イグドラシルの種 2話 14部
アゼルはマリナンをなだめてトラックに乗せ、イグドラシルの中央へ向かっていた。辺りは夕焼けの色が、ドームの中を薄く色づけていた。中央へ向かっているので最悪な状態ではないだろうと思うが、マリナンのはっきりしない態度は彼を不安にさせる。
やがて、中央のイグドラシルとの境界に着いた。見上げると古い樹の枝と新しい樹の枝が絡み合っているのが解る。その間から蔓のようなものが幾本か垂れ下がっている。
マリナンは足下がおぼつかない様子で、アゼルをその中の一つへと案内した。その蔓は他のやつと違って地面に突き刺さっている部分が白くて太くなっていた。近づくとその形は細長い四角錐で、まるで機械で磨いたように綺麗な形をしている。突き刺さっている地面の周りには数々の花や食べ物が置かれていた。四角錐はよく見るとクリスタルのように透明で中に何かが封じ込められているのがおぼろげながら見える。
「娘だ……」マリナンがぽつりと呟いた。
中のモリマは目を瞑って胸の前で手を組み、まるで眠っているかのようだ。
「あの日、あの祭りの夜、そうだ、まだ祈りを続けていたはずだったんだ。気が付くと娘が居なくなっていた。トイレにでも行ってるんだと思った。でも、いくら待っても帰ってこなかった。朝まで寝ずに待ってたんだ。翌朝、辺りを探してみてもどこにもいない。そりゃあ隣町まで探したんだ。夜までは一緒だったんだ、でもどこにもいない。昼頃になって知り合いからここにこうしていると聞いた。慌てて駆けつけた。初めて見たとき何かの冗談だと思った。でも娘だった」
アゼルはまんじりともせずモリナの顔を見つめている。
「そりゃあ覚悟はしていたよ、でもそれは自分の覚悟だ、娘のじゃない」
その時近くの蔓の陰から顔を出したタムルが話し掛けて来た。
「アゼルか?帰ってきてたのか」
アゼルは彼がいる事も彼が話し掛けてきていることも気付いていない。
「彼女がこんなことになってしまって……。何といったらいいか……。助け出そうと調査してるが、皆目見当がつかない。例の怪物の代わりだとは思うんだが……。百年前には無かった事だから……。我々は十二本の樹が生えるんだと思い込んでいたが、それぞれの樹が六つの種を作ったんだ。君達が連れて行ったやつを除いて二十九人がこうやって樹脂状のものに封じ込められている。パルム鋼で作ったドリルさえ刃が立たないんだよ。それにへたをすればなにか悪いことが起きるかも知れないし……。」
タムルはアゼル達が連れて行ったのはレミルだとは知らないらしい。
不意に、アゼルが視線をモリマから離し乗ってきたトラックに駆け寄ると、大きな鉈を持って戻ってきた。
「まて、アゼル。無駄だ」
アゼルはタムルの制止を振り切り、地面に置かれた花を蹴散らすと、鉈をクリスタルの表面に打ち下ろした。
「助け出すんだ!助け出すんだ!」
「無駄だ、生きているわけがないだろう!」
鉈が何回か打ち下ろされたが、クリスタルの表面には傷一つつかないようだった。
10分ほど続いただろうか、アゼルの動きが急に止まった。
「どうだ、落ち着いたか」
アゼルは肩で大きく息をしている。
「俺たちにはもう手が出せないんだ。打つ手が……」
「助ける……」
再びアゼルは鉈を振るい始めた。
「いいかげん諦めろ!」
その時、タムルは何か音がしているのに気が付いた。ビィーン、ビィーンと、まるでワイヤーが鳴っているような音だ。
「アゼル、何かおかしい。止めろ、アゼル」
アゼルは狂ったように鉈を打ち下ろしている。その振動が蔓で増幅されているらしい。急にクリスタルが埋まっている部分の地面に亀裂が走った。
「危ない!」
タムルがアゼルを押し倒すのと同時に、物凄い土埃が舞い上がった。アゼルは手で土埃を防ぎながら、急スピードで上空めがけて昇っていくモリナのクリスタルを見つめていた。
「モリナー」
立ち上がって追いかけようとしたが、それはすぐイグドラシルの葉に隠れ見えなくなり、彼はただ呆然と消えた先を見ているしか無かった。後ろでマリナンが号泣する声が聞こえている。
次の日、タムルが調査したところによると、昨日の夕方、北北東の方向にきらきら輝く物体がイグドラシルを遥かに越えて飛んでいった、という目撃情報があったそうだ。やがて六日も経たないうちに他のクリスタルたちもそれぞれの方角へ飛んでいった。
「あのクリスタルは、種を遠くに飛ばすための入れ物なんだよ。成熟してから種を飛ばす事によって、より条件のいい土地に芽吹くためのシステムさ。ま、まだ仮説に過ぎないがね」
それからタムルは、まだまだ忙しくなるぞと言い残すと、アゼルを置いて部屋を出て行った。彼はここ数日マリナンのところに身を寄せていたのだ。マリナンはいくらか元気を取り戻していたが、アゼルは寝たきり同様の生活だった。
40日後、荒野を走る装甲自動車を運転するアゼルの姿が有った。全てを捨て、法を犯して装甲自動車を盗み、飛んでいったモリマのクリスタルを探すためだけに…