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かみてん  作者: チムチム・マイン
移住者の塔
25/37

甘い囁きで懐に忍び込む者

 突然、地鳴りと共に大砲のような音が響き渡った。


「始まったか。“水”よ、去れ」


 カッコーが飲みかけの赤いイクシルを赤いエーテルに戻し、手早く回収した。住人達は居住区セルスペード内を慌しそうに行き来したかと思うと、部屋の階段を駆け上って中間のフロアへと向かった。


「さあ、ダイヤモンドへ」


「ダイヤモンド」


 アヒルに促されるままに、キリスもまた部屋の階段を駆け上って中間のフロアへと向かった。中間フロアには出っ張った扉が6つ、等間隔に並んでいる。キリスは一番近くの、その風変わりな半球の扉に近づいてまじまじと観察した。


「そこはチキのダイヤモンド! エースのは一つ向こう!」


 チキのダイヤモンドとはちょうど対角に位置する丸扉には、カッコーが入ろうとしている。一人につき一つの自室ダイヤモンドがあらかじめ割り当てられている。アヒルはキリスのダイヤモンドの丸扉を開き、身振りで入るように促し、そして、まだ衣装棚の上に陣取っているアリスに向かって声を張り上げた。


「クイーン! たまたま手前のダイヤモンドがあいているから、使ってもいいわよ!」


「あたしは大丈夫。それより自分の心配をすれば?」


「放っとけよ。どうなってもいいって、本人がそう言っているんだし」


 カラスが通り過ぎざまに言い捨てる。


「“エチカ”はこの事も知っているハズよね」


 居住区セルスペード全体が揺れ始めた。地震だ。住人に回収されなかった調度品がガチャガチャと音を立てる。住人達はそれぞれ別の丸扉からその中に入っていく。


 キリスも丸扉の中に入った。そこは、窓の無い球形の空間だった。広くは無い。全方位にふわふわの綿が敷き詰められている。扉の内側に何かが書かれていたため、真っ暗ではない。『イリアスの部屋』と書かれている。光を放つ字を調べていると扉が開き、アリスが入り込んできた。酔っ払ったように顔が赤い。


 アリスが扉を閉めると、揺れが一段と強くなった。キリス達の体は浮き、次の瞬間、衝撃で床に倒された。天地創造でも始まったのかと思われるほどの激しさだ。居住区セルスペードが、いや、塔全体が猛スピードでどこかに向かって動いているようだ。


「……!」


 何かにぶつかって急停止したからか、床にへばりついたキリス達は今度は天井に叩きつけられた。宙に浮いたかと思えば部屋のどこかにへばりつき、直後、その反対側に叩きつけられるという事を繰り返し、もはや上も下も右も左も分からない。一面に綿が敷き詰められていなかったらどうなっていたか知れやしない。談話室のあらゆる物が、ぶつかったり割れたりして大きな音を立てている。


 目に見えない大きな力によって、されるがままに転がされている内に、揺れは徐々に収まっていった。


「う……ん」


「一体なんなんだよ」


 宙でアリスと激しくぶつかったキリスは、頭をさすりながら不平を漏らした。


「知りたい? だったらぎゅーってして?」


 ハグを求めたアリスを無視したが、アリスは勝手に抱きついてきた。散々に揺さ振られて衰弱しきったキリスには抵抗する力がない。ただただ気持ちが悪く、その不恰好な体勢を変える気分にすらなれない。


