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悠太は本を読んでいた  作者: KOMON井上
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第一章 悠太は本を読んでいた

 佐賀悠太(ゆうた)は本を読んでいた。来る日も来る日も読んでいた。暇さえあれば本を読んでいるというレベルではない。読書が生活のすべてと言っていいくらいであった。家にいるときはほとんどの時間を読書に費やしていた。学校でも授業時間以外は本を読んでいた。中高生が欲しがる携帯電話やスマートホンにも興味を示さなっかった。


 悠太は札幌市立清陵中学校の二年生であった。六歳年上の兄直哉(なおや)と四歳年下の妹かなえと三人きょうだいの真ん中である。兄や妹と違って、同級生と話をすることは苦手であった。当然、人間の友だちはできなかった。悠太はそれも気にしていなかった。悠太にとっての友だちは本であった。「本以外に友達はいらない」と本気で思っていた。 

  同級生ばかりではなく、学校の先生と話ができるようになるのにも時間がかかった。家族以外の人間を怖がっていたのである。幸い悠太の学校の先生方はそれを理解し、辛抱強く人間関係を築いてくれていた。おかげで、先生方とは最小限のコミュニケーションは取れるようになっていた。

 七、八年前、小児科医である母の綾子は、人とうまくコミュニケーションの取れない悠太を心配し、「もしかしたら発達障害では?」と疑い、検査したことがある。しかし、障害の指標となる結果はまったく出てこなかった。友人の児童精神科医にも相談したが「発達には全く問題ない」と言われた。それ以来綾子も父の武郎(たけお)も、「学校の成績はいいみたいだし、成長していく中で、友だちもできるようになる。」と、全く心配しなくなった。

 

 悠太にとって、本は先生でもあった。ほとんどのことは本から学んでいた。悠太は好奇心旺盛であった。知りたいと思うことはすべて本を読んで調べた。関係する本を何冊も読んだ。中学生になるころには、授業で先生が語る以上の事柄を、すべて本から学んで知っていた。授業中は、さすがに隠れて本を読むことはしなかったが、いつも休み時間に読む本のことを考えていた。授業は聞いていなくても、テストの点数は取れた。先生から質問されると、いつも期待以上のことを答えた。先生方には「佐野にはかなわないな」といわれていた。


 悠太の部屋は、一二畳ほどの広さの洋室で、南向きの大きな窓に向かって、普通の子ども用勉強机の二倍はあろうかという大きな机が置かれていた。部屋の東側にはロフトがあり、その上にベッドがあった。ロフトの下には本棚があり、悠太が読んだ、膨大な冊数の本が並べられていた。

 部屋の中央には、友達が遊びに来たときのために応接セットが用意されていた。子供部屋としては贅沢な広さである。直哉の部屋も、かなえの部屋も、同じような間取りである。直哉もかなえもよく友だちを連れてきて、一緒に遊んでいた。しかし、悠太の部屋の応接セットは、悠太が寝転がって本を読むとき以外ほとんど使われなかった。


 この家は、悠太の母方の祖父、佐賀康成が建てた。康成は札幌市の郊外、清田区で病院を経営する開業医で、清田区に住む人々の健康と幸せを守るのが自分の使命だと確信して働いてきた。一人娘の綾子は、そんな父を尊敬し、父の後を継ごうと医学部に進学した。そこで、同級生だった太宰武郎と出会い、卒業と同時に結婚することになった。二人は康成に敬意を表し「佐賀」姓を選択した。康成も晶子も、二人の結婚をこの上なく喜び、二人の新生活と自分たち夫婦の老後のために「人生最後の贅沢だ」と言って、自宅を二世帯住宅に建て替えたのである。「孫は三人ほしい」という、康成の強い希望で、二階に三部屋の子供部屋を用意した。近所の人たちからは「佐賀御殿」と呼ばれるほどの大きな建物になった。しかし、丈夫さと住みやすさを第一に考えて設計され、決して豪華な造りではなかった。「私たちより、武郎君と綾子の方が長く住むんだ。二人と子供たちが住みやすい家にしたい。」と、自分たちの居住スペースは、バリアフリーにはしたものの、夫婦が生活するのに必要最小限の広さにした。

 

 武郎と綾子は卒業後二年間の研修医の期間は康成たちと一緒に住み、直哉が生まれた。その後夫妻は岩見沢市立病院で三年、道東の興部町の診療所で四年夫婦で勤務した。悠太は興部で産まれた。札幌に戻って一年後、武郎は医師を志した時の夢であった途上国の医療支援に派遣されることが決まり、綾子と二人の子どもを連れて、ミャンマーに赴任した。かなえはミャンマーで産まれている。

 ミャンマーでの生活も三年で切り上げざるを得なかった。「あと十年は現役で頑張れるから、ミャンマーでしっかり経験を積んでから戻ってこい。」と言って送り出してくれた、康成が脳梗塞で倒れたのである。一命はとりとめたものの、右半身に麻痺が残り、医師を続けることが難しくなったのだ。武郎と綾子は「お父さんが働けなくなったら戻ってきます。」と言って出て行った手前、帰国して佐賀病院を継がざるを得ないと決断した。直哉が中学生、悠太が小学生になるときであった。


 それ以来八年間、康成は名ばかりの理事長となって、病院の経営と診療を悠太の両親に委ね、読書三昧の生活を送っていた。中学生の悠太にとって、康成の書斎は宝の山であった。悠太にとっても面白そうな本が書棚にたくさん並んでいた。春休み中悠太は、朝康成の書斎を訪ね、本を借りるのが日課だった。

 康成の書棚を見回し、面白そうな本を抜き出して「じいちゃん。この本借りていい?」と聞く。康成は決まって、「いいけど、こんな難しい本読めるのか?」と聞いた。悠太は「もう中学生なんだから、大丈夫さ。」と答えて、本を借りて自分の部屋に戻り、その本に読みふける。


 春休みは今日で終わり。明日からまた学校が始まるのだ。悠太は中学三年生になる。朝借りた本を一日がかりで読み終え、悠太はベッドに入った。学校へ行くことは嫌いではない。クラス替えもあるが、友だちのいない悠太は、同じクラスに誰がいようが大して変わりはない。今までと何も変わらない生活が始まるだけだ。いつものように悠太は眠りにつき、中学三年生の最初の朝を迎えた。二年生の時と変わらない朝である。パジャマを制服に着替えて、朝食をとり、両親に「行ってきます」と言って家を出た。


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