こんな時間に一体誰だろうかと、ライアは首を傾げた。
今日はレオンとエスリナ以外は客がやってくる予定などはなかったからである。
レオンはライアの下に歩み寄り、そっと耳打ちする。
「レイナだと!」
思わず飛び出す素っ頓狂な声。
レオンは頭を抱えながら、妹の方に視線を向けた。
エスリナはきょとんとして、お人形の如くその場に固まっている。
「なんでレイナが?」
「知らんよ。ほんとは家人達も追い返そうとしたらしいんだが、着の身着のまま来ましたって感じなんで、さすがに追い返せなかったらしい。とりあえず客間に通したらしいが、会うかい?」
「……会えるかよ」
見合いの席で、話も弾んできたところ、どうしてかつての妻に会えるというのか。
レオンもレオンである。今この場で報告に来なくてもよいものを。見合い相手はお前の妹なのだぞ。エスリナが変に勘違いして破談になってしまったらお前も困るだろうに。――そんな抗議の視線を適当に受け流しながら、レオンはコホンと咳払いしてから言った。
「いや、案外会ってみたら面白いかもしれないぞ。お前のかつての妻が今更何を言いに来たのか、俺も興味があるからな」
「……いや、しかしだな」
「もうお前はかつての妻に未練などないのだろ」
「当たり前だ!」
「なら構わんじゃないか。なぁ、エスリナよ。お前もそう思うだろう」
エスリナは反応に困っている。
それはそうだ。見合いの席に来た以上、目の前の男性と結婚する可能性があるという覚悟で臨んでいる。にもかかわらず男性の元妻が押しかけてきて、これからその元妻に会うという。しかもそれを熱心に勧めてくるのが自分の兄となれば、困惑するのも無理からぬ事である。
とはいえ、ライアは既に元妻に対して未練は全くないという。
その元妻は、かつては聖女と謳われていたらしいが、今やそのメッキも剥げ落ち、むしろ民を苦しめた悪女と呼ばれているとか。どんな人なのか、興味がないと言えばウソになった。
何にしても、興味と好奇心に駆られたレオンに押し切られる形で、ライアとエスリナは懇談を一時打ち切って、招かれざる珍客を出迎えに客間に向かった。さすがに直接部屋の中に入ったのはライア一人であったが、レオンとエスリナは隣室で聞き耳をたてている。
◆◇◆◇
彼女に会うのはいつぶりだろうか。
半年、いやもっと前?
レイナはさすがにやつれた様な顔をしていたが、その美貌は往時とほとんど変わらない。その美貌と色香で男を惑わし、都合よく利用してきた強かな女は、元夫たるライアを見るなり、開口一番こんな事を言った。
「随分と羽振りがいいみたいね」
会うなり最初の言葉がこれ、という事にライアは呆れつつも奇妙な納得感を覚えた。
「お前の方は、まあ随分と変わったみたいだな。エスルード伯とは離婚したと聞いたが」
「ええ、あんな甲斐性なしには用はないわ」
「……そうかい」
エスルード伯は先の内戦の責任をとって領地と資産を没収された。浪費癖が染みついたレイナにとっては「甲斐性なし」であろう。
だがシェリル・エスルードは地道に人生を立て直しつつある。朝廷軍に入隊し、軍人として人生を再スタートさせたのだ。今後どうなっていくかは分からないが、シェリルは全てを失ったように見えても未だ伯爵として大貴族の一員に連なっている事に変わりはなく、大貴族社会の後押しを得さえすれば、近いうちに将軍へと立身する事も夢ではあるまい。目先の失墜に目を奪われて離婚を急いだレイナは、また後悔する事になるのではあるまいか、とライアは他人事のように思った。
「で、何の用だ?」
ライアはソファーの上に腰を下ろすと、そのまま本題に入るように促した。レイナは名残惜しそうにあれこれ考え込んでいたが、くだらない会話を続けるよりはとっとと本題に入ってしまった方が良いと考えたようで、コホンと咳払いしてから改まったように口を開いた。
「貴方、私に嘘をついていたでしょう」
「……嘘?」
「とぼける気? 破産したとか、債務が履行できないとか、適当な事を言って私を騙したじゃない。私はまんまとそれに騙されて離婚に応じてしまったけど、私を騙していた以上、離婚は無効よね」
「ああ、その事か」
最初からその話題を持ち出されるであろう事は予期していたので、ライアは特に驚いた様子もない。だが平然としている彼の姿は、レイナにとっては癪に障ったようである。
「その事って、簡単に言ってくれるじゃない。貴方の嘘のおかげで私の人生は滅茶苦茶になったのよ。どう責任を取ってくれるの?」
「責任?」
「そうよ。私が世の中の人からなんていわれているか知ってる?」
「悪女だろ」
「……」
悔し気に唇を噛み締めるレイナを見て、ライアは苦笑を隠しきれなくなった。
「生憎だが、それはエスルード伯なんかを夫に選んだお前の自業自得だ。俺のせいじゃないよ。大体、離婚してから誰と再婚しようが文句を言わない、というのは離婚した時に交わした約束の一つじゃないか。忘れたのか?」
「……そ、それとこれとは話が違うわ」
「違わない。俺とお前はもう別れた。別れた後の事は互いに関知しない。その約束を俺はずっと守ってきた。だからお前にも守ってもらわないと困る」
「……」
「後、離婚が無効だとか言っているが、無効になるわけがないだろう。互いに神々の下で誓約したのだぞ。誓書も認めて役所に提出済だ。文句があるならば星室庁に訴えればいいだろう。門前払いにされるのが関の山だと思うがね」
