問題編②
「──と、言うわけで、三日前──十月二十四日の二十二時八分頃、バイト帰りにやられたそうや。まあ、あんな人気のない道を一人で通ったんやから、自業自得とも言えるけどな」
注文を終えると、安藤は事件の概略を説明してくれた。その間、全く興味がないとばかりにひたすら煙草を吹かしていた緋村だが、彼の話が終わると、意外にもすぐさま質問を投げかける。
「その現場っつうのは、どこなんだ? F駅への近道ってことは、この辺なんだろ?」
「ああ、ちょうどここのすぐ裏の通りや。後で現場検証でもしてみるか?」
「気が向いたらな。──ユカさんは観たいテレビがあって近道を使ったそうだが、彼女がそこを通ることを予想できた人間は誰だ?」
「俺含めて、容疑者──ってことにさせてもらった二人──は、みんなわかったんとちゃうかな。テレビのことを知ったのは職場におる時やったみたいやけど、そのこともツイートしとったし。
近道については、バイトの時とか授業の時に周りの人間に話しとったはずやから、虻川や峰尾の耳に入っとってもおかしない。無論、俺も同じや」
なかなか絞り込めそうにない。当然と言えば当然だが、推理を積み上げる為の情報がまだまだ足りないようだ。
「ユカさんは犯人についてなんて言ってたんだ? なるべくありのまま教えてくれ」
「ありのままって言われても……俺はただ、『あんな酷いことするなんて思わんかった。あんたなんか、こっちから願い下げや』って詰め寄られただけやからなぁ」
「え? それじゃあ、お前はどうやって事件について知ったんだよ」
「ああ、これや」
彼はスマートフォンを取り出すと、少し操作してから、向きを変えてこちらに差し出した。
テーブルの上のそれを、僕と緋村は同時に覗き込む。すると、そこにはツイッターの画面が表示されており、どうやら例の安藤の彼女の呟きのようだ。
「呆れるやろ。あいつ、事件のことも呟いとったんや。もしかしたらツイッターが原因で襲われたのかも知れへんのにやで」
「ナルホド……つまり、お前はツイッターを見て事件の存在を認知したわけだな」
無論、答えはイエスである。
どうやら彼女は、暴漢に襲撃されたことですら、呟かずにはいられないらしい。僕自身はピンと来ないが、ツイッターやSNSの更新を「日課」にしている人間からすれば、身の回りで起きた事件はどんな物でも発信しなければ気が済まないのだろう。
ツイートの内容によると、犯人は中肉中背の男で、身長はだいたい一七五くらい、右手に鈍器のような物を持っていてそれで殴打されたとのことだった。安藤から聞いた以上の情報はほぼないに等しい。
「これだけじゃ、よくわからないな。──虻川と峰尾は、この特徴に当て嵌まるのか?」
僕が尋ねると、安藤は少し目線を上に向けてから、
「そうなやぁ、峰尾はちょうど一七五くらいやけど、めっちゃ痩せとるわ。虻川については、会ったことないからようわからん。けど、ユカ曰く『どチビ』やそうやから、一七五はないんやないかなぁ」
二人とも、少しずつ犯人の特徴から外れている。となると、残りは安藤だが──
「おいおい、当て嵌まるのはお前だけじゃねえか。素直に自首したらどうだ?」
意地悪そうに笑いながら、緋村が言う。彼の指は、いつの間にか新しい煙草が挟まれていた。
「勘弁してくれ。だいいち、俺が犯人やとしたら、わざわざ二人に事件のことを話さへんやろ。疑われとるとは言え、何か証拠を掴まれたわけやないし」
それももっともな話だろう。疑いを他に向けたいのだとしても、もっと別にやりようがあるはずだ。
「じゃあ、アリバイはあんのかよ?」
「もちろん。その日は一晩中、サークルの同期の家で麻雀やっとったんや。ハコらされたけどな。──二十一時頃に集まってからは、常に誰かと一緒におったで?」
「本当に一人になる時間はなかったのか?」
「そりゃ、お花を摘みに行く時は別やけどな」戯けた口調で言う。「ちなみに、その同期の家はK駅の近くや。当然ながら、トイレに行くフリして急いで現場まで行って、ユカをぶん殴って帰って来るなんてこと、できへんからな」
K駅からここ──の最寄りであるF駅──までは、電車で一本の距離だ。さすがに手洗いと同じ時間で犯行を終え往復するなど、できるはずがない。なかなか堅牢なアリバイである。
ちなみに、彼の言うサークルとは映画研究会のことだ。
「なんか、できすぎなくらいのアリバイだなぁ」
「しゃあないやろ、偶然そうなったんやから。──とにかく、俺は潔白なんや。そのことをユカにわからせる為にも、真犯人を挙げてくれへんか。このままやと、俺が逆にフラれることになっちまう」
「いいじゃねえかそれで。元から別れたかったんだろ?」
「けど、格好付かんやろ? 自分からフるのと相手にフラれるのとは、全く話が変わって来るわけで」
そう言う物なのだろうか? 色恋沙汰と無縁な僕には、よくわからない。
