黄金の騎士と土蜘蛛
天国へと続く階段を登る運命にあると諭される主人公のキリス。その階段は、大きく弧を描く螺旋階段であり、どこまでもどこまでも上へと続く。道中、絶望に打ちひしがれた薄幸の女性を目にし、彼女を救いたいと思ったキリスは、神なる創造主に出会えたその時には、彼女の罪に対して許しを請おうと心に決める。地上の土を“方舟”へと運搬する“土運び”が、休憩地点として利用しているジャンクション“泥舟”を通り過ぎた直後、キリス達は狼男に襲われる。マナの力で狼男を退けた土貸しのテントウ、世話焼きの少女キアゲハ、魔女に奪われた巨人の指輪を取り返して欲しいと懇願するバッタとともに、一行は歩を進める。
「やあ、遅かったか。中毒者はすでに逃げ出したみたいだね。怖かっただろうけれど涙を拭きなさい将来のレディーよ。恐怖はもう去ったのだから。あなたの泣き顔は誰も見たくないのです」
金色の甲冑に身を包んだ長身の男性が冑を脱ぎ、金髪を風にたなびかせながら階段を下りてきた。甲板で演説をしていたハンサムな騎士だ。
「紹介が遅れたね、灰蛍とドラゴンフライと共に、三人衆の一角を担うスコーピオンとは私の事。テントウ殿、全ての弱き者に代わって礼を言う。私達の大事な淑女を守ってくれてありがとう。こと、妙齢の女性は我々人類の財産だ」
騎士は天使にウインクしたが、天使は気付かなかった。騎士は、天使の気を引いている鬼の形相の巨体を見上げた。
「ああ、こいつは土蜘蛛だ。君達を襲う事は決して無いから安心していい。マナの誓いさ」
そう言いながら騎士は、土蜘蛛の股の下をくぐった。土蜘蛛が大き過ぎて、前に出るにはそうするしかなかったわけだが、その姿が滑稽で、妙に親しみを感じた。
いつの間にか、キリス達も行進に加わっていた。キリスの前後ともに、大勢の土運びが列をなしていた。キリスが見る限り、天使、騎士、土蜘蛛以外の全員が土嚢を背負っていた。キリスは、土嚢を背負っていないがゆえに目立ち、土運び達の注目を浴びた。キアゲハもまた関心を示した。
「土の受難者は素性を隠すために、空でもいいから土嚢を背負うのだけどね。だって、風の受難もあるんじゃないか、って思われるだけだし。受難がバレて得はないもの」
「余りがあれば、貸せたんだけどな」
バッタも自分の体と同じくらいの大きさの土嚢を背負っている。中身はかさを増すための綿らしい。土嚢は、土を運べない者にとっては見栄みたいなものなのか。生前の罪の重さとは関係が無かった。
「大変ねえ。あなた、きっと土の受難がおありなんでしょう? 土嚢を背負われていないですものね」と、登上中のおばさんが話しかけてきた。「主人が使っていた区画をよろしければ使って下さいまし。ぜひ」
「ご主人はどうされたのですか?」
「中毒者になったの。それまでは、とても真面目でいい人でしたわ。でも、ひょんな事から粉に手を出し……粉を始めてから破滅するまではあっという間だったわ。私には妻として止める責任があった。けれど、主人が中毒者になるその瞬間まで、私、気付きもしなかったわ。魔女と交渉していただなんて知らず、妻失格ね。実は、主人には土の受難があったの。だから、大舟の区画を得るために、一体どれだけ苦労したか。その区画もね、使っていないのならいずれは没収されてしまう。そうなるくらいなら、あなたのように土の受難のある人に住んで欲しいって思っているのよ。主人の苦労が無駄になる事が、私には一番耐え難いの。だから、遠慮する必要は無いの。使ってくれた方が嬉しいんだから。それがせめてもの罪滅ぼしなのよ」
キリスは天使の顔を見た。天使は首を左右に振っている。
「本当に申し訳ございません。せっかくのご好意ですが受け取る事はできません」
