偽りと過ちを絶対に許さない者
カワセミの一件が落ち着くと、引き続き、円競い・半妖当て・ものまね大会・閃光氷華・リアル人形劇など、企画されていた様々な催し物が繰り広げられた。
ブレーメンの音楽隊による演奏が始まると、酔いが回った住人達はパートナーを見つけてダンスを始めた。女性がリズムに合わせてクルクルと回り、男性はその手を取りながら円を描くようにステップを踏む。そうして行きつ戻りつしながら、ゆっくりとしたペースで会場全体を一周する。
舞台歌手のくぐもった声が劇場全体に響く。良く言えば長く伸びて粘りがあり、悪く言えばまとわりつくような独特な声の主はエチカだ。住人は、旋律を模倣しながらそれぞれに口ずさんで輪唱する。
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私達は醜い。そして弱く不完全。
私達は欠けている。集まらなければ曝される。
かけがえのない生活を続けたいと思うなら、違いを認めて受け入れなさい。
そんな事が無理だと知りながら、それでもなお。
エチカは弱い者の味方。愚か者の味方。
虐げられる者の味方。かわいそうな者の味方。
好奇・報復・使命感、種々の仮面を使い分け、
白い霞をはらうべきだと、たとえあなたに迫ってきても、ただただ隠し通せばそれでいい。
あなたはここの新しい住人。あなたの居場所はここだけよ。
変わり者。無法者。厄介者。ひねくれ者。
上下のない理想郷にあなたはいる。
居場所のないあなたが根を下ろす、ここがあなたの新しいお家。
質問してはいけない。分からないと言ってはいけない。
あなた以上の識者など、エチカを除いて誰もいない。分かったふりをするのです。
エチカは全てを知っている。
エチカだけが全てを知っている。
キリスは依然としてテーブルに突っ伏して眠っていたが、酔いが覚めてきたからか、共有されているイメージの輝度が下がり始めた。おぼろげになりつつある住人の知覚を介して、キリスは舞台の中心の歌姫を眺めた。みんなに見られるが、また同時に、みんなを見られる位置にいるエチカを。
エチカは白い肌をしていたが、それは、厚化粧によって作られた人工的な白さであった。顔は、その大部分が半透明のベールに覆われている。キリスはエチカの心の中を読もうと試みたが、赤い液が切れかけていたからか、エチカの心の中が分からない。エチカは白い服を着ていた。それは紛れも無くカナリアと同じワンピースだった。その瞬間、かすかに残っていた酔いが吹き飛び、キリスは顔を上げた。赤い液で酔い潰れてから初めてキリスは目を開けた。
「今白は歌姫のコスチュームか! シスターと違ってこれはこれで中々……」「若作りだわ! なんか不相応!」「そのワンピース可愛いよ!」「好きだ!」
けたたましい口笛の中、キリスはエチカをよく見ようと立ち上がった。エチカは大勢の顎者と共に退場しようとしていた。エチカが召喚した青紫色の火によって空気が熱され、浮力を得た舞台が浮き上がる。舞台そのものが、教団専用の大型気球の一部だった。派手に飾り付けられた気球が天井の穴に向かって上昇していく様が、ライトアップされている。
熱狂的なファンに見送られるアイドルのようなエチカと、ベール越しに目が合った。エチカは微笑んでいる。キリスは吸い込まれるようにその顔に見入った。
「もうすぐ黒像か……」
エチカが退場した後、劇場は自然とお開きとなり、住人達はほのかな高揚の中、避難訓練を思わせるような素早さで外に出た。
“エチカを見てキリスは動けなくなる”
気がつくと、キリスの手元では文字が光っていた。眺め回してみると、あちこちで……テーブルだけでなく床の上にまで……台本らしきセリフが散見された。それは、数々の出し物の間に住人同士で交わされた会話であったり、状況を客観的に形容した記述であった。
それらの記述は、グラスが倒れて赤い液が零れ、住人の心と共鳴を得た分が形象化しただけであったが、赤い液の特徴を知らなかったキリスには、住人が、感情に基づく自然な発話ではなく、あらかじめ規定された台本通りに演じていたのではないかと思え、正体不明の住人に対して再び不信の念を抱くとともに、住人に影響力を振るう背後の幻影に怯えた。
それらの記述の中に、ある一節を見つけた。
“私は大丈夫、あなたは前に進むのです”
カナリア! ああカナリア! どうしてほんの片時でもおろそかにできたのだろう。こんな事をしている場合じゃなかった! 眠り込んでいる場合じゃなかった! 変遷する情動にいつまでも揺られている場合じゃなかった! 住人を操る台本に怖気づいている場合じゃなかった!
