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騎士と聖女

 ――彼の名はライア・エードという。

 エリス大陸に栄えるアルミナ王国に仕える騎士で、御年二十四歳。

 武勇に秀でているわけでも、人目を引くような一芸を有するわけでもなく、要するに騎士としてはいささかパッとしない男だが、領地経営に成功して若くして財を築き、王国随一の名家と名高きレントール伯爵家の令嬢レイナを妻に迎えるなど公私ともに順風満帆な日常を送っている。ことに妻たるレイナは国一番の美貌と謳われるほどの容姿を持ち、誰に対しても優しく、思いやりに満ち、大貴族の令嬢でありながら貧民に対しても遠慮なく手を差し伸べるので、”聖女の如し”と評される事も多い。

 新進気鋭の若手騎士たるライア・エードと、

 聖女と讃えられる大貴族令嬢レイナ・レントール。

 誰の目にも似合いのつがい・・・であり、理想的な夫婦と見做されている。

 しかし。


「ええっ、奥さんが浮気してると!」


 素っ頓狂な声を張り上げているのは、ライアの悪友であるレオン・バリアードという男である。商人であり、エード家の領地の特産品である葡萄酒を大量に仕入れてくれるお得意様でもある。


「ああ、探偵に調べさせたから間違いない」


 ライアは深刻を通り越して、ウンザリを絵に描いたような顔をして言った。


「探偵って……」

「いろいろ腹に据えかねたからな。一度いろいろ調べてもらおうと思ったんだ」

「そうかい。それで浮気の事実を掴んだと」

「ああ」


 呆れ顔のレオンは、

 

「……しかし、あのレイナさんがなァ。そんな事をするような人には見えないが。っていうか、お前がよっぽど酷い扱いをして愛想を尽かされただけじゃないのか?」


 まだ信じ難いと言わんばかりの顔をして続けた。

 だが、


「酷い扱いをされたのはこっちだよ」


 と、ライアはこみ上げる苛立ちをぶちまけるようにぼやいた。


「……レイナがなんで聖女だとか天使だとか、そんなごたいそうな呼び名で呼ばれているか、お前は知っているか?」

「そりゃ、貧しい病人を手ずから治療したり、飢えている人に食事を与えたりしているからだろう」


 レオンは間髪入れず答える。


「そうだ。じゃあ、そのカネはどこから出ていると思う?」

「カネ?」

「ああ、薬も食料もタダじゃない」


 当然の事だった。


「そりゃそうだ。……夫のお前がカネを出していると思ったが、違うのか?」


 レオンは首をかしげている。


「違わない。確かにカネの出し手は俺さ」

「じゃあ何の問題があるのさ」

「問題だよ。俺はその事を知らなかったんだからな。あいつは俺に無断で勝手にカネを持ち出して、貧民に振舞っていたんだよ。おかげであいつはすっかり聖女様さ」

「そりゃまあ、確かにひどいが、まあ、おかげでお前も聖女様の旦那として高い評価を得られてるんじゃないか。商売がうまくいっているのも多少なりと奥さんのおかげなところもあるだろう」


 レオンの指摘に、ライアは苦虫を何匹もまとめて噛み潰したような顔をした。


「確かにあいつのおかげで繁盛している点は否定しないよ。だがあいつの散財のおかげで俺の財産はだいぶ減った。俺が必死に金策に走り回って何とか事業を維持している裏で、あいつは湯水の如くカネを浪費しているんだ。

 ……だが、そんな事はどうだっていい。俺だってあいつがそういう女だって事は知ってる。だが、あいつにこの事を問い質した時、あいつは何て言ったと思う?」


 ライアの顔はますます醜く歪んでいく。

 際限なく湧き出した怒りが全身を満たし、あるいは膨張して、爆発寸前といった態である。

 レオンは「さあ」と答え、わざとらしく首をすくめてみせた。


「私は聖女よ。皆に好かれるにはお金がいるの。私が好かれているおかげで貴方も好かれているんだから、とやかく言われる筋合いはないわ。貴方はとにかく私の為にお金を集めてくればいいの。私が有意義に使ってあげるわ。……だとさ。挙句の果てにはもっと出しなさいよ、足りないわ、とくるんだぜ。俺を都合のいい金庫ぐらいにしか思ってないんだよ」

