歩みを前へと進める事を拒む者達 <後編>
「お集まりいただいた皆さんにまずはご報告を。既にご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが嬉しいニュースです! 新しい移住者、キリス様のエントリー! 形式的に自己紹介をお願いしよう……としたのですが、残念な事に、先走って赤い液を飲み干してしまいました!(笑) ごらんの通り、すっかり右も左も分からなくなって夢うつつ! こんな状態では挨拶は無理でしょう!(笑)」
観客の多くが笑った。司会をするカッコーの言葉はまだしも、観客の笑い声が、実際に聞こえてくるものなのか、それとも心の中のものなのかは、目を閉じているキリスには区別がつかない。耳に聞こえてくる声と、心の声が自分の中で同時に響いてくるからだ。
顎者が泥酔するキリスに近づき、カッコーに手渡された巻物を、実にさりげなく回収した。目を瞑ったままのキリスは、住人の知覚を介してその事実を知る。
「皆さんが、某先生のように酔っ払ってしまう前に、まずは前回の続きをやっつけてしまいましょう」
「竜殺しのスズメちゃんの話だな!」
「……誤解のないように言っておきますが、事件が起きる前のスズメちゃんは、どこにでもいる普通の女の子、あどけなさの残る幼い少女でした。その少女が竜殺しの異名を冠するようになった経緯をざっとおさらいしましょう……群れからはぐれた水竜が……実に迷惑な事に……この塔を見つけて羽休めをしていました。また同時に、腹をすかせてもいました。竜の近くには、浮かれた子どもが5人いて、その差し迫る危機には気が付いておりません。竜は、子どもを確実に丸飲みするために、待ち伏せして気配を断っておりました。その一つ上の階層に、アルバトロスおばさんがいたのです。竜のちょうど真上に。この、『ちょうど真上に』というのがポイントですよ(笑) アルバトロスおばさんは人よりもスタイルがよく…………いや、少しぽっちゃり……いえ、控えめに言っても牛と同程度か……とにもかくにもボリューミーな方です。そのアルバトロスおばさんが、竜が待ち伏せする一つ上の階層で、階段の縁にしゃがみこみ、遊泳具を眺めながら赤い液をガブ飲みしていました……偶然その場に居合わせたスズメちゃんは状況を冷静に分析しました……不安定な体勢で油断しているこの肉の塊にちょっとした運動を働くだけで、危機に面している子ども達を救えると……神の采配、あるいは悪魔の囁きか、そこにためらいはありませんでした。アルバトロスおばさんは極めて正確に竜の頭上に落下しました……ひとたまりもなく竜はペシャンコ!(笑) アルバトロスおばさんは今も意識が不明だが、5人の子どもは助かった、という次第です!」
「よっ!」「でかした!」
「さらに付け加えさせてもらいますと、その奥にはさらに20人の子どもがいました。スズメちゃんが救ったのは、実質的には25名です」
長い耳のエルフが立ち上がり、カッコーを補足する。
「いいぞ!」「お手柄!」
「アルバトロスおばさんは意地悪だったから個人的にいい気味ですね(笑) 何かにつけて嫌味しか言わない。人を平気で傷つける、その傲慢さは不愉快極まりありませんでした。ルールを守っているからといって、何をしても良いというわけではありません。どこかで痛い目にあいやしないかって、ずっと思っていたんですよ(笑)」
「普段の行いが悪過ぎた!」
「そうだそうだ!」「その通り!」
ドッと笑いが起こった。誰も彼もが大笑いしている。
「投資者たる彼女は子どもの未来のために財貨を投資していた。その彼女自身が竜の頭蓋へと投下されるなんてなんたる皮肉(笑)」
「竜が、子ども達ではなくアルバトロスに先に目をつけていればこんな回りくどい事にはならなかったのに!」
「竜は肉の種類を選り好みしたのでしょう! 脂身よりも引き締まった若い肉が好きだったのです! あるいは、ダイエット中だったのかもしれませんね! ダイエットすべきはアルバトロスおばさんの方でしたが……ゴホン……失敬失敬、言葉が過ぎました(笑) もちろん本心ではないですよ、これも台本通りです(笑)」
オークが立ち上がった……正確には、オークの変装をした体格のいいおじさん、であるが。
「アルバトロスの悪口はそこまでだ。確かにアルバトロスは憮然としているし、いつも横柄だから、同じ場所に居合わせて気持ちがいい性分ではない。だがな、優秀な投資家であるのも事実だ。彼女がいなくなって、100名以上もの整備者は大打撃を被り、困窮の中、悲惨で過酷な生活を強いられている!」
「そうだったとしても、子どもの命には代えられないわよ!」
エルフの女性が反論した。
