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ストックがきれたのでまた少し時間が空きます。申し訳ございません。
その家は武公ウェムリット邸の中でも、最も奥に位置する場所にあった。
広大な敷地の中で、雑木林に隠れるようにしてひっそりと小さな民家が建ち佇んでいる。
頼義たちが現在寝起きしている本邸にくらべればほんの小さな一軒家で、大人二人くらいが生活できるような大きさだ。小さいながらも庭があり、よく手入れのされた鑑賞用の植物に混じって家庭菜園らしき畝も見受けられた。
「お前の祖父さんはここに住んでいるのか?」
頼義の掛声にルツィエは静かにうなずいた。頼義が義手を手にした翌日、休暇で邸宅に戻っていた、三爵国の近衛隊長であるクルスを伴い、ルツィエらの祖父が住んでいるという離れを訪れていた。
「ええ。こちらでご隠居なされておりますわ。先代の当主ということで様々な制約があるものですから」
敷設されている膝の高さくらいの石垣を超えて3人は一軒家の敷地内へと足を踏み入れた。
三者がだれしも、動きやすい服装をしており、頼義に至っては鉄靴を履いて髪をひとまとめにしているなど、戦闘への意気込みを感じる。
「クルスはここによく来てたりするのか?」
「いいや。そもそもおじい様に会うのも3年ぶりくらいだ」
同じく、とルツィエも声には出さなかったが兄の言葉に同意する。
「クルスお兄様はもう少し本邸に戻って来てもよろしくてよ? 私ですら年に一度くらいはおじい様に顔を見せているというのに」
「顔を見せたらで十中八九、訓練の成果を見せろって話になるからヤなんだよ」
煽るような口調の妹に対して、争いごとを忌避する性格の兄は露骨に顔をしかめた。
「おじい様も孫の成長が気になるのでしょうから応じればよいでしょうに」
「俺は嫌なんだよ! 絶対小言を言われるだろうし……」
クルスがそうぼやくが、孫の成長を気にする祖父としては小言の一つでも言いたくなる性格をしているのが彼という人物であった。
「……何より、おじい様は加減ってものを知らないんだ」
クルスは昔の事を思い出したのだろう、身震いをした。
二人の掛け合いを横目にする限り、ルツィエの祖父とやらは面白そうな御仁であると頼義は思った。
そうこうしているうちに、三人は一軒家の前にたどりつき、ルツィエがドアのノッカー叩く。
幾ばくして、内開きの扉から使用人である中年の女性が顔を見せる。
「あら、まあ。ルツィエお嬢さま! ご無沙汰しております。クルスさまもご立派になられて! ご主人様もお喜びになられます。ささ、中へどうぞ」
この一軒家でメードをしている中年の女性は当然ながらウェムリット家の子息子女の顔を覚えていて、久しぶりに顔を見せた主人の孫たちの姿に破顔した。
彼女の先導で三人は家の中へ足を踏み入れた。
メードが目ざとく頼義の姿を目端にとらえると殊更に喜んだ。
「まあ、まあ! なんて可愛らしい方なのかしら」
自分の容姿を褒めたたえるメードの様子に頼義は複雑な感情を抱く。
「おじい様はどちらに?」
「裏で庭いじりをされてますよ。呼んで参りましょうか」
「いいえ。私たちの方から伺いますわ」
「それではお茶をご用意してますね」
中年メードは楚々とした礼をして、ぱたぱたとキッチンへと向かった。
祖父の居場所を聞き出したルツィエは後に続く二人を伴って廊下を進む。家の奥まった場所にある扉を引き開ける。
背の低い木々と簡素な柵に囲まれ、平らに地面が均された場所の片隅で一人の老父がしゃがみこんで庭木の手入れをしていた。
「ふむ。ルツィエか」
老父はそう言いつつ立ち上がる。
しゃんと背筋を伸ばした溌剌とした立ち姿。顔に走る皺には年月の重みが感じられるが、表情は明るく若々しい。杖をついているものの、それに頼り切ることなく体を動かしている。
これが前“武の公爵”、ロンドニア・ウェムリット、その人である。
「おじい様。ご無沙汰しております」
ルツィエは令嬢らしく丁寧に一礼した。ロンドニアは片手で制してもう一人の孫へと言葉をかけた。
「そっちのはクルスか。あんじょう上手くやってるか?」
おどけたようにクルスへ笑顔を向ける。当のクルスは引きつりそうになる頬を必死に我慢しながら慎重に答えた。
