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それが恋かどうかも分からないけれど

作者: 三波あおい

特に劇的なことは起こらないけれど……。



 ああ、しまった……。また騙された。


 今日は、お茶をしながら叔母が手に入れたという貴重な隕石の欠片を見せてくれると言われていた。

 そうして応接間に入ってみれば、仮面のようににっこりと完璧な笑顔を湛えた叔母と、母子と思しき妙齢の御婦人と令嬢。どう見たってこのお茶会は見合いだ。テーブルの中央には、不自然に小石が置かれているが。


「カイド、遅いわよ。何を突っ立っているの。早く席にお付きなさいな」

 叔母がその張り付いた笑顔のままそう言えば、カイドの背後にいた叔母の侍従が、カイドに着席を促す。促すというか、やや強めに背中を押して椅子に座らせる。


 ふと向かいの伯爵夫人と令嬢という母子に目を向ければ、カイドを見つめぽーっと頬を染める娘と、まるで獲物を前にナイフを翳すハンターのようにギラギラした目の母親がいた。

 どちらもよく見知った反応だった。まあ、毎度同じというわけでもないが。

 

 隠すことなく大きなため息をつくと、テーブルの下で叔母の扇子が、カイドの大腿を強めに刺す。思わず顔を顰めそうになるのを咄嗟に堪え、こっそり叔母を睨むと、叔母は自分を突き刺した扇子を広げて口元を隠して、その上から覗く冷ややかな双眸で、大人しくしろ、とカイドを威圧した。


 カイドは諦めて、テーブルの上の珍しい色味の小石に集中することにした。

 途端に奥歯を噛み締める。きっとこれ隕石じゃないな、と二重に騙されたことに気付いた。



 130余年前に、当時の第二王子が臣籍降下する形で始まったフォーマルハウト公爵家は、東に肥沃な農業地、海に面した西には異国とも交易盛んな港を有しており、王国内随一の豊かさを誇っていた。

 また、美貌で名を馳せた第二王子の子孫として、見目麗しい一族としても有名だった。

 その中でも、現公爵の次男、カイド・フォーマルハウトの容色は別格だと言われていた。幼い頃は天使に喩えられ、十五歳となった今も、類をみない絶世の美少年と言われて憚らない。


 カイドが年頃となった今、どの令嬢が彼の心を射止め、婚約者となるのか、目下、注目の的だった。



 当の本人は、叔母の仕組んだ十四回目の見合いを終え、うんざりといった風体で、自室のソファに横たわっていた。

 今回も成果のない見合いとなったが、叔母はそれも想定内と言わんばかりに、「次はもうちょっとしっかりしたお嬢さんが良さそうね」とかなんとか言いながら帰っていった。あの珍しい小石は、カイドにやると言って置いて帰った。


 カイドには母がいない。カイドが五歳のときに流行り病で亡くなった。

 以降、後妻をとらない公爵の妹である叔母、カペラがカイド達兄弟の世話を焼いてくれている。今は専ら、カイドの縁談をまとめなければと必死である。

 ちなみに父親であるフォーマルハウト公爵は、領地の事業と外務大臣としての公務に多忙で、息子達のことは妹に任せっきりだ。「別に嫌なら焦らなくてもいいと思うんだけどね」と言いつつ、カペラの縁結び活動を放置である。


 叔母の置いて帰った小石を眺めながら、「次は……」と鼻息荒く張り切った叔母を思い出し、カイドは憂鬱になる。


 女は大嫌いだ。結婚だってする気は毛頭ない。


 カイドは極度の女性嫌いで、同年代の女性は寄ってきても、もれなく腕を払い蛆虫でも見るかのように冷淡に睨みつけて追い払ってしまう。その親世代も同様だ。



 彼がこうなってしまったのにも理由がある。

 幼い頃に参加したお茶会で、カイドの知らないところで、彼を巡って二人の少女が大喧嘩になった。曰く、カイドと一番仲が良い女の子は自分だ、私のほうが優しくしてもらった、と。

 お茶会らしからぬ悲鳴と叫び声に、カイドも兄や一緒に遊んでいた少年達とともに駆けつけた。

 そこで目に飛び込んできた、綺麗に着飾っていただろうドレスや髪を振り乱して、目を釣り上げながら、自分との親密さを叫び合う様は、七歳のカイドを震え上がらせるに十分だった。

 侯爵家と伯爵家の令嬢の争いだったが、由緒正しい侯爵家と、領地の産業で栄えて力をつけた伯爵家、どちらも親を巻き込んで、一歩も譲ることなく睨み合っていた。そこに、それぞれの取り巻きとも言える女の子たちやその親達も加わって、お茶会どころではなくなって……。

 怖い怖い怖い。何が怖いって、どっちの子とも挨拶くらいで碌に話したこともないのに!?