「……」


 レオンは返す言葉もない。

 王国でも知らぬ者は無い理想的な夫婦カップルの実態がこれとは……。

 名家の令嬢にして、絶世の美女、更には聖女とまで讃えられる女を妻とした、国一番の幸せ者の知られざる気苦労に思いを馳せ、レオンはハァと盛大に嘆息してみせた。

 しかしライアの結婚生活が一筋縄ではいかないものだという事をレオンは知っていたから、本来ならば特に驚くような話でもなかった。そもそもレイナの実家であるレントール伯爵家は代々アルミナ王国の宰相や大臣、あるいは将軍を輩出してきた名家で、祖先を辿ると、アルミナの初代王ナスル英雄王にまで遡り得るという。それに対してエード家は吹けば飛ぶような下級貴族に過ぎない。本来ならレントール家の御令嬢がライア如き下級貴族の下に降嫁してくる事などあり得ないが、ライアは領地経営に成功して富を得た新興資産家であり、経済力があった。一方、レントール家は歴代の散財が祟って経済的に破綻寸前だったという。追い詰められたレントール家の人々は背に腹は代えられぬとばかり、金目当てでライアに娘を嫁がせたのだ。

 そのような事情ゆえ、二人の結婚生活はなかなか一筋縄ではいかないと思ったのだが、ライアの妻に尽くす姿勢が功を奏して、夫婦関係は破綻せずにきた。それどころか傍目には誰もが羨むおしどり夫婦の如く見えるまでに進展したが、それは表向きの姿に過ぎず、事実実態は異なったらしい。


「俺はそれでも頑張ったよ。必死にカネを集めて、あいつの要求にもこたえてやった。だが、それに対するあいつの報いがこれだよ。俺より金回りの良さそうな男を見つけて浮気してたんだ」

「……そいつが誰だかわかっているのか?」

「エスルード伯爵だよ」


 エスルード伯。

 即ちシェリル・エスルード。三十歳。

 エスルード伯といえば、レントール家にも勝るとも劣らぬ名家として名高い。格の点ではレントール家より若干劣るというが、代わりに経済力に秀で、当代のシェリルはその羽振りの良さから王国社交界で絶大な人気を誇っている。だが一方でエスルード家は領民に厳しい事でも知られ、その富は民からの搾取によって成り立っているとも言われる。また意図的に借金を踏み倒したりもしているらしく、エスルード家に対する債権を持つ弱小商人の中には泣き寝入りを強いられる者も少なくないという。


「よりにもよってあのエスルード伯とは……。聖女様が聞いて呆れるな」


 そんな商人の一人としてレオンもエスルード伯の”悪辣さ”は身をもって知っているだけに、その言葉は重いというより苛立ちの色が濃かった。


「だろう。恐らくあいつは伯爵の金回りの良さに目が眩んだんだろうが。そのカネがどこから出ているのかなんて事は眼中にもない。何しろお嬢様だからな。民から搾取したカネで民に施すなんて、笑うに笑えんよ」

「確かに」


 苦笑するレオンだったが、所詮は親友が見限った、あるいは親友を裏切った女の事、即ち他人事である。その表情にはいささか深刻さが欠けていた。

 

「で、お前はこれからどうするんだ?」


 こちらは親友の今後に関する事である。そう問う彼の表情は真剣そのものだった。

 

「別れるさ。ただ、一計は案じさせてもらうがな」

「一計?」

「ああ、こちらから離婚を突きつければ、財産を分与しないといけなくなる。これがこの国の法律だからな。俺の財産をこれ以上あいつに譲るなんてあり得んよ」

「確かに。……だがどうするんだ?」


 その瞬間、ライアの顔の上に不敵な笑みが躍った。


「罠に嵌めてやるんだよ」

「罠?」

「ああ、あいつの方から別れ話を突き出したくなるように仕向けるのさ」


 それなら確かに財産分与という事態は回避できるだろう。

 王国の民法に基づくと、財産分与の請求権は、離婚を突きつけられた側にあるからだ。離婚を突きつけさせて、何も求めなければよいだけの話。


「……どうやるんだ?」


 肝心なのはそこ。


「フフ。まあ、見てろ」


 したり顔でそう言うライアの姿は悪知恵を思いついた悪ガキのようだと、レオンは思った。

 しかしその悪ガキがどんな悪知恵を思いついたのか、興味関心は尽きないところである。ライアという男は昔から小細工を弄させたら右に出る者はいないのだ。


「そこでお前に一つ用意してほしいものがある」

「用意?」

「ああ、商人のお前にしか頼めんものさ」


 そう言いながらレオンに耳打ちするライア。

 レオンの顔の上に納得と興味を綯交ぜにしたような不敵な笑みが躍る。


「わかった。すぐに用意しよう」

「助かる」


 さて、どうなるものか。

 お手並み拝見と言わんばかりにレオンは肩をすくめてみせる。

 ライア・エードは胸を張りながら、改めてニヤリと笑った。

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