神罰
天国へと続く階段を登る運命にあると諭される主人公のキリス。その階段は、大きく弧を描く螺旋階段であり、どこまでもどこまでも上へと続く。地上の土を“方舟”へと運搬する“土運び”達の休憩場所であるジャンクション“大舟”にて、一行は狂人ケラに出会い、キリスは“方舟”の転覆を画策する革命団の一員に迎え入れられる。
広場には人だかりができている。
「えげつねえぜ」
「ここまでしなくても……」
キリスは嫌な予感がした。人を掻き分けて先頭に出た。赤い頭巾をした魔女と、黒装束の付き添いが数人で、磔にされたケラを取り囲んでいた。黒装束は、赤い粉の詰まった土嚢を抱えている。
「お前には聞きたい事が山ほどある。残りの粉はどこじゃ? 粉を奪った目的はなんじゃ? 協力者は何人じゃ?」
魔女がケラに詰め寄るが、ケラは黙っている。
「おぬしが盗んだのは、紛れもなくミミズク様の物。一体どういうつもりじゃ?」
魔女は杖の先をケラの額に押し付ける。
「ぐっ!」
ジューという音とともに細く煙が上がる。ケラの額には黒い焦げ跡が残った。見物人はそれをよく見ようと、好奇心のままに身を乗り出す。
一番初めにキリスの頭をよぎった考えは、これも計画の一部なのか、という事だ。しかし、すぐに思い直した。作戦では、土蜘蛛を粉で釣って方舟に乗り込むことなのに、赤い粉が黒装束に回収されていては振り出しじゃないか。つまり、これはバッタ達にとって非常事態だ。
「粉はミミズクの物じゃない。俺達はお前達の物じゃない」
ケラが拷問にかけられているというのに、バッタ達が見当たらない。バッタ達はこの事件を知っているのだろうか。
キリスは考えた。バッタ達革命児が何か打開の策を講じているとしたら、誰かが魔女の注意を引き付けて、時間を稼がなくてはならないだろう。
「お婆さん、この少女もお探しなのではないですか」
無言の少女の肩に手を置こうとしたが、さっきまでそこにいたはずの無言の少女はいつの間にかいなくなっていた。キリスは焦った。魔女は怖い顔をこちらへ向け、怪訝そうにしていたが、しばらくしてキリスの事を思い出したようだ。
「おお、いつぞやの」と言い、「こっちへおいで」と手招きし、何かを耳打ちする手振りをした。キリスは言われるがまま足を前に進め、耳を近づけた。
「バカモン! 異端者を審問している最中じゃ。横から口を差し挟むでないわ」と大声で不意を突かれ、杖で突き返された。
「受けた恩は恩で返すのが当然じゃ。ところがこの男、恩を仇で返しよった。わしらはひどい仕打ちを受けた。受けた仕打ちは必ず返す。さて、どうしてくれよう、どうしてくれようぞ?」
魔女は意地悪そうに杖で地面を叩く。
「しかし、わしも鬼ではない。条件をつけて罰を軽くしてやろうぞ。これだけの粉を動かそうと思えば、大勢の協力者が必要じゃ。首謀者は何人じゃ? 首謀者の名前を全員言えば、お前の罰を軽くしてやろう」
「ちくしょう。あの杖を思いっきり蹴り飛ばしてやりたいぜ」
隣にいた見物人が小さい声で悪態を付いた。魔女は、人々に激しく憎まれている。
「いいだろう。全員分言ってやる」
ケラの予想外の答えに魔女は目を丸くし、反逆分子を一網打尽にできる期待に胸を高鳴らせた。
「おお、やっと言う気になりおったか。ほれ、言うてみい」
ケラはもったいぶるように間をとった。ケラは、見物人を含めてその場にいる全員の注目を集めた。
「首謀者はただ一人、俺一人だけだ。名前はケラ」
魔女の杖がバキッと二つに折れた。
「コケにしおって~! お前が一人で全ての責任を負う、そういう事じゃな?」
ケラは脅しに屈しない。
「お前は誤解している。俺さえ処刑すれば鎮静化するなどと。だが意志は消えない。俺がいなくなっても、俺の意志を継ぐものが必ず現れる」
「もうええわい。お前には何を聞いてもまともな答えを返さない。体に直接聞こう。お前の覚悟が口先だけのものかどうかがすぐに分かる」
魔女は右腕を突き出した。
「失われた粉の分、その身に少しでも感情を溜め込めんでもらうぞ。希望通り、存分に苦痛を味わえ!」
魔女は右腕の袖をまくり、かろうじて『火』と読める模様の、光るタトゥーを指でなぞった。タトゥーが消えると同時にケラが燃え上がった! ケラは叫び声を上げた。周囲はざわめきたち、その場にいた多くの者が悲鳴を上げながら逃げ出した。
「ほら、早く言わないと、叫び声すらあげられない体になるぞ」
その時だった。
「俺も首謀者だ! 俺も協力したんだ! 罰するんなら俺も裁け!」
群衆の中に隠れていたバッタが、ケラの惨状を見るに見かねて声を張り上げた。涙で顔をしわくちゃにし、声は恐怖で裏返っていた。
「犯罪者同士がかばいあい、わしを馬鹿にしくさりおって。何度も言うが、共犯者の名前を全員分言ってもらうぞ」
その時高笑いが起こった。その笑いは、苦痛の叫びをあげていたはずのケラからであり、例えようも無く不気味で、得体の知れないおぞましさがあった。魔女のこわばった表情を見ても、魔女もそう感じ取ったに違いない。
「バカヤロー、なんで来たんだ、どうして次の機会を待てないんだ。泣くな、みっともない。こんなもの苦しくもなんともない。むしろくすぐったいくらいだ。もっとだ、もっと! 全然足らないぞ!」
魔女の顔が恐怖で歪む。
「そんなはずはない。人間に耐えられるわけがない。狂っておる……その願い叶えてやる!」
