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かみてん  作者: チムチム・マイン
移住者の塔
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手当たり次第に泥を塗りつける者

お久しぶりです。少し長いです。

 カナリアがいなくなった。その予感はあった。でも受け入れたくなかった。森を抜ければ再び会えると信じたかった……キリスは錯乱し、空白が心に浸透する。


 やっと出られたのに。ようやくここまで来られたのに。本当に精霊は視覚をも操れたんだ……手を離した自分が悪いのだ。あの時手を離さなければ、はぐれずに済んだのだろうか……悔やんでも悔やみきれない。なぜあの時、ちっぽけな見栄を優先してしまったのだろう!! かけがえのないものを失ってしまった……。


-本当に大切なものに気が付くのは失われた後-


 歩を前に進める気力を失い、階段に膝をついた。


 その時、視界が二つに分かれ、その中心に真っ赤なドラゴンが現れた。はばたくたびに激しい気流が生まれ、分厚い雲をいとも簡単に掻き分ける。ドラゴンには真っ赤な少女が乗っていた。


「やっと見つけたわ♪ ……好き……好きよ。好きよっ!」


 そのり目には炎を思わせる真っ赤な瞳を宿し、その大きな口からは八重歯が覗く。真っ赤な髪を振り乱しながらキリスに急接近する危険な少女……森に足を踏み入れる直前、モスキート達に火を放ったアリスだった。


 アリスは竜から飛び降り、キリスに抱きついた。竜はいまいましげに吠えた後、主人を残してどこかへ飛び去っていった。


「カナリアを見ていない?」


「白髪の女なら、塔に向かっていったわよ」


 キリスは顔を上げた。アリスが女神か何かに見え、キリスの目は輝きを取り戻した。しかしまた同時に、冷静になって考えてみた。カナリアがキリスを残して一人で登っていくなんてあり得るだろうか……どうやら手放しで信じるわけにはいかないらしい。


「ダメだ、信じられない」


「だったら、マナで確かめてみればいいじゃない?」


 そもそもアリスという名がマナであるとは信じていなかった。しかし、手がかりはこの悪魔の言う事だけだ。試してみるより他はなかった。


「アリス。本当の事を言って」


「白髪もあなたを待とうとしていたから『彼を騙して先に登らせた』って言ったわ。『白髪を騙して先に登らせたと言ったら簡単に騙せた』ってね。キャハハハ!」


 アリスを張り倒したい衝動にかられた。もどかしくも、真偽のほどを確かめる事ができない。結局、アリスの言葉を信じようが信じまいが塔に向かうしかないと考えた。


「塔までは二人っきりよ♪ あぁ、落ち込んでいるあなた。可哀想なあなた。慰めてあげてもいいのよ? ああんっ」


 周りに人目が無かったとはいえ、恥らいなく抱きついてきた。頬にキスの嵐を浴びせかけ、腕を取り、決して離そうとはしない。腕に触れる固い金属の感触、アリスの片腕が義手であると初めて知った。森の入り口で出会った時には気がつかなかった。キリスはアリスを引きずり上げながら歩を進めた。


 階段を登るほどに白雲は薄れてゆき、ついに分厚い雲の層を抜けた。


「おお」


 空の青さと雲の白さに目がくらむ。青い空と白い雲が綺麗に分かれ、ちょうどその境目にキリス達はいた。見渡す限り一様に雲、雲、雲……雲の海だ……いや、雲の大陸だろうか。ついに来る所まで来たのだという感慨にふける。


 白雲から突き出た黄色い建造物が空を貫いている。塔だ。それは巨大な塔。それは圧倒的に異様であり、どうもこの場にそぐわないという気がした。本来そこにあるべきではない何かであるのは確かだ。居直り強盗のようなふてぶてしい存在感。物量と高さで壮麗な外観を装っても、建築の動機はやましいものであったに違いない。


 水晶の螺旋階段は塔のふもとに続き、塔の外壁の階段につながっている。形を変えて螺旋は継続する。


「あなた……白髪は、一人では何も出来なくて、あなたの保護が必要な、か弱い乙女だと考えているならそれは大きな間違いよ。白髪は相当なヤリ手、あなたの想像のはるか上を行くくらいねっ」


 何がそんなに面白いのか、笑いをこらえている顔が無性に腹が立つ。頬を思い切りつねって懲らしめてやろうか。


 キリス達は塔に到着した。遠目からはボコボコと突き出て不恰好に見えた外壁の突起は直方体の大理石であり、階段のように登る事ができる。水晶の階段に比べ縦横ともに幅が数倍は広く、右手には壁があって安心感もあった。勾配は緩くて登りやすく、その配置は不規則なのに気が利いていた。


「悪くない」


 離れた所から見ると均整が取れていたので気がつかなかったが、大小様々な直方体の大理石が組み合わされた壁面はおどろくほど凹凸としていて隙間だらけだった。暗くてよく見えないが塔の内部を覗く事もできた。計画を洗練せず無造作に組まれたに違いなく、全体として、よくもまあ斜めに傾く運命を免れたものだと思わずにはいられない。ベージュを基調としながらも、意外と色調は多彩である。大理石の模様に目を凝らすと、平行な白い筋や褐色の斑の他に貝殻を見つける事ができた。


