7話
「いやぁぁぁぁぁぁあああああ!」
寧々が叫ぶと、彼女の体から黒い何かが盛大に溢れて体を覆った。先程よりも色濃く、真っ黒なオーラを纏う寧々は、最早誰なのか認識出来ない。対峙するオカルト部の三人はその様子を見てそれぞれに身構え、その黒い何かを警戒する。
「……もう直ぐトドメだね。頑張ろうか、咲良、昭八」
静かに言った祓詞を横目に、昭八が叫んだ。
「うぉおっしゃあ! 俺がブッ飛ばしてやんぜぇ!」
「昭八、黙って。役割はいつもと同じよ。私がカタをつけるわ」
咲良は至って冷静。指先を寧々に向けると、祓詞と昭八が寧々に飛びついた。
「邪魔よぉ! どいつもこいつも邪魔ばかりしてぇ!」
叫んだ寧々の声は普段の彼女のものとは思えないくらいに太く、荒々しい。そして向かってくる二人を左右の腕一本ずつで受け止める。右は祓詞で左は昭八。
「ぐぅ! さっきより半端ねぇ力だな!」
「す、少ししか持たない! 咲良、急いでくれ!」
ミシミシと二人の体が軋む。寧々の発する、人なのか獣なのか分からぬ呻き声が家中に響き渡っている。様々な音が混じり合い、最早何が音を発しているのか……この場にいる誰もがそんな事に気を回す余裕などは無い。気を抜いた奴は死ぬ。それだけがハッキリと分かる事であった。
「……待って、もう少し」
咲良は目を閉じ、息をゆっくりと吐き出す。不思議な事に、風も吹いていないのに、咲良の白い髪はサラサラと流れている。少しずつではあるが、長さも伸びているようだ。
「がぁっ!」
寧々が唸り、拳を押し切り昭八達を突き飛ばした。
「「ぐぁっ!!」」
一気に玄関の扉まで飛ばされ、咲良の直ぐ横に叩きつけられる。
「く、くそがッ!」
昭八は直ぐ様立ち上がると、再び寧々に向かって飛び掛かった。
「どぉりゃあっ!」
「がぁっ!」
寧々は腕を薙いで昭八を壁に叩きつけ、反対の腕でパンチをお見舞いする。
ドガッ!ドガッ!ドガッ!と何度も叩きつけられる拳には一切の慈悲など無い。何度目かのパンチでついには壁を突き破り、昭八が壁の先へ吹き飛ばされる。
「……嘘だろ? この空間の防御能力を上回るなんて……昭八っ!」
祓詞が叫んだ時、彼にも黒く巨大な腕が襲い掛かった。
「ぐはっ!」
まともに一撃を受け、壁に叩きつけられる。ズルズルと崩れ落ちそうになるが、祓詞は踏み止まり寧々の方を睨み付けた。
「ま、まだだ。こうなったら形振り構っていられない……」
そう呟くとゴソゴソとポケットから札を取り出し、人差し指と中指でピンと挟む祓詞。
「けっ。初めっから使えってんだよ」
ガラガラと瓦礫を踏みながら昭八が復帰する。口からは血を流し、体中ボロボロなのが一目で分かる風貌をしている。
「すまない。あんまり使うと咲良が怒るからさ、美味しくなくなる。ってね」
「へっ。今は味の心配する余裕はねぇだろうが」
「そうだね……はぁっ!」
祓詞は札を寧々に向かってシュッと投げ付ける。寧々の眼前に来た札は、ピタリと止まり、発光し始める。
「少し、痺れるよっ!」
そう祓詞が叫ぶと、札がバリバリと電撃を放つ。その電撃は札より前方にのみ放たれ、後方に位置する祓詞達には影響は無いようだった。
「ぐぁぁぁぁぁああッ!」
バリバリと感電する寧々。その苦しそうな叫びが祓詞の表情を歪める。
「うぎぃぃぃぃぃッ!」
辛そうな叫びが耳を劈く。堪らず目を瞑る祓詞。
「……ゴメンね、寧々ちゃん」
しばらく苦しそうな叫びが続き、堪らずに祓詞が声を漏らすと、それと同時に電撃が治まる。力を使い果たした札は燃え尽き、祓詞はズルズルと壁を背にして座り込んだ。
「……待たせたわね。準備完了よ」
黙っていた咲良がそう言うと、ゆっくりと目を開く。先ほどより深い赤色をした瞳、伸びた犬歯。白い髪も肩甲骨辺りまで伸び、ザワザワと蠢いている。その姿はまさに吸血鬼。西洋の有名な妖怪である吸血鬼そのものだった。
「ははっ。遅いよ、咲良……」
祓詞の声にならない声に、咲良は答えない。
「ごめんね、寧々ちゃん。貴女のお母さん、私が戴くわ」
ニヤリと笑った咲良は、ゆっくりと一歩踏み出した。
「じね゛ぇ゛え゛え゛!」
寧々の黒く巨大な拳が咲良に伸びるが、祓詞が割り込み、拳は咲良に届かなかった。
