第2話 呼び出し
「明日の総合は修学旅行のオリエンテーションになるから、自由行動の班割りや行きたいところを考えておいてね。それから週直の二人、悪いんだけど仕事頼みたいから放課後職員室まで来てください。……はい、今日はこれで終わります。さようなら」
終学活が終わり、クラスメートは各々動き始める。
最後の先生の言葉がひっかかり、わたしは軽く首を捻った。そっと隣の席の立花くんを見上げると、彼もわたしの視線に気づき、バチっと目が合う。
「俺ら、呼ばれたな」
「呼ばれたね」
「行くか」
「うん。……あ、待って、日誌書き上げちゃうから一緒に提出する」
「あぁ、ありがと」
普段話さないわたしたちは、普通に会話をしようとするとちょっとぎこちなくなる。
週直は隣の席の人とペアで組まれている。今週はわたしたちの番だった。
「立花ー。早く行こうぜ」
「あ、悪い。俺先生に呼ばれたから先に行ってて」
「あれ、今週週直だったの?」
「そう。後で合流するわ」
「えー、じゃああたしも手伝うよ。何の仕事か知らないけど、早く終わらせようよ」
「そうだな、みんなで職員室行くか」
「いやいや、さすがにそれはいいよ。それにさ……」
今日も立花くんは男子にも女子にも大人気だ。これからみんなで遊ぶ約束でもしていたのだろう。ここでわたしが「一人で行ってくるからいいよ」なんて言えば、みんなハッピーになるのかな。そんなことを想像して勝手に傷ついて、シャープペンシルを握る手に力が入る。
「香住さんとの放課後デートの邪魔しないでくれる?」
日誌に押し当てたシャープペンシルの芯がボキッと折れる。
やけにドスの効いた彼の声色に、みんなたじろいで言葉を失っていた。いや、ドン引きしているだけか。
そして彼はいつもの張り付けたような笑顔で、わたしの机に手をついて顔を覗き込んだ。
「香住さん、日誌書けた?」
「……あ、えっと、もう少しです」
「今日の欠席は小川さんで、ここは、」
いや、近い。近すぎる。立花くんは椅子に座って身体ごと身を寄せた。前髪が触れあう。思わずのけぞると、彼は柔らかく微笑んで、わたしの前髪を撫でつけた。
「ごめん、当たっちゃったね」
彼の手付きはまるで恋人に対するそれかのように優しくて、鳥肌が立った。ふざけるにしても気味が悪くて動悸がする。
彼の背後に集まるクラスメートへ目を向ける。きっとわたしはこの時すがるような目をしていただろう。しかし彼らは乾いた笑いを立てるのみで、わたしのSOSには気づいてくれなかった。
「……じゃあ、立花、先に行ってるからな」
「香住さんいじめちゃだめだよ」
「あぁ。終わったら連絡するね」
そして彼らはわたしを置いて帰ってしまった。立花くんの顔からは、いつの間にか笑みは消え失せていた。
「職員室、行こうか」
「……」
日誌を持って歩きだした彼の後ろを追う。職員室に着くまで、彼は一度も振り向くことはなかった。
わかってる。友達の前だからふざけてただけだって。まぁ、正直スベっていたと思うけど。二人で職員室へ歩くことを放課後デートだなんて思っているはずがないし、好き好んでわたしに触れるはずもない。あの笑顔は物理的にわたしに向けられていたけれど、彼の気持ちは一切わたしには向かわないんだ。そんなこと、最初からわかってる。彼の冗談に鬱陶しさを感じながらも、どこか期待してしまうのは心のバグなんだ。
担任の先生に連れてこられたのは、国語科の準備室だった。長机の上には、紙束が五つの山を作っている。
「これ……、修学旅行の栞ですか?」
「そうなの! 明日オリエンテーションなのに、まだできてなくて……。急ぎの仕事も溜まってるし、お願い、助けてください」
