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かみてん  作者: チムチム・マイン
土運びの舟
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赤い粉と革命

天国へと続く階段を登る運命にあると諭される主人公のキリス。その階段は、大きく弧を描く螺旋階段であり、どこまでもどこまでも上へと続く。地上の土を“方舟”へと運搬する“土運び”達の休憩場所であるジャンクション“大舟”にて、一行は狂人ケラに出会う。

 そう遠くない場所で、黒ずくめの装いをした数人が男を取り囲んでいる。黒装束の一人は赤い頭巾と鉤鼻が目立っていたため、魔女だとすぐに分かった。魔女は、ジャンクション“泥舟どろふね”の舳先へさき上縁、つまり舟体と階段の継ぎ目から登ってきていたため、キリス達とは道中すれ違わなかった。


「最後にケラを見たのはいつどこでだ?」


 魔女は男を大声で問い詰め、男はもごもごと何か答えたが、魔女が期待した答えではなかったからだろうか、服に火をつけられている。


「やばいけれど、ばれるにしては早過ぎるな。こっちだ」


 魔女から隠れるように、一行は横穴のカーテンをくぐった。キリスは室内を素早く観察した。天井には光る文字で文章が書かれており、室内は思いのほか明るい。ホストは一人、存在感の薄い一人客が数人、そこは情報交換所だった。湿っぽいがひんやりとしていて居心地は悪くなかった。


「やあ、繁盛してないね」


「繁盛していないからこそ、隠れ家として成り立つんだろ?」


 ケラと店長は知り合いのようだ。一行はさらに人目につきにくい隅に移動した。


大舟おおぶねは広いから、ここにいれば魔女に見つかりにくいけれど、それも時間の問題だ。キリス君にもアジトに来てもらおう」


 ケラはワクワクしていた。スリルを楽しんでいるふしがある。店長が板のようなカードを2枚ぞんざいに渡しながら言った。


「へい。追い込まれているな。お前とはなじみの俺だけど、『さっき来ました』とまでは言わせてもらうぜ。灰蛍グレーテールの拷問は受けたくないからな」


「ああ、お前に迷惑をかける気はない」


 ケラとバッタは何やら合図を交わし、その直後、キリスは気を失った。後になって思い出そうとすると、口に布をあてがわれたところまでは覚えていた。


--

 僕は居心地のいい浮遊感の中にいた。僕にできない事はなかった。悩みをことごとく解消し、何にでもなれたし、どこにでも行けた。意思が能力と直結していたからだ。さらに、僕に理解できない事はなかった。あらゆる生命の総和として、認識が永遠を過ごしてきたからだ。空間は光に満ち、恐れや寂しさなどの不足もなく幸福に満たされていた。


 離合集散を繰り返していた光の堆積に出し抜けに興味を持った。指の無い柔らかい手を無制限に伸ばし、僕はその魅力的な球体と相を重ねて同化を計り、世界と感応した。そこで生成する色あいとメロディーと質感の間には、互いに深い関係があり、僕が構築した秩序によって、与えられた配列を繰り返す。


 ふと、ある音に関心が向いた。それは内側から聞こえる音だった。僕は余裕をもてあましていたからか、その音がどうしても気になった。記憶はした。しかし理解が出来ない。今までどんな音をも解釈できなかった事はなく、むしろ、あらゆる事象を音色として整理する事さえできたのに。


 ここで僕は、自分が終わりある存在であるとはっきりと自覚した。


-その音を愛してしまったからだ-


 その音に特別の注意を向けたために、音の持つ位置付けを忘却した。僕は徐々に散らばり始めていた。拡張とは質を異にした膨張であった。希薄化による喪失感は、僕に境界の可視化を選択させた。全てを失う前に、両立を諦めたのだ。変容した僕は、急に色々な事が分からなくなった。なぜ自分は崩壊の運命にあるのか。今までの自分であればすぐに答えられたはずなのに。さらに僕は、どうしても同一視ができなくなり、全体性を失う事に伴って注意が分散した。抽出と照応を介する意味付けに労力と時間を費やすようになった。少し前の自分なら動かせたはずの手の何本かは、意思に反してすでに動かない。体のあちこちが分離し、統合はもはや不可能であった。すると、途端にほとんどのものを認識できなくなった。暫定的な輪郭さえ長くは保てず、体の内部が外への暴露を求めた。動機付けが失われた僕に残された最後の使命は、音を分析する事であったが、音に関わりを持とうとするほど視野は狭くなった。制限を受けた体に出来る事は、せいぜい格付けと重み付けのみだ。


 忘失の連鎖は止まらない。もはや求心力を保てず、回路の離反が加速する。僕は音源を失う事を恐れた。他の何に代えても、それだけはあってはならない。音を理解しようとしたがために、これまで何を失ったことか! それに、まさに後少しで、かつて全能であった時に理解できなかったあの音を理解できそうなのだ。ほら、以前より鮮明に聞こえるではないか……音は色んな成分を有していると初めて知った。音の持つ懐かしさが、僕を惹き付けてやまない。