「やっちまえ! 咲良っ!」
「言われなくても……」
咲良は呟くと、寧々に飛びつく。
「戴きます」
涎を飛び散らせ、ガバッと大きく口を開ける咲良。耳まで裂けるほどに大きく開いた口が寧々の肩に勢いよくガブリと噛みついた。
「ぎい゛や゛ゃあ゛あ゛ッ!?」
寧々が叫ぶのを、まるでお構い無しに、咲良はヂュウヂュウと吸い付く。
「あ゛あ゛あ゛ッ!? 吸う゛な゛ぁ゛! ぎ、ギザマ゛ぁ゛!」
みるみる内に縮んでいく寧々。いや、寧々が縮んでいるのではない。彼女が纏った黒い何かが檜山咲良に吸われていっているのだ。
「ぎゃあ゛あ゛ッッッッ!」
最早寧々は叫ぶ事しか出来ないようだ。咲良はなおも、ヂュウヂュウと吸い付いている。みるみるうちに小さくなる黒いモノ。喉を鳴らして飲み込んでいく咲良。異様な光景を見守る二人の男子。
それから三分もすると、すっかり黒いモノは吸い尽くされてしまった。力無く立ち竦む寧々に、それを支えるように咲良は腕を回して首に抱き付いている。
「ぷはっ」
咲良が寧々から離れると、寧々は力無く倒れ込んだ。意識を失ってはいるが、呼吸と共に体が動き、生きている事を知らしめていた。
「ご馳走さま。寧々ちゃん。でも残念ね、本物のお母様も吸ってみたかったわ」
咲良は満足そうな顔で口元をハンカチで丁寧に拭く。寧々が倒れた家の中は、しばらくの間静寂に包まれるのであった。
「終わった……な」
静寂の後、血だらけの昭八が祓詞を支えながら言った。二人の体からは赤い煙のような物が出ており、眼の赤色は抜けている。
「えぇ」
静かに応える咲良。髪の長さは元に戻り、犬歯も伸びてはいなかった。
「結局ありゃあ、何だったんだ?」
「……きっとあれは、悪霊の一種だよ」
くたびれた様子で祓詞が答える。
「悪霊? じゃあコイツの母親は悪い霊になっちまったって事か?」
昭八は横たわる寧々を見て言った。
「いや、適当に彷徨ってた浮遊霊や、別の悪霊が寧々ちゃんに憑りついたんだろう」
「そうね。色んなモノが混じった味がしたわ……添加物の味もね」
「添加物……きっと寧々ちゃんの力だろうね。この子、才能あるかもしれないな」
祓詞の言葉に、一同は言葉を発さずにいる。黙って見つめた先に居る寧々は、穏やかに眠っているように見受けられた。
「さて、とりあえず寧々ちゃんを安静にして、撤収するわよ。手筈はいつも通り。父さんには連絡しておくわ」
寧々を二階の寧々の部屋と思わしき部屋に運び、ベッドに寝かせる。女子高生の部屋とは思えないくらいに何にも無い部屋に、一同は言葉を失ってしまう。
「……んじゃ、ズラかるかぁ」
「昭八、そんな悪者みたいな言い方しなくても……僕らは別に悪い事した訳じゃあないのに」
「あ? 人ん家ぶっ壊しておいてそれはねぇだろ。悪い事に決まってんじゃねぇか」
「それは……そうだけど、ほら、今から咲良のお父さん達が直してくれるし……」
「祓詞ぃ、直せば壊しても良いわけじゃねぇだろ? これだから金持ちはよぉ」
言い合いながら部屋を出て、三人は階段を降りていく。そんな中、咲良は振り返り、部屋の扉を見つめる。
「……またね、寧々ちゃん。幸せにね」
その呟きが寧々の耳に届く事は無かったが、咲良にはそれで良かった。
きっとこれから先に待っているであろう、寧々の長い人生が少しでも良いものであるように、咲良は願うが、彼女はその願いを叶えるのは彼女自身であると知っている。故に自分らはこれ以上は関わるまいと決めたのだ。
「おい咲良、置いてくぞ!」
「うるさいわ昭八、黙って」
そうは言いながらも、咲良はその顔に僅かに笑みを浮かべ、階段を降りていくのだった。
「咲良、霊体って美味しいの?」
「美味しいわ。何よ祓詞、食べてみたいの?」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「祓詞ぃ、俺らにゃどうせ食えないんだし、気にするだけ無駄だって。それより咲良、菓子でも何でも良い、作って来てくれね?」
「えぇ、良いわよ」
「咲良の作る物は何でも美味しいからね。楽しみだなぁ。あ、霊体の味を再現してみるっていうのは……」
「何よ。やっぱり食べてみたいのね」