悪意によってカナリアは閉じ込められ、今この瞬間にも責めさいなまれているかもしれない。だから、助けを求めてメッセージを出したのかもしれない。
カナリアは劇場にいなかった。そのうえ、赤い液で参照した記憶の中で、塔を行き来するカナリアのイメージを発見できなかった。彼女は目を見張るほどの美女であるため、彼女を直接みた者は、なんらかの強い印象を伴って記憶したハズである。彼女が印象に残らないという事はあり得ない。記憶の中の彼女の痕跡は、彼女が夢で襲われている、罪深い鮮烈な光景のみだ。
もはや、エチカが唯一の手掛かりであった。カナリアのワンピースを着ていたエチカに会うしかないと思った。エチカに聞きたい。エチカを追うしかない。エチカに問いたださなければならない。なぜそれを着ているのかと……。それをどこで手に入れたのかと。
エチカがどこに向かったのかは知っている。境界だ。そこは教団の本拠地でありエチカの住まいでもある。エチカは専用の気球で、境界へと直接向かった。キリスは境界の場所を知っていた。境界の場所は、人々の共通の記憶である。劇場の2階層上、ここからそう遠くは無い。赤い液によって、塔で生活するのに必要な知識が短時間の間にキリスに補われていた。
キリスは劇場を出た。
「そんなに急いで、これから竜の雛を狩りに行こうとでも言うのかしら」
「エチカにプロポーズするんだろう、放っとけよ」
アヒル達の言外の制止をあしらい、キリスは境界に向かうべく階段を登った。何かが呼んでいるような気がして、胸騒ぎが収まらない。
人々は次々と壁の亀裂に潜り込み、道行く人間が急速に少なくなる。
キリスはふと、潜り込んだ瞬間に彼らが消えてしまうような気がした。彼らは、自分の目が届いている間だけ存在し、演劇の役目を終えると消えてしまう、そんなナンセンスな想像をした。あるいは、別の場所で異なる登場人物の役割を果たすために先回りして準備している、そんな奇妙な想像を。塔の内側に、住人の生活があるなどと考えるのがわざとらしいと思えたのだ。
……いよいよおかしくなってきた……キリスは心の中でつぶやいた。半ば真面目で半ば不真面目な突飛な着想を笑った。
「どこへ行きたいの?」
アリスが追いつき、キリスに尋ねた。
「カナリアがどこにいるのか教えてほしい」
森を抜けた直後の、“白髪の女は先にいった”というアリスの言葉を思い出して聞いてみた。もちろん、まっとうな返事は当てにしていなかったが。
「白髪の女が考えることなんて、あたしが知るわけないじゃない♪ ただ言えるのは、あの女はあなたを裏切ったってことだけ」
「嘘を言うな」
「ホントだってば! あぁ、かわいそうなあなた♪」
キリスは速いペースで突き進んだが、アリスはいつまでも付いてくる気だ。
「皺の女の元に行かないでよね、これは罠よ。皺はあなたを取り込もうとしている。あなたは自分がどこに向かっているのか分かってないのよ」
「ここは気持ちが悪い。わけが分からない事が多すぎて変になりそうだ。できればどこかに行ってしまいたい」
キリスはアリスの言葉に直接答えずに不満を明かすと、アリスは待ってましたとばかりに食いついてきた。
「竜に乗って遠くに行こ? あたし達二人だけの世界♪ ここは皺の女の影響が強い場所。皺の女が手出しできない遠い所に行こ? あなたが行きたい場所だったら、あたし、たとえ地獄にだって付いて行くわ♪」
アリスはキリスの腕を抱きしめた。
「できれば君がいない場所がいい」
「あん、なんていぢわるなの? やっと一緒になれたのに! あなたと離れるなんて考えられない! ……そんな事になったら自分を抑えられない! 絶対に嫌よ! あたし、爆発するわ!」
「僕達は知り合いだった。僕の事を知っているんだよね?」
「知り合いじゃないわ! 恋人同士だったのよ! どんだけ冷めた奴でも羨むくらいラブラブのね♪」
「僕が記憶を失う前、僕は一体どんなだったのかを教えて欲しい」
「見てないの?」
赤い液によって開かれる自らの記憶の事である。アリスは意外そうに、そして残念そうな顔をした。キリスは、カナリアのイメージを探るのに手一杯だった。それに、立場の弱い者をいたぶる情景を目の当たりにし、アリスに深く立ち入るのを避けていた。アリスの胸糞悪くなるような立ち居振る舞いを見届けるには、正常な精神には負担が大きい。
