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迷い

その恐怖と怒りをロレンシオは生涯忘れることはできないだろう。


扉を開けた彼の目に飛び込んできたのは、スカートを真っ赤に染め倒れているアメーリアだった。


「アメーリア!!」


「ごめんなさい、守れなかった」

彼の腕の中でそう言うと彼女は気を失った。彼女の血だらけの頬を涙がつたった。




ロゼッタとはもう数ヶ月も前に終わっていた、つもりだった。

警戒はしていたが、さすがにもう何もしてこないだろうと油断していた。


アメーリアが何者かに攫われたらしいとわかり、王宮はすぐに緊急体制に入った。

そんな中、タハミールからの伝言だと走り込んできた青年の言葉に血の気が引いた。


全ては身から出た錆だ。傷つけるなら自分を傷つけてほしかった。殺すなら自分を殺してほしかった。


ーーーーーーー


「商売をしていると荒くれ者とつき合わざるを得ないこともあります」


アメーリアを守りきれなかったと謝り続けるタハミールにロレンシオは心から謝意を伝えた。


タハミールは学生の頃からロゼッタのことは知っていた。挨拶をする程度だが。


そして商売の繋がりでロゼッタと共にいた男とも顔見知りだった。



その日は偶然、仕事がてら王都の外れにある森に出掛けていた。

そこでロゼッタと男が、欝蒼とした中に隠れるように建つ小屋にアメーリアを連れこむのを目撃した。

彼は一緒にいた仕事仲間に王宮へ伝えるよう託すと、ロゼッタらに声をかけた。


「楽しそうなことしてるじゃないか。俺も混ぜてくれよ」


ーーーーーーー


「離縁して下さい」

「ダメだ」

「お願いします」

「イヤだ」

「ロレンシオ様」

「絶対に認めない」


アメーリアは2週間近く熱にうなされ生死の境をさまよった。

ようやく声が出せるようになった日から、ロレンシオとアメーリアの間では同じ会話が何度も繰り返されていた。



まだ起き上がることは出来ない彼女にロレンシオは昼夜を問わず寄り添った。

どうしてもという用件でない限りは彼女のそばで仕事をこなした。

そのために彼女の部屋は模様替えされたくらいだ。



その日もまた彼女は蚊の鳴くような声で彼に訴えていた。

「しつこいぞ、アメーリア。何度言ってもダメなものはダメだ」

「でもあなたの子どもを死なせてしまったのよ。それに、もう妊娠できるかどうかはわからないって、お医者様が…」

「そんなこと構わないと言ってるだろっ!」



ロレンシオが声を荒らげた。

しかし次の瞬間、彼はベッドの横に跪き彼女の両手に顔を埋め泣き始めた。

「アメーリア…………頼む。そんなことを言わないでくれ。頼む……あのとき…君を失うかと思った時、私は気が狂いそうになった。恐ろしさに震えが止まらなかった。君を失うなど考えられない。絶対にイヤだ」



「すまない、アメーリア。私のせいだ。すまない。すまない。君にこんなツラい思いをさせて…しまって…全て私の責任だ。君は何ひとつ悪くない」


「私の愚かさのために君を傷つけた。わかっている。でも私はそれでも君を手放したくないのだ。愛してるんだ。頼む、離縁などとは言わないでくれ。ここにいてくれ」



「ハロンの婚約が決まった。我々に子どもができなくても、彼に男子が生まれたらその子を王位継承者にする。だから君は何も心配しなくていいのだ。ただ私の妻としてそばにいてくれ、頼む」


アメーリアは女として王太子妃として、泣き崩れる夫にどう答えるのが正しいのか…2つの異なる答えの間で揺れていた。


ーーーーーーー


アメーリアがようやくベッドに起き上がれるようになった頃、またもや2人を引き裂く事態が起こった。


戦争だ。

リベラリオ王国がついにバイデル王国に攻め入り、友好各国に協力要請が来た。

もちろんロレンシオ率いるデバルザン王国軍もすぐに王都を出発した。


ロレンシオは彼女のそばにいられないことに心底腹立った。

(こんな時に戦争なんて。くそっ。とっとと蹴り散らかして帰ってきてやる!)


ーーーーーーー


ロレンシオがいなくなった王宮で、アメーリアは1人涙を流す日々を過ごした。


(マジ転生ムカつく。なんなの?

櫂と会えなくなって…ようやく心が落ち着いてロレンシオ様と結婚できたかと思えば今度は赤ちゃんが…赤ちゃん、ごめんね。守ってあげれなかった。

転生って、もっとウキウキワクワクなんじゃないの?

何のための転生?転生いらなくない?ツラいことばっかり。なんなのよ?)



アメーリアは彼がいない間にリベラリオに帰ることを何度も考えた。

しかし身体がこの状態では不可能に近い。

しかも今リベラリオは戦争中だ。帰れるはずもない。


そして何より問題なのは彼への手紙だった。


戦争中も、戦況を伝える為に国と戦地の連絡は必ず行われる。それは戦況によって毎日であったり、何日かに一度だったりする。


ロレンシオは、その際、一言でいいから自筆の手紙が欲しいとアメーリアに頼んだ。

もしその手紙が途絶えたら……それは彼女が彼を捨ててリベラリオへ帰った、或いは勝手に離縁したということと理解して、そのまま敵の矢の中に身を投じると脅された。


(んな、めちゃくちゃな…)


思い出すたび、ついふっと笑ってしまう。

どこまでも自分を愛してくれる彼に愛おしさが募らないわけがない。それでも…未だ自分がどうすべきか答えが出ない。




しばらくしてアメーリアは庭園を散歩できるまでに回復した。

まだほんの短い時間だが、それでも外の空気や花々の香りは彼女の心を癒やし包んでくれるようだった。



王妃とすれ違ったのは、そんなある日、庭園の散歩から自室へ戻ろうとしていた時だった。



ーーーーーーー


戦争は2ヶ月近く続いた。それでも皆が予想したより早く終わった。

もちろんリベラリオ王国の勝利だった。

そしてロレンシオは、リベラリオ国王と並び、もう1人の立て役者と評された。

『デバルザン軍の先に勝利あり』と。


(当たり前だ、私は早く帰りたいのだ)

(アメーリアはどうしているだろう。待っていてくれるだろうか。私の帰還を喜んでくれるだろうか)



ロレンシオは片身離さず持っていた2枚の手紙を改めて読み直していた。何度も読み返したその手紙はもうクシャクシャになっていた。


アメーリアからの手紙は常に『無事を祈る』というだけのものだった。それがある日を境に変わった。


『早く帰ってきてください』

そこには弱々しい字でそう書かれていた。思わずその場で帰りそうになった。


そして次の手紙にはこう書かれていた。

『愛しています』

このタイミングで戦争を起こした義父を心から憎んだ瞬間だった。

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