 行く手に、ハットを被った長身のピエロがもだえている。赤い鼻が目立つ白い顔には、涙のペイントが施され、衣装は派手である。ピエロもまた片腕が義手であり、義手を不自然な方向に曲げて四苦八苦している。


「突然申し訳ございません。失礼ですが背中を掻いていただきたい。手が届かないもので(笑)」


 ピエロは背中を向けた。


 キリスは当たりを付けて服の上からボリボリと掻いてあげながら「あなたが神なのですね!」と尋ねた。キリスはジャックの『神になるための試練だ』という言葉を、哀れにも愚直に信じ込んでいたために、塔に住んでいる者は全員が神様だと、愚かしい思い違いをしていたのだ。


 ピエロはわざとらしく身なりを整え、もったいぶるように間を取った。


「……そう、自分こそが全知全能、森羅万象を統べる神である!!(笑)」


 義手の拳を胸に当て、いかにも威厳をまとって語気を強めたが、アリスの殺気を感じ取って訂正した。


「……というのは冗談でして。神なんてありはしません。そもそも、神を信じるには神が必要なんですから。人類は神なしでも存在可能だという事です。文化と文明には神が不可欠ですけれどね(笑)」


「ジョーカー! 彼は混乱しているのよ! これ以上からかわないで」


「エースは迷いの森症候群グレイブハートなのですね。あることないことを信じ込んでしまうのも無理からぬこと。森を抜けてまだいくばくもないですからね。では、はっきりと宣言してあげましょう。ここは正真正銘、森の外です!ここが実は森の中で、森の外に出られた幻を見せられている、なーんてわけではありませんから、どうぞご安心ください!」


 そう言いながらピエロは目尻を下げた。言葉とは裏腹に、もしかしたら君はまだ森の中かもしれないよ、とでも言いたげな表情だ。


 キリスは今まで、ここが実はまだ森の中かもしれないだなんて考えもしなかった。含みのある表情をされなければ気付かないままでいられたのに、と、その可能性に思い至った事がわずらわしかった。苛立ちに紛らせて考えの中から押しやり、それを知る前の状態を切望していると急に、ピエロに「あなたが神なのですね!」と言った事が恥ずかしくなってきた。恥ずかしがっているところを観察される前に、キリスは先にピエロを観察した。すると、厚化粧の裏の面影に、ある人物が思い当たった。


「カッコーさん! あなたも森から出られていたのですね!」


 カッコーは当惑したが、それは、変装を見破られたといった類の驚きではなかった。


「はて、あなたにお会いしたのはこれが初めてのはずですが……でも、紛れも無く、カッコーも自分の名前です。パピヨン、パンドラ、アレフ、フール、ドギマギ、ピーカーブー、ジプシー……数え切れないほどの名前を持っていますからね(笑)。千の名を持つ男、という名すらあるのですよ(笑) 教団ではジョーカーを務めております。ちなみに特技は変装。エースをよく観察しておきましょう(笑)」


 演技には見えない初見の対応。森で出会ったカッコーと別人とは思えないが、少し老けた印象があった。キリスは、カナリアの事を聞こうとしたが思いとどまった。幻覚だったのかもしれないが、カナリアは殺害されたのだ。しかも、今目の前にいる、まさにこの男の手によって。


「あんまりふざけていると殺すわよ。あたし、例えあんたが神だったとしてもためらいなく殺しちゃうんだから!」


「それは勘弁願いたい。その代わり何千回、何万回でも気が済むまで謝りますので! 信じてもらえないかもしれませんが、自分はひたすら謝りたいのです……自らに罰を科したくて仕方がないところでしたので。それこそ、この身が朽ちるまで繰り返し繰り返し詫びましょう。そう、予言のように世界が滅亡するその瞬間まで、ね。他者の卑屈な姿を見て悦に入るクイーンのお気持ちはよく分かります。人には、いくら邪悪だと罵られようと、抗えない本性というものがあるからです。クイーンはその内なる声に尋常じゃないほど素直なだけ。その獣じみた純粋性をもって、稀有な存在であると誰しもが認めましょう。自分ごときの謝罪で気をよくされ、満足されるのなら本望というもの。と言いますのも、気分一つで左右されるクイーンの暴虐極まりない蛮行に、善人が巻き込まれて理不尽な損害を被る事を少しでも避けられると思えば、これ以上の徳はないでしょう。ただ、自分の忍耐力を甘くみないでいただきたい。どこまでもつきまとって謝り続けてみせますよ、きっと。たった一つの心配事は、受け手の欠陥が原因で、この完全な誠意が伝わらず、迷惑がられるかもしれないってことです。うっとうしいという理由だけで、自分に謝罪をやめさせてはいけない。半端はいけません。自分は、全生涯をかけて大真面目に、かつ全力で責任を取ろうとしているわけですから。それなのに途中で打ち切るなんて考えられません。でも、クイーンがうんざりするのも目に見えています……はてどうしたものか……そうだ、謝らないでいてあげますよ。これは自分の善意からです。いいえ、感謝はしなくても結構です。自分にはもったいない! 身に余るというやつです。いや、別にしたければしても構わないですよ、もちろん。自分は承認します。“この道化の発する雑音で精神に負荷がかかる懸念を憂い、前もって取りやめた慈悲に対して感謝する資格”をクイーンに与えましょう。約束します。でもその前に一つお願い事があるのです。自分には果たさねばならぬ課題があります。クイーンが自分に感謝するのは勝手ですが、その呪わしいほど耳障りな声を聞いて不愉快な思いをさせられる前に、先に成し遂げてしまいたい用事があるのです」


