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「ソシモ、そんなに気を落とさなくともいいのよ? 広域探知魔法の欠点ならだれもが知っているのだから」
昼間の一件から、明らかに気落ちしているソシモにルツィエは声をかけるが、ソシモは曖昧に口元を歪めるだけであった。
「姫さま、慰めは不要。僕の魔法もまだまだ、だったという事さ」
夕暮れ時、既定の野営場所へ到達した隊商は馬車で円陣を組み、中心を布で簡素に覆う。
箱馬車、幌馬車によって周囲に漏れ出る焚火の灯りは遮られ、空へとのぼる煙も天幕にみたてられた布によって分散し、薄く立ち昇るだけだ。
護衛として雇われた傭兵たちはいくつかのグループごとに固まって食事をしている。護衛対象である商人たちは傭兵たちから離れた場所で腹の探り合いをしていることだろう。
いくら野営用に地ならしがされていようともこの地は獣たちの楽園。篝火を煌々と焚こうものなら、熱に惹かれた獣どもが押し寄せるだろう。
それにこの地には惑わしの呪いがある。例え散開しようとて案内人の“加護”の範囲から逸れてしまうと意味がない。
「ソシモの旦那の魔法は見事さ。アレは俺の視界に偶々入ったからの偶然さ」
頼義は昼間に仕留めた跳び牛の仔牛、その肉にかぶりつく。幼気な少女の口から齎された、素人(らしき少女)の目視より劣るという非情な現実にソシモは手に持っていた木製の食器を地面に落とした。
広域探知魔法は術者によって細かな差異はあるが、総じて質量の大きなモノを優先して探知するという欠点があった。跳び牛の子供のような然程大きくはない対象物は不得意なのである。
しかし頼義には前世にて鍛え上げられた独自の――修験の秘とも呼べるような――気配察知法があり、それがソシモの探知魔法を上回っていた、それだけの事である。
「よ、ヨリチカさんはちょっと口を閉じてもらえますぅっ?」
ルツィエは慌てて土のついた食器を短詠唱から創りだした水で流す。食物は一切載っていなかったことが唯一の救いか。
「ん? ホントウに偶々だったんだが?」
無慈悲にも頼義の悪気の無い……至って本人は大真面目に偶然だと思っているのだが、追撃の一言がソシモの胸に刺さる。
「ウグッぅ」
ソシモは奇妙な声を出して背中を曲げて俯いた。
「ヨリチカさぁん!?」
「お前ら……よくこんな危険地帯のド真ん中で談笑なんかできるな」
少しばかり憔悴した表情で憎まれ口を叩くのは、メドロン商会が護衛頭『緋剣遣い』アドルフォであった。
この隊商に彼の護衛対象であるメドロン本人は参加していない。メドロンはあくまで出資者、そして商会の会頭である。そんな重要人がリスクの高い隊商に参加することは稀であり、護衛対象もいないのに彼の懐刀だけが隊商に参加しているのは不自然とも言えた。
「まあ、私たちは慣れていますから」
ルツィエは誇るでもなく柔らかな微笑みで返答する。
「慣れている?」
アドルフォは頼義に模擬試合で頼義に負けた次の日には雇い主であるメドロンに頭を下げていた。『今回の隊商に参加させてくれ』と。
最初は頭ごなしに、にべにもなくあしらわれた。メドロンからすれば自らを守る盾の一枚、そして自由に使える私兵の一つを短期間か、もしくはそれ以上手放す事になるし、今のタイミングでアドルフォを隊商護衛につけてしまえば戦闘に勝てない者は容赦なく左遷する冷血漢とみられる。そのイメージはメドロンが日頃考えている商人像からは遠く離れたものだったからだ。
隊商の出発までの数日間、アドルフォはメドロンを説得し続けた。アドルフォ自身もなぜこんなにも必死に交渉しているのか見当もついていなかった。だが、漠然とあの少女についていけば何かが変わるような、そんな気がしたのだ。
隊商がメイベリーを出発するその前日、やっとメドロンは重々しくも首を縦に振ったのだ。
「ええ。私たち傭兵は――今でこそ、戦争のない平和な今でこそ、市井で生活していますが、元来の生活の場は戦場ど真ん中。言うなれば今この場とそこまで差異はないのですわ」
「……俺は野に下りてからすぐにメドロンの旦那に拾われたからな。やっぱ本職は違うな」
「あら。なんとまあ殊勝になって。ヨリチカさんに喧嘩うった時みたいな威勢はどうしたので?」
メイベリーを発ち早3日。隊商には頼義たちの他にも各商人から雇われた護衛が数人ずつ、帯同している。安全な街道を進む訳ではないため、周囲警戒を交代制でやりくりできるだけの人数が確保されていた。
ソシモとはチームを振り分けられた際に出会った。まさか、ルツィエの知り合いだとは頼義も思わなかった。彼女曰く、同じコルン出身の傭兵ではあるらしいが。
そして、アドルフォと同じ休息時間になるのは出発してから初めての事であった。
アドルフォはルツィエの問いに曖昧な苦笑を返すだけだった。
「敗北は男を強くする。ってか、いいねぇ若いねぇ」
「ヨリチカさんにだけは言われたくないと思いますわ」
「ガキんちょ! 向こうに無事着いたらリベンジしてやるからな、首洗ってまってろよっ」