「あ、はい、やりますよ全然」
「ほんと! ありがとう!」
先生はわたしと立花くんの手を交互に取ると、何度も頭を下げた。若手の先生も大変だなぁ、なんて呑気に思いを馳せる。
「こっちから順番に上に重ねて半分に折って、二ヶ所ホチキスで留めれば完成。できるところまででいいから、お願いね」
急ぎの仕事が溜まっているというのは本当なんだろう。先生は作り方を説明すると足早に出ていってしまった。
取り残されたわたしたちは、長机に対面で座り作業を始めた。沈黙が続くかと思いきや、立花くんはため息と共に早々に口を開いた。
「これ、学年全員分だよな」
「うん。すごい量あるね」
「はぁ、こんなんだったら、あいつらも連れてくればよかったな」
「…………」
「ごめん、今のなし」
「いや、別に……」
一瞬、ほんの少しだけモヤっとしてしまったわたしの感情に気づいたとでもいうのか。彼はさらっと謝罪を述べた。
「あの、後はわたしやっておくから、立花くんは行っていいよ。元々友達と何か約束してたんでしょ?」
本当なら、教室で言うべきだったことを伝える。彼も彼の友達も全員ハッピーになるはずのその言葉は、しかし彼に一蹴された。
「行かないよ。この量が一人で終わるわけないでしょ」
「でも、たぶんわたしの友達もまだ学校に残ってると思うし」
「これは俺が先生から任された仕事でもあるの。俺の株を下げるような真似しないでくれる?」
「……ごめん」
立花くんの口調は穏やかだが、言葉の中には攻撃的な色があった。思いもよらず彼の責任感が強かったことに言葉が詰まる。友達と遊びたいだろうから帰っていいよ、なんて、彼に対する侮辱だったか。
黙ってしまったわたしに、彼はふっと表情を緩めた。
あ、初めて立花くんが笑ってくれた。一瞬、見惚れてしまう。
「それに、クラスの人気者は誰か一人に仕事押し付けて遊びに行ったりしないから」
冗談めかした口調だった。事務的な会話と違う、友達と話すときのようなコミュニケーションとしての言葉だ。
「仕事押し付けられて一人で健気に頑張るのが、日陰者なわたしのキャラに合ってるんだけど」
言い返すと、立花くんは声を上げて笑った。
「ははっ、香住さんってそういうこと言うんだ。……うん、でもね、そんなキャラ付けいらないよ。香住さんには似合わないんじゃない」
なんとなく口をついた言葉だったが、クラスに友達がいなくてよく一人でいるわたしに『日陰者』は相応しい肩書きだろう。しかしクラスの陽キャラ代表の彼は、簡単にそれを否定する。自分がいかに陰キャラか説明することは得意で、いくらでも言葉は思い浮かぶ。だけど立花くんがせっかく否定してくれたのならわざわざ反論しなくてもいいか、と思えた。実際は頬が熱くなるのを感じて、俯いてしまい何も言えなかっただけなのだけれど。
しばらく無言で作業が進む。紙を束ねて、パチンパチンと留める。その繰り返し。何度もホチキスを使っていると、だんだん手に力が入らなくなってきた。机の下で手を握ったり開いたりしてみる。立花くんはそれを目敏く見つけた。
「手、痛い?」
「うん、ちょっと疲れてきちゃった」
「ホチキス、俺が全部留めるよ。香住さんは束ねたら全部この辺にでも重ねておいて」
「……わかった。ありがとう」
気が利く人ではあるんだよな、立花くんは。よく人を見ている。だから彼の周りには人が集まるのだろうか。いつもわたしに絡んでくるのも、もしかしたら一人でいるわたしがかわいそうで声を掛けているのだったりして。……いや、下ネタが大半だし、それはないか。うん、絶対にない。
部屋には、紙をめくる音とホチキスを留める音だけがやけに大きく響いていた。