「球体で柔らかい自室ダイヤモンド……菱形で固いわけではないのにダイヤモンドなのか。反対じゃないか」


 着地の機会を与えられない数々の疑問が心の中に蓄積する。解を得られず浮きっぱなしだ。


「わけが分からない事の連続。何がなんだか全く分からない。おかしくなってしまいそうだよ」


「ここがうんざり? 抜け出したい?」


「うん」


 アリスがしきたりを無視して質問をしている事に気が付いた。


「君はなんでも質問するんだね」


「『質問をしてはいけない』なんてしきたり、クソくらえよ。あの皺の女が作ったと思えばなおさら。守る価値なんてないわ。あたしには何を聞いてくれてもいいのよ?」


 アリスが絡みついてくる。


「君が言う皺の女っていうのは、“エチカ”の事?」


「そうよ」


 アリスはおもむろに錆びたフォークを取り出した。ボロボロと刃こぼれした、古びて汚らしい三叉のフォーク。


「今、あたしとあなたは同じ物を見てる。それに、同じ物が同じように見えてる」


 アリスが不思議な声を出した。


「え……それがどうかしたの?」


 質問できること自体が純粋に嬉しい。とても当たり前の事なのに。それに、アリスが本当の事を言う保証なんてないのに。


「これって、とってもすごい事だと思わない?」


「そうかなあ……」


「……本当は違うの。あたしとあなたでは、同じ物でも全然別の物が見えてる。それに、同じようには二度と見れない……嘘付いちゃった。許してくれる?」


 抱きついたまま耳元で囁かれた。肩が濡れたのでアリスは泣いているのかと思われた。どうか吐かれていませんように、とキリスは祈った。


「えー、どうしようかなぁ」


「アハハ……心が狭くなっちゃったのね。あなたはもっと器が大きかったわ、それこそ、人を殺しても許しちゃうくらいにね」


「そんなの、絶対許さないよ」


「でも、あなたが帰ってきて、あなたとまたこうして一緒にいられるなんて夢みたい。あたし、本当に幸せ。あなたは何もかも忘れてしまったけど。でも、もう一度やり直せばいいのよ、ねえ?」


「君はいったい、僕とどういう関係……」


 アリスはキリスの顔を両手で挟んで目を見た。アリスの頬には涙が乾いた跡がある。


「その人を深く知る、お腹の底から理解し合う……どういう事か、考えた事ある?」


 キリスは首を横に振った。


「赤ちゃん作ろ?」


 いきなりの想定外の言葉に戸惑った。キリスは赤ちゃんの作り方を知らなかった。


「赤ちゃんは作れるものなのかい?」


「ウフフ、知りたい?こうするのよ」


 キリスの口元にアリスの唇が近づいてきた。


 その時、ダイヤモンドの丸扉が開いた。丸扉からアヒルが覗き込み、後ろには興味津々な様子のチキもいた。口付けの照準がずれ、キスは頬に命中した。


「エース、お休みのところ申し訳ありません。クイーン! やっぱりここに! ダイヤモンドに二人以上入る……『一つの入れ物には一つしか入れない』という原則をそんな簡単に破ってはいけないわよ。言及の対象になってしまうわ」 


「本当のところは何も知らないくせに」


「屁理屈を言わないでください! それよりもクイーンの竜が暴れて手に負えません!」


「人を襲わないように言いつけてあるから!」


「そうだったとしても、居住区セルスペードを壊そうとしているのよ」


 アヒルに加えてカラスとチキもキリスのダイヤモンドに入ってきた。


「嫌よ、嫌! 放っておいて」


 抵抗空しくアリスは連れ去られて行った。


 一人ダイヤモンドに残されたキリスは、先ほど交わされたアリスとのやり取りを考えていた。それが言葉通りの意味なら、キリスの過去に迫る、気になる話だと思った。だが、どうしても何かが引っかかった。アリスは何かをたくらんでいるに違いないと思った。


 また、キリスはアヒル達の事を考えた。カッコーだけでなく、アヒルやカラスまでもが、ここ塔の住人だったようだ。彼らは舟の人間ではなかったのか。彼らの出自が舟であると語る幻覚を見ていたのか、彼らは何らかの理由で森での記憶を失ったのか、あるいは、彼らの過去の人格と森で行動を共にしたのだろうか……はたまた、実は二人いたなんて事もあるのかもしれない。“まだ森の中かもしれないよ”カッコーのあざ笑うような表情が思い浮かび、底抜けの恐怖が身を襲う。この複雑怪奇な現象に隠された真相に近づこうとしても混乱は深まるだけ。同じ想念の中だけで何度も循環が認められたため、その内考えるのをやめてしまった。考えてみようとも分からないし、聞いてもどうにもならないだろうし、そもそも聞く事ができないのだから。


 キリスは疲れからか眠たくなってきた。どうして今まで寝ずに済んだのだろうかといぶかしむ気力すら残っていなかった。いつしかキリスは奇妙な夢を見た。



------


 目を開けた。なんだ今のは……。


 森で白いワンピースの女性が男性に襲われていた。覆いかぶさられていたために顔はよく見えなかったが、苦しそうにあえいでいた……。


 キリスは自室ダイヤモンドの丸扉を開けてフロアに出た。割れ得る物はことごとく割れており、割れる運命にあった装飾品の残骸を脇へとどかしながら、キリスは階下へと向かった。皆はすでに起きていて、倒れた衣装棚から衣服を引っ張り出して着替えている。そのユニークな衣装のバリエーションの豊かさは驚くほどであったが、今のキリスには気に留める余裕がなかった。