 やがて、何故ここまで揉めるのか訳も分からず立ち尽くしていたカイドへ、その矛先が徐ろに向けられた。


「この子がいい顔ばかりして、はっきりしないのがいけないのよ! それができないなら、みんなに平等に接しなさい」

 と、侯爵夫人。

「思わせぶりな態度をとるから、この子達が傷付くのよ!」

 と、伯爵夫人。その後ろで号泣する二人の少女。カイドはその子達の名前すら知らなかった。


 カイドを庇うように立っていた、ニ歳上の兄にも為すすべはなく、やがて諸用で遅れて来たカペラがその場を取りなして、お茶会はお開きとなった。


 この出来事が幼いカイドに与えた影響は凄まじく、その日から、カイドは幼子から老女まで平等に、女性には一切笑い掛けなくなった。それどころか、蛇蝎のごとく忌み嫌った。流石に身内である叔母は別だったが。

 お茶会など貴族の交流の場にも、仮病や立て籠もりなど、色んな手を尽くし、極力参加しないようにした。


 ついでに言うと、欠席が許されない王宮でのお茶会に出席した十一歳の日、個室に連れ込まれ、既婚のはずの王弟にいたずらをされそうになったときから、それを王家ぐるみでフォーマルハウト公爵家に圧力を掛け隠匿し、あまつさえ、カイドが誘うような態度をとったのも悪いと言われたそのときから、王族も嫌いだ。


 ちなみに、叔母カペラの夫はもう一人の王弟であるカノープス公爵である。

 ここであまり騒ぐと、カペラの立場も危うくなる。そんな事情から、フォーマルハウト公爵家はそれ以上何も言えなかった。


 とはいえ、カイドとしては、これから成人してこの王家のために身を粉にして働き、忠誠を誓う気にはなれない。


 カイドは、小石を窓から差し込む日に翳し、角度によって時折七色に輝くのを眺めていた。

「………………」



  * * *


 カペラがカイドの縁談に情熱を注ぐのには、フォーマルハウト家の嫡男、リゲルの婚約が無事成立したためでもある。

 リゲルと、ポラリス辺境伯家のメイサの婚約は、メイサが生まれた頃から内々に決まっていたことであるが、昨年、諸々の条件を擦り合わせ、ようやく無事婚約成立と相成った。


 カイドのニ歳上の兄であるリゲルは、美形一族のフォーマルハウト家の例に漏れず、やはり整った魅惑的な容姿をしていた。

 それでいて、社交性をかなぐり捨てた弟と違い、親しみやすい人柄で社交上手だった。穏やかだが自信に満ちた笑顔は、数多の人を惹き付け、年頃を迎えてからというものは、色んなご令嬢と浮名を流していた。

 正式な婚約前とはいえ、メイサの存在もあったし、あくまで常識的な付き合いに過ぎない、とリゲルは話していたが、カペラとしてはヒヤヒヤしていたに違いない。

 そのリゲルが、メイサとの婚約以降すっかり落ち着き、婚約者と仲睦まじく過ごしていることで、カペラの気苦労が一つ減った。

 さあ、後は残る次男の縁談だ、というわけである。


 結婚する気がないなら、と騎士団の練習場に誘われたかと思えば、その場で騎士団長の娘と会わされて。買い物に付き合わされて立ち寄ったカフェでは、待ち合わせていたらしい侯爵家の令嬢と相席にされて。自邸での見合いでは、文字通り椅子に縄で括り付けられたこともあって……。

 いい迷惑だ、とは思うが、母代わりでもある叔母の行為は無碍にもできない。縁談が絡んだ行動はアレでも、カイド達兄弟に愛情を注ぎ育ててくれたに等しい人だ。



「相変わらずの仏頂面ね。天下の美少年もこうガラが悪くてはね……」

 応接間に向かう途中で、挨拶もなくそんな声を掛けてきたのは、兄の婚約者、メイサ・ポラリスだ。社交シーズンになると王都に出て来るメイサと、カイド達は幼馴染だ。


「は? ガラが悪いって……」

「だってそうでしょ。いつだって険しい顔して、下手なこと言うと今にも殴られそうだわ」

 殴られそう、と言いながら遠慮なく話す。殴れるならどうぞ、と言わんばかり。メイサ・ポラリスとはそんな勝気な少女だった。


「どこ行くんだよ? 応接間にいるんじゃないの?」

 メイサ達の訪問を受け、カイドも応接間へと呼び出されて向かっているところだった。

「リゲル様のお部屋よ。私に見せたいものがあるんですって」

「そう。……イザール様は?」

 イザールはメイサの兄で、ポラリス辺境伯だ。メイサはふっと不敵に口角を上げ、

「応接間にいるわよ」

 と答えた。



「こんにちは。イザール様」

 応接間に入ると、紅茶を飲みながら本を読む青年が目に入った。王国の北の砦となる、ポラリス辺境伯領。軍事の要とも言える領地の領主でありながら、見た目は線が細く知的な武とは掛け離れて見える青年だ。が、剣の腕では王国でも三本の指に入る、とも言われる剣豪の一人だ。

 カイドの挨拶に、本から顔を上げ微笑む。


「何か、興味を引く本がありましたか?」

「ああ……。先日、カノープス夫人の仰っていた、空から降って来た石というのが気になってね」

 イザールが持っているのは、隕石について書かれた本だった。先日、カペラが隕石を見せてあげる、と言ったときに書庫から持って降りてきた。


「残念ながら、あの石は隕石ではなさそうです」

「そうなの? 残念だなぁ」

 イザールは、カイドより十歳上の二十五歳だ。昨年、妹の婚約後、若くして辺境伯を継いだ。十歳も離れていれば、幼馴染とは言い難いが、何時だって頼れる兄貴分だったことには違いない。今もとあることをずっと相談している。

