不幸を代理し慰めを受ける者
普通、絨毯はテーブルやソファの下に敷く。それなのに家具の上に絨毯を敷いている。これではあべこべだ。
「絨毯の敷き方が独特ですね!」
階段を下りながらアヒルに言った。
「反転した後が面倒だから、くっつけちゃっているのよ」
理由が知りたいと思ったキリスの意を汲んで親切にも説明してくれたが、意味は分からない。変わった使い方をしているという自覚はあるようだ。
「そろそろ黒像、帰らないと」
アヒルがアリスに言った。
「教団の極秘任務があるのよ」
アヒルは机の上の羊皮紙にすばやく目を通して、怪訝そうに首をひねった。
「……でも台本には書いていないわ」
羊皮紙に書き込まれた文字は光を放っている。
----
シンク「綺麗な女性が襲われていて驚いた」
セブン「”エチカ”ってあんな白い肌をしていたのね」
エース「あれは”エチカ”だったのか、同じ衣服だったから勘違いしかけたよ」
----
アヒルがたくる項の内、何行かを読み取ることができた。一番最後の行には大きな文字でエチカのサインがある。アリスはアヒルから羊皮紙をひったくり、「“火”よ、出てきて」と言って燃やした。
「なんてことを!」
「いくら監視を受けていると言っても、好きな事を好きなように話して、何も問題はないわ。あたし達は自由よ!それにあたしは、うわべだけのあの皺の女が大っ嫌い!」
焼却された後には光る文字だけが残り、アリスが触れると赤い粉になった。粉末の形態をとった光の触媒である。
「面白い事をしているな。まさか、台本を燃やすなんてな!」
義足をした少年が、騒動に興味を示したのか、ニヤニヤしながら話に加わった。階段の裏は、居住区入り口からは死角となっているため彼がいるとは気が付かなかった。
「”エチカ”はすべてを知っているのよ! こうなったのもお見通しよ」
「あのインチキ予言ババアは何も知ってはいやしない。知ったかぶりのペテンさ」
「まあ!」
小柄で細身の少年は肌が浅黒い。カラスだ。森であった時より成長している。ただ、背が伸びたのは義足のせいもあるかもしれない。カラスは値踏みするようにキリスの全身をジロジロと眺めた。
「初めまして。探している女性が見つかるまで、ここでお世話になると思います。エースのキリスです、よろしくお願いします」
キリス的には初対面ではないが、どうせこちらの事を知らないと思ったので、初対面の挨拶をした。
「変な名前だな……五体満足のお前が憎い。その女、ずっと見つからなければいいのに」
キリスは傷付き、ショックを受けて言葉を失った。
「カラスは白黒ゲームの最中だから、エースは気にしなくてもいいのよ」
「白黒ゲーム……」
「そう。白黒ゲーム! 白を黒と言い、黒を白と言うゲームなのよ。だから、真に受けちゃダメよ」
「アヒル、あっちへ行け」
「ええ、ずっとここにいるわ!」
長すぎる義足を引きずって、キリス達に近付く者がいた。チキだ。
「アヒルもう聞いたかしら、カワセミが脈を掘り当てたらしいの。本人は大喜びだけれど……議題にならないか心配でしょうがない」
チキは震えている。
「お熱ね」
チキは恥ずかしがる。
「でも、向こうにはすでに好きな人がいるの。チキは子どもっぽいから見向きもしてもらえないの」
その時、衣装棚の上からアリスが口を挟んだ。
「諦めるのは早いわ。マナを手に入れて従わせるだけでは不満、心も手に入れたい、ってくらい好きなんだったら、重心を奪って出会いからやり直せばいいのよ」
「そんな高尚でつつましい考えは思いつかなかった……そんな事ができるのはクイーンだけなの」
「まずはマナを手に入れるのが先決ね、じゃなきゃ始まらない。息を吹き返させる事すらできないし。手を借りたければいつでも言って」
「チキは自分のマナを忘れちゃったから、クイーンの取り引きには応じられないの。それに、もし覚えていても諦める。相手が立派過ぎるから背伸びしたところで釣り合わないもの」
「はは、やめておくのが正解だ。あいつはふしだらなんだぜ。次々と女性に手を出すような、節操がないクズだから」
カラスが加わった。
「そんな人じゃない!」
居住区入り口からは死角になっている階段裏の広い空間。居心地のよさそうな椅子に足を組んで座っている長身の紳士に注目した。上品な生地で仕立てられたベストを身につけ、華美でない襞襟は整っている。その貴族は義手を器用に操り、グラスで赤い液を飲んでいる。
「あれ? カッコーさん?」
やってしまった。質問をしてしまった。
「まだちゃんと分かっていなくて……」
慌てたキリスは言い訳に窮し、しきたりを連続で破ってしまった。
「分かってないねー」
やれやれといったピエロのような手振りをし、ふーっとため息をつく。
