決められたセリフだけを喋る者
アリスはキリスの腕を強く抱きしめる。
「痛いよ」
自らの腕が金属性の義手であるという自覚はないのか。
邪魔だという言葉を聞き入れず、なおもまとわりついて手こずらせるアリスを引っ張りあげながら塔の階段を登っていると、フリル付きのメイド服を着て、レースのカチューシャをした女性と出会った。衣服に皺や汚れなどが見当たらないため、普段から給仕をしているようには見えず、服の本来の機能のいくつかは果たされていない。その服を着る目的を考えると、どうにもちぐはぐな感じがした。
「アヒルさん!」
ショートの髪と特徴的な口元が印象的だったため、キリスはすぐに思い出した。アヒルもまた義手をしていた。
「はいそうです。ジョーカーから聞いていたのですね」
「カナリアの居場所を教えてください」
『カナリアを見ませんでしたか?』と言いかけたが、慌ててその言葉を飲み込んだ。質問をしてはいけないのだ。まあそれならそうでいくらでもやりようはあるけれど。
要求が直接的過ぎたからであろうか、アヒルは少し戸惑った。
「カナリア、カナリア……えーと、境界に行ってみたらいいわ。エチカに聞けばなんでも分かるから」
キリスは、カッコーに言われた『分からないと言ってはいけず、なんでも分かっているフリをしないといけない』というルールを思い出していた。どうやら、塔の住人達には浸透しているらしい。
「ところでエースよね。私はセルスペードを案内するためにお迎えにあがったのです。あなたが移住者のエースね。よろしく!」
まるで初対面の反応。それだけではない、アヒルに漂うわずかな違和感、その違和感が何なのか突き止めようとよくよく観察した。森で行動を共にした時と比べて、年を取っているように見える……当の本人であるには違いないが、顔が痩せ、そして大人びた気がする。
「よろしくお願いします」
キリスを知らない理由については、アヒルの過去の記憶と付き合っていたからだろうかと考えた。森を共にしたのは、彼女達の過去の人格だったと思わずにはいられない。
道中、アヒルはずっと喋っていた。そこに出てきたのは黒像・境界・エチカ・顎者・イクシル・セルスペード・デュースなど、知らない言葉のオンパレード。そして、それらの言葉の理解を前提として、キリスには直接関係がなさそうな出来事について語り続けたために、相槌を挟む余裕すらなかった。こちらの理解などおかまいなしだ。単調な語り口でひたすら展開される謎めいた説明。本当に理解させようという気はあるのだろうか。本当に理解してついてきていると思っているのだろうか。そもそもアヒル本人が理解しているのかどうかすら怪しいと感じてきた。一字一句丸覚えして、単純に再生しているのではないかと思えたのだ。一度聞くだけで分かるはずもなかったし、覚えられるはずもなかったため、カッコーの助言どおり、キリスは分かったふりをした。するとアヒルはとてもニコニコしている。そうか、これでいいのか。
「クイーンは中には入れないですよ、うちのナンバーではないのですから」
「あたしも入るわ、事情があるのよ。教団の意向」
「それならしょうがないけれど……この看板が私達のセルスペードの目印よ」
アヒルが指をさした看板には光る文字で『暴露屋』と書かれている。
「あら、オウム婆、ごきげんよう」
義足をした太った老女が、長椅子に腰掛けている。長椅子は、段差を考慮に入れてか足の高さが不揃いだった。長椅子と同様に足の高さが違う大理石の台には杖が立てかけられている。台の上には区画化された木箱があり、そこには人の秘密が書かれていると思われる無形の書がたくさん収まっている。赤い液で象られたマナは、下地の羊皮紙が焼却された後も光る文字として残る。
「まあ、見ない顔だね」
「エースのキリスと申します」
「イエスキリスと」
「オウム婆さんは耳が悪いの」
「慣れていない事だらけですがお世話になります」
「親のいない捨て子だけは俺が育てると」
「オウム婆! もうすぐ、黒像だから! そろそろ中に、戻った方が良いわ!」
アヒルは大きな声でハキハキと発音した。
アヒルは看板のすぐ近くまで戻ってきて塔の壁面を見つめたため、キリスも真似をして壁を眺めた。ある特別な角度から見ると人一人分の隙間が現れた。一見するとただの石の壁だが、色調の境目が直線であり、石の配置が見かけとは異なっている。器用に隠された巧妙な仕掛け、大理石の色あいと模様が織り成す遠近感の錯覚に注意を払って初めて見破る事ができる。
一行は順番に、体を隙間に押し込んだ。隙間を抜けると十分に幅のある通路に出た。奥行きのある通路の突き当たりには、石で作られた両開きの扉がはめ込まれていた。
「開け“ソドムゴモラ”」
大理石の扉は従命を守って左右に開き、アリスはセルスペードの中に入っていった。
「あらクイーン、扉のマナを知ってらしたのね。エース、今クイーンが言った通り、扉のマナは“ソドムゴモラ”。隣のオウム婆さんは耳が悪いけれど、拡散させないように気をつけてね、これは私達の鍵なのだから」
扉の内側は大きな部屋だった。階下の談話室には、床一面を覆う円形の絨毯がところどころ盛り上がり、テーブルやソファの形を形成している。中央の柱の中心の文字によって部屋は照らされ、吹き抜けとなっているために入り口からは部屋全体を見渡せる。左右の階段は上下へと続き、入り口のある中間のフロアには、個室へと続く丸い扉が6つ、床から少し離れた位置に設置されている。
この不思議な憩いの空間の中でキリスは呆然としていた。天井を見上げると、天井もまた床と同じ形であり、部屋全体がおおよそ上下対象になっている事を発見した。上下が入れ替わったとしても、この建物はほとんど同じ機能を果たすであろう。実際、階下と天井のそれぞれへと続く階段は、両面ともが階段の役割を果たす。
なんて変わった内装だろうかとキリスは思った。アヒルは最後の一段が欠けた階段を下り、アリスはすでに階下のソファでくつろいでいる。