おばさんは残念そうに去っていった。なんだかとても悪い事をしたような気がした。キリスはバッタを見たが、バッタも首を振っている。
「俺はいらない」
次のジャンクションが遠くに見えてきた。着実に歩を進めている証拠だ。キリスはバッタに聞いた。
「巨人の指輪は次のジャンクションにあって、僕はそれを取り返せばいいんだよね。バッタはその後どうするの? 階段は登らないの?」
せっかく知り合いになれたのに、そこでお別れなのか。友達だと言ってくれたバッタだ、一緒に階段を登りたいと思った。
「俺はその後、ケラの計画の一端をやり遂げるさ。何せ、タイミングが超重要だから。気が抜けないね」
「坊ちゃんはどうするつもりだね?」
テントウがキリスに聞いた。
「階段を登ります」
「そうかい、方舟を目指すのはいい事だ。物とか場所とかが必要な時にはいつでも声をかけてくれ。言ってくれたらいつでも貸してあげるから。最初に自分の場所があると何かと便利だからね。わしはその、これも商売なもんで無償であげることはできないが……坊ちゃんは腕力が不足しているみたいだから、周りと比べれば大変かもしれないけれど、人一倍がんばればいい。皆がんばっているんだからね」
「テントウは土貸しだから、人に貸し出せる程度には蓄えているのさ。けれど、そんなことする必要が無くなるかもしれないぜ。ケラの作戦が成功すれば方舟は俺達の物になるんだから」
バッタが言った。
「また言うておる……」
「方舟が手に入れば、一画をキリスにあげるぜ。巨人の指輪を取り返してくれたお礼にな」
「感心しないわ」
キアゲハが口を尖らせた。
次のジャンクションが近くなってきた。最初のジャンクションより格段に大きく、明らかに立派である事が遠目に見ても分かる。ジャンクション”大舟”は、ジャンクション”泥舟”同様、上下二層から構成されていた。ジャンクション”大舟”を目前に、行進に加わっている土運び達はリラックスしておしゃべりを交わし合っている。
「これだけの人数がいたら、中毒者も襲ってこないよね」
キリスは安心しながら言った。
「いや、逆だよ。護衛が付いていると、当然赤い粉の移動もたくさんあるわけで、その粉を狙う中毒者がいるんだ。普段は一匹狼の中毒者も徒党を組んだりしてね。ほら、見なさい」
テントウが言った。天使もまた震える指で前を指差している。中毒者が三人、騎士と土蜘蛛に飛び掛っていた。土蜘蛛は巨大な槌で二人を振り払った! 何かが砕ける鈍い音がし、二人の中毒者は階段から落ちていった。最後の一人がその隙を付いて騎士に襲い掛かった! しかし、中毒者の試みは虚しく、騎士によって抜かれた剣で喉元から胸を一閃された! その瞬間、行進中から歓声があがった。行進に参加している土運び達は騎士を称賛し、互いにハイタッチしたり、今見た光景をしきりに語り合っている。
「天使ちゃん! 顔色が悪いわ、大丈夫?」
キアゲハが心配した。
「天使ちゃん?」
テントウも心配している。天使は震える指で顔を覆っている。
「なんてひどい事をするのかしら!」
キリスは騎士から目を離さなかった。騎士が中毒者の胸から真っ赤な臓器を取り出し、その赤く光る塊を砕いて袋に入れていたのが気になったのだ。
「あれは?」
「何が?」
「赤く光るやつ」
「”重心”の事?」
「あれって、ひょっとして、赤い粉なの?」
「ああ、そうさ」
赤い粉はドランカンから手に入る……
騎士は赤い粉を土運び達に配り始めた。栄光の中で戦利品を分配する騎士は一層自信にあふれている。
「私達もまた、中毒者と同じ内部構造を持っていると土運びは知らない。“重心”と中毒者の関係は知っていて、それで全てを知り尽くした気持ちになっている。私達もまたそうなのだとは思いも寄らない。言われても信じないし、認めようとしない。私達は同じなのに」
