歩みを前へと進める事を拒む者達 <前編>
カッコーが居住区を後にすると、アヒルはキリスの着替えを手伝おうとした。
「せっかくあるんだから使おうと思って……本当は被るものじゃないけれど……ほら、いいじゃない!」
森でジャックが被っていた物と瓜二つの、中身がくりぬかれた大きなカボチャをかぶせられた。
「それ、あたしのなんだけど!」
アリスが強い語調で反抗する。
「誰の物でもないわ! 皆の物よ」
「あなた、こんなデカくて重い物、うっとうしいわよね?」
「いや、これはこれでいいよ」
アリスのキスの嵐を遮断できると思うとありがたく、そのまま被っていたかった。
「そうなの? だったらそれあげる♪」
「逆に可愛いー」
「適当だな」
灰かぶりと包帯男とお化けと小悪魔とジャック・オ・ランタンが扉の外に出た。大理石の構造は破壊されて窪地となり、赤い竜が光る首輪でつなぎとめられている。
「ヘッヘッヘ。クイーンのドラゴンはいつ見ても綺麗だねえ」
オウム婆さんはとんがり帽子を被り、箒を杖代わりにしている。
「クイーンのドラゴン、つまり皆のドラゴン。ヘッヘッヘ」
オウム婆さんは下心丸出しで、竜を舐めるように眺めている。
「ドラゴンだなんて古風な呼び方よね。オウム婆、今はドラゴンじゃなく竜って呼ぶのよ」
オウム婆が竜の首筋を撫でた。刹那、ギラリと光る鋭い眼光。その目は敵意がむき出しだ。キリスは身震いし、無謀な冒険を犯したオウム婆さんが食い散らかされるのではないかと心配したが、幸いにも悲劇は起きなかった。
「いつ見てもおっかないの、重心が飛び出そう」
チキが胸を押さえながら言った。
「この子の好物は飛び出た重心よ」
魔女の格好をしたオウム婆を加え、一行は劇場へと向かうために大理石の階段を登り始めた。見知らぬ住人達がそれぞれの居住区から合流してくる。不意に壁からモンスターが現れるため、幾度となく慌てさせられた。皮膚がただれた怪我人を目の前にした時など、そのリアルな質感に鳥肌が立った。北風の精、フランケンシュタイン、一角獣、隠者、沼男、ケンタウロス、俊足の亀、雪男、ゾンビ、黒犬、フック船長、メドゥーサ、毛むくじゃら、笑い猫、スライム、一つ目巨人……塔の階段を登る仮装の大行列は、段々とその規模を増していく。
キリスはふと、空中を飛び交っているものが気になり、注意を向けてその正体を突き止めようとした。
「エースはクローバーを見るのが初めてなのね」
二本の溝によって三つの膨らみとなっている幅広の布が、レバー付きの椅子と紐でつながっている。クローバーだ。遊泳具にはたいてい義足をした人が乗っていた。大きな布に風を受けて手元のレバーで微調整しつつ、狼男……のメイクをした男がギリギリまで塔に寄ってくる。よほど操作に自信があるのだろう。
「クイーン様、やり遂げましたね、契約通りの復活を!」
キリスをチラチラと見ながらアリスに言った。
「とうっぜん!」
「私はいったん桟橋に行きますので、また後で話をお聞かせ下さい!」
額にずらしたゴーグルを装着しなおすと、狼男のコスプレをした男はレバーを引いて上昇して行った。
劇場に近づくにつれて喧騒が大きくなった。出店が散見され、油や羊皮紙や装飾が施された家具など、様々な物が売っている。義手の吸血鬼がイクシルグラスを手に持ってキリス達を引き止める。
「安くしておくよ、無名だから! 割れてしまったらそれでしまい! だからこそ安い! 今ならどれでも10エーテル! どうだい、そこのきれいなお姉さん!」
「間に合っているわ。それに買うとしても帰りね。そろそろ店をたたんで劇場に向かわないと」
カボチャの中からまじまじと見つめるキリスに、吸血鬼は困惑した。
「そんなに驚かないでくれよ。もちろん中毒者ではないんだから。もしも俺の事を中毒者だと言う奴がいたのなら、そいつもまた中毒者だ!」
吸血鬼のコスプレをした男は営業をやめて店を畳み始めた。
「ほら、見て」
一行は目的地に到着した。壁には縦に三段、縦長の大きな穴が無数に開いていて、傾斜のある階段とは無関係に水平に並んでいる。その空洞は縦枠部とアーチ部で構成されている。空洞は、その位置によって、劇場の入り口か窓かの意味合いが変わった。
空洞を抜けて塔の中に踏み込むと、そこにはとてもたくさんの人が集まり、それぞれが凝った衣装を着こなしている。(人外に変装している者もいる) それぞれが思い思いの格好をしているが、義手もしくは義足は必ずしていた。塔の内部は、円形闘技場のように広大な空間であり、住人全員が収まる。緩やかな段差を下って中央に向かうと、断続した巨大な円環形のテーブルと腰掛によって舞台が囲われている。到着した人はテーブルに用意された赤い粉入りのイクシルグラスを手に取り、水で薄めて一口飲んでいる。外から光が差し込まないためほぼ真っ暗であり、イクシルグラスの赤い粉と赤い液、そして、それを飲んだ人だけが淡い光を放っている。