 ……さっきのメイサの不敵な笑み。何か感づいているのかもしれない。


「石は僕が持っています。ご覧になりますか?」

 カイドはポケットから、ハンカチに包まれた小石を出してイザールに渡した。

 イザールは小石を摘んで目の高さまで持ち上げると、色んな角度から石を眺め、やがて何かに気付き「あれ……?」と声を漏らした。


「あ。見えましたか? 表面の色味も黒や茶が入り混じって変わってますが、その隙間の白いところが、乳白色っぽいんですが、光が当たると角度によって色んな色に見えますよね。この国で流通している物に似たものはないですが、何かの宝石の類ではないかと思って」

 人との交流を極力避けてきたカイドの関心は、植物や動物、鉱石や天体などのあらゆる自然にあった。観察し、書物で調べ、新たな発見を重ねていくことが、日々の楽しみだった。

 昔からメイサの付き添いとしてやって来るイザールは、カイドの良き話し相手であった。


「カノープス夫人はこの石をどこで入手されたと?」

「叔父上がカストル王国を外遊中に、ポルックス湖の近くで拾ったそうです。ポルックス湖は隕石湖と言われているので、隕石の欠片と思ったようです」

「へえ……。あの辺りは確か、地形に難があって人が住み着かないんだ。未知の宝石があったとしても不思議じゃないかもしれないね」

 カストル王国はポラリス領の北に面する隣国だ。ポラリスは二国と隣接しており、カストルとは比較的良好な関係にある。

 カイドは強く頷いた。イザールは石をカイドの手に戻し、好奇心と希望に目を輝かせるカイドを見た。「それで……」と次の言葉を促すと、カイドは慎重に部屋を見渡し、扉の前に控えるメイド以外誰もいないことを確認すると、そのメイドには聞こえない声で、


「留学先はカストルにしたいと思います。叔父上が持って帰り損ねた隕石を、この手で調べてみたいのです」

 と告げた。

 この王国での未来にうんざりしていた彼は、留学から永住という公然たる国外逃亡を企んでいた。その相談役が、ポラリス辺境伯であるイザールだ。


「そう。新種の宝石が流通するようになったら、ぜひポラリスにも融通してね」



  * * *


 こんなカイドだが、女性嫌いを拗らせて間もない八歳頃までは、一人、気を許していた侍女がいた。

 子爵家から行儀見習いに来ているという、イオという少女だ。侍女と言ってもまだ見習いで、年もカイドの五歳上くらいだった。

 これと言って目を引く容姿ではないが、肌が白く、大きな切れ長の垂れ目も細く高めの声も、透明感と優しげな雰囲気があって、部屋の中で先輩侍女についてちょこちょこ動く姿をつい目で追っていた。


 この頃には、侍女の世話も嫌がり、その日も着替えを手伝おうとしたイオの手を、カイドは思いっ切り振り払った。

 弾みでバランスを崩したイオが転倒し、しまった、と血の気が引いたが、それと同時に上着のポケットから、何かが勢いよく飛び出して言ったのを見て、思わず息を止めた。


 床に手をついていたイオは、その飛んでいった物がどっちに行ったかを偶然見ており、ぱっと立ち上がると急いでそれを拾いに行った。

 絨毯に埋もれたそれを探し出すと、小走りでカイドのもとに届けてくれた。顔を真っ青にして震える彼の手にそれを載せると、途端に血色を取り戻した彼の目から涙が溢れ出た。


 掌には、なんの装飾もない白金の指輪。カイドが生まれたときに、彼の幸せな人生を願って今は亡き母が作った指輪だ。いつも肌見離さず持っている、母の形見だ。


 優しい侍女見習いにさえ冷たく接し、乱暴にその手を払った自分を見て、母から「失望した」と言われたように思ったら、いつの間にか泣いていた。

 声も出さずにはらはらと涙を流すカイドに、イオはおろおろしながらもハンカチを差し出し、涙が止まるまで側にいてくれた。

 

 そして翌日、イオは紐の付いた小さな袋を作ってきてくれた。

 カイドが好きな青色の布で、小さくイニシャルを刺繍して、指輪が入るだけの小さな袋だ。紐を首に掛けたり、ベルトに通せば、不意に落として失くす危険が格段に減る。

「ありがとう……」

 と小さく呟けば、イオの方が嬉しそうににこっと笑った。細められた目の優しげな曲線が綺麗だな、とか思った覚えがある。


 イオはいつの間にか公爵家からいなくなっていた。配置換えかと思っていたら、屋敷中のどこでも見かけることがなくなり、ある日それとなく侍女に聞いてみると、家の事情であれから程なくして辞めたのだと言った。


 結婚なんて御免だが、どうしても誰かとせざるを得ないのであれば、その時の相手はイオがいい。

 ただ、そんな彼女も今は二十歳前後。おそらくどこかで婚約なり結婚なりしているだろう。つまり、どうあったってカイドは結婚なんて望まないのだ。

 そんなことを時折思い、しかしそのことは誰にも話したことはなかった。



 ポラリス兄妹訪問から数日後、フォーマルハウト公爵家に新しいメイドがやってきた。ミラというカイドと同じ十五歳の少女だ。

 カイドの身の回りの世話を主に担当する、と聞きカイドは、またか……と溜息をつく。


 カペラはゲリラ的お見合いと並行して、こうしてよく年頃の令嬢を行儀見習いと称して、カイドのもとに送り込んできていた。日頃から目にすることが多ければ、人柄に絆されたり、いつか好みに合致する相手に気付くのではないか、という目論見だ。


