3話
地獄先生ぬ~べ~、大好きでした。
駅前通りで檜山先輩と会った、次の日の昼休み。私はいつも通り、由美と昼食を摂ろうとしている。相変わらず私達は二人でご飯。相変わらず、クラスには馴染めない私。
何も変わりは無いはずなのに、今日の由美はとても静かだ。昨日の事があったからだろう。それと関係は無いだろうけど、朝からクラスの皆が私を見て何やらコソコソと内緒話をしているみたいで気持ち悪かった。
――私、クラスの皆と仲良くなれるのかなぁ……まだ四月なのに、さすがにこれってマズい、よね。今日は由美も静かだし……こういう時にどうすれば良いのか、全然分からないよ。
「……それでさ、寧々、その……」
物思いに耽っていた私は、由美の戸惑うような視線でハッと我に帰る。
「ん? あ、ご、ごめん。ちょっと考え事してて」
「大丈夫……えと、言いたくなかったらごめん。もしかして、それ……」
由美はそう言って、私の右目の眼帯と、左手首に巻いた包帯を指差す。
――あぁ。さっきから由美が静かなのも、クラスの人達がコソコソ話しているのも、これのせいか……
「どうか、したの?」
私を心配してくれているであろう由美は、まるで小さな子どもみたいに泣きそうな顔をしている。
「あぁこれ? 実は、昨日の夜階段から落ちちゃってさぁ……」
ペロっと舌を出し、私は努めておどけた様子で言った。口の中も切っているので、唾液が多少沁みて痛いが、まぁ気にする程では無い。
由美にはお母さんからのお仕置きだなんて、とても言えない。見えない場所には湿布や絆創膏が沢山貼ってあるなんてのも、当然言えない。でもきっと、由美は気づいているだろう。
彼女はウチの家庭環境を知っている。いや、厳密に言えば察していると言うべきか。行動力のある由美なら、家に乗り込んで来そうだけれど、私がそうして欲しくないと察しているようで、知り合ってから数年経つが未だ家に来た事すら無いのだ。
「そ、そうなの? だ、駄目だよ? 気を付けないと……」
「うん、ありがとね、由美。さぁ、お腹空いちゃった♪ ご飯ご飯♪」
明るく振る舞う私を、由美は尚も心配そうに見ている。由美の優しさが嬉しくもあり、申し訳なくもある。しかし私は、この状況を変える術を持ち合わせていない。今はただ、由美の優しさに甘えるだけだ。
「……大丈夫だよ~。ちょっと痛いけど、見た目ほどじゃないから」
「嘘……絶対嘘だよ、そんなの」
「嘘じゃ無いよ? 本当に痛くなんて無いんだから」
大きな嘘。全身ズキズキする。でも、顔になんて出さない。大丈夫、そういうのは得意だから。
痛みに耐えたり、何でも無い風に過ごすのは、慣れているから。例え骨が折れていても、平静を装える自信がある。
「う~。今日、家まで送って行く! 心配だもん!」
ずいっと前に出て私に迫る由美。涙ぐんでいる。昨日今日と、連日で由美の涙は見たくない。
でも、だからと言って家に来てもらうのはちょっとまだ……正直言って困る。
「ありがと。でも、由美は今日バイトの初日でしょ? 初日からすっぽかしちゃダメだよ」
「う~……」
しゅるしゅると小さくなって席に戻る由美。凄く申し訳ない気持ちが私の胸を支配する。
――ごめんね由美。本当にごめん。
心の中で謝るけど、実際に口には出せなかった。これ以上家の話題を続けたくはない。話題を変えよう。
「あ、それとね、由美。申し訳ないんだけど、バイト、やっぱり一緒に出来ないや」
口に出してから、しまったと思った。あんまり話題が変わっていない。
「えぇ!? もしかして許可、出なかったの?」
「……うん、内申書の為に部活に入りなさいって」
「あちゃ~……まぁ、仕方ないよね、寧々ん家には寧々ん家の事情があるもんね」
ガックリと肩を落とす由美を見て、怪我をしていないはずの胸が痛んだ。家の話題を切るのはここしかない。
「本当にごめん。今度何かオゴるから許して?」
