表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

8

 ヤマトは、トタン葺きの粗末な家の一室に寝転び、携帯ゲーム機の画面を凝視していた。外からは小さく銃声が聞こえる。そのこと自体は珍しくなかったが、その日は朝からそれがずっと続いていた。

「エレナ、おやつよー」

母の声にはーい、と返事をしながら立ち上がる。ゲーム機を折りたたみ、お片付け袋と書かれた布袋に入れて、小さなバスケットに片付けてから洗面台へ行き、手を洗う。

「ちゃんと手洗ったの?」

ヤマトがキッチンに行くと、母親が開口一番にそう言った。

「ママいつもそればっかり。ちゃんと洗ってるってばー」

「あらあら、疑っちゃってごめんね。よくできました」

そう言って母親が手を伸ばすと、膨れっ面をしたヤマトの頭に暖かい手の感触が伝わり、ほっとするような温かい気持ちがヤマトの中に湧き上がる。

「いただきまーす!」

機嫌を直したヤマトはそう言って、小さな皿の中にあるカラフルな色をした丸いチョコレートに手を伸ばした瞬間、ドアベルが鳴った。

「誰かしら」

そう言いつつ、母親がキッチンを出て行くのを尻目に、ヤマトは小さな掌に乗せた色とりどりのチョコレートを口に入れる。

「エレナ!」

 突然、母親の叫ぶ声がして、ヤマトは手を止めた。

「逃げなさい!早く!いつも練習してたみたいに裏の窓から逃げるのよ!」

「ママ……どうしたの?」

母親の物凄い剣幕に、思わず不安になったヤマトは、玄関に足を向ける。

「来ちゃダメ!逃げなさいって言っているでしょう!早く!」

玄関から何かを打ち付けるような音が響き始めた。

「でも、ママ……」

「エレナ!あなたは賢くていい子よ。私の自慢の娘。だからママの言うことを聞けるはずよ。早く逃げなさい。ママも後から行くわ」

早く開けろ、という男の声が聞こえ、騒音が大きくなった。ヤマトはそこに至って漸く、玄関に背を向け走り出した。

「わかったわママ、先に行ってるわ」

 直後、炸裂音が立て続けに鳴り響き、怒号と何かが壊れる音がした。その音に構わずヤマトは窓を乗り越え、この一帯に縦横無尽に張り巡らされた、細く傾斜のきつい路地を下へ下へと下り始めた。路地の両脇にそびえ立つ塀にはどれもこれも色鮮やかなグラフィティがペイントされ、走るヤマトの視界の中でそれらの色が混じり、溶け合い、混沌とした色の洪水に飲み込まれたかのようだ。

 ヤマトは走りながら、いつもの見慣れた紺色の制服を、警官の姿を、視界の中に探していた。いつもはギャングとそこかしこで銃を撃ち合っているのに、こんな時に限って見つからない。ヤマトは焦っていた。

 もはや何度目かもわからない曲がり角を曲がったところで、漸く見慣れた制服姿を見つけ、ヤマトは安堵した。

「助けて!おうちが、ママが大変なの!さっき誰かがおうちに来てママが!」

4人の警官が振り返り、ヤマトを見て顔を見合わせた後、一人がしゃがんで口を開いた。

「お嬢ちゃん、名前は?」

「エレナよ。エレナ・リタ・アマガサキ・シルバ。ねぇ早く来て!」

ヤマトが名前を告げた途端、警官の表情が険しくなり、ヤマトの両肩をがっちりと掴んだ。と同時に、後ろで立っている警官が無線機に向かって喋り始めた。

「よし、わかった。おじさん達に任せとけば大丈夫だ。今から君のうちに行こう、エレナ」

 そう言って警官はヤマトを軽々と担ぎ上げた。ヤマトはすっかり安堵して、体中の力を抜く。これで助かった、そう思った。

 ヤマトが違和感をおぼえ始めたのは、警官に抱かれて数分が経ち、息が整ってきた頃だった。

「ねえ、おまわりさん、もっと急いでよ。ママが危ないって言ったでしょ?早くしないとママが」

その先を続けようとしてヤマトはゾッとした。

「とにかく早く行かないと、走ってよおまわりさん!」

「大丈夫だ、もうおじさん達の仲間が行ってるから。もう君のお母さんも保護されてる」

「そうなの……」

ほっとすると同時に、得体の知れない不安を拭うことができぬまま、10分ほどかけて警官とヤマトは家へと帰り着いた。

 玄関の扉は錠が壊され、弾痕が斜めに中央を横切っていた。そしてそのすぐ前に男が一人倒れていた。男の体の下には血溜まりが大きく広がっており、ピクリとも動かない。死んでいるようだった。死体自体はこの辺りではそこまで珍しいものではない。