 ところがどっこい、カイドは彼女らに身の回りのことを任せることは殆なく、同じ部屋にいても大体の時間は、勉強や読書に没頭し、視界に入れることすらほぼ皆無であった。

 故に、脈なし、と判断された行儀見習いは、いつの間にかその役目を終えフォーマルハウト公爵家から姿を消している。

 カペラの所業を正当化するために言えば、本当に仕事を求めている令嬢は、その職場をカノープス公爵家に移して、引き続き雇用している。


 今回も、おそらくカイドを籠絡すべく送り込まれた叔母の刺客と言っていいだろう。


「ミラ・ベルベティオスと申します。今日からカイド様のお手伝いを……」

「必要ない。身の回りのことは一通り自分でできる」

 ミラがすべて言い終わる前に、強く硬い口調でピシャリと言い放つ。なんならいつか来る辺境生活に備え、料理だって勉強中だ。


 いきなり敵意にも近い感情を向けられ、ミラは面食らった様子だが、特に立腹したり落ち込む様子もなく、

「左様でございますか。では、必要なときにはお呼びくださいませ。お部屋の近くでお屋敷のお仕事を手伝っておりますので」

 と言った。

 ふと、その口調に、気が強そうだが高く柔らかく届いた声が気になって、伏せていた目を上げた。

 一際白い肌に、大きな切れ長の目。垂れ目でもなければ、気も強そうだ。だが、どこか既視感のある透明感と柔らかな雰囲気に、カイドは七年ぶりに目を奪われた。




 ベルベティオス子爵領は、ポラリス辺境伯領と隣接した国の北端の領の一つだ。つまり、カストル王国とも山を挟んで隣接している。

 そのためか、ミラもカストルの公用語の読み書きが出来るという。


 それを教えてくれたのは、リゲルに会いに来たメイサだった。

「何回か会ったことがあるけど、とても頭の良い方だわ。息子だったら事業を任せたいと子爵様が残念がっていたわ。とても交渉上手なんですって。でも娘だとどこに嫁ぐか分からないものね」

 

 何だか気味が悪い……。

 カストル留学を決意した途端に、カストルの公用語を操れる子爵家令嬢の登場。しかも、カイドに決定的に欠けている社交性と交渉力を兼ね備えた同い年の令嬢。一緒に留学に連れて行くにはもってこいだ。出来過ぎている。

 イザールが一枚噛んでいる、ということは考えにくい。彼はきっとこんな面倒なことはしない。


 そこに加えて、かつてのイオを彷彿とさせる佇まい。

 気にするなという方が無理だ。

 これまでのように一切の関わりを断固拒否、徹底無視、というのが何故かしづらい。冷たくあしらおうとそちらを向くと、あの時転んだイオと、その後の彼女の親切を思い出す。


 こんな見え透いた条件が揃うだけで、こんなにも容易く自分が揺らいでしまうなんて。カイドはソファの肘置きを人差し指でとんとんと叩きながら、自分自身に呆れて眉を顰める。


 今は、リゲルとメイサのお茶の席に、呼び出されて同席しているところだ。

 ふと、ティーカップを持つメイサの手に、見覚えのある白金の指輪が見えた。それと同じ物をカイドも持っている。生まれたときに母が贈ってくれた指輪だ。


「それ、なんでメイサが……」

 最初は何の話かと訝しげな顔になったメイサだが、カイドの目線からすぐに指輪のことと気付き、

「ああ、これ。先日リゲル様のお部屋に招かれて、いただいたのよ。婚約もしたし、結婚指輪は別で作るから先にこちらをって」

 と、にっこり笑って答えた。幸せそうな笑顔だった。


「お前も持ってるだろ。いつか一生を幸せに過ごせる伴侶に出会ったら渡せ、っていう……」

「え? 伴侶に渡す? 自分でつけるものじゃないのか」

「サイズ、女性用だぞ。ちゃんと見たことないのか?」

 呆れたように呟くリゲルの言葉を聞き、カイドはシャツの下で胸元に下げた指輪を思い浮かべる。そういえば、イオが作ってくれた袋に入れたきり、しばらく見ていないかもしれない。布越しに触った感触だけでは、サイズまでは分からなかった。



  * * *


「あ……」

 勉強をするカイドにミラがお茶を持ってきた。初回は断ろうとしたが、例の如く、イオの面影がちらついて断れなくなり、以来、こうして勉強中のお茶は受け入れることにした。

 そのミラが、何かに気付いたように小さく声を漏らし、カイドはふとそちらを見上げる。今はカストルの公用語を勉強中だった。


「すみません。気を散らさせてしまいました」

 ノートを見ていたミラが、自分の声で手を止めて見上げたカイドの視線に気付き焦って謝る。

「いや……。あ、もしかしてこれか」

 先程書いた単語のスペルミスを見つけて書き直した。母国語であるアトラス語にも似た綴りの単語があり、間違えて書いてしまことがよくあった。しかも聞いたことはないが、発音はほぼ同じらしく、余計に紛らわしい。

 

