第二章 えっ?僕が図書委員?
悠太が学校に着くと、新年度の学級名簿が生徒玄関に掲示されていた。悠太は自分が三年二組であることを確認して、教室に向かった。席に着くとほどなく三年二組の担任がやってきた。二年の時と同じ国語の北川裕一であった。北川は、出欠を確認すると、始業式の会場である体育館に移動するように指示した。生徒たちは立ち上がり、椅子をもって体育館へと向かった。式後はそのまま体育館で入学式の準備をして、その日は終わった。入学式のあった七日も悠太にとっては何事もなく過ぎていった。
八日の一、二時間目はホームルームであった。全員が自己紹介をして、学級役員、委員を選出しなければならない。悠太は黙って下を向いていた。黙っていればすべて自分の頭の上を通り過ぎていく。そうやって八年間、学級役員も委員もやらずに過ごしてきた。今年も黙っていれば何もせずに終わるはずだ、と思っていた。
学級委員長、副委員長、学級議長と次々立候補で決まり、進行役が担任から学級議長に代わった。その直後、いきなり、悠太の隣の席の高峰静子が手を挙げ、「図書委員は、佐賀君がいいと思います。」と言ったのだ。悠太が当惑していると、学級議長が「高峰さん、理由は何ですか?」と聞いた。静子は「いつも本を読んでいて本が大好きだからです。図書委員にぴったりだと思います。」と答えた。「ありがとうございます。佐賀君が図書委員でいいと思う人は挙手をお願いします。」クラスのほとんどの生徒が手を上げた。本人の気持ちは聞かれることはなかった。もちろん悠太はやりたくはなかった。しかし、クラスの雰囲気に飲まれて断ることはできなかった。「それでは佐賀君を図書委員に決めます。」クラスの生徒全員の拍手で、悠太が図書委員をやることに決まってしまった。生まれて初めての委員である。
ホームルームが終わって、悠太は北川のところに相談に行った。
「先生、僕、委員とか向いてないと思うし、無理矢理決められたみたいでいやだし、第一今まで委員なんてやったことないんですよ。務まるわけありません。」
北川は「みんなで話し合って決めたことだから、尊重しなきゃならない。大丈夫だよ。図書委員なんて誰でもできるさ。週一回、図書館の貸し出し当番をやるだけだよ。来年高校受験だろう。調査書に委員を書いておくと、有利になることもある。だからやってみなさい。」
何を言っても無駄のような気がした。悠太は「はあい」と気のない返事をして、渋々引き受けることにした。
週が明けて、四月十一日月曜日の放課後、図書委員会が開かれた。顧問は北川であった。北川は図書委員の生徒に向かって言った。「まず、委員長、副委員長を決めます。委員長は三年生から。副委員長は二年生から、それぞれ決めてください。それでは学年ごとに集まって、話し合ってください。」
三年生が五人、集まって話し合った。「誰にする。」「誰でもいいさ。そうだじゃんけんで決めよう。」「そうだな、それがいい」と、じゃんけんで決めることになってしまった。「最初はグー、じゃんけんぽん。」勝負は一発で決まった。悠太が一人負けだった。中三になって初めての委員会で、しかも委員長。悠太は絶句した。「これもみんなで決めたことだから尊重しなければならないのか?」と思いながらも、何も言えなかった。
「それでは、新委員長から挨拶をお願いします。」と北川が言った。
「あ、図書委員長になりました。三年二組の佐賀悠太です。産まれて初めての委員なのでできる自信はないですが、よろしくお願いします。」と悠太は挨拶した。他の委員はみんな拍手した。
顧問の北川に「後は委員長よろしく。」と言われて、プリントを一枚を渡された。悠太はそのまま読み上げた。「今日決めること。図書館当番の割り当て、図書館便りの作成の担当。年間活動計画の作成(委員長)。」
年間活動計画は昨年度のものの年度を書き換えるだけでよかった。図書館当番は、月曜日が一組、後はクラス順に金曜日の五組まで、それぞれ一~三年の委員が三人ずつで担当することになった。悠太は二組なので火曜日が当番の日である。図書館便りは五月が三年生、六月が二年生、七月は一年生のローテーションで、月一回発行となった。すべて「例年通り」である。
悠太は、心臓が張り裂けそうになりながら、なんとか委員会を乗り切った。その後、図書館に移動し、本の貸し出しと返却の手順について、北川から説明があった。図書館のパソコンのバーコードリーダーで、生徒手帳のバーコードと貸し出す本のバーコードを読み込んで、プリンターから出てくる貸し出しカードと本を渡すだけだった。返却受付も本のバーコードを読み取るだけだった。貸し出しの時、借りる生徒に言うことはマニュアルに書いてある。確かに誰でもできることである。
翌日の火曜日は、図書館の新年度開館日だった。図書委員の当番は、悠太と二人の下級生。最初は春休み前に貸し出した本の返却受け付けで、忙しかったが、四時を過ぎる頃には、何もすることがなくなった。館内で本を読んでいる生徒が何人かいた。図書館の閉館時間は四時四五分。その時間まで、図書委員はカウンターにいなければならない。退屈なので、悠太は自分の本を読んでいた。
一人、また一人と館内の生徒が帰っていったが、ぎりぎりまで本を読んでいる一人の女子生徒がいた。悠太を図書委員に推薦した、高峰静子である。しかし悠太は静子のことを覚えていなかった。静子だけではなく、クラスの生徒の名前もほとんど覚えていない。それほど、悠太は周りにいる人間には関心がないのだ。静子は閉館時間の四時四五分ぴったりに図書館から出て行った。
翌週の当番は、二年生が風邪で休み、一年生は部活があるといって、悠太一人であった。静子は今日も来いた。悠太もカウンターに座って、本を読んでいた。静子は四時四五分ちょうどに図書館を出ていった。悠太は図書館の扉にかけてある「開館」の札をひっくり返して「閉館」にし、内側から扉に鍵をかけて司書室に入り、司書の先生に「今日はこれで終わりです。さようなら。」と挨拶をして帰った。
二週間も経つと、悠太はすっかり図書カウンター当番が気に入っていた。時々貸し出しの手続きに来る生徒もいたが、あとは閉館時間まで本を読んでいればよかった。学校でまとまった時間本を読めるのは、この時だけだった。他の委員が部活だ、塾だ、と理由をつけて、代わってほしい、というのを引き受けているうちに、ほぼ毎日放課後の図書カウンターに座っているようになった。
静子もほぼ毎日来ていた。いつも窓側の日当たりのいい席に座ってずっと本を読んでいた。時々顔を上げて、図書カウンターにいる悠太を見たが、悠太は気が付いていなかった。そして四時四十五分には帰っていった。