矢継ぎ早に自説を捲し立ててから、ライアはハァと溜息を漏らした。
「思えば俺達は不幸な夫婦だった。政略の都合で結婚した事は仕方ないとしても、価値観が全く合っていなかったのだからな。俺はその事実に目を背けて、ただひたすらにお前に尽くそうと思った。尽くせばお前が俺の方を向いてくれると勘違いしたんだな。だが勘違いはどこまで行っても勘違いだ。お前は決して俺の方を向く事はなかった。お前は最初から俺のカネにしか興味がなかった。だから俺のカネに底が見えると、別の男に走った」
「……」
レイナの表情が歪む。
「お前が浮気をしていた事は俺はとうに知っていたよ。だからあんな嘘をついたんだ。あるいはお前が俺についてくると言ってくれれば、浮気は見なかった事にしようとも思っていたが、そうならなくて良かったと今は心から思う。お前があの時俺の嘘を頭から信じ込んで、離婚を申し出てくれた事は実に重畳だった。おかげで俺は財産を分ける必要すらなくなったんだからな」
「なっ」
絶句するレイナに構わず、ライアは続ける。
「お前は己の生き方を改めた方がいい。今後もずっと生きていくなら、その生き方は損しかしないと思う。目の前の事だけを見て右往左往するのではなく、もっと先の事を見て、よく考えて行動するんだ。これはかつてお前の夫だった男からのせめてもの、そして最後の助言だよ。
俺とお前はあの日以来他人だ。よりを戻す気はないし、財産を分けるつもりもない。恐らくその為にここに来たんだろうが、無駄だったな。文句があるならば星室庁でも何なら国王陛下にでもじかに訴えればいいが、今更お前の訴えに耳を傾けてくれる殊勝な者がいるかな。俺はもう昔の俺とは違うし、お前ももう昔のお前とは違うんだ。それに」
そこで一息を間に挟むライアである。
「俺は結婚するんだ」
「……結婚?」
「ああ、今日はその見合いの席だったんだよ」
「……」
「一応はかつて妻だった女に、俺の新たな妻となる女を紹介しておこうか」
別にエスリナを妻に迎えると決めたわけではないし、今日決めるつもりもなかった。
にもかかわらず己の口から飛び出した言葉に、ライアは我ながら困惑していた。
だが今日一日話をする中で、エスリナは妻として迎えても悪くはないと思った事は確かである。それにレオンの妹なら氏素性は確かだし、そう問題のある女でもないだろうという思いもある。問題は、エスリナ自身がどう思っているかだが、多少なりと頭に血が上っていた今のライアの思考回路からはその点がごっそりと抜け落ちていた。
ともあれ、ライアがパンパンと手を叩くと、待っていましたとばかりにレオンと共にエスリナが姿を現した。躊躇しているエスリナを、レオンが強引に引っ張ってきたという方が正しい。
「俺の妻だよ」
ライアは紹介しつつ、エスリナの間近に歩み寄る。
困惑している彼女に、ようやく彼も肝心な事実を思い出す。だが今更後には引けないので、「嫌でも合わせてくれ。こいつを追い返すまでは」と耳元で囁くと、エスリナは「はい」とだけ震える声で答えた。
「こ、この女が……」
レイナは珍獣でも見るように、エスリナの全身を嘗め回している。
エスリナは金縛りにでも遭ったように直立不動で立ち尽くす。
「ああ、悪いか。お前よりはよっぽどいい女だぞ。少なくとも浪費はしないし、家を傾けるわけでもないしな」
「……」
「ま、そういうわけで、お前は招かれざる客なんだ。用が済んだなら、帰ってくれないか?」
「か、帰れって。……帰る場所が」
エスルード伯に離婚を突きつけ、実家からも挨拶一つ無しに飛び出してきた今のレイナは、実のところライアしか頼るところがないのだ。そのライアからも三行半を突きつけられれば、もはやどこへ行けばいいのか。
「知らんよ。好きなところに行けばいい。……とはいえ、まあこの状態で追い出すのはさすがに酷だからな。これぐらいは持って行けよ。かつて妻だった女に対するせめてもの餞別だ。一ヶ月ぐらいは遊んで暮らせるだろうさ」
そう言ってライアが差し出したのは金銭がぎっしりと詰まった革袋である。物乞いに恵むように上から目線で差し出す姿は、かつてレイナが貧民相手にやっていた構図と全く変わらなかった。
ライアが顎で指示すると、待機していた家人達がぞろぞろとやってきて、レイナの身体を引っ立て、部屋の外、そして屋敷の外へと連れ出していった。寒風吹き荒ぶ夜空の下にたった一人で放り出されたレイナは、放心状態のまま夜の町に飲み込まれていく。見送る者は誰もいない。
ライアはエスリナに向かい合っていた。
「こんな状況で何なんだが。君さえよければ、結婚を前提に交際を始めないか」
意を決したようにそう言う彼に、
「は、はい」
と彼女は答える。
「そうか。それはありがたい。じゃあ、まあ、とりあえずはレオンをバカにする話を再開しようじゃないか。余計な邪魔が入ったおかげで、まだ語り足りないんだ」
「え、あ。はい。そうですね。私もです」
ハニカミながら首肯するエスリナに、ライアは「ハハハ」と愉快そうに高笑いした。
そんな二人を、これから話の肴として供される事になるレオンは暖かく見守っている。
いずれ二人は結婚するだろう。
そうなった時に、弟となるライアとどう接していくかを考えながら。