杖の文字が消え、ケラを包む炎が勢いを増した。ケラの高笑いが再び絶叫に変わった。
「ヒッヒッヒ。見え透いた強がりも無駄じゃったな!」
左腕を前に突き出しながら魔女は言った。
「お主らはどうせ共有者じゃろ? お互いがお互いのマナを知っているはずじゃ。相手のマナをさらせ、どちらでもいい。早くわしに協力した方が有利だぞ」
「”カラマーゾフ”だ」
体の半分以上が焼けただれたケラが即座に答えた。
「ど、どうして?」
バッタはショックを受けた。魔女は開いた口が塞がらない様子だったが、やがて思考が追いついた。
「ヒッヒッヒ! ついに辛さ苦しさに耐えかねて、仲間を売りおったわ。お前達の絆なんてしょせんその程度、マナでお互いの口を封じておくべきじゃったな。マナにはそういった使い方もあると、思いつかなかったか? 実にあっけなかった。生意気な小僧、”カラマーゾフ”よ。お前が知っている反逆者の名前を洗いざらい言ってもらおうか」
「えげつねえぜ」
「ここまでか」
「聞こえよがしに拡散しやがって……」
残っていた見物人は事件の決着がついたと思った。その時だった。ケラの体に異変が起こった。パキパキと全身が硬くなったかと思うと、体のあちこちに亀裂が入ったのだ。その隙間からは砂が零れ落ちている。
「神罰だ!」
見物人の一人が叫んだ。
「なんと、生意気な小僧のマナではなかったのか。厄介なことになった。まだ何も聞き出せていないというのに!」
”カラマーゾフ”は、バッタではなく、ケラのマナであった。マナには必ず従わなければならない……その掟を破った時、自分で自分の存在を否定した事になり、あらゆる能力が消失するのだ。その現象を人々は神罰と呼んだ。
「くっ、やむをえん。背に腹は変えられない」
魔女は、砂の柱になってしまったケラに近づき、ケラの胸に腕を突き刺した。赤く光る塊を取り出したかと思うと、それを砕いて粉末にし、袋に収めてしまった。
「後は掃除じゃ。“ヘンゼル”いでよ」
魔女がそう唱えると、地面に円形の陣が現れた。陣は光る文字で構成されており、火という文字が多数書かれている。
「見てはいけないものを見られてしまったからの。手荒い手段だが、目に焼きついた光景は忘れてもらうぞ」
陣の文字が一斉に消えた。キリスを含めて見物人全員が火に包まれた。胸が熱い。
「後で書き直さんと」
叫喚の地獄の中、“重心”を奪わんと慣れた足取りで迫り来る魔女に対し、キリスは怒りを感じずにはいられなかった。
「おばあさん、もう止めにしませんか」
現状を打破できる勝算があるわけではなく、自分が出しゃばって状況が好転するとも思えなかった。その後、どうするか、あるいは、どうなるかを、考えての行動ではなかった。人を人とも思わないような横暴が当然のように行われている。非道で残虐な行いを目の当たりにし、怒りと興奮で我を忘れていた。
なぜ、こんなひどい事ができるのか。
「またおぬしか。では、おぬしに問い返したい。罵られて、なぜ罵り返してはいけないんじゃ? 奪われて、なぜ奪い返してはいけないんじゃ? 殴られて、なぜ殴り返してはいけないんじゃ?」
魔女はキリスの言葉を跳ね返す。
「おぬしも重心を抜くところを目にした。悪いが何もかもを忘れて、もう一度、風の受難を受けてもらうぞ」
魔女が迫り来る。この窮地をどうやって乗り越えたものか。キリスは記憶を手繰り始めた。キリスの心の中では、ずっと何かがひっかかっていた。それは小さな違和感であった。赤い流体の魔物、火を見た時の群集の異常なおびえ……二つの記憶が結びつき、一つの推測が心に浮かぶ。人々は、火を知らないのではないか? さらに、必ず従わなければならないマナの掟、とすれば……起死回生の可能性を秘めた一つの思いつき。頭から爪先に電流が走った。試してみる価値はある! キリスは手を前に突き出した。
「なりません!」
心配して迎えに来た天使の声を背中に感じた。しかし、キリスは意を決していた。
「”カミナリ”よ、姿を現せ」
その瞬間、ジャンクション中が強い光に覆われた。空間にバリバリと白い亀裂が入り、すさまじい轟音と振動が走った。キリスの思惑通り、光の十字架がジャンクションの近くに落ちたのだ。魔女も天使も群集も、衝撃波から身を守るために這いつくばらなければならなかった。着弾による振動と、轟音による衝撃波が去った後の静けさの中心に、たった一人その影響を受けずに立っているキリスを認め、全ての人が、今しがた召還された巨大なエネルギーの支配者を疑わなかった。人々は驚いた顔をしている。キリスの予感は的中した。人々は雷を知らないのだ。
「僕の記憶を奪うことは許さない。僕の記憶は僕が僕である唯一の証明だ」
キリスは、天使と初めて会った時、階段を登り始めた時、薄幸の女性や土運びや中毒者、バッタ、キアゲハ、テントウ、ケラと出会った時の事を思い出していた。
魔女の放った火は全て、衝撃波によって消失した。魔女は地面に這いつくばっている。
「おおお、これは一大事、早くミミズク様にお伝えせねば」
すっかり戦意を失った魔女は、黒装束の手下と共に逃げ去っていった。
※ ”カミナリ”はマナなので、マナによって「姿を現せ」と命令されれば出てこなくてはなりません。マナは人だけでなく、森羅万象あらゆる物に存在します。