第七章 学力テスト
静子の誕生日の翌日。いつものように静子は、放課後すぐに佐賀家に行った。玄関チャイムを押すと、いつものように綾子が玄関の鍵を開けに来てくれた。
静子は「昨日はありがとうございました。一五年生きてきて、あんなに楽しいことは初めてでした。」と礼を言った。綾子は、「うちの家族、みんな楽しかったって、喜んでいたわ。特に悠太が。あなたが友だちになってくれてから、ちょっと変わってきたみたい。」と言った。
「どう変わってきたのですか?」と静子は聞いた。
「今まで、武郎の姉が訪ねてきても部屋にこもったままだったけど、出てきて挨拶するようになったの。学校のこととか、しーちゃんのこととか、おばさんに話すようになったの。これも、しーちゃんのおかげね。」と綾子は答えた。
静子も、悠太の変化を感じていた。図書館で貸出受付をする悠太の表情と言葉が変わってきているのだ。最初のころは無愛想で、マニュアル通りのことしか言えなかったが、最近は笑顔で、自分の言葉で説明できるようになっていた。返却に来た人には本を読んだ感想を聞いたりしていた。もっとも聞かれた人は、「おもしろかった。」とか「難しかった。」くらいのことしか言ってくれなかったが。
しかし、教室でクラスメイトと話をすることはめったになかった。今まで誰とも話をしていなかったのだから、無理もないことだった。
静子は、悠太の部屋に行き、机に座った。早速昨日悠太からプレゼントされた、ハイレベル問題集「数学」とノートを開いた。「難しい。悠太は、この問題集できるのかしら。」机の上の本棚には、プレゼントされたものと同じ問題集が五冊並んでいた。数学の問題集を抜き取り、開いてみた。悠太も開いて勉強しているようだった。何枚も付箋が貼ってあった。悠太も苦戦していることが感じとれた。一緒に机の上に並んでいる参考書を取り出して開いてみた。参考書を見て、解けた問題もあったが、それでもわからない問題もあった。「これが解けるようにならないと、清陵高校は入れないの?」と思うと気が遠くなった。
そこに、悠太が帰ってきた。静子は言った。「お帰り、悠太。今ハイレベル問題集やっていたんだけど、数学のこの問題、わからない。」
悠太は答えた。「これは、僕にもわからなかった問題だ。でも、中点連結定理を使えば、解けそうだぞ。こうやって、こうすれば。ほらこれで正解じゃないか。」
静子は解答を見た。「すごい、あっているわ。悠太すごい。」
悠太は言った「しーちゃんもやってみな。」
「うん。こう補助線を引いて、こう考えればいいのね。あっ、解けたわ。」と、静子は喜んだ。
こうして、毎日二時間、一緒に勉強した。静子はどんどん、勉強がわかるようになっていった。
そして札幌の短い夏休みが終わり、八月の全校学力テストの日がやってきた。試験が終わり、結果が発表された。結果に一番驚いたのは、静子自身であった。六月の期末考査の時は、学年の真ん中より少し上くらいだった成績が、なんと学年五位まで上がっていたのだった。悠太は初めての学年一位だった。
「やったあ、これもゆっ…と言いかけて、口を閉ざした。悠太と静子の関係は表向きには内緒であった。もちろん担任の北川は綾子から話を聞いて、綾子が放課後、静子を預かっているということは、知っている。でも、クラスメイト達は知らないことになっていた。
六月の期末テストで学年一位だった赤川はるかが、静子に詰め寄って言った。「あなた今、悠太って言わなかった。」と。はるかは、今回は六位であった。静子に負けたのがショックだったのだろう。
静子は「い、言ってないわよ。」と答えた。
はるかは、「あなたが佐賀君の家に毎日通っていることは、知っているわよ。あそこで何してるの?」
静子は答えた。「私は、放課後佐賀綾子先生に預かってもらっているの。シングルマザーで家に帰っても誰もいないからって。」
はるかはたたみかけるように言った。「それだけ?佐賀君とは何もないの?」
「一緒に読んだ本の話をしたり、勉強したりしているけど、それだけよ。夜七時には、家に帰ってるし。」と、静子は答えた。
「ほんとにそれだけ?男の子と二人きりで一つの部屋にいて、何もないはずないでしょう?」と、はるかはさらに詰め寄った。
「やめろよ!」それまで本を読んでいた悠太が、突然、割って入った。「高峰さんの言う通りだ。他に何もない。高峰さんは、うちの母さんが放課後預かっている。それだけだ。」とはるかに言った。
そして、「勉強で負けたのだから、勉強で勝負しろよ。九月の学力テストでまた一位になればいいだろう。負けた腹いせで、高峰さんを責めるんじゃない。」
はるかはぐうの音も出ず、黙り込んでしまった。周りにいたクラスメイト達は、悠太がはるかを言い負したことに驚いた。同時に勉強ができることを鼻にかけている、はるかを快く思っていなかった一部のクラスメイト達は、悠太がはるかを言い負かしたことを内心喜んでいた。
「佐賀。すごいな、赤川さんにあれだけ、言えるなんて。ずっと、話ができないんだと思っていた。」とある男子が言った。
「話せないんじゃない。話さないだけさ。」と悠太は答えた。
悠太はそれ以上話すことはなかった。また自分の席に戻り、本の続きを読もうとした。同時に授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。
この事件で、悠太と静子の関係は、クラス全員が知るところとなった。
静子には好都合だった。これまでは、周りを見回して、誰もいないことを確認してから、佐賀家に入っていた。クラスメイトが歩いているときは、一度自分の家に帰って、あたりの様子をうかがってから、佐賀家に行ったこともある。これからは、クラスメイトの目を気にせず、堂々と佐賀家に行けるのだ。
この日も当然、佐賀家に行き、悠太が帰ってくる五時までは、悠太の机で勉強した。悠太が帰ってからは、七時まで二人で一緒に勉強して、静子は家に帰った。
他のクラスメイトの大半は塾に行って勉強していた。でも二人は塾に行かず、悠太の部屋で一緒に勉強した。
九月には三年学力テストがある。今回は、はるかが一位、悠太は二位であった。静子は五位をキープした。
はるかは一位に返り咲いたことを、自慢していたが、悠太には順位なんてどうでもよかった。ただ静子が五位をキープしたことは喜んでいた。
悠太の部屋には、勉強ができるようになる魔法があるんじゃないか、と静子は思った。しかし悠太は言う「魔法なんかじゃない。本をよく読む人は勉強もわかるようになるんだ。必要なすべてのことは、今まで読んだ本に書いてあるんだ。しーちゃんもよく本を読んでいたから、勉強もできるようになったんだ」と。
悠太は今日も図書館に行き、カウンターで本を読んでいた。