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「ギアッチ商会のあった地区、あそこは所謂緩衝地帯なのですわ」
荷馬車の護衛という気を張り詰める仕事からひと時開放された頼義はルツィエに幾つかの質問をしていた。質問といっても、ルツィエの知りえる範囲内で良いからと、ミラボー公国とはどのような場所かを問うただけであった。
ジュスト・ギアッチが手配をした宿は、遠目からでも確認できていた噴水にほど近い所にある、“ホテル・白鯨”という高級ホテルであった。他国からの賓客をも迎えることがあるというこの宿は、周辺に貴族の邸宅や別邸が多くある地域にあった。彼女たちが通ってきた地域と比べると浮浪者の数も少なく、衛兵の数も多く見受けられた。
頼義が前世で幾度か宿泊した老舗のホテルと変わらないようなラウンジで、二人は向かい合って座っていた。
「ミラボー公国は、他国では違法と断じられる大凡の犯罪行為が違法ではないのですわ。こと、薬物関連に至っては国家が推奨しているものまであるくらいです」
革張りのソファーの上で体を沈み込ませる頼義の姿に眦を細めながら彼女から投げかけられた疑問をひとつずつ解いていくだけだ。
「この国は芸術の国と呼ばれ、世界各地から芸術品が集まると共に、美術品の筆頭産出国でもあるのですわ。その所為か、国を挙げて芸術活動を奨励し、また、それに連なる様々な物の規制を緩和しているのですわ……結果として治安が悪く、衛兵がその場にいたとしても何もしないことが多いのです」
「つまりは、芸術活動と名の付くことならなんでも許されるってことか」
「流石に殺人だけは完全にクロですが」
話し続けて喉が渇いたのか、ルツィエは手近のボーイを呼び寄せ、飲み物を頼んだ。
しばらくして、軽食と共に紅茶が運ばれてくる。
「さて、話を戻しますが、この国の政策がそのような所為で他国から買付けに来た商人たちとの間で些かの衝突が絶えず、漸次の解決策として行政特区のように比較的取り締まりの厳しい地区を設けているのです。それがあの場所で、この国の内情を象徴するような場所ですわ」
「俺たちは俺たち、お前たちは俺たちに過干渉するなと」
「皆が皆、自分の芸術に夢中なようにみえて、根っこの部分では一致している変な国ですわよ」
ルツィエが上品に口元を隠して笑うと、頼義は揚げ足をとりたくなるのだ。
「あのウェイターが変な目で見ていたぞ」
「うそ! さっきの言葉は取り消してくださいまし」
「冗談だ」
けらけらと頼義が笑い、ルツィエは頬を膨らました。
「お嬢様方、失礼いたします」
頼義が軽食のサンドウィッチに口元を汚していると、しずしずとウェイターの男性が彼女たちへと声をかけた。
「如何しましたの?」
「公国騎士団の方がクリップ様の護衛へお取次ぎを願っております」
二人は顔を見合わせた。遅くとも顔合わせは明日になると思っていたからだ。
「わかりましたわ。こちらにお通しください」
「畏まりました」
そう言ってウェイターは踵を返す。しばらくして、彼は同じ軽鎧を身に着けた男女の二人組を引き連れ戻ってくる。
「貴様らがクリップ氏の護衛らか」
開口一番、ブルネットの頭髪を短い三つ編みにしている女性騎士が高圧的な態度で口をひらいた。すかさず隣に立っている男性騎士が口先だけで謝罪を述べる。
「すまないね、私たちは公国騎士団よりクリップ氏あてに派遣された者だ。君たちが護衛で間違いないか?」
「ええ、コルン傭兵でクリップ商の護衛を担っているルツィエ・ミレエッタですわ」
「カケイ・ヨリチカ」
頼義はあえて無愛想につっけんどんに返す。彼女の態度を女騎士は鼻で笑った。
「私は公国騎士団、警備隊の副隊長を任されているレミという者だ。こちらは私の副官であるナタリーだ」
ナタリーは頼義の体をまじまじと睨め付けては、鼻で笑った。
「ふん。コルン傭兵団はよほどの人員不足とみた、このような学のなさそうな幼気のない少女までをも要人警護に駆りだすとはな」
「ナタリー、控えなさい。……申し訳ない」
表面的には利かん坊の部下を窘めるうだつの上がらない上司、といった構図であったが、頼義はレミと名乗った男性騎士の瞳にも侮りが含まれていることを見抜いていた。
ナタリーの言葉は彼女にとっては良心からくる本音なのだ。彼女がプライドの高さを悪く発揮するのはおそらくこの場だけではなかった。あえてその言動を矯正することなく放置し、イニシアチブを握るためにレミがそれを利用しているのだ。
「少なくとも場を弁えられないような発言をする見た目だけの騎士サマよりかは、頭の回転も、腕っぷしも良いだろうけどな」
頼義はその挑発にあえて乗ってやることにした。ルツィエもそのことに異論はないのか、押し黙って事の推移を見守っている。
レミはあえて付け入る隙を見せつつ、主導権を取ろうとしている。こういった輩を派遣するこの国家上層部の政治的な思惑が透けて見えるようだ。勝負を打診して負けたらタタントラを説得しろ……ああだ、こうだ……と言うつもりだろうな、と頼義が思っていると、
「貴様より私が劣るというのか! いいだろう、ミラボー公国警備隊の強さを見せてやる――表へ出ろ!」
想定よりも数段もひどく短絡的なセリフがナタリーの口から飛び出した。
頼義としてはもとよりこういった話の流れに持って行くつもりでナタリーを煽ったが想像以上に効果を出してしまった。
「すみませんが、ヨリチカさん? でしたっけ、部下のお相手をしてはいただけないでしょうか?」
レミは胡散臭い三日月の笑みを口元に浮かべて抑揚のない声で言い放つ。ルツィエ達を侮る彼も案の定、部下を窘めるどころかこのまま話を押し進めるようだ。
「いいだろう。なあ、ルツィエ」
ルツィエに水を向けると、彼女は二つ返事で了承したのだ。