「ママは?ママはどこ?ママー!」

「ママは家の中だ。今連れてってやるからな」

 扉をくぐると、かつての平和で穏やかだった部屋の面影は消え、惨憺たる状況だった。玄関から伸びる廊下は弾痕で穴だらけになり、廊下とリビングとの境には食器棚や冷蔵庫やソファーの残骸が積み上げられていた。

「何人やられた?」

ヤマトを抱いている警官が、廊下に立っていた男に尋ねる。

「3人ワタされて、2人が重傷だ」

「流石、アルヴェアーレの元幹部と言ったところか」

口笛を鳴らしながら背後の警官が言った。

「この子が……」

「そうだ」

その場にいた5人が目配せをし合い、奇妙な間が生じた。ヤマトは居心地の悪さと不安を感じ、顔を下に向ける。

「ではママに会いに行こうか」

そう言うと、男はリビングに向かって歩き出した。

「イブ、連れてきました」

 リビングに入って最初にヤマトの目に飛び込んできたのは、男の死体だった。頭に真っ赤な大きな穴が開いて、辺りに大量の血液と脳漿が飛び散っている。ヤマトは思わず目を背けた。死体を見慣れてるヤマトでも、ここまで酷い死体を見たのは初めてだった。次いで目に入ったのは、大量の薬莢とそこかしこに開いた弾痕。最後に、5人の人物に目が行った。

「ママ!それにパパも」

猿轡を咬まされ後手に縛られたヤマトの両親が床に転がされていた。二人ともヤマトを見て何かを言おうとしていたが、猿轡に邪魔されてモゴモゴという呻き声が漏れるだけだった。

「離してっ!離してよっ!」

ヤマトは警官の腕の中でもがくと、あっさりと警官はヤマトを解放した。

「ママ、パパ、大丈夫?」

ヤマトは両親に駆け寄ってしゃがみ込み、猿轡を外そうとしたが、その瞬間背後から羽交締めにされ、引き剥がされてしまった。

「離してっ!離せっ!このっ!」

ヤマトは必死に抵抗したが、10歳にも満たない子供が、大人の男の腕力に敵うはずもない。

「エレナ」

 女の声がし、ヤマトは息を切らしながら顔を上げた。一人の女が、ヤマトの両親の傍に立ってヤマトを見ていた。

「一度しか言わない、よく覚えておけ。私の名前はイブだ。」

女の声には、有無を言わさぬ得体の知れない力があった。真剣に女の言うことを聞かざるを得ないような、聞くことを強いるような力が。

「お前の両親は罪を犯した。今からその償いをさせる。よく見ておけ」

言うや否や、女は手に持ったリボルバーを構えた。

 何かが爆発する音が聞こえ、ヤマトは思わず目を閉じた。音は立て続けに4回鳴ると、静寂が戻ってきた。

 おそるおそる目を開けるたヤマトの網膜に、目を閉じてピクリとも動かない両親の姿が映し出された。ヤマトはママ、パパ、と言おうとしたが上手く声が出なかった。ボロボロになった部屋の中で、床に散乱した色とりどりのチョコレートと、両親を中心に広がっていく赤い血溜まりが鮮烈だった。