「うん。まあまあやってるよ」
ロンドニアは孫の考えなどお見通しとばかりにわざとらしく犬歯を剝きだした。
「あとで見てやろう」
クルスは何か反論をしようとしたが、祖父の鋭い眼光によってすごすごと引き下がった。
「さて――、待たせたなお嬢さん」
頼義に向けてロンドニアは殺気を放つ。頼義が静かに当て続けていた殺気のお返しだ。
頼義はにたり、と口角を上げた。
「いンや。別れは十分か、ジジイ?」
「若造が吠えるじゃねえか」
二人は視線を合わせたまま間合いを維持しつつその場から移動する。十分な広さのある場所に移ったところで二人はそれぞれの得物を手に携えた。
「雪吹」
頼義は白銀の短槍を、
「ヒナゲシ」
ロンドニアは漆黒の杖を、
騒がしさはなく、荒々しく双方は武威をぶつけあう。
「はぁ……。二人とも殺しは無しですわよっ」
やはりこうなってしまったか、とルツィエはぴりぴりとひりつく頬を指先で撫ぜた。
二人の達人はルツィエのため息が聞こえているのかいないのか、返事もせずに見えない火花を散らす。
「名乗りな、お嬢さん」
二人はそれぞれが得意な構えをとる。頼義は穂先を上に向けた中段に、ロンドニアは石突きを接地させずに下段に。
「弐式武闘流、筧頼義」
「ウェムリット舞踏術、ロンドニア・ウェムリット」
仕合の始めはとても静かなものであった。
二人はにらみ合ったまま動けない。素人であれば把握することも難しい男女の機微にも似た些細な牽制のやりとりがあった。
頼義が穂先を微動すれば、答えるようにロンドニアがにじりよる。
先手を取らされたのは頼義であった。
縮地法にも似た膝から下を全く駆動させない足運びで、ロンドニアの間合いの裡へと飛び込む。
「弐式武闘流『花押突』」
愚直なまでに真っすぐな刺突、単純な攻撃だが相手の体の芯を捉えた突き技だ。避けるためには大きく体を動かす必要があるだろう。
対するロンドニアは杖の石突を少し浮かして、雪吹の切っ先を受け止める。針の孔を通すような緻密な杖さばきだった。
ロンドニアはにやり、と口元を歪めた。
「面白れェッ!」
挑発された頼義は間髪なく刺突を繰り出す。
「弐式武闘流ッ『散り松葉』!」
目にも留まらぬ連続突き。並大抵の武人であったなら瞬く間に蜂の巣状になるだろう。
まばたきよりも速く突き出される頼義の槍を、ロンドニアはひとつずつ丁寧に漆黒の杖で迎え撃つ。
武具の打ち合いにより気流が生まれ、派手に土埃が舞う。永く続くかと思われたこの攻防も遂には均衡が崩れる。
頼義の左手が中指より緩んだのだ。義手の操作に不慣れな頼義のミスだった。不意の現象に槍の打点が数ミリずれるのだが、達人同士のやり取りでは致命的な隙となる。
「ウェムリット舞踏術、“返礼”」
ロンドニアは雪吹の穂先を側面から叩きつけ、巻き取るように頼義を誘導する。
まるで、ダンスパートナーの手を引くように半歩で頼義の懐に飛び込み、片足を蹴り上げる。
自らの頭部を狙った足刀を頼義はあえて頭突きで受けることで防御する。頼義の身体の頑丈さを知り得ないロンドニアからすれば目を剥く結果となる。
だが、歴戦の勇士でもあるロンドニアはすかさず老人とは思えない身のこなしで反転し距離をとった。
後方に跳び退った反動をそのまま生かし、頼義に踏み込み先を悟らせない足さばきで彼女の鼻先へと飛び込む。頼義は慌てて雪吹を引きもどし、迫りくる漆黒の杖を防御する。
――ウェムリット舞踏術“襲歩”。
ウェムリット舞踏術の最も基礎的な技で、全ての術技の起点となる足運びだ。緩急をつけた足運びは対する相手のリズムを崩し、隙を作りやすくする。
ウェムリット舞踏術はその名を冠するように元は宮廷舞踊の流派の一つであった。
優美さと緩やかさを追求した貴人の為の舞踊であったが、イエスト三爵国拡大期、戦場に出る事が多く、また夜会でも多数の刺客を差し向けられることとなった、時のウェムリット公が己ひいては周囲の貴人を護衛するために改良し、武闘術の側面を取り入れて完成したのがこの『ウェムリット舞踏術』だ。
舞踏術としての術理と武闘術としての術理が存在し、ウェムリット家の子らは両側面を修めて一人前、口伝される奥義を扱えて皆伝とされる。




