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かみてん  作者: チムチム・マイン
土運びの舟
3/37

鉤鼻の老婆

 黒いローブに赤い頭巾をした老婆が、苦心しながら、それでもゆっくりと階段を登っていた。人がいてもさすがに驚かなくなっていたし、そこまで興味は沸かなかった。薄幸の女性の教訓から、声をかける前に老婆を慎重に観察した。何も背負っていない。もし背負う土嚢の大きさが生前の罪の重さに関係があるのだとしたら、この老婆は善人だということになる。灰色の肌、切れ長の目、鉤鼻が特徴的だ。


「おばあさん、大丈夫ですか?」


 キリスは勇気を出して声をかけた。キリスの小さな体格と、輝きに満ちた大きな瞳は、老婆の警戒心を解いた。


「おお、優しい子どもよ。見ない顔じゃな。なに、段差がきつくての、よっこらせ!」


 鉤鼻の老婆は、階段から転げ落ちたのかと思われるくらい、手や顔が傷だらけで、服もボロボロであった。


「ひどい傷です。痛そうですね……」


 擦り傷や切り傷が気の毒で、そう聞かずにはいられなかった。


「なに、傷自体は取るに足らん。それよりも段差がきつくての。もう少しでジャンクションにつくというのに」


 先ほどからジャンクションという言葉をたびたび耳にする。ジャンクションとは場所の名前であろうと推量していたが『つく』が『着く』である事はほぼ確実だろう。


「ほれ見なさい」


 老婆は杖を掲げ、ジャンクションと呼ばれた場所をさし示した。見上げると楕円形の大きな影が見えた。


「あれがジャンクションなのですね。あそこまで背負って行きましょうか?」


 傷だらけの老人を吹きさらしに放っておくわけにはいかないと思った。老婆は、「おお。それはありがたいことじゃ」と言うが早いか、びっくりするような身のこなしでキリスの背に張り付いた。


「では、善意に甘えるとしよう……あいつらは絶対に許さん。受けた仕打ちはそのまま返してやる! 必ずじゃ!」


 老婆の重苦しい気迫に、果たして自分の判断は正しかったのか、とさっそく疑念が生じた。


「その惨い傷は、もしかしてさっきの二人組のせいなのですか?」


 その予感に心を痛めながらキリスは質問をした。


「カブトとクワガタの事を言うておるのか? ヒッヒッヒ、あいつらじゃあない。マナは掌握済み、あいつらはわしの物じゃ。この傷は次の次のジャンクションから突き落とされたものじゃ。受難者の分際でわしに楯突こうなどと! 凡人は得てして怠惰な上に嫉妬深い。わしのように努力と機転で多くを持っている者の足を引っ張って、利益を得ようとする奴らばかり! 何も言わなければ何も返さないから、こちらからわざわざ出向いてやったら無慈悲で鬼畜な取り立てと抜かしおる。借りたものは返す、と稚児でも知っておろう? 絞り取りが甘かったのじゃ。抵抗の意思は徹底して削いでおかねばなるまいて。甘やかすとどこまでもつけあがるのじゃからな!」


 老婆はそう言いながら、なにやら怪しい液体の入った瓶を取り出したかと思うと、脂ぎった灰色の髪を掻き分け、額の傷に塗りつけた。


「ところで、わしの好物は子どもでの。こと子どもの重心ほど味わい深い物はない。ひんむいてぶちまけてもよいか? もし、体がうまく動いていたならば、おぬしの首をかっ割いて喰っていたじゃろうよ、ヒッヒッヒ」


 鉤鼻をキリスの首筋につけ、魔女は言った。あんまり善い人ではなさそうだ。


「冗談がきついですよ。悪い人のフリをするのがお好きなのですか?」キリスは背中の魔女に話し続けた。話し続けないと喰われる気がしたからだ。「ジャンクションに用があるんですよね。どんな用があるのですか」


 ジャンクションとはいかなる場所なのかが気になっていたので、どんな情報であっても知りたいと思った。


「次のジャンクションの連中なんざ、その大半は、快楽に溺れたジャンキーか、土を運ぶ能力の無い、土の受難者が身を寄せ合っているだけ。今にも崩れる泥舟どろふねよ。そんな所に何の用があると思う? 土運びの中でも最も怠惰な者共は、そもそも地面まで降りず、自分達を守ってくれるはずのジャンクションから土を削り取っていく始末。その点、カブトやクワガタなんざ、地表まで下りているのじゃから幾分マシな方じゃ。まあわしがマナでそうさせているからじゃが」


 魔女は折り畳んだ羊皮紙を取り出した。


「従命管理、これがまた大変なんじゃ」


 そこにはキラキラと光る字で、マナがぎっしりと書き込まれている。


「マナって何ですか?」


 思い切って聞いてみた。

 魔女は、自分の手の平を尖った爪で割き、キラキラと光る赤い液体に先端を浸して、何かを書きとめる準備をした。


「おぬしの名は何じゃ?」


 キリスは天使と目が合った。


「キリス」


 すぐに思い出せた事が嬉く、つい反射的に答えてしまった。かつて、そう呼ばれていた気がする。魔女はしてやったり、といったずるい笑みを隠そうともしなかった。


「キリス、その白い女を突き落とすのじゃ」


 何を言っているのだろう、聞き間違いだろうか。魔女が再び口を開くを待った。ひょっとすると、取り返しのつかない事態になってしまったのではないか。悲劇が起こりそうな予感に、体が冷たくなった。永遠とも思われる程、長い沈黙が続いた。


「ヒッヒッヒ、なんじゃ、マナではなかったか。聡明な付き添いに感謝せえよ。風の受難者はえてして一番大事なものをいとも簡単に手放すのだから。ヒッヒッヒ」


 天使は怒った顔を魔女に向けている。


「そう怒りなさんな。マナだと思ったわけが無かろう。教育じゃよ。あんたがいる限り間違いが起こるわけなんてなかったんじゃから」


 この魔女の目的は、本当にジャンクションに到達することなのだろうか。

 魔女は今しがたキリスを試した。危機は訪れなかったが、その回避はきわめて偶然的なものであった。残念だがこれ以上の事が分からない。なんて無知なんだろう、知らなければならない事がたくさんある。それに、もっと警戒しなくてはならない。このまま分別なく人を信じ続けていれば、いずれ大切なものを失うだろう。

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