-その音を知りたいと切望した事が、僕のたった一つの弱点だった-


 僕は耳を澄ましているつもりだったが、そうではなく地面に突っ伏しているだけだった。動けない。僕は大きすぎる自分を維持できなくなっていたのだ。僕が持ち出した原則は、僕の組織にとって記憶が困難だったのか、統制は崩壊した。波が引く様に、僕の元から力が去っていき、強い脱力感が襲った。


 僕には1種類の色・1種類の形・1種類の重さだけが残った。僕は、音を理解するためには自身の消滅が鍵になると考え始めていたので、1種類の意欲は逆に枷に感じられた。しかし、これこそがあるべき姿、記憶に見合った力なのだと妙に納得した瞬間、無力感からかろうじて復帰した僕に、身の丈に合った能力が返ってきた。

--


「ハックション!」


「キリス! おお、戻ってきた。驚かして悪かったな」


 薄暗さの中で徐々に目が慣れ、青い光に照らされた石筍や石柱をあちこちに見つける。ジャンクション下層の洞窟だった。室内を通って上層から下りてきていたのだ。


 夢の中の不協和音は、バッタがキリスを起こそうと呼びかけた声であった。かつて全てを統べる存在だった自分が、あらゆる事を犠牲にしてまで、なぜそんな事を知りたいと思ったのか分からなかった。体と魂が一致した人々の願いを、音と形を手掛かりに叶える精霊の役割を垣間見たキリスは、今しがたの神秘体験を心の中で “多幸感”と表現した。


「さっき、とても不思議な感覚があったんだ。そう、あれは、一言で説明するなら……とても幸せだった……」


 キリスは自分の手を眺めた。指がある。なんて変な形なんだろう。


「ああ、乱暴な事をして悪かったな。粉を吸ってもらったんだ。ここに来る道を見られたくなかったんだよ」


 バッタ以外にも何人かいて、しきりに何か話し合っている。土嚢がいくつも散見され、中身は赤く光る魅惑の粉末だった。キリスの精神は赤い粉を欲しており、粉を吸いたいという強い衝動に襲われた。


「ダメだよ。これは吸うための粉じゃないんだ」


 赤い粉に手を伸ばすキリスを、バッタと青い髪の少年が羽交い絞めにした。動けない、キリスは呻いた。なんて不自由な体なんだろう。


「後一回だけ!」


 キリスの嘆きは鍾乳洞中にこだました。


「しー! 声が大きいって。全員を顕現させる気かよ」


 別の少年が言った。


 石筍と石柱に囲まれた狭いスペースだったが、数人の気配を近くに感じる。視線が集まってばつが悪いと感じたキリスは、バッタのシルエットに話しかけた。


「そう言えば、巨人の指輪を取り返さないとね」


「ああ、あれはもう大丈夫。実は、キリスをおとりにして奴らの気を引く狙いもあったんだけど、一番難しい粉集めが終わったから危険を冒さなくても良くなったんだ。ありがとうな」


 いまだに事情がよく分からない。


「でも、奪われたのは本当なんでしょ? 僕に襲い掛かってきた時の、取り返したい、っていう君の目は本気だった」


「ああ、そうさ、本気だったさ。でも友達を危険にさらしてまで取り返そうとは思わないよ。それに、今は作戦を優先したいからさ。指輪は次の機会でもいいんだ」


 拍子抜けしたキリスは、ふう、とため息をついた。洞窟を淡く照らす青い光が、水晶の階段から放たれているものであると気がついた。アジトからは水晶の階段が見えた。洞窟内を歩いている際に感じた視線は、こういった場所からのものだったのかと合点がってんがいった。見通しは悪かったが、周囲からヒソヒソ声やくしゃみが聞こえる辺り、秘密の会合を行っているのはバッタ達だけではなさそうだ。緩く分割されこそすれ、下層は共有された広い空間で、上層から下層に到達する方法はいくつもあるのだろう。


「アメンボは以前、灰蛍グレーテールにマナを取られたけれど、廃人にならずに帰って来たんだ」


 誰かが誰かに誰かの説明をしている。


「俺は段々と難しい事を要求されるようになった。奴は俺に方舟はこぶねの下層で二つの命令をした。『ここにいる全ての狼男ライカンから重心を奪え』『全ての狼男ライカンを手にかけるな』俺は諦めたさ、だってそんな事はできないと思ったから。神罰を覚悟したよ。けど奇跡は起こった。たまたま下層には狼男ライカンがいなかったのさ。狼男ライカンは共食いをしていて既に全滅していたんだ。結果、俺は神罰を受けずに方舟はこぶねを逃げ出したのさ」