辺りが徐々に暗くなり、その闇に紛れ、音も無く近づく団員の一群をみとめた。キリス達を囲おうと、気味の悪い連携を示しながら、もそもそした不快な動きで背後から迫ってくる。
先頭の顎者が声を出さずに何かを主張した。キリスは、顎者が何を言わんとしているのか分かる気がした。
-黒像だ! 早く塔に入れ! -
「ああん、めんどくさい!」
アリスの攻撃を避けた顎者は、ちょうど、頭上で爆破された大理石の一部に足を潰された。顎者は叫んだが、声を持たないために骨が砕ける音が鮮明に響き渡る。顎者の悶え苦しむ様子からは相当な苦痛が伝わってくる。動けない顎者に照準を定め、アリスは容赦なく追い討ちをかけた。顎者の腹を爆破したのだ。
「どうしてそんなひどい事ができるんだ! かわいそうだとは思わないのか!?」
「でもあたしはこれっぽっちも痛くないわ♪」
アリスは、それが新しい発見であるかのように得意げに言ってのけた。
残りの5人の顎者は大理石を持ち上げ、腹をえぐられた顎者をかばいながら塔の内部へと連れ去った。
「あなたは、とってもりりしかった。優しかった。それに賢かった」
アリスが一体何を言い出したのか、キリスには一瞬分からなかった。アリスは、顎者が現れる前にキリスと交わした話の続きを再開したのだった。キリスは信じられない気持ちになった。今しがたの酷い仕打ちに対して思うところが無いらしい。この女にとって、先ほどの顎者の身の上など、本当にどうでもいいらしいのだ。
キリスは激しい怒りを覚えたが、自分の出自を考える事によってなんとか落ち着きを保とうとした。
「僕はカナリアを探しながら、同時に、僕を知っている人も探していたんだ。でも、僕を知っている人は一人もいなかった。人々の記憶に僕はいない。誰も僕の事を覚えていなかった。僕と初めて会った時の『見ない顔だな』という表情から察してはいたけれど、赤い液で覗いた『誰だろう』というその時の思考からも裏付けが得られたよ。だから、多分僕は、ここじゃないどこか別の場所にいたんだろうね」
「僕はいったいどこの誰だったのか教えてほしい」
「そんな事どうだっていいじゃない♪ 今こうして一緒にいられる、それだけで素敵じゃない?」
キリスは、軽々しく扱われたと感じた。
「君は答えてくれない……答えられないんだ! 僕達が知り合いだったっていうのも嘘なんだろう?」
アリスはショックを受けた。そして、言おうかどうか迷っている様子を見せた。あるいは、何か適当なでたらめを思いつくまでの時間稼ぎをしていたか。
「あたし、あなたに助けられたのよ」
「……嘘だ。僕は君なんて助けない。君みたいなのを助けたなんて信じられない。そもそも、助けなんて必要ないくらいに君は強いじゃないか! 他人の事なんてまったく考えずに、好き放題やっている!」
キリスは怒りに声が震える。指先まで震え始めた。
「……君が僕の重心を壊したんだ」
キリスは考えた。自分は一体誰なのか。なぜマナを思い出せないのか。アリスとはどのような関係だったのか……そうする内に一つの忌まわしい考えに思い至った。まさにアリスの手にかかり、アリスの都合によって記憶を失ったのではないか、と。アリスの性格を考えても大いにあり得る話だ。恐ろしいほどに筋が通り、何もかも辻褄が合う。むしろ、それ以外には考えられない。
「君は、何か身勝手な理由で僕から重心を奪ったんだ。そして、僕を物にするために出会いからやりなおし、まっさらな状態に間違った知識を吹き込んで、都合のいいように仕立て上げようとしているんだ!」
「それは違うわ!......お願い、怒らないで? あなたがいないと……あなたが傍にいてくれないと……あたし、耐えられない……」
「僕に触るな! 僕に付いて来るな!」
アリスの腕を振り払い、キリスは走り出した。キリスは、アリスに重心を奪われたと考えた。あの顎者のように、実にあっけなくやりおおせた事だろうと思うと、はらわたが煮えくり返る思いだった。




