イグドラシルの種 2話 4部
翻訳機を使ってある程度の会話が出来た。少女の名はモリマと言い、父親と二人、ドームの外れで緑化作業をしているということだった。
彼女の家に隊員達が案内されると父親のマリナンは、この思いもよらぬお客たちを殊の外歓迎した。でも、果たしてこのおじさんは我々のことをどこまで理解しているのだろうか。千数百年の隔たりは、彼らの意思の疎通を難しくするほど、言葉を変化させていたのだ。
精一杯のご馳走をいただいた後、夜になってタムルが呼ばれ、入れ替わりに隊長以外のメンバーが装甲自動車へ帰っていった。タムルは一晩中マリナンの話に付き合い、翻訳機の調整をしなければならなかった。
翌朝、イプタク隊長が目を覚ますと、食卓の上に突っ伏して、タムルとマリナンが高いびきをかいていた。ついさっきまで起きていたらしい。隊長は横になっていた長椅子から立ち上がると外へ出てみた。外は朝もやで真っ白だった。エアコンで調整されたのと違いここの朝の空気はなんと清清しい。深呼吸して背を伸ばすと、濃い朝もやの中に真横に筋が入っているのが見える。どうやらこのもやは、葉の密度が低い下のほうから入り込む有害な太陽光線を和らげる作用があるらしい。
ふと気付くと、何かが近づいてくる音が聞こえてきた。ポクポクポクという音に混じって鼻息の荒い音が……。やがてもやの中からぬぅっと姿を現したのは……。
馬だ……。
たぶん……。
隊長自身も資料映像で見知ってはいても、生きている本物に出会ったのは初めてで、戸惑ってしまった。良く見ると背中に人間が乗っている。そういえば馬はそういう使い方をするんだったなと思った時、隊長は自分の迂闊さを呪った。馬上の人物が武装していることに気付いたからだ。
そんな隊長の動揺など知ってか知らずか、馬上の人物は馬の歩を止めると、こちらへの視線をそらさずに、ゆっくりと馬から降りたった。そして、何か大声で話し掛けてきた。
隊長はさっと身構える。何を言っているのか判らないので相手の目を見据えたままだ。
その男が再び大声で話し掛けてきとき、マリナンが何事かと戸口から飛び出してきた。隊長はその隙をみてそろそろと家の中に入ると、自分の拳銃を探した。
「何を慌てている」
そう言いながらタムルは翻訳機を隊長に手わたした。
「どうやら中央の代表に会わせて貰えるらしいな」
「武装してるようだが?」
「あんな旧式の銃使えるのかな。飾りだよ、飾り」
ふたりは外へ出た。マリナンが間に入りたどたどしい会話が飛び交う。やはりこの男は中央政府の役人で、彼らを迎えにきたというのだ。夕べのうちにモリナが連絡をつけていたらしい。馬や装束は、客人を迎えるときのしきたりという事だった。
「少し待っていただきたい、こちらの準備がまだ終わっていないので、出発はお昼過ぎにしてほしいのですが、よろしいですか」
隊長はなるべく丁寧にたずねた。
相手の答えは
「待つ、希望する」
待たしてもらうということらしい。
「まだ翻訳機の調整が必要だな。ご苦労さん」
「うむ……」
迎えに来た男がトランシーバーのようなものに何か喋ると、ゴゴゴゴゴという音をたてて2台のトラックが現れた。荷台に何人か武装した男達が乗り込んでいるのを見ると、さすがのタムルも顔色がさっと青ざめた。隊長は腰に手を回し、無い銃をまさぐった。
「大丈夫だよな……」
「多分……」
二人の心配をよそにトラックの男達はトラックから降りると各々好きなところに座り、休憩を取り始めた。こちらをちらちらと見ている。
朝食もそこそこにして、隊長たちが装甲自動車に戻った時、タイカン達は通信設備を小型トラックに乗せかえているところだった。
今回の出来事がかなり特殊で、タドルシルの長老達が通信回線を通じて直接イグドラシルの人々と会談することになったのだ。
イプタク隊長たちが2台の小型トラックを連ねてマリナンの家まで戻ると、迎えの使者達は家の前の庭に三々五々腰を下ろして昼食を取っているところだった。
人々の視線がアゼル達に集中する。友好的な雰囲気の中にも緊張感が漂う。
そのとき、トラックの上に乗せられた馬が嘶いた。
「見ろよ、あれ。馬じゃないのか」
運転士のノリル・トームが驚いて声をあげた。
「あの馬、自分で歩いて来たわけじゃないのか」
隊長は呆れ顔だ。
アゼル達も軽く昼食を済ませると、7本あるイグドラシルの中心地、始まりのイグドラシルの根本にある90キロ先の市庁舎へ出発した。
「七つも有るのか、こんな馬鹿でかい樹が」
「想像以上の規模だな」
一同は思わず空を見上げた。
出迎えのトラックを先頭にして4台の車両がそろそろと草原の間を進んでいく。道は平坦だがあまり整備されていなくて、スピードが出せないのだ。アゼルの乗るトラックにはモリナが同乗して、ガイドを申し出てくれた。しかし、ここの人々はイグドラシルの幹の周りに集まって生活をしているので、広大な草原が広がっているだけのこの辺りはガイドし甲斐が無いようだ。
「あの上から下りて来てる枝って何」アゼルが暇そうなモリナに訊いた。
「お父さんの話だと、枝が重たすぎるので支えるために有るそうよ。ホンとのコトは良く判らないんだけどね」
「お嬢さんや。誰かあの樹のことを研究している人は居ないのかね」
前のトラックに乗ったタムルが無線で口を挟んできた。学者の好奇心だ。
「そうねえ、聞いた事が無いわ」
「これだけ無茶苦茶な存在に無関心なのか、ここの人達は」
「私達は200年近くここで暮らしてきたのよ。それだけで良いじゃない」
「うーむ」
「おっさん。難しく考えることは無いんじゃないかなー」
アゼルはお気楽だ。