キリスは眠り続けている。いつしか、カナリアの捜索という当初の目的を忘れて、人々の情動の中に揺られていた。
“あなた、眠りこけている場合ではありません”
聞き覚えのない、独特な色気のある声が鳴り響く。そうとは示されてはいなかったが、その声は紛れもなく、自分に対して発信されたという確信がキリスにはあった。
“あなたの考えを表してください”
その奥ゆかしく優雅な声色がキリスを促すが、キリスは、劇場で展開されるやりとりを、感じてはいたがしっかりとは聞けていなかった。何しろ頭が回らない。
5人を助けるか1人を助けるか……スズメちゃんは5人を助けた。だったら良いことじゃないか……キリスはそう思った。5人を助けるためにはそれしかなく、1人が我慢するだけでより大勢を助けられた……この時のキリスは、正常な判断力を欠いていた。
“スズメちゃんは良いことをした”
キリスがそう考えただけで、劇場にいる全員にキリスの考えが伝わった。
「エース様の同意も得られました!(笑)」
「うおおお!!」「エースさいこー!」「万歳!」「いやー分かってる」
歓声が心の中で反響し、余韻となって体内を循環する。キリスの考えは大勢の好意をもって迎え入れられた。すごく喜んでもらえてなんだかとても気持ちがよく、良いことをしたという気分が心を満たした。
「625エーテル対624エーテルで賛成多数です! スズメちゃんの元に多くの“正しらしさ”が集まりました! スズメちゃんに求心力があるという事です!(笑)」
塔では、共感を表明する住人の多寡で正しさが決まる。
アルバトロスおばさんを失った同じ居住区の5人はひどく悲しみ、25人の子どもが救われた。そして、125人の整備者が路頭に迷い、その事実はキリスを含む625人に軽視された。
キリスの取った立場は、私怨の有無に関わらずある時点で突然、今度は自分が理由なく縁から突き落とされる事を意味する。キリスは、自覚のないままにそうした未来を受け入れたのだ。
「『スズメちゃんは良い子』で一致した、とみなします。めでたしめでたし(笑)」
ある種の張り詰めた空気が和らぎ、安堵した心の緩みからか、それぞれの気ままな空想がイメージとして流れ始めた。深酔いして理性の抑制が弱くなった住人の、淫らな妄想が紛れ込んできた。黒いレースで顔の大部分を隠した色香漂う修道女。その淑女が、身につけている衣服を次々と脱ぎ捨て、徐々にその白い肌が露出する。
「おいおい、エチカで欲情している奴はどこのキジだよ!」「俺じゃねーよ」「欲求に素直過ぎだ」「やーねー、男ってほんとバカばっかり!」
“変態さん、いいかげんに隠す事を覚えなさいな。獣じゃあるまいに……でも皆も彼を詮索しなさんな。隠し事の一つや二つ、誰にだってあるものです。それを知りたいからといって暴こうとするのは野暮というもの。妄想の中で私の衣服を無理やり脱がそうとするのと同じくらいね”
「ひゅー」「無罪放免!」
「このくだりは恒例ね。毎度毎度、まったく驚きのバリエーションだわ」
しばしの休憩か、観客は観客同士でしばらくの間、雑談に耽った。キリスは相変わらず眠り続けている。女性受けする例のパフォーマンスを終えたカッコーは、舞台の端で観客を一望して休憩の終わりを告げる。
「さてさて、お次は……賢者ターイム!(笑)本白一番のお時間がやって参りました! 昨白まではごくごく平凡な住人だったのに、突然知恵をつける人々、そんな方が中にはいるものです。栄光の知恵者に選ばれるに最適な、今期最大の偉人に注目したいと思います! いつもはほとんど話題にすらのぼらない、そんな隠れた功労者には発言の機会が与えられます! 自分達は、そのありがたい恩恵に授かると期待していいでしょう!(笑)」
観客は皆恐れていた。自分がその対象に選ばれたらどうしようかと緊張し、どうか自分がその対象になりませんように、と祈っている者すらいる。そして、同時に心を躍らせてもいた。誰が言及の対象になるのか強い関心があったのだ。
「賢者に光を。その方とは……こちら!」
カッコーがパチンと指を鳴らすと同時に、ゴブリン -長い耳鼻を有した小鬼- に光が当てられた。
柱で待機していた5人の顎者が、部屋中に発散したわずかな光量を氷の筒に集めてゴブリンに反射させる。五本の平行光線に照らされたゴブリンは義手で目を覆った。
「今白の主人公はこのお方、カワセミ様です!」
「あわわ」
キリスの隣でチキが狼狽する。
「“カワセミは皆に10エーテル支払うべきである”」
「横暴だ!」
「おとなしく払っちゃった方がいいわ」
「ハハハハ!」