「あ、ちょっと待って」

 ふと思い立って、退室しようとしていたミラを呼び止める。小さく手招きをすると、ミラは再び机の横に戻ってきた。

「カストルの言葉が操れるって聞いたけど、どのくらい話せる?」

「……一通り、生活するには困らないレベルかと」

 突然の質問に少し驚いたようだが、落ち着いた様子でミラが答えた。あまり大きくはないが、細いながらに耳に心地良い声だと思った。


「そう……。あの……、時間がある時でいい。時々、……語学の勉強に、付き合ってくれないだろうか。いや、読み書きは本で出来ても、聞いたり、話したりは難しいから……」


 やや斜め下の何もない足元を見ながら、所在無さげに辿々しくお願いをしてきたカイドに、ミラは目を瞠った。

 女性という女性を嫌い、笑顔どころか常に冷淡な表情しか見せたことのなかったカイドが、自信なさげに女性であるミラに勉強を見て欲しい、と依頼しているのだ。

 ミラから見てカイドは、寄り付く者は敵とばかりに棘を剥き出しに身を固めるハリネズミのようだった。そのハリネズミが、目の前で棘を倒して縮こまっている姿に、無礼とは思いながらも、思わず笑みが溢れてしまった。


「はい。分かりました。私などでよろしければ、いつでもカイド様のお役に立ちたいと思います」

 ぱっと顔を上げ、目を輝かせたカイドは年よりも幼く見えた。

「ありがとう……」


 その様子を、隣で聞き耳を立てて探っていた者達がおり、密かに拳をぐっと握りしめていたのを、二人とも知る由もない。



 ミラは母国語に加えて更に三か国語を話すことができた。

 これは、ベルベティオス領が国内有数の観光地であり、外国からの要人や観光客と頻繁に接する機会があった為で、幼い頃から勉強していたのだという。

 ミラが語学の勉強を見てくれるようになってから、カイドの語学力は格段に向上していった。簡単な日常会話くらいであれば可能になった。


 そして、夏には避暑も兼ねてベルベティオス領に旅行もした。

 カイドと同行したのは、リゲルとその婚約者であるメイサ、フォーマルハウト家の従者一人とメイサの侍女、それにこれに時期を合わせて帰省するミラだ。

 この旅で、ミラに案内されながら地元の食堂や温泉施設を回り、そこでカストル王国から来た旅人達と会話することもできた。


 社交場を極力避け、フォーマルハウト邸にほぼ引き籠もっていたカイドにとって、これは大変刺激的な出来事だった。

 初めての場所、見たことがない人、食べたことがない物、全てが面白く、あっという間に予定日数が過ぎていった。


 一度楽しさを知ってしまえば、あとは好奇心いっぱいに目に入ったあれこれに、目を輝かせて突進していく様を、ミラは一緒になって楽しそうに見守ってくれた。

 騒がれてしまっては困る、と眼鏡や帽子で不自然じゃない程度に顔を隠して行ったが、そんな自分が自意識過剰だったのではないかと反省するくらいに、誰もカイドのことが気にならない様子だった。


「意外と街に出てみれば、絶世の美女だって街の人にとっては、良いもの見たなーってくらいで、どうでもいいことなんですよ。だって、自分の人生にはそう関係ない人ですもの」

 まあ、一通り騒ぎはするでしょうけどね、と付け加えて、ミラは笑う。


「とはいえ、高貴な雰囲気は分かりますから、やっぱり目立ちますけど。あと、その瓶底眼鏡と帽子がなかったら、やっぱりかなり注目はされるでしょうね」

 と、ミラはカイド達一行を見ながらひそひそ話をしている一団を見遣る。なるほど、カイドが同じようにそちらに目を向けると、あちらは気まずそうに話を止め散っていった。

「でもそれだけです。貴族様の旅行客も珍しくはないですから、街の人達もそれなりに慣れています」

 

 そうか、とカイドは目から鱗が落ちた感覚になる。

 この街で自分は、注目の的でも噂の種ですらない。ただ、観光地にやって来た貴族の客の一人に過ぎないのだ。


 まただ。行儀見習いの令嬢に教えを請うたり、誰かと旅に出たり、ミラと関わると、カイドの世界はみるみる広がっていく。そして、如何にこれまでの自分が、狭く小さな世界で、頑固に色んなあれこれから目を背けていたのかを思い知る。

 旅行に出て良かった。カイドは清々しい思いで、ベルベティオスの涼しい風が吹く空を見上げた。



 旅行中、基本的にはミラおすすめの貴族向けの宿に宿泊していたが、最終日はベルベティオス子爵邸に招かれることになった。

 娘の行儀見習い先とあり、初日も子爵から直接挨拶を受けていたが、最後の夜は、屋敷でディナーを頂き、そのまま宿泊することになった。


 そこで、意外な出会いがあった。

 カイドが、唯一恋しいと思った女性、イオだ。


「フォーマルハウト公爵様には、長女のイオに続き次女のミラまでお世話になりまして……」

 と話す子爵の後ろには、記憶の少女より確実に大人になったイオが、三歳くらいの男の子と、腕の中にまだ生まれて間もないと思われる赤子を連れて立っていた。


 成人しても母になっても変わらない、優しげで親しみやすさを感じさせながらも、どこか儚げな透明感を纏っていた。

 予想もしなかった再会への驚きと、幸福に満ちた姿への安堵と、やはり結婚していた事実への落胆と、色んな感情が同時に湧いてきて、結果、無表情で固まってしまったカイドに、イオが微笑んで、

「カイド様、再びお会いできて嬉しく思います。こうして、ご立派に成長されたお姿を拝見できるなんて……」

 と話した。折に触れては思い出す、ミラよりも少し高い柔らかなあの声だった。

 イオもカイドを覚えていた。こうして成長を喜んでくれた。つい感極まって目頭が熱くなりそうだったが、「立派だなんて、背がちょっと伸びただけよ。中身はてんでお子様だもの」と隣で呟いたメイサの声で、何とか堪えた。