「“マルクスアウレリウスアントニヌス”元に戻れ」


 灰かぶりの格好をしたアヒルはすでに身支度を終え、調度品を元に戻す作業をしていた。


「皆が外に出てからやれよ! イクシルグラス程度でも危ないんだよ!」


 修復しようと飛び交うグラスの破片を目で追いながらカラスが舌打ちをする。カラスは怪我をしていないのに包帯を体に巻きつけていた。包帯男の変装を選んだためだ。


 目と口の部位に穴が開いた白い布を頭から被ったチキが、ひしゃげたティアラを手に持ってアリスと喧嘩をしている。いや、アリスは笑っていたためチキが一方的に怒っているだけだ。


「これを手に入れるのは難しかったの!」


「だから謝ったじゃん。そんなに大切なら肌身離さず持ち歩いてな」


「クイーンの竜が壊す前の状態に戻して!」


「マナも知らないその程度の愛着でよくぞ自分の物って言えたものね。特別にティアラのマナを教えたげるから。 “パブロディエゴホセフランシスコデパウラファンネポムセノマリアデロスレメディオスシプリアーノデラサンテシマトリニ……」


 イクシルグラスを修復していたアヒルがキリスに気が付いた。


「おはようエース!」


「おはようございます」


「劇場に行く準備をしないと!」


 そう言った後、アヒルは倒れたままになっている衣装棚の中を探り始めた。


 あたかも、途切れた話の続きを再開しよう、という風な自然な感じで夢の話に移った。


「あの森はいつ見ても気持ちが悪い」


「エチカが襲われるなんて驚いたわ。それにしても、エチカってあんなに白い肌だったのね」


「エチカのあの白いワンピース、可愛かったの。でもチキは今でも森が恐い!」


「森の中で襲いかかって男性、あんたに似ていたな」


 居住区セルスペードの全員がキリスの夢の話をし始めたため、キリスは言いようのない恐ろしさを感じた。彼らは、襲われた女性をカナリアではなくエチカだとみなしていた。


「面白い思考実験をしてみたよ。仮に、夢を独り占めできたらどうなるかってね(笑)。さらに、それがいずれ醒める夢だと分かっていたら最高だろうね! 淫らな夢を見たり、そして、自分だけが得をするような夢を見ても何も問題がないという事だから。でも、恐い夢を見てもその恐さを分かち合えないし、楽しい夢を見てもその楽しさを共有できないなんて、さぞやつまらないだろうとも思ったよ。自分達には想像に難いが、夢を覗き見られた!っていう反応を見せたりするかもね。今の君の顔を見て、ふとそんな事を考えた(笑)」


 ピエロの格好をしたカッコーは、イクシルグラスを傾けて赤いイクシルを飲んでいる。“夢を覗き見られたような恐怖”は、“思考を覗き見られたような恐怖”に変わり、キリスは何も言葉にできなかった。キリスはその認識力を限界まで稼働させてようやく、彼らは夢を共有するのだと思い至った。夢をのぞき見られたのではなく、皆が同じ夢を見るのだ。


「夢で誰かがチキのマナを口走ってくれないかなって思うの。チキはたまに、本当はこの世界の人間じゃないって気がするの。夢の中に出てくる一登場人物に過ぎないんじゃないかって。共有者もないままにマナを忘れてしまったからなのかもしれない。浮き足立ったような、言いようもないふわふわとした不安……チキが自分のマナをきれいに忘れてしまったように、みんなだっていずれはチキの存在を忘れる。そう考えるととっても恐ろしいの」


「マナなんて自分も忘れてしまったよ」


 カッコーがチキをなだめた。


 これ以上の足止めは耐えられないと思ったキリスは意を決した。


「僕はカナリアを探しに行きます」


「それなら大丈夫なの。劇場は塔中の人が集まっているからきっと会える」


「住人の数は多いから見つけるのは少し大変だろうけれど」


 カッコーがキリスの肩に手を置く。


「あの時手を離さなければ良かった」


「エースは、自分には選択肢があったと信じたいのね……でも、選択肢の考えは幻想よ。意思などは無関係で、ただ単にそうせざるを得なかっただけ。さあ、あなたはエース。これからはシャンとしなくてはなりませんよ。エースとしての立派な役割を果たさないと……意思がなくとも、まず形から入る事によって自覚が生まれ、それに追随して中身が整うというのは良くある事だし、それが本質だわ。自信がなくても大丈夫よ、やっていくうちにいつの間にか慣れているわ」


 カッコーに巻物を手渡された。


「移住者紹介では話すことになるだろうけれど、そこに書かれている通りに読み上げればいいだけだから」


 くるくると巻かれた羊皮紙には、中々の分量の文句が書き連ねられている。端がめくれて、署名欄が見え、同意書だと分かった。


「おっと、まだ見てはいけない。自分は用事があるから先に劇場に向かう。また後で」


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