「ママ……パパ……」


 ヤマトは静かに瞼を開いていた。今までに何度も見てきた悪夢。目頭が熱く、頬に手をやると濡れていた。

 鼻をすすり、はぁ、と息を吐く。深呼吸を2、3度繰り返すと気分が落ち着いてくる。エレナ。思い出したくない過去と分かち難く結びついた自分の名前だった。

 両親を殺されたあの日から、ヤマトは自分の名前を捨てた。両親を目の前に何も出来なかったエレナが許せなかったのだ。

 あの日の翌日、ヤマトは近所の住人の通報で警察に保護され、当時出来たばかりの孤児院に収容された。後にヤマトは、アルヴェアーレという組織の人間が両親を殺しに外国からやってきたこと、あの日の警官の服を着た人物が、実は警官に扮したアルヴェアーレの一員だったこと、そしてアルヴェアーレがニホンという国を本拠地にしていることを知った。

 11歳の春、ヤマトは孤児院で知り合った数人の仲間と共に孤児院から出て暮らし始めた。所謂、ストリートギャングというやつだった。2年ほどそうして暮らし、銃や暴力の扱い方に習熟した頃、ヤマトは仲間を引き連れ、南米に別れを告げて船でニホンへと渡った。アルヴェアーレのイブ。その名と、顔を胸に刻み、復讐の炎を燃やして。

 ニホンに着くと、ヤマトは仲間と共にアルヴェアーレへと入り、組織の中で我武者羅に働いた。少しでもイブに近付くためだった。次第にヤマトはアルヴェアーレの中で頭角を現し、現在は幹部にまで上り詰めたのだ。そして、イブを殺すべくリボルタを計画した。

 ヤマトは回想を止め、神経を集中させ始めた。ヤマトは既にオマエザキ灯台へ入り、灯台の脇に埋めてあったベレッタを見つけ出していた。

 オマエザキ灯台はトーキョー大震災の津波の影響で崩れかけたまま放置され、無残な姿を晒し続けていた。最上部は跡形も無く、地面から7、8メートルほどしか残っていない。海に面した南側の壁の損傷が酷く、南方向の海側から北方向の陸側に向かってコンクリート製の壁がなだらかに上がり、結果として灯台全体は竹を斜めに切った様な形になってしまっている。

 灯台内部は直径15メートルほどの広さがあり、その中央にかつては真っ直ぐ立っていたであろう、鋼鉄製の直径1メートルほどの円柱が斜めに傾き、北側のコンクリート壁にもたれかかるようにして立っているといった有様だった。その円柱の傾きに引きずられる形で、灯台内の螺旋階段も傾いてひしゃげ、地上から1メートルほど浮いた部分から1段目が始まり、1回転半した所で捻じ切れて唐突に終わっている。床や階段の残骸の上には大小様々の瓦礫が散乱し、清掃されないままに風化し、堆積していた。

 ヤマトはひしゃげた螺旋階段を登って1回転した辺りにしゃがみ、身を潜めていた。少し顔を動かせば外を見渡すことのできる位置だ。元々灯台が立っていた場所だけあって、北側一帯、つまり陸側には視界を遮るような高い建造物は無く、500メートル程度に渡って視界が確保できていた。東西は300メートルほど先に木立が横たわり、視界を遮っている。北と東と西、三方に渡っては300メートル程度の視界は確保できていることになる。南側は南東から南西にかけて緩やかな崖が海岸線へ向かって100メートルほど続き、視界は良好だった。つまり、灯台は太平洋に向かって南側に少し張り出したような部分に建っている。念の為ヤマトは双眼鏡を持ってきていたため、誰かが来ればほぼ確実にヤマトの方が先に察知できるポジションだった。

 ヤマトが携帯電話を取り出すと、時刻は午前10時を示していた。3時間ほど眠っていた計算になる。指定時刻まであと6時間。ヤマトはイメージトレーニングを再開した。人間が接近してくるのを確認したら身を潜め、標的が建物内に進入した所で頭部を撃ち抜く。それが理想ではあったが、予想外のことが起こるのがゴトの常である。相手が武器を持っていた場合、遠距離狙撃をしてきた場合、様々な状況を考え、それぞれ対処を考える。いつものヤマトのやり方だった。

