17
~巨人平原~
・惑わしの草原、己の魂に従順な者のみが生き残る。
隊商の進みは遅々たるものであった。荷馬車と荷馬車の間隔も狭く、平原を越えて売り捌く商品が詰まった木箱や布袋が多数搭載されているのに加えて、最低でも一つの馬車に御者と護衛が一人ずつ乗っているのだから荷馬にかかる負担は相当なものだ。人間の徒歩程度の速度があるだけでも重畳であろう。
道なき道ではなく、轍のある土の道を辿っているのだが馬車同士が衝突しないように気を遣いながらの移動であるためその歩みは酷く遅い。
それというのも平原案内人の加護が及ぶ範囲というのが、隊商の先頭から最後尾まで……数値にして約半径二十米弱。今回用立てた馬車八台でぎりぎりの範囲であった。
「右翼! 来るぞ!」
右翼方向からの襲撃を知らせるハンドベルが鳴り響く。見通しのよい平原では息を潜めて敵をやり過ごすという事は出来ず、可及的速やかに襲撃者を撃退する事が求められる。
「私がっ」
箱馬車の屋根へ上り、威風堂々と仁王立ちしたルツィエは腰に提げていた短剣を抜く。
ごく軽装の、鋲付き革の胴当てと急所を覆い隠す程度の防具を身に着けた彼女は、魔法杖としての機能をも持つ短剣の切先を油断なく右翼へ向ける。
ちらりと視線を隣の箱馬車へ向けると、敵の襲撃をいち早く察知した斥候技能に長ける傭兵《同業者》が単眼鏡で彼女と同じ方向を見据えていた。
魔法使いでもあるツルィエはその男性が精度の高い広域探知系の魔法を使用している事を把握していた。故に未だ敵影が見えずとも魔法を紡げるのだ。
「水沫よ・徹し抜け……」
ルツィエは鍛錬の末に会得した、短縮化した詠唱呪文を滔々と紡ぎ、短剣の切先に魔法を停滞させる。
広域探知系の魔法の利点はその名の示す通り、広域に渡って術者の得たいものの情報を読み取れるという事。難点は大まかな方角程度しか認識できないことにある。
隊列は一糸乱れず轍の上を進む。ルツィエの視界には青色の空と緑色の草原のみが映る。
「見えた!」
「……大矢の如く!」
斥候の声と共に草原の中に彼の照明魔法が飛来する。照明として使うには暗く、だが敵の位置を指示するには十分な曳光と速度をもって。その後を追うようにルツィエの持つ短剣より生じた水の大矢が飛翔する。
照明魔法が目標地点に到達する直前に、背の高い緑草の根本から襲撃者が姿を現す。
宙を蹴り、跳びあがるソレは、蛙のような発達した後脚を持った茶毛の成牛であった。
スコック・ブレア。跳び牛と渾名される牛型のセウラーヴァ《次なるもの》である。
跳び上がったところをまるでクレー射撃のようにルツィエの水の大矢が撃ち抜く。どさりと音を立てて死骸となったスコック・ブレアが地面に落ちた。
スコック・ブレアは巨人平原に分布する生物の中で最も数が多く、平原を通過する隊商がいの一番に警戒する“猛獣”である。強靭な後脚で地面を蹴り、跳躍するように突進をして狩りをする。巨人平原特有の背の高い草の植生も相まって油断していた所を……と不意を突かれやすいのだ。
対処法は二通り。スコック・ブレアはその身体構造上、直進にしか突進できない。それを利用して突進をやり過ごして逃げ去るか、もしくはルツィエと斥候の男……ソシモが実演したように、探知系の魔法を遣える者と中・遠距離を狙撃できる手段を持った者が組むことで突進をされる前に片を付けるというやり方だ。
襲撃者一頭を片付けて、牛歩なみの走行を続ける馬車の屋根から傭兵二人は周囲を見渡す。
「残存は?」
一拍、間を置いてソシモは探査魔法を走査する。ルツィエはうなじあたりに探査魔法を受けた際の独特なひりつきを感じながら、彼の返答を待つ。
「敵影ナシ」
戦闘の終了を告げるその言葉を聞き届けてから、ルツィエは短剣を鞘に戻した。
「ねえ、ソシモさん?」
ルツィエはゆっくりと肺に溜まっていた空気を吐き出しながら、今回の隊商護衛の二人一組となる男性へ声をかけた。
「なにかね、姫さま」
ソシモは八方目で風景を視界に収め、警戒を継続しながら応じる。
「あの跳び牛の死体、回収できませんの?」
「無理ですな。こう話している内にも遠ざかっているし」
襲撃があった事すら感じさせず、隊商が動きを止めることはない。
「あれ、美味しいですのに……」
ルツィエは恨めしそうにスコック・ブレアの死体を流し見ていた。するとひょこりと、彼女の下から頼義が顔を覗かす。
「そんなにあいつって美味いのか?」
「ええ、それはとても。発達した後ろ両足が特に」
頼義は顔を覗かせていた車窓から這いだしてルツィエの隣に立った。彼女は先日のような可憐なドレス姿ではなく、くるぶしで絞られた淡色の袴のようなズボンに、上半身には鞣し革の暗褐色のチョッキを羽織っていた。
片手にはくすんだ鈍色の短槍が握られている。メイベリーの街で手に入れた“精霊憑き”の短槍だ。刃は所々小さく欠けたままだが、薄らと張り付いていた埃が拭い取られ、見目には、『廃棄品』ではなく『使い古し』と言えるまで回復していた。
「そうか。なら今日の晩飯に期待だな」
そう云うと、頼義は短槍の石突にロープを括りつける。
「ヨリチカさん……?」
「ちょいと、場所借りるぜ」
頼義はルツィエを除け、箱馬車の屋根に大股を開き立つ。進行方向真正面を見据えると、手に持った槍を大きく振りかぶり――、投げた!
オリンピック競技者の如く洗練されたフォームから放たれた短槍はぐんぐんと飛距離を伸ばし、数十メートル先の叢へと鋭く突き刺さった。
「ソシモさぁんよぉ、ひっぱるの手伝ってくれんか」
着弾から遅れて、尾を引いたロープが彼らの頭上からふわりと落ち着く。
「ん、良いが?」
ソシモが回答しきる前に頼義は綱の一端を彼に遣った。
「ぬおっ! 中々重いなこれは!」
ソシモは何の疑問も持たずにロープを引く。カタギの人間であれば幼気のない少女が短槍を投擲しただけでも驚愕に値するものだろうが、ソシモの順応の早さは彼の傭兵としてのキャリアが長い事――理不尽な命令に対する耐性があること――を示していた。
進行方向にロープの先があるので割と難なく頼義が射貫いた“モノ”を回収できた。
どう、と鉄鋼で補強された箱馬車の外壁に短槍で貫かれ絶命しているソレが打ち上げられる。
「跳び牛の、仔か?」
「丁度視界にいたから、な」
「ハハ、お嬢さんは斥候の僕より目がいいんだねぇ……」
自慢の探査魔法にも引っかからなかった獲物にソシモは乾いた笑い声をあげた。