「わかったわかった。──そんじゃあ、取り敢えず、事件の前のツイートも見させてもらうぞ?」
身を乗り出した緋村は、画面をスクロールする。事件に関するツイートの前は、話に挙がっていたテレビ番組の件と、後はやはり職場の愚痴が呟かれていた。
「この日は、虻川って人もバイト先にいたんだな。けど、ユカさんよりも一足先──二十二時前に上がってるのか」
独白のように言う彼の隣りから画面を覗き込んでみると、そこにはかなり辛辣な言葉が見受けられた。「足を引き摺る歩き方がキショい」とか「やっと帰ったわ。てか、コロンの匂いキツすぎ。あんなん嗅がされとったら、エズいてまうわ」とか──本当にこの上司のことを嫌っていたようだ。
「峰尾のことも書いてあるな。──ふむ、たまたま客として来店したのか。こっちも酷い言われようだけど……どうやら、課題でもやってたみてえだな」
「ドリンクバーとミニピザで粘りすぎやろ。うっとおしいわぁ」や「図書館やないんやから」の辺りの文章を読んで、そう判断したらしい。
「やろうな。授業で提出するシナリオがまだできてへんって言っとったし。ホンマは峰尾も麻雀に誘ってたんやけど、それで断られたんや」
「じゃあ、彼にもアリバイがあるってことか?」
僕が尋ねると、安藤は首を「いいや」と振る。
「ユカが上がった時には、峰尾はすでに店を出とったらしい。実は俺、二十二時ちょうどにあいつに電話したんや。そしたら店の外におるようやった。なんでも、『まだ完成してへんから、続きは帰ってからやるわ。徹夜になるやろうから、カフェイン摂って頑張る』って言っとったな」
「峰尾の家はこのへんなのか?」
「ああ、ちょうどユカのバイト先を挟んでF駅の反対側にある。現場からの距離は、だいたい徒歩二十分くらいやな。近くにコンビニすらない住宅地って感じのところや。一応スーパーがあるそうやけど、二十時には閉まるって嘆いとったわ」
「ふむ。──ところで、峰尾とした話ってのはそれだけだったのか? なんでもいい、気が付いたことがあったら教えてくれ」
「うーん、つっても、ほんの二、三分話したくらいやからなぁ」
記憶を辿る為か、安藤は天井を見上げる。
「……あ。そう言えば、峰尾の奴誰かと一緒におるみたいやったな」
「なに? 誰なんだ、そりゃあ」
「いや、俺もようわからんけど、近くで男の声がしたから」
突然明らかになった、謎の男の存在。果たして、その人物は事件と何か関わっているのだろうか? そして、もしそうなら、峰尾のアリバイの証人となるのか、それとも……。
「その男はなんて言っていたんだ?」
考え込む僕の隣りで、緋村が急かすような口調で問い質す。
「確か、何かを『忘れるな』って言ってたような……。悪い、よく覚えてへんわ」
忘れるな──いったい何のことだろう? それだけ聞くと、なんとなく因縁めいたニュアンスを受けるが……。そんな言葉が、事件の直前に容疑者の傍で発せられたと考えると、なんだか少し不気味な気さえする。
──月夜の呟き、か。
呟き声なのかはわからないが、そんなフレーズがふと浮かんだ。
「……『忘れるな』、か。それは──」一瞬考えるように言葉を途切らせてから、「関西弁で言ってたんだよな?」よくわからない問いを発した。
「ああ、せやったわ。割と砕けた感じの口調で、『忘れんといてや』って言っとったはずや。──けど、それがどうかしたんか?」
「まあな……」
曖昧な返事をしたかと思うと、それっきり彼は黙り込み、テーブルの上の一点に目を落とした。普段は死んだ魚のように淀んだ黒目が俄かに輝き始めたところを見ると、何やら手がかりを見出したらしい。
しかし、これまでの話のどこにそれがあったのか。全くピンと来ない僕は、またしても事件の真相を見抜けそうにない。
緋村が黙したことで安藤も口を閉ざし、座に沈黙が降り立った。周囲の喧騒が、先ほどよりも鮮明に聞こえて来る。
──と、思ったところで、最初と同じ女性店員が、頼んでいたドリンクを運んで来る。すると、僕と安藤の前に置かれたのは、中サイズのジョッキに注がれたビールだった。
「ん? どないしたん?」
「えっ、いや──ナマチュウって、ビールのことだったんだなって」
「当たり前やろ。知らんと頼んどったんか?」
知りませんでした。もっとこう、チューハイ的な物かと想像していたが……頼んでしまった以上我慢するしかあるまい。
などと考えていると、何か隣りの方からの視線を感じた。何故か緋村が、僕の生中を凝視しているのだ。
「どうかしたのか?」と、今度は僕が尋ねかけた。
が、そうするよりも先に、彼はカシスオレンジと伝票を置いて立ち去ろうとする店員──制服に付いた名札によると「高野」と言う名前だ──を呼び止める。
「すみません、教えてほしいことがあるんですけど」
「はい?」
そして、緋村の口から発せられたのは、意外な質問だった。