 1時間ほど経った後で、ヤマトはイメージトレーニングをやめる。あと5時間。ヤマトは息を吐き、肩の力を抜いた。

 イブは何をしようとしているのだろうか。ずっと気になっていた疑問についてヤマトは考え始める。イブはヤマトが武器と人員を集めて何かをしようとしていることに気がついている。正確に言えば、蛇王からその情報を貰った。だから蛇王とのトラの取引を邪魔しようとし、取引現場に人をやった。だがその邪魔は結果的には失敗してしまっている。納期が遅れたとは言え、ヤマトがトラ屋を脅して予定数のトラを調達したからだ。邪魔しようと思えばもっと徹底的に出来たはずである。なのに何故、このような中途半端な状態で終わらせてしまったのか。そして、何故今日、この場所へヤマトを呼んだのか。リボルタに対する牽制、気付いているぞと言うメッセージなのか、あるいは今日ここでヤマトを処理するつもりなのか。

 わからないことは多かったが、ヤマトは一つだけ憶測を立てていた。イブは何かを企んでいる。そして、それを近々、おそらく今日か明日実行するつもりだということ。そして、その企みを成功させるために、リボルタの邪魔をして、リボルタの計画を延期させたのではないかということだった。最初の計画では、リボルタは二週間前に行われる予定だった。だが、邪魔が入ったおかげでもう二週間延期する羽目になってしまった。延期させることさえできればそれで良かったから、それ以上の追及をしなかったということだ。問題はその企みの中身だった。それを知るために敢えて今回のゴトに飛び込んだという側面もあった。

 そこまででヤマトは思索を止めた。これ以上考えても無駄だと自らに言い聞かせる。考え過ぎて慎重になりすぎるとかえって自分の首を絞める結果になりやすいことを、ヤマトは経験的に知っていた。

 異変に気がついたのは午後の4時過ぎだった。陸側から一台、中型の箱型トラックが灯台へ向かって未舗装の地面を走ってきたのだ。

 ヤマトは嫌な予感をおぼえ、ベレッタを仕舞い、念の為持ってきていたミニミ軽機関銃を取り上げた。

 トラックは500メートルほど離れた場所で速度を落とし、灯台に向かって横付けにする形で停車した。暫くすると、双眼鏡を覗き込むヤマトの目に、トラックの荷台の箱から小さな穴が開くのが見えた。

「ヤバい」

呟くや否や、ヤマトは覗き込んでいた双眼鏡を仕舞い、螺旋階段を伝って下へと飛び降りる。

 南側、海へ向かって灯台の外へと飛び出した瞬間、背後で炸裂音が鳴った。

 低く伏せたヤマトの背後で、弾がコンクリートを砕く音が響く。おそらく重機関銃だ。トラックの箱の中から灯台に向け、長さ10センチにも達する高威力の銃弾を撃ち込んでいる。まともに当たれば身体を真っ二つにされて即死だ。ヤマトは灯台の下の斜面に身を落とし、斜面を下った。そのまま崖伝いに東へと回る。

 話が違う、ヤマトの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。どう考えてもベレッタで立ち向える相手では無い。念の為にミニミを持ってきているとは言え、重機関銃相手では果物ナイフ一本で象一頭に立ち向かうようなものだ。ヤマトは部下に応援を要請しようと思わず携帯電話に伸ばしかけた手を止めた。イブは、どういう原理かは知らないが、組織内部の情報に怖ろしく良く通じていた。また、徹底的な制裁を科すことでフィーリア達に知られ、同時に恐れられていた。ヤマトは、イブの制裁を受けた本人とその家族が無事だった例を一件も知らなかった。制裁が決定されると3日後には必ず、制裁対象の生首が各地域の事務所を回り、同時にその写真データが全フィーリアに送られる。今の段階でこのゴトの情報を漏らせば、たちまちイブの知るところとなり、ヤマトも部下も必ず制裁を受けるだろう。

 ヤマトは携帯電話をポケットに戻し、崖に沿って走り出した。どうにかして一人でやるしかない。そうヤマトは決意する。暫く走ったところで崖の上に上がると、狙い通り東側の木立の中へと入った。草木をかき分け、トラックのある方向に必ず障害物を挟むようにしながら進む。灯台とその周囲が見渡せる場所に着くと、ヤマトは目を凝らした。