 正直、微塵も予想もしなかったかといえば嘘になる。

 ミラにイオの面影を見ていたカイドは、もしかすると血縁なのではないかと思っていた。

 だとすれば、ベルベティオス領へ行けば、イオの足跡も分かるかもしれない、とほんの僅かな期待もあった。


 当時、ベルベティオス領は、借金のために爵位返上も目前だったらしい。そこに支援の手を差し伸べてくれたのが、イオの夫の生家である商会であり、イオは結婚が決まったことでフォーマルハウト家を辞めたらしい。尤も、知らなかったのはカイドだけで、リゲルもメイサですらも知っていた事実だ。

 完全なる政略結婚だったが、夫婦は仲睦まじく、その後のベルベティオス領は、現在の盛況っぷりを見ると明らかだ。


 そんな話を聞いたディナーのあとで、偶々、応接間にカイドとイオ達母子だけとなった時間があった。

 イオの長男は、人見知りしない活発な性格らしく、カイドと遊びたいと言って燥ぎ、いくつか簡単なカードゲームをした。容赦ないカイドに負かされ、疲れた様子で、そのままぱたっと寝てしまった。


「騒がしくて申し訳ありません」

 謝りつつも、愛おしそうに息子を見詰めるイオの目に、カイドはほんの少し寂しさを感じる。

「僕もこのくらいの時は、騒々しいとよく叱られました。兄に付いていくのに必死で……」

「とても仲の良いご兄弟でしたものね」

 当時は、すでに荒んだ気持ちを抱えて周りに当たり散らしていた。交友関係を狭めていっていたカイドと、まともに話す同世代なんてリゲルくらいだった。あと時々メイサ。


「あの頃は特に、母の形見の指輪が心の拠り所で。あの時貰った袋は、今でもこうして大事に使わせてもらっています」

 そう言って、シャツの下から紐を引き出すと、青い小さな袋が出てくる。まあ、と手で口を押さえ、イオが驚く。

「まだこのように拙い容れ物を使ってくださっていたのですね……!」

「今も、この袋ごと僕の心の拠り所です」

 そう言って、ふっと笑えば、一方のイオは涙を流した。

「あの頃のカイド様は、いつも寂しそうにされていらして、それがこうして無事成長されて、リゲル様やミラ達と、笑い合っているお姿を見ることができるようになるなんて……。本当に良かったです」

 イオにハンカチを差し出しながら、その泣き顔を見てふと、腑に落ちた気がした。

 イオが拾ってくれた指輪。カイドの孤独を柔らかに包み込んでくれた声音。カイドは、イオに知らず知らずのうちに、母を求めてしまっていたのかもしれない。

 だから、この幼子達の存在に、少し胸が痛むのかもしれない。

「ありがとうございます」

 初恋だったかどうかも、もう分からないが、それはそれで最早いい思い出だ。

 翌日、ベルベティオス邸を出て、一行は旅の帰路についた。



  * * *


「そうじゃないです。過去形になったら、この子音は発音が変わります。旅行客との日常会話では誤魔化せても、貴族相手ではそうは行きません」


 カストルの公用語、難しい……。

 旅行での会話が成功し、カイドはすっかり有頂天になって帰ってきたが、一段階目クリアと判断したミラは、よりスパルタになって帰ってきた。


 本物のイオに会ってみて分かる。ミラは、姉妹らしくイオの面影があるものの、やっぱり別人だ。色白で、透き通るような清らかさで、柔らかな雰囲気でも、イオが綿菓子ならミラはかき氷くらいの違いがあった。何というか、温度差。



 それにしてもおかしい。


 ミラがカイドに語学を教えるようになって、もうすぐ半年経つ。ミラも伴って出掛けた旅行から帰ると、カイドの雰囲気が柔らかくなっただの明るくなっただの、父や使用人達が騒がしかった。

 これだけ騒げば、あの叔母がミラを放っておくはずがない、と思ったのだが、今のところ何の音沙汰もない。


 そして何より、毎度恒例となった無謀なお見合いが、ぱったり途絶えている。それまで毎週のようにあったのに。不気味ったらありゃしない。ついに諦めた……とは思い難い。



 だがそれも、意を決してミラに直接聞いてみたことで、あっさりいくつかは解決した。


「私、ここへはポラリス辺境伯家のご紹介で参りましたから、カノープス公爵夫人とは、直接ご連絡をいただくこともないかと……」

「ポラリス家。イザール様からの紹介……?」

「さあ……。両親に言われて参りましたので、どなたからかまでは分かりかねます」

 成る程、カペラの刺客ではなかったのか。


 そうは言っても、当主であるイザールに無断でということは有り得ない。やはり、ミラはカイドの語学勉強のために遣わされた……? うーん、だったらこんな回りくどい真似をしなくても、家庭教師を派遣すればいいような……。


 顎に手を当てて、何やら思案顔のカイドにお茶を差し出しながらミラは、

「でも私は、姉も一時はいたことのある公爵家に務めることができて良かったです。皆様良い方々ですし、姉が大層可愛いと話しておりました、カイド様にもお目に掛かれましたし」