拝むように両手を合わせ、努めて明るく言う。この流れなら由美が言う言葉は大体想像が出来る。
――由美ならきっとカフェオレかイチゴオレ辺りを奢れと言ってくるはず……
「むぅ、仕方ないなぁ。由美ちゃんは優しいから、購買のカフェオレで許しちゃる」
許す、という割りには、腕を組み、ぷいっと顔を背ける。私はそんな由美を見て小さく笑った。
――良かった。思った通りの流れで。
「あ、じゃあさ、また部活探ししなきゃならないんだね。それも面倒だね」
パッとこちらを向き直す。切り替えの早い由美は個人的に凄く好感度が高い。反対にネチネチと話題を掘って深く聞いてくる人は苦手だ。
この流れに乗ってくれているのか、天然なのかは分からないけど、由美は今日これ以上、私の怪我の事や家の事について聞いてくる事は無いだろう。
「そうなのよねぇ、もう面倒だから、適当に決めちゃうよ」
会話が私の思った通りに進んで行く事に安堵した。とはいえ、部活探しをしなければならないのは本当に面倒だ。
――今日見学するところで決めちゃおう。ドツボにハマりそうだし。
「それが良いよ。入っちゃえばどこも一緒じゃない?」
「そんな事も無いと思うけど……」
私は苦笑い。由美はすました顔でパンにかぶり付いている。本当に切り替えが早くて助かる。
――本当に由美と友達で良かった。私には由美だけいれば良いかも……
そんな事を考えながら、私は痛みに耐えながら、ゆっくりと昼食を食べ始めた。
時は進んで放課後。文化部部室棟、通称、文化棟に私は来ていた。ここはグラウンドから近い為、窓を開けると運動部の声が響いて煩いそうだ。しかし、エアコン完備らしいので、快適な空間の下で文化を学べるらしい。
「あら。寧々ちゃんじゃない。部活、まだ決まらないのかしら?」
文化棟の前で、檜山先輩が後ろから声を掛けてくる。相変わらず大きな声では無いのにハッキリと伝わる声。とても綺麗で羨ましい。
運動部の怒声が響く中、檜山先輩の声は不思議なくらいにスッと耳に入ってくる。私はホッとした気持ちになりながら振り返った。
「檜山先輩! こんにちは~」
ホッとした気持ち?何だろう、檜山先輩を見ると安心する自分がいる。いや、檜山先輩を探しに文化棟に来たような気さえする。
不気味だと怖がっていた頃が懐かしくさえ感じる。ほんの数日の出来事だと言うのに。
由美には申し訳ないのだけれど、とても人を殺した事があるとは思えなかった。いや、殺せるとは思わない。華奢な体でどうすれば殺せると言うのか、私には思いつかなかった。
「……ふぅん。ねぇ寧々ちゃん。今日はオカルト部に来なさいな」
檜山先輩は私の顔をまじまじと見ると、真顔になって言った。人形のような顔立ちの、赤黒い二つの瞳に吸い込まれてしまいそう。
この時私は、先ほどまで感じていた安心感が全て消え去るように感じられた。蛇に睨まれたカエルのような、捕食者を前にした小さな生物になったような錯覚を受ける。
一瞬でここまで印象が変わる事があるのだろうか。運動部の喧騒がまるで水の中から聞こえるように雲って聞こえるし、ザァっと吹きつけた風の温度さえ感じない。
「え、と」
私が答えを出しかねていると、檜山先輩は私の右手を掴む。その瞬間私はぎょっとして小さな悲鳴を漏らしてしまう。
「ひっ」
――つ、冷たい。なんて冷たい手なの?
生きている人間の体温とは思えない。氷のように冷たいその手は、掴まれた場所だけではなく、私の全身を冷やしているようにすら感じられた。
「さぁ、行きましょう」
「あ、ちょ、ちょっと……」
小さな体からは考えられない、意外な程に強い力で引っ張られ、私はそのまま文化棟の二階の一番奥、オカルト部の部室に連れて行かれたのだった。
「次、次! ようやく俺達の出番だぜッ!」
「どーどー」
「だから動物じゃねぇって言ってるだろッ!」
「では、次回にお会いしましょう。僕達も楽しみにしています」