 トラックは最初に停車した場所から動いていないようだった。射撃は止まっている。

 厄介だな、とヤマトは心の中で呟く。恐らくトラックに乗ってきた人間はすでにトラックから出ているのだろう。問題はどこにいるのかということだった。ヤマトは双眼鏡を取り出して灯台を見る。その白いコンクリートの外壁に、新たに開いた穴があちこちに見えた。一部崩れている部分もある。当然ながらその内部を見ることは叶わない。

 灯台以外に隠れる場所があるとすれば、やはり灯台の東西に広がる丘の上、木立の中だろう。その場合、遠距離からの狙撃を受ける可能性が高い。ヤマトのミニミには一応スコープが付いているため一応500メートルほどの射程は確保できていたが、所詮ミニミは軽機関銃、精度は期待できない。相手が狙撃銃を持っていれば苦戦するのは必至だった。

 携帯電話を取り出すと、時刻は4時25分を示していた。イブの指定した時間まであと少しだ。ヤマトは地面に腹ばいになってバイポッドを立てたミニミを構え、スコープを覗き込んだ。先ほどまでその場に居た灯台内部の様子を思い浮かべ、ヤマトが覗いていた穴を見つけ出す。よくよく目を凝らすと、穴の奥で何かが動くのが見えた。

 ヤマトはミニミの引き金を引こうとした指を止めた。イブからの手紙にはベレッタで殺れとあった。そして、条件を達成できなかった場合は制裁を課すと。用意された銃を使う理由としては、警察による捜査の撹乱等のメリットがある。つまり、銃の指定というのは何らかの理由がある可能性が高い。それを台無しにする行為をすれば、イブから制裁を課されるということは十分あり得る話だった。

「クソッ」

小さく吐き捨てると、ヤマトはミニミを持ち、ゆっくりと立ち上がった。敵に悟られぬよう慎重に、かつできるだけ素早く移動する。ある程度進むと、ヤマトはミニミのバイポッドを立て、ミニミを地面に置いた。照準を灯台に合わせると、ストックの後端を浅く土に埋め、手近な大きめの石で動かないように固定する。それが終わると丁度いい大きさの小石を拾ってトリガーとトリガーガードの間に差し込んだ。

 ミニミが連射を始めたのを背後に聞きつつヤマトは敵に気づかれないよう用心しながら走った。南東方向、木立の途切れる境目で双眼鏡を片手に灯台を観察する。ヤマトの予想に反し、人影は見えなかった。ヤマトは躊躇わず海岸へと続く緩やかな斜面へ体を落とし、そのまま灯台まで走って灯台の真南までたどり着くと、斜面を登った。

 斜面の終わり、平地ギリギリまで近付くと、ヤマトは上着のポケットからM67手榴弾を取り出し、ピンを抜いてから灯台の西側方向に向かって思い切り投げ、全力で斜面を元来た方向、東側へと走り出した。

 5秒後、手榴弾の炸裂音が響くのを聞きつつヤマトは灯台から50メートルほど離れた所で斜面を登り、今度は灯台に向かって走る。陽動が功を制したらしく、ヤマトは無傷で灯台へと辿り着いた。灯台への出入り口のすぐ横に張り付き、壁に耳を当てる。ヤマトが設置したミニミの連射は大分前に止まっているはずだった。ヤマトは灯台内部に手榴弾を放り込みたい衝動に駆られたが、それができないこともよく理解していた。

 話が違う。改めてヤマトはそう思う。おそらく相手はヤマトがここに来るのを知っていて、重機関銃まで用意してここに来た。そんな何を持っているかわからない相手に拳銃一丁で応戦しなければならない。弾数も限られている。イブは私を始末しようとしているのだろうか、とヤマトは考える。しかし、それにしては腑に落ちない部分も多かった。ヤマトはベレッタを両手で構えつつ、顔を突き出した。その瞬間、黒い面を被った黒い人影が拳銃を構えている像がヤマトの網膜に映し出され、間髪入れず、弾が空を切る音がしてヤマトの顔の横のコンクリートが砕け、ヤマトはすぐに顔を引っ込めた。