 アメンボと呼ばれた青い髪の少年は、キョロキョロと辺りを見回して落ち着かない様子だ。アメンボと目が合い、キリスも落ち着かなくなったので、キリスは他の少年を観察した。


 腰をかけるのに丁度いい高さの岩がいくつかあり、そこに腰掛けている少年が、脇にいる別の少年に自論を展開していた。


「大切な物を奪うと脅せば従順に従うと思っている。腹を立てる前に諦めて、反抗しないと思っている。土運びや受難者をどうにでも出来ると思い上がっている。俺達にも意思があって、同じ人間なのにだ。俺達はしょせん、奴らの物で、使えなくなれば簡単に捨てる事ができると勘違いしている。俺達が動かなければ、状況はずっと変わらない。犠牲を払う覚悟と勇気が必要なんだ。この革命が成功すれば、受難者にも平等に中層の区画を分配しようとケラは考えている。今までに搾取された労働を考えればそれくらいは当然だ」


「キリス。作戦の計画は半分以上が達成されたんだ、後は方舟はこぶねへ侵入するだけだ」


 突然バッタが話しかけてきた。バッタは上機嫌だ。


「計画はいたってシンプル。粉を渡せば何でも言う事を聞く土蜘蛛を引き連れて方舟はこぶねに乗り込む。もちろん黒装束を着て」


「7着は仕入れたぜ」


 黄色い髪の少年が言った。


方舟はこぶねは入るのが大変だが、一度入ってさえしまえば後は問題ないだろう。そこには大勢の領民。土蜘蛛は俺達の言う事を聞く。つまり……」


「人質大作戦」


 黄色い髪の少年が補った。


「そうさ」


 いくつもの土嚢全てに粉が入っているが、これは土蜘蛛をてなづけるためのものだったのか。もったいないと、キリスはひそかに思った。


「その後は方舟はこぶねの中層を平等に分配する」


「今ようやく革命の全体像をつかめたよ。でも、どうしてそんな大切な事を教えてくれるの?」


「ああ、もう作戦は成功したも同然だからさ。一番の山場は粉を手に入れることだったんだから。それに、キリスはなぜか信頼できる。キリスが純粋だからなのか、受難者だからなのか分からないけど、俺達を裏切らないっていう確信がある。根拠はないけどな。仮に、お前に告げ口されても後悔は無いさ」


 一呼吸おいてバッタは続けた。


「後、実は頼みたい事があってさ。それなのに、こちらの事を何も話さないってのもな」


 バッタはニヤッとした。


「頼みって?」


「この子をここから連れ出して欲しいんだ」


 アジトの奥に案内され、両手首に鎖をつけた黒装束の少女を目にした。


「連れ去られたスズとは別人だった。我ながら情けない失敗だ。顔を確かめられなかったといえ、身内を間違えるなんて」


 黄色い髪の少年が言った。


「ここの鍾乳洞から出て、階段をぐるっと登って上層に連れて行って欲しいんだ。その後は自由にさせて大丈夫。もしこの子の口から革命の詳細が灰蛍グレーテールに伝わっても、俺達はすでに方舟はこぶねに向かっている。というのも、俺達はこれからこの隠れ家を後にするからね。この子を鎖につないだまま残しておくわけにも行かないだろう?」


「分かった」


 キリスは了承した。


灰蛍グレーテールは怒ると赤い魔物を操る。その流体の魔物はいつまでも体にまとわりついて苦痛を与えるんだ。分が悪いから何があってもあいつとは張り合うなよ」


 黄色い髪の少年は、左の袖をまくって黒くなった腕を見せた。


「万が一の忠告さ」


 黒装束の少女と、石筍の隙間を器用に縫いおりて水晶の階段へと向かった。途中に何度も振り返ったが、アジトがどこなのかは分からない。ジャンクションの下層は、秘密の会合を行うには最高の場所だと思った。

キリスと少女は石段に沿って洞窟を抜けた。


「君は何も話さないね。喋ってはいけないことになっているの?」


「……」


 マナを取られる、とはそういうことなのだ。秘密が外に漏れないようにするためであれば、本人が他者と意思疎通できなくてもお構いなしというわけだ。哀れな少女の今後を想像した。革命団に連れ去られたお咎めを受けなければならないのだろうか。


「戻らなきゃいけないの? 好きな所には行けないの?」


「……」


 無言の少女は震えている。残酷な問いかけだったかもしれない。


 階段を登りながら、ジャンクション“大舟おおぶね”を横から眺めたキリスは異変に気がついた。ジャンクション“大舟おおぶね”の様子が何やらおかしい。大舟おおぶねからは怒声や悲鳴が聞こえ、モニュメント付近からは煙が上がっている。


「君、走れる?」


「……」


 少女は無言のまま頷いた。キリスは階段を駆け上がった。

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