 と言って、にっこり笑う。使用人として屋敷で見るよりも、旅先で見たような楽しさを浮かべた笑顔に、思わず息を呑んで絶句する。


「…………あ、そう。良かったね」

「はい」

「イオは、僕のことを話してたの?」

「はい。お噂通り天使のような方だと。でも、中身も努力家で心優しいお方なのだと話しておりました」

「心優しい……?」

 表舞台では常に険のある態度を示すカイドに、我ながら一番しっくりこない形容詞じゃないだろうか。怪訝な顔をするカイドに対して、ミラはその笑顔のまま、


「はい。私もそう思います。カイド様は一見、身体中棘だらけのハリネズミのようですが、一度警戒を解いてくださると、大変素直で優しい方だと思います」

 と告げた。


「ハリネズミか……。成る程ね」

 誰も彼も女性とあらば棘を向けて、自邸で引き籠もっている自分は、ミラから見てそう見えるのか……。

 自分の世界は小さく狭いと気付かされたところだったが、小さいのは自分自身もだったか。何やら色々なことが阿呆らしくなってきた。


 カイドが横に目を流しながらじっと考え込んでいると、

「そういうところです。私なんかの言葉でも、こうして取り上げてちゃんと考えてくださる。カイド様は、素直で器の大きな優しい方です」

 ミラが真正面からカイドを見据えて言う。


「……そうか。それは、ありがとう……」

 一方のカイドは、そんなミラを真っ直ぐ見返すことはできずに、伏し目がちになり額を押さえて顔を隠すようになってしまった。まだ身長の伸び切っていない彼の顔は、おそらくミラに見えてはいないが、きっと耳までも赤いことには気付かれている。

 こんな風に、誰かに内面を褒められるなんて久しぶりで、気恥ずかしい。



  * * *


 フォーマルハウト公爵は実に忙しい。

 国王の側近として国政に深く関与し、広大で農業から貿易まで多岐にわたる重要事業を抱えた領地を経営し、フォーマルハウト家の内事を取り仕切る。共に分担する伴侶もないため、尚更多忙である。

 最近は嫡男のリゲルが彼を手伝っている。家に関することは、次男のカイドにも勉強と称し手伝わせている。

 が、育児の一部を妹に手伝ってもらったり、唯一の親でありながら、ゆっくり息子達と語らう時間を取ることも儘ならなかった。


 そんな父、フォーマルハウト公爵が、久々に最近変わりつつあると言われる次男と話すことができた翌日、フォーマルハウト公爵家次男、カイドの姿はポラリス辺境伯が王都に構えるタウンハウスにあった。

 カイドの美貌にざわつく使用人たちを横目に、この感じも久しぶりだなと、若干うんざりしつつ、屋敷の主であるイザールと向き合う。


「待たせたね。そろそろ会いたいと思っていたよ」

 人差し指で眼鏡を上げながら、穏やかに微笑むイザールを見て、底が見えない食えない人だ、と思う。色々事情を知った今となっては、世間知らずの十五歳のカイドなど、彼にはどれだけ未熟で幼稚に見えていたのだろうか。


「……今日は、何だかご機嫌斜めかな」

「いえ。イザール様に謝辞を伝えたく思い参りましたもので。お力添えいただき、ありがとうございました」

「その割に、なんだか拗ねているようだ。言っておくが、ミラ嬢を探してきたのは僕じゃないよ。メイサと君の兄上だ」


 昨夜、父から来年からカストル王国へ留学してこい、と伝えられた。

 父曰く、カイドがこの王国での社交界で生きづらく思っていることは十分承知している。それはそれとしていずれは克服する必要があると思うが、カイド自身が興味のある学問を糸口とするのも悪くない。向こうで思う存分学び、それを容姿を凌ぐ武器にして、これからのフォーマルハウト家を益々栄えさせてくれるならなお良い、と。


 留学したい意向について、イザールが公爵に伝えた上で、行き先がカストル王国であれば、ポラリス辺境伯家もサポートできる、カストル王国で人脈を作っておくことは公爵にとっても悪くない、などと口添えしてくれていた。

 あと、同じ一から交友関係を築くなら、彼にとって余計な噂話などない場所の方が、やりやすいかもしれない、と。


 隕石の研究が領地にどう貢献するか分からないが、こんなにもあっさりと、国と親公認で国外に行けるとは。最悪の場合、ポラリス領から脱出まで考えていたカイドとしては拍子抜けだ。


「僕としては、姻戚となる二つの公爵家を敵に回したくはない。君としては、帰って来るつもりがないから、フォーマルハウト公やカノープス夫人に言い難かったんだろうけど、そもそもそんなことは、まず行ってみてから考えればいい」

 珍しくよく喋るイザールの言葉を、カイドはお茶を飲みながら聞く。


「ミラ嬢については、ここに来なければ元々、家業のために留学する予定だったんだ。君のことはついでに過ぎないから、気にすることはない」

 カストル王国で学校が始まる十六歳から、ミラも一緒に留学すると聞いた。

 正直、自国の中でも友人が皆無で、同世代との交流が乏しい中、これは期待以上の安心材料となる。しかも、向こうの語学に堪能ときた。

 それだけでない、漠然とした高揚感もあった。彼女と過ごす、あの楽しく刺激的な時間がこの先も続くなら……。が、


「そして、いずれはベルベティオスと隣接するカストルの貴族と婚約予定だった」


 続くイザールに言葉に、お茶をその口に含んだばかりのカイドは、思わずむせこみそうになった。いや、ちょっとむせた。小さく咳払いをする。


「まあ、それも分からないさ。こうして予定外の行儀見習いに出て、留学先にも世話の焼ける公爵子息を連れて行くことになった。しかも、そのお坊ちゃまの背後には王家に連なる別の公爵家のバックアップもある」