天使は手で顔を覆っている。
バッタは高揚した雰囲気に飲まれ、天使の言葉に気が付かない。大きな歓声の中、天使の話を聞いていたのはキリスだけだった。土運び達のマナの称賛を受けながら、騎士がやってきた。粉を受け取ろうとしない天使と、天使を気遣うキリスに代わって、バッタは騎士に身振りで伝え、キリスと天使の分も受け取った。バッタは素直に喜んでいる。土運び達にとって赤い粉は、中毒者から身を守るただ一つの手段なのだ。
赤い粉を配り終えると騎士は先頭に戻り、行進が再開した。
ジャンクション”大舟”の下層に到達した。土を固めただけの泥舟とは違って、触れても土が零れ落ちない。粘土の性質がある大舟は、土器に近かった。この巨大な構造物を作るのに、費やされた手間と時間に思いを馳せ、人間の可能性には限界は無いと感じた。
「ほら、大舟でさえ、あちこちがつぎはぎだらけ。地表まで下りるのが面倒な時、土運びが手を抜く常套手段さ。いいか、剥げているところが狙い目だ。少しくらい取ったところでバレやしない」
「やめなさいよ、バッタ。悪いことをするのも、もちろん教えるのだって常識的に間違っているわ。全員がそんな考え方をしたら、何も成り立たなくなるもの」
キリスは目を凝らした。確かに剥げている所が散見された。塗装が薄くなった一箇所を、黒ずくめの人が修繕している。
「黒装束にはくれぐれも気をつけろよ、ミミズクの一味さ。壁を削り取っているところを見つかると……まあ、ひどいんだ。積み上げてきたものもおじゃんだしな。でもそれは裏を返せば、失うものが無い始めは、ここから取った方が……」
バッタはテントウに頭をどつかれた。
「お前は一度見つかっておろうに。悪い事を教えなさんな。真面目な坊ちゃんは、真に受けては行かんぞ」
ジャンクション“大舟”の下層のトンネルに入った。外から見た洞窟の内側は真っ暗だが、いざ入ってみると、やはりと言うべきか、水晶の階段が青い光をぼんやりと放ち、道しるべの役割を果たしている。
「いいか、キリス。俺は作戦が成功すると思っているが、だからと言って確実にそうなるとは限らない。確かに俺は、お前に方舟の一画を約束はしたが、そりゃあ、数奇な運命が重なって無理な場合だってある。そうなったら、やっぱり最後には自分の力だけでなんとかしなくちゃならないからな。定住できない受難者は、良識に反してでも知恵を使ってうまくやっていかないとな」
「それは知恵とは言わないわ」
「その通り。がんばって真面目に働きなされ」
トンネルを抜けた。光がまぶしい。キリスは、魔女に聞かされたノーの伝承を思い出していた。
「ノー様という人が方舟にいるの?」
「いないよ。でも元々方舟はノーの物だったんだ。それをミミズクが譲り受けた。一番最初に“方舟が欲しい”と言ったという、ただそれだけの理由で」
「ミミズクはどんな人なの?」
「灰蛍とか土蜘蛛とかを統べている恐ろしい奴さ! ミミズクは能力主義なんだ。働く力のない受難者だって分かれば、それこそゴミみたいに扱うんだ。泣く泣くマナを提供して、汚い事をやらされている受難者はたくさんいる。お前にはそうなって欲しくないけどな」
「バッタは方舟に住みたいと思っているの?」
「そりゃそうさ。方舟に住む事は誰もが望んでいる事、安全だし楽ができるからな。周りを見てみろよ。誰もが土嚢を背負っているだろ? これ全員、方舟に住むためなんだぜ? 方舟の材料である土を決まった量だけ納めれば、区画を分け与えられ、そこに住むことを許してもらえるからな」
キリスは行進中の人々を見渡した。大きさの程度に差こそあれ、誰もが自分の体の数倍はある土嚢を背負っている。