「待て待て待て、ちょっと待て。確かに僕は、脈を掘り当てて大量の粉を手に入れた。けれど、黒像に塔を掘削中、脈を探り当てた場合はそいつが手にしてもいいっていうルールだったろ!? それなのに、実際に人が儲けるとこれだ! ルールは建前で、実質的な効果を持たない飾りだとでも言うのか! 至極不当! 納得できん!」
「今回に限り、額が額なので話が別なのです。産出された量は、エチカの想像以上でした(笑)」
「そうだろう、そうだろう。はっはっは、いい気味だ! 決してお前らの思い通りにはならないぞと、その一心でこれまでやってきたんだからな! それ見たことか! 誰がこうなると予見できただろう。そう誰も予見できなかった。現に、あのエチカですら予見できなかった成果だ! 僕は、誰も想像が及ばないほどの意思の力で、自らの運命を変えた……意地を貫いたんだ!」
カワセミは立ち上がって、さらに畳み掛ける。
「量が多ければ取り上げる……定めたルールをコロコロ変えるなんざ愚かな話。後付でそんな事をされるとこっちはたまったものじゃない。そんなものはただの暴挙だ! こういった特殊な状況をあらかじめ想定していなかったというのであれば、そのルールは欠陥だ!」
“完璧なルールなどありやしません”
エチカの声にカワセミが見せる愕然とした表情、目を見開き、信じられないというように手を口に当てる。
「お前らが作ったルールじゃないか! 少なくともお前らには守ってもらうぞ!」
「ルールは守らなくてもいいのですよ。ルールは破るためにある(笑) ただ、あなたにもルール作りに参加してもらいたかったですね」
カワセミは唖然として物も言えない様子だ。しばらくの間、放心したように空を見つめていたが、ふと我に帰って言葉を紡ぐ活力を取り戻した。
「お、おい、たいがいにしろよ! だって、おかしいじゃないか!……僕がおかしいのか?……ええい、正気を疑う! ふざけ過ぎだ! 頼むから落ち着いて冷静に考えてくれ。自分が見つけた物、それを自分の物だと言い張る事がどうしていけないのか」
劇場中がシーンとなった。
「僕は大きな貢献をした。予想をはるかに超える事業を成し遂げた。誰もの予想以上に……だから、少しくらい見返りを求めたって良いじゃないか! 発見者の所有を認める……そういう仕組みにしようじゃないか。これは意気込みに関わる大問題だ!」
「お聞きましたか皆さん! 賢者様は実に偉大な、そして新しい発見をしました! 自分は何も、粉の事だけを言っているわけではありません! 自分達のあり方についてご指導下さったのです! ただ、その弁護する利得グループに話者自身が含まれている場合、説得力が損なわれてしまいますがね!(笑) では、彼の意見も勘案した上で決を採ってみましょう! 議題は“カワセミは皆に10エーテル支払うべきである”です!(笑)」
すぐに観客の大勢がイクシルを一口飲んだ。その瞬間、夢の内容が深みを増して多様化したのがキリスにも分かった。
「収束1068エーテル、多数の同意が得られました!(笑)」
「くう……お前らは、全員クソだ! 覚えていろ。きっと復讐してやる! 今考えなしに賛成した奴ら全員呪ってやるからな!」
「そんな賢者様にはこの愚者めから、予言者エチカ様の“提案”をお伝えします……つまらないこだわりを優先し、他者より秀でることを望む、そんなあなたにふさわしいのは、舟の所有者です。浮き沈みの激しい舟、その舟に乗り込もうとする溺者をことごとく蹴落として、ごくごく限られた者だけが、束の間の栄光を得るでしょう。あなたは共有を拒み、無義な戦いに没頭し、一時的な独占に成功するでしょう。永遠と続く霞の中で、あなたは航海します。人間を取る漁師として、雲の下での新生活があなたを待っています! そこには、目がくらむような輝かしい名誉と共に、勝者の実感があるに違いありません!(笑)」
「ハハハハハ!」
反論したそうなカワセミの小さな呟きは爆笑の渦に飲み込まれた。
「分かった分かった、これ以上はやめてくれ! 払う、払うからさ! 雲下だけは勘弁してくれ!」
「よろしい、先ほどの言を撤回します!(笑)」
立ち上がって抗弁していたカワセミはようやく腰掛けに座ると、テーブルに肘を突いて頭を押さえた。グラスを取って赤い液を一気に飲み干すと、不意に訪れたチャンスを物にできなくて口惜しい、そんな感情が夢に加わった。
「ちくしょうめ!」
カワセミは空になったイクシルグラスを見つめながら、未練がましそうに言い捨てた。
「ネタばらしをしますと、実は……これらのイクシルは全部、カワセミ様からの寄付なのでした! カワセミ様の寛大な気持ちに拍手を(笑)」
盛大な拍手が沸き起こる。
「うーん、どおりでうまいわけだ!」「これぞ秘蔵の美酒!」




