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悠太は本を読んでいた  作者: KOMON井上
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第五章 清陵高校へ行きたい

 「清陵(せいりょう)高校か?」と担任の北川が聞いた。静子は「はい。」と答えた。

 六月の第一週は最初の個人懇談がある。静子の進路希望調査の第一志望の欄には「清陵高校」と書かれており、第二志望以降は空欄であった。


 清陵高校は、悠太と静子が通う清陵中学校から一番近い高校で、市内トップではないが、二,三番目を争う大学進学率を誇り、有名大学にも多数合格者を出している。清陵中学校でも希望する生徒は多いが、最終的に合格するのは、一〇名前後というのが例年であった。


 「ランク(調査書の点数)は何とかなるかもしれない。しかし、学力テストの点数がちょっと足りないな。一つランクを落としたほうがいいと思うぞ。旭陵(きょくりょう)高校なんかどうだ。進学率も悪くないし、比較的近い。しかも今の学力で悠々合格できるぞ。」と北川が言った。


 「でも、私、どうしても清陵高校に行きたいんです。」と静子は大声で言った。


 「なぜだ?」と聞いた北川に、静子は「それは…」と言いかけて黙ってしまった。

 「もしかして、佐賀が希望しているからか?」と北川に言われて、静子は動揺した。

 「どうして…」静子は言葉に詰まった。


 悠太は母の母校である清陵高校を希望して、今の成績をキープできれば、確実に合格できる範囲にいる。静子も悠太と同じ高校に行きたかったというのが清陵高校を希望した理由であることは間違いない。しかし、静子と悠太の「友だち関係」は静子と佐賀家の人々以外は知らないと思っていた。でも、担任にまで伝わっていたのだ。


 北川は静子に言った。「君が佐賀の家に出入りしているのを見たと言ってきた生徒が何人もいた。その生徒たちには、近々私から話をするから、秘密にしておくように言ってある。別に君が佐賀と仲良くすることは構わない。でも女子が男子の家に頻繁に出入りするのは感心できないな。あらぬ噂が立つといけないから。」静子は気が抜けた声で「はい」とだけ答えた。


 北川は「それから、志望校のことは真剣に考えるんだぞ。落ちて私立高校に行くことになったら経済的に大変なんだろう。」と最後に付け加えて懇談を終わらせた。


 静子は懇談が終わるとすぐに佐賀家に行って、綾子に今日の出来事を話した。綾子は笑って言った。「大丈夫よ。実はしーちゃんが来るようになってすぐに、お母さんと話をしたの。『お嬢さんは放課後うちで預からせてください。私が責任をもって見ていますから』ってね。お母さんびっくりしていたけれど、『ありがとうございます。実は一人で家に置いておくのが心配だったんです。そういってくださるのは助かります』って喜んでいたわ。今度先生にも話をしに行くわね。悠太のところに来ているんじゃなくて、私が預からせてもらっているんですって。」


 静子は少し安心した。もしクラスメイトから何か言われたら、「私の家、お母さんが夜いないから、綾子先生に預かってもらっているの」と言えばいいのだ。綾子は、午前中だけ外来診療に出て、午後は他の小児科の先生に任せて家に帰ってきていた。入院患者がいれば夜の回診に行くが、郊外の個人経営の総合病院に入院している子どもはめったにいないので、夜もほとんど家にいた。静子が佐賀家にいる間は、綾子も家にいてくれる。


 五時になると、悠太が帰ってきた。「悠太お帰り、今日も図書館当番?」と迎える静子に、悠太は「ああ」とひとこと言って、制服を着替えた。悠太は静子の見ている前でも平気で着替えをする。最初は戸惑ったが、最近は慣れてしまった。


 「ねえ、悠太。高校はどこを目指しているの」と静子は聞いた。

 悠太は「清陵高校だよ」とだけ答えた。


 「私も清陵高校へ行きたいの。でも個人懇談で、北川先生に学力が厳しいって言われちゃったの。だからここで勉強させて。絶対清陵高校に入るから」といって、悠太の机に座って、勉強し始めた。 

 「そこは僕の机だぞ。そこで勉強するのか?」と言う悠太に、「こんなに広い机なんだから、二人並んで勉強できるじゃない」と静子は答えた。「しょうがないな。わかったよ、しーちゃんが帰るまでは使っていいよ。」と言って、ソファに寝転がって、本の続きを読み始めた。


 悠太の机には、開いた形跡がない高校受験参考書が並んでいる。おそらく祖母晶子が買ってきたものであろう。わからないことがあれば、参考書を開いた。それでもわからなければ悠太に聞いた。


 静子は七時に家に帰る。母涼子の用意した夕食を食べ、洗い物や洗濯をして、本を読んだり、勉強したりして寝る。


 悠太は静子が帰った後、家族で夕食を食べ、自分の部屋に戻って勉強する。宿題を済ませて、中学校で買わされた受験用の問題集を解く。そんなに難しい問題はない。これじゃ物足りないから、今度の土曜日、ばあちゃんに書店に連れて行ってもらって、もっと難しい問題集を買ってもらおう、と思った。ふと机の上の本立てを見ると、受験参考書が何冊か消えているのに気付いた。「しーちゃんのしわざだな。黙って持って帰ったんだ。」


 それでも、不思議と悠太に怒りは起こらなかった。佐賀家は、質素な生活を心がけるのがポリシーで、決して贅沢はしなかった。子どもたちも公立の小中学校に通わせ、兄直哉も清陵高校を卒業した。それでも、自分が欲しいと思う本はだいたい買ってもらえた。中三になるときには、祖母の晶子が、受験参考書を五教科そろえて買ってくれていた。それは六月の今になるまで開いていなかった。


 しかし、シングルマザー世帯の静子は、ほしいと思っても買ってもらえない。悠太が望んで医者の家に生まれたわけでもないし、静子が望んで貧しい家庭に生まれたわけでもない。「豊かな者は、貧しい人を助ける責任がある。だから私はミャンマーにもっといたかった。」ミャンマーから札幌に戻ってくるとき、父武郎(たけお)が語った言葉である。悠太には父のような大きなことはできないかもしれないけれど、少なくても静子を助けてあげることはできるんじゃないか。そう考えていた。


 悠太は「しーちゃんと一緒に清陵高校へ行くぞ」と決意を固め自分も勉強を始めた。


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