威勢よく吐き捨てて、アドルフォは持ち場へと戻っていった。
「おうよ。稽古つけてやっから期待しとけ」
ひらひらと頼義は手を振り、食事に戻る。
「ああいう輩には好感が持てる」
頼義は椀に盛られた麦粥を手に取り、ちびちびとスプーンで啄む。
「数日前に殺されかけたというのに?」
「あンなので俺がやられる訳ねェだろうよ。ノーカンだよノーカン」
彼女はルツィエの台詞を吐き捨てるように笑い飛ばした。
「喧嘩に負けて、それでも闘志を失わずに敵であったおとこ……い、いや、敵であったヤツに何度も挑むのは並み大抵じゃできねえよ」
男、と言いかけて現在の自らの容貌を思い起こしてしどろもどろになる。
「そう、ね」
ルツィエは納得できたような、出来ないような、曖昧な微笑みを返した。
「ほらソシモも、いつまで落ち込んでいるの。明日は警戒役から外されているといっても戦闘をしなくても良いということではなくてよ。さっさと片付けて休みますわよ」
ルツィエは小さく柏手を二度打つ。それが合図となり各々は食事を終えた。
その日も隊商は列の乱れもなく悠々と行進していた。
「えらく今日は静かだな?」
そう、頼義にむけて宣ったのはコルンから同行していた商人のタタントラからであった。
彼は馬車の御者席で自前の幌馬車を御している。隊列を組んでいる関係上、然程操作は必要ないのだが、それでも馬を御する人間は必要だということで彼自身が手綱を握っているのだ。
「戦闘も無ぇ、狩るような手ごろな獣もいねぇ、そらよぉ静かにもなるってもんだ」
頼義は幌の中から御者席の背もたれに後頭部を載せて返答する。彼女の前方にはガラクタや骨とう品の詰まった木箱や布で包まれた武具が積まれていた。
タタントラはミラボー公国でがらくたを売るらしい。彼曰く、かの国では芸術家たちが経済を回しており、彼らの感性を刺激するモノがよく売れるという。だが単に決まった商材はなくこういった一見価値のなさそうなモノがとんでもない高値で売れることがままあるそうだ。
「ルツィエみたいに瞑想やらなんやらはしないのか?」
頼義とタタントラが会話している間にもルツィエは件の魔法的な訓練を行っていた。それに加え、ソシモも先日のやり取りから火がついたのか、頼義の探知範囲を超えるべくルツィエと同じ訓練をしていた。
くぁあ、と頼義は欠伸をする。
「筋トレとかもやってみたんだが、どうも肉の付きが悪くてよ。ちょっと考え中なんだわ」
ガラン、と遠くもなく近くもない場所から襲撃を知らせるベルが鳴る。どうやら今日の斥候役が敵の接敵を確認したようだ。
少し身を乗り出して周囲を窺ってみると、隊商の前方あたりで鈍色の鎧を身に着けた男が箱馬車から身を躍り出す。
『緋剣遣い』アドルフォだ。腰に命綱を巻き付け、特製の手甲に直剣を滑らす。
刹那、叢からトビウオのような生物が飛び出たと思うと、アドルフォから放たれた緋色の礫が炸裂し、頭部を破裂させて絶命する。一連の動作は全て空中で行われており、草の上へ着地したアドルフォは脇目もふらず後方へと跳びのく。だが目測を誤ったのか、当初の箱馬車よりもやや後ろへと着地したのだった。
「さすが商会の護衛頭。あの程度の獣は歯牙にも掛けんか。けどよ、勢いありすぎて案内人の“加護”から外れちまってら」
タタントラはそう評して笑い飛ばす。
「俺の目にはただ目測を誤ったように見えたが?」
「いくら当人が真っ直ぐ歩いているつもりだとしても必ず逸れちまう。それが巨人平原の怖いところさ」
頼義はふと、思いついた事を彼に訊ねる。
「昔はどうしていたんだ? 俺が聞いた話じゃあ巨人の王とやり取りが始まったのはメイベリーという街ができてから……なら、それ以前はどうしていた? って事だ」
「あー、ああ、知ってるぜ。俺も物知りのじいさんからの又聞きだが」
彼女は興味深そうに体勢を変えて背もたれに寄りかかる。
「メイベリーが街になるずっと前、まだ三爵国がその名前となる以前の話だそうだが、巨人平原のど真ん中に両断するように鎖が伸びていたらしい」
「鎖ぃ? まさかそれを辿ってたってワケじゃ」
「そのまさかだ。勿論だが案内人なんて居る筈もなく、飯を食う時も寝るときもその鎖から手を離せなかったそうだ」
「って事は殆ど飲まず食わずで横断したってことか! すげえな昔のヤツってのは」
「横断が成功する人間なんて一割にも満たなかったらしい」
まるで砂漠越えのようではないか。頼義ははるか昔に平原を踏破した偉人たちに敬意を表する。
「メイベリー領主の祖先……そりゃあもう途轍もなく遠い祖先らしいが、無謀にも命綱一本での平原越えを試みたそうだ。道中、死に体の彼を拾ったのが巨人の王だった」
隊列は恙なく進んでいる。
「7日の間語り明かした二人は盟約を結んで交易を始め、それが領主の子孫代々継承されてゆき、今に至るって感じだな」
頼義はなるほどと一つ頷いた。気付けば馬車の隣を小川が並走している。清流の中で河魚が悠々と泳いでいる。ヒトにとっては死地にも等しい平原内だとしても、そのほかの生物にとっては関わりはないのだ。