 アリスはもはやカッコーの言葉に耳を貸さず、機嫌よさそうにキリスの耳を唇で挟み、む真似ごとをしている。一方キリスは、空想の中で耳が食われている事よりも、アリスの注意力を計算に入れてカッコーが手の込んだ反撃をしたことに関心が向いた。


「エースよ。エチカの言伝ことづてを受けています。『エースを教団に迎え入れる用意がある』の一言だけですが(笑)。森での立ち居振る舞いがえらくエチカのお気に召したようで。自分はそれだけを伝えに来たんですよ。黒像があければぜひ一度境界へ」


 キリスは、自分がエースと呼ばれた事と、何かの招待を受けた事は分かったが、詳細がよく分からなかった。


「どういう事でしょうか? 分かりやすく言ってもらえませんか?」


 突然カッコーは黙り込み、険しい表情を見せた。無言の重圧に緊張が走る。これまでの比較的穏やかな歓迎ムードは失われ、一転、険悪な雰囲気の中、気まずい沈黙が続く。


 どうやら自分の発言が引き金のようだ。まずい事を口走ったらしい。キリスは自分が言った言葉を心の中で検討してみたが、少なくとも、殺すと脅迫したアリスよりは礼を失していないと信じたかった。仮に、場に亀裂を入れた責任がキリスにあるのなら、それを解消する義務があると思ったが、果たして自分のどの言葉がカッコーの感情を害したのか見当も付かない。キリスは、ただまごつくばかりだった。


 カッコーは、背後の視線を気にするように背中でキリスを隠し、覆いかぶさるように近づいた。そして第三者に盗み聞かれる事を恐れるようにキリスの耳元で説明した。


「あー、先にここでのしきたりを伝えておくべきだったようだ……いいかな、ここ、塔ではね、“決して質問をしてはいけない”んだ。ここではみんな、質問をせずに分かったフリをするのが暗黙の了解なんですよ。これは、塔で円滑にやっていくための知恵。実際、本当の意味で何かを分かっている人なんていません。極論すれば、誰にも何も分からないのですよ。たとえ何も分かっていなくても、分かった事にしておく。そうすれば万事うまくいくんです」


 義手でOKサインを作り、描かれた眉を上げてキリスの反応を見る。


 質問してはいけない。分かったフリをする……無知の自覚があり、加えて好奇心が強いキリスには、この奇異な習慣を守り通すにはよほど用心しなければならないと感じられた。


 カッコーは再び陽気な笑顔になった。しかし、誰かの視線を気にする素振りは続けている。そして、いきなり振り向いたかと思うと出し抜けに叫び始めた。


「書を閉じないで下さい。きっと面白くなりますから!」


 キリスは、先ほど忠告された奇異なしきたりを守るか試されているのかもしれないと思った。


「またいつものふざけた演技が始まったわ。あんたなんかに構っていられないんだから!」


「解読者との交信です! 自分達が意味のある存在であるかどうかを決める尊いお方達。自分達は彼らの中に存在する。自分達は彼らの中で再構成されるのです。彼らが書を閉じれば、自分達の時の流れは止まるのさ。ただそれはそれでありかもしれない。終末を目にしなくて済み、終焉はなかった事になります。物語の続きを目で追いさえしなければ、むごい終焉を迎える事はありません(笑)」


「“もしも自分達が物語の登場人物に過ぎなかったら”よね、確か。よく飽きもせず、すごいわー。そんな事を思いついただけでも利口よね、あんた。あたし未だに全くついていけないもん、それ」


 アリスの言葉には軽蔑の色しかない。


「君は君だけの力で、自力で存在するわけにはいかないんだ。解読者によって意味を解釈されることによって、初めて存在できるんだ。自分達はどこまでももろく、徹底的に不完全なのさ」


 頬を上げてウインクし、キリスの同意を促す。


「ええ、ひょっとするとそうなのかもしれませんね」


 寛容なキリスは、目の前で展開される意味不明な芝居に付き合い、形の上でだけ肯定しておいた。


「よく分かっているね! では劇場でまた会いましょう」


 カッコーは親指をあげ、壁面の隙間から塔の内部へと姿を消した。


「あいつ嫌いよ」

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