キリスのすぐ近く、舞台の端にはカッコーがいた。言語化不可能なポーズで動きを止め、複数の女性に触られているが、銅像のように動かない。パフォーマンスの最中だった。
「住人はほぼ全員揃ったぞ!」
カッコーが静止を停止して動き始めた。
「さあお待ちかねのショーの時間だ! 住人の皆さんがウキウキしているのが手に取るように分かる!(笑)」
「嘘つき野郎め!」
「嘘が必ずしも人を不幸にするとは限りません。人の為と書いて偽りと読ませるように、人を助ける嘘だって少なからずあります。でも、自分のように、嘘ばかりついていれば、全くと言っていいほど人に信頼されなくなってしまいますね(泣)。ちなみに、嘘を信じ込ませるためのちょっとしたコツは、虚実をない交ぜにする事ですよ(笑)」
「嘘しか言わないくせに!」
「たしかに! 自分は嘘しか言わない! 現に、このセリフも嘘ですから(笑)……申し遅れました。司会を務めさせていただきますは、笑いの権化こと道化師ジョーカー、以後お見知りおきを(笑)」
「知ってるわ!」「つまらんぞー!」
息ぴったりな合いの手に、パラパラと乾いた笑いが起こる。
「沈殿した鬱積を晴らすには、笑うのが一番! 迷いの森症候群という、最悪の病に対する最上の特効薬でもあります! 恥じらいを通じて猿に理性の自覚を促し、刺激のない生活を彩り、はては、無機的な形式に生命を吹き込む、そんな“笑い”の計り知れない可能性を追求し、万人受けする“笑い”を提供する、そういう重大な役割を、自分は担っているわけであります。さあ、嘘も恐怖も葛藤も、笑い飛ばしてしまいましょう!(笑)」
劇場中がシーンと静まり返る。カッコーはペースを作るのに成功している。
「さあお決まりの台詞のご唱和を願います! いいですね……さんはい!笑いは世界を救う!!」
声を合わせる者は誰もいない。代わりに拍手が送られた。中々鳴り止まない、大きな大きな拍手が。
「そんなセリフ、初聞きだぞー」「前もって知らせておけよ」
拍手が小さくなった拍子に割り込んだ文句に、一部で笑いが起こる。
再びざわめき始めた住人達。その顔ぶれを端から端まで確かめる。カボチャの中から目を凝らす。見当たらない。そこにいたのなら見逃すはずはないと思いつつも、見逃しているかもしれないという不安から、確認するのは二回目だ。
自分の足で歩いて回ろうかと考えたが、腕はアリスにロックされている。
アヒルがキリスのイクシルグラスに手を添えた。
「“水”よ、出てきて」
イクシルグラスに入っていた微量の赤い粉は、アヒルに召喚された水によって溶け去り、魅惑的な色合いの赤い液となった。キリスは飲みたくなかった。それが何かを知っている。
「後はエースだけよ」
キリス以外の住民はすでに一口飲んでいた。赤い液を飲む運命からは逃れられないと感じ、カボチャのかぶり物をテーブルに置いて、やけになって飲み干した。
その途端、喧騒の度合いが一気に上がり、頭の中に声が溢れ返った。それは周囲がより一層やかましくなったのではなく、赤い液を飲んだキリスの感度が高まった事による。高速で駆け巡る想念に高揚して目が回り、強い浮遊感の中、翼さえあれば飛んでしまえそうだとすら思った。膨れ上がった全体量に比して、受信に占める個々の声の割り合いは少なくなったにも関わらず、むしろ激しく印象に刻まれた。異様な集中力によって解像度が増したはずなのに、全体観を損なわないままに捌き続けられたため、割く事のできる意識の総量も拡大したのだと思った。
赤い液を飲んだ住人達が、今何を考えているのかが何から何まで分かる。普段は隠しているような後ろ暗い気持ちすらも完全にお見通しだ。住人の中には、余裕がなくて参加する事自体をわずらわしいと考えている者もいたが、大半は、深い考えなどは特に持たず、軽い気持ちでこの場を楽しもうとしているだけであった。住人がキリスから何かを隠すように示し合わせ、悪意ある大きな意思の元、団結してキリスを陥れようといているのではないか、という不安がこれまでキリスにはあったが、実際はそんなものなどないと分かって安心した。
住人が口にした赤い液の分量に応じて、個々に照応した記憶の輝度は変わる。現在の認識に終始せず、現在に紐付けられた予期と想起がより鮮やかに描き出される。キリスはその想起の部分、つまり住人の過去に注目し、カナリア目撃の痕跡を求めて住人の記憶を遡る。
カナリアー! どこにいるんだー!