 本当に今日のイザールはよく喋る。

「何が言いたいんですか」

 恨めしげにイザールを見るが、イザールは物ともしない。

「別に。君の父上も叔母上も君の味方だ、って話だよ」



 応接間を出ると、すぐにメイサと出会った。何食わぬ顔で、ご機嫌よう、とか言ってくる。

「君の仕業なんだってな。ミラがイオの妹だって最初から知ってたんだろ」


 メイサは、あら、やっと気付いたの、と言わんばかりに腕を組み、

「知らないわけ無いでしょう。隣の領地なのよ。貴方がイオ様を好いていたことだって、屋敷中みんな知っているわ。カイド、貴方きっと元々ああいうタイプが好きなのね。ミラにだって最初から分かりやすく動揺しちゃって」

 と、胸を反らして捲し立てた。何故だろう。メイサの方が背が低いのに、見下されている気分になる。


「ちょっと……、分かったから。もうその辺にして」

「いいえ、止めないわ。なのに、まともに話すまでどれだけ時間を掛けてるのよ。度々様子を見に行って、やっと語学を教えてくれって言った時には、リゲル様、カペラ様と祝杯をあげたくらいよ」

「様子を見にって……?えっ、叔母上……??」

「感謝してよね。貴方の叔母様が持ってくる縁談を、ずっと止めてたのは私達なのだから」

「は? 止めてた……?」

「ちゃんと叔母様に報告しに行きなさいよ。ずっと貴方のことご心配されてたのよ」

 そこまで一方的に言うと、くるっと身を翻して足早に廊下の向こうへ去っていった。結局、最初の一言以外、まともに喋らせてもらえなかった。予定では二年後に、彼女を義姉と呼ぶようになるのだ……。



 叔母には、カイドから会いに行かなくても、ポラリス邸から帰宅するとそこにいた。

「お帰りなさい、カイド。辺境伯様のお宅での御用は済んだの?」

 ここ最近で一番の上機嫌である。

「終わりましたよ。留学について相談に乗っていただいていたので、お礼に伺っただけですから」

「水臭いわね。留学がしたいなら、私に言ってくれれば早かったのに」

 そうだろうか、とあのゲリラ見合いの日々を思い出す。

 いずれにせよ、カペラの口添えとなると、下手すると国賓扱いで留学になりそうで、それはそれで面倒臭そうだ。


 ポケットに手を突っ込み、小さく溜息をついて、ふと思い出しポケットから小さな箱を取り出す。

 その動作に気付いて、カペラが小箱に目を留める。その小箱をカペラに差し出す。

「はい。これ叔母上に差し上げます」

「あら、ありがとう。珍しいわね、何かしら」


 小箱は、ポラリス辺境伯家で受け取ってきた物だ。中身は、

「これは……、ピアスね。初めて見る宝石だわ」

 見る角度により七色にその色を変えて見せる宝石。燦めくような輝きではなく、柔らかい光を放つ宝石。


「元々は叔母上から頂いた“隕石”です。まあ、隕石ではなかったのですけど」

 あの石はそのままイザールに預け、磨いてアクセサリーに加工してもらった。それをカペラに渡したのだ。

 そう大きくない石だったが、そこからカペラのピアスと、同じくらい小さな石のネックレスに加工した。

 まあ、ネックレスを渡す機会がやって来るかは別として。


 早速付けてみるわ、とうきうきした様子の叔母を見ながら、つくづく、自分の周りは自分に親切な人達に恵まれたものだ、と、カイドは改めて思った。



  * * *


 留学の時期が近づいてきた頃、ミラがフォーマルハウト邸での行儀見習いを終え、留学準備のためにベルベティオス家に一旦帰ることになった。


「専攻は違いますが、同じ学校です。あちらでもよろしくお願いします」

「うん、そうだね。こちらこそよろしく」

 最後の勉強会を終え、最後だから、と初めて二人でお茶を飲んでいる。

「きっと、色んな人に会います。良いお友達ができるといいですね」

「良いお友達って……。そんな子どもを送り出すみたいな……」

 いや、子どもそんなに大差ないか、とふと自分でも思う。


 自らの留学も控え、最近ミラとは益々会話する機会が増えた。控えめながらも目を輝かせて、楽しそうにこれからについて話すミラを、最近は可愛いと思うようになった。

 いつもは落ち着いて見えるミラだが、そんな時は、頭をそっと撫でてやりたくなる。


 だが、それはしない。


「きっと、あちらでもカイド様は持て囃されると思いますよ。でも大丈夫です。大半の女性は貴方様と並び立つことが畏れ多くて、影で憧れて噂をするだけです。堂々となさってくださいね」

 褒められているのかどうだか微妙な気持ちになる。

 そして、


「私もそうです。こんな平凡な容姿で爵位も低いのに、友人と呼ばれることだって過ぎたことです」

 これである。

 言葉を継げずにいるカイドの前で、あまり横に並びたくないなぁ、とミラは続けている。

 形見の指輪どころか、ネックレスを渡すことの、ハードルが如何に高いことかと、内心溜息をつく。


 まあいい、これからも時間はある。

 何なら、強力過ぎる後ろ盾もある。これが枷にもなりそうだが……。

 今は一緒に過ごすことができるなら、それでいい。

 この想いが、恋かどうかはこれから考えたらいい。





 



この先三年後くらいがハッピーエンドになったらいいな、と思います。

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