「質問をしてはいけないし、分からないと言ってもいけない。どうせ誰も何も分かっちゃいない。君は分かったふりをしなくちゃいけない。それに、物事を比較的よく知っている君が自分は無知だと言い張れば、君よりも無知な者はどう振舞えばいいか分からなくなる。それは配慮に欠けているのだよ」
質問をしてはいけない、分かったフリをする……慎重にいかないといけない。思った言葉を反射的に口にせず、心の中で反芻して吟味する時間が必要だ。本心を形式に合わせ、脚色する時間が。
「“エチカ”が全てを知っている、それで十分」
アヒルがキリスを諭した。
「僕はカナリアを探さなくてはなりません」
居住区にカナリアがいない事が分かり、キリスは外に出たいと思った。
「いけない。少なくとも今は外に出てはいけません。カナリアさんを探すのは、黒像が明けてからにしなさい」
「外が存在しないから」
チキがアヒルを補足した。
外が存在しない……そんなバカな事があるだろうか?……そうかそうか、今度はそうきたか。もうなんでもありだ。新人は右も左も分からないから、何を言っても分からない。そう考えてからかっているのだろう。チキの補足が冗談だと受け取ったキリスは声を出して笑った。
天井の明かりが弱くなった。
「お布施の時間よ、さあ、クイーンも」
「あたしの事は気にしないで! ちゃんと目はつむるから」
アリスは衣装棚の上で、赤い液の形状を変化させるのに熱心だった。液体のあらゆる部分が様々な固有の速度を持って、一箇所に留まらずにせわしなく動き回る。火のようだとキリスは思った。
森を共にしたメンバーが他にいないか部屋中を何度も見渡した。少なくとも絨毯の上には他に誰もいない。少なくとも絨毯の上には。
息を吸ったり吐いたりするタイミングで上下する絨毯の膨らみ。人の形に盛り上がる絨毯は気味が悪く、キリスは見て見ぬフリをしていたが、部屋が暗くなるにつれて動きが活発になり、見過ごすわけにはいかなくなった。
「あ、あ……」
得体の知れない何かが部屋の中心の絨毯の切れ込みに向かってもぞもぞと動くのを見たキリスは、指をさして弱々しい声をあげた。
「さあ、早く目をつむって」
一同はその切れ込みを囲うように集まり、胸の前で指を組み、祈るようなポーズをして目をつむった。
目をつむる? 正気だろうか。不自然な現状が一同には当然のように受け入れられている。つまり、危険は無いのだろう。ただ……しかし……恐い! 本当に恐い! キリスは、いつ襲われてもすぐに反応できるように薄く目を開けておく事にした。
室内はほとんど暗闇の状態。切れ込みから這い出たそれが立ち上がるのが気配で分かった。呼吸の音は大きく、そして不規則だったために不安が一層かきたてられた。暗くてよく見えなかったが、その生き物は胸に白い十字架が印刷された黒い服(厳密には暗さのせいで色は分からないが)を着ていた。筋骨隆々で横幅はカナリアの二倍はあるだろう。キリスより少し背丈が高いくらいの子どもだと思ったが違っていた。下顎しかなかった。頭の上半分がないのだ。キリスは声にならない叫びをあげて退こうとしたが、体が金縛りにあったように動かない。今しがた這い上がってきたそれに対し、一同は手をかざして合唱した。
「今宵は誰もが目を瞑る。誰も触れられない秘密。あなたが犠牲を払わずして、今の私はあり得ない。あなたが不幸の運命から、私と代わって下さった」
首のない奇怪な生き物が、居住者一同によって手をかざされている。異様な光景だと思った。一同の合唱は続く。
「”エチカ”は全てを知っている」
怪物は階段を上って出入り口へと向かい、居住区の扉から漆黒の闇へと消えた。一同が目を開けるとともに、居住区は明るさを取り戻した。
「今の人が”エチカ”なのか!」
「違う。顎者なの。境界で”エチカ”と働いている教団の一員」
ふと、キリスは重大な事に気が付いた。今まで気が付かなかった自分が呪わしい。自分だけが五体満足だ。周りは皆、何かしらが欠けている。アヒルは右手、カッコーは左手、カラスは右足、チキは左足。そして今の顎者が……。自分の首をとっさに触った。顔を触った。髭は生えていない。自分の顔がモスキートになっていないかと強く恐れたのだ。義手義足ではない自分の手足を見る。自分の体が、各々のパーツを寄せ集めてつなぎ合わされたかのような奇妙な錯覚にとらわれた。まず肩を確認した。そして服の中に手を突っ込んで足の付け根を触ってみた。つぎはいだ後は無いと確認できた。
「顎者は、この塔を裏で支えて下さっている尊い方達。毎黒お布施に来るから、今みたいに慰めるのよ」
「慰めないと消えちゃうの」
質問をしてはいけないルールを忘れて『それは一体どっちが?』と聞きそうになったが、それどころではなくなった。