 もう一度顔を出そうとした瞬間、背後で何かがぽすん、と地面に落ちた音がして、ヤマトは振り返った。視界の端に手榴弾の像を捉えた瞬間、ヤマトは全力で走り出していた。ヤマトの脳裏で警鐘が鳴り響く。足を前へ。少しでも前へ行かなければ死ぬ。ここで死ぬのかもしれない、という思いと死んでたまるかという2つの相反する思いがヤマトの頭の中を駆け巡り、ぶれる視界の中に白いコンクリートの壁と、赤茶けた土に覆われた地面と、青の中に僅かに朱が混じり始めた夕方の空が映り込む。灯台入り口を通り過ぎ、灯台の外壁が描くカーブに沿ってヤマトは走る。早く、早く。高々直径15メートルほどの灯台の周囲の道のりが、ヤマトには非常に長く引き伸ばされて感じられた。

 走り始めて何秒経ったのだろうか。5秒にも満たなかった気もするし、10秒以上走った気もする。ともかくヤマトは灯台の壁の曲面に沿って西側に回り込んだところで地面に全身を投げ出した。ほぼ同時に手榴弾が炸裂し、その轟音が空気を切り裂いた。

 手榴弾が炸裂してから数秒後、ヤマトは目を開いていた。頭に鈍痛があり、耳鳴りがきぃんと鳴って音が聞こえない。しかし。生きているという事実にヤマトは心底安堵する。しかも、見た所大きな怪我も負っていないようだった。何とか灯台を回り込み、灯台を盾に手榴弾の破片を防ぐことができたおかげだった。ヤマトはふらつく脚で立ち上がり、壁に右手をつきながら、灯台入り口に向かって歩き、入り口のすぐ横に張り付いた。

 ヤマトはさっき入り口で受けた銃撃を思い出す。敵は10メートル以上離れた場所から銃弾を撃ち、ヤマトの顔のすぐ脇に命中させていた。敵はかなりの腕前を持っている。上を見上げるが、人影は見えない。もし敵が灯台の壁の上に登るのを許せば、ヤマトは格好の的になってしまうだろう。加えて敵はおそらく今のヤマトの貧弱な装備を把握しており、ともなればもはや身を隠す必要が無いことを知っているはずだ。つまり、躊躇なく壁の上に登ろうとする可能性は高い。敵が壁の上に立つ前に、手早く片づける必要がある。さらに、灯台内に飛び込んでからは常に動いて銃撃を少しでも回避する必要があった。

 ヤマトは息を整えた。ふと、フウコから教わったジンクスを思い出し、ヤマトは銃を持ち替えて利き手の逆、左手の人差し指をトリガーに掛け、右手を左手の上に添えた。そのまま地を蹴った。

 灯台入り口のアーチを潜り抜けてすぐ、正面に黒い人影が見えた。ヤマトは走りながらトリガーを引いた。最初の1発は外れたが、残り2発は確かな手応えがあった。と同時に、微かな違和感。一瞬遅れてヤマトはその違和感の正体に気が付き、戦慄した。人影は、微動だにしなかった。もっと言えばそれは、大きなバックパックに黒いコートを巻き付けただけの代物だった。どこだ。ヤマトが全身を右に捻ろうとした瞬間、右肩に衝撃を感じ、ヤマトの体が前につんのめって爪先が宙に浮く。それから先は、まるでコマ送りになった映画を見るかのように、ヤマトの目には周囲の動き全てがスローモーションで見えた。

 ヤマトはすぐに己の左肩を撃たれたことと、敵が背後にいることを、同時に直感した。ヤマトは右肩に与えられた衝撃に逆らうこと無く、それに加えて上半身を大きく左方向へ捻り全身を反転させながら、左腕を伸ばす。地面に倒れ込みながら全身を反転させると、灯台入り口の真上に立つ人影の姿がヤマトの網膜に映り込んだ。敵弾が、ヤマトの顔のすぐ横を掠める。ヤマトはベレッタの照準を人影に合わせ、トリガーを引いた。何度も、何度も。ベレッタのスライド上部に開く大きな排莢口から、空薬莢が次々と排出されて日光を反射し、ヤマトの周囲の地面に着弾した敵弾が粉塵を巻き上げる。

 最初の3発を外し、4発目にしてようやく、ヤマトは手応えを感じた。さらに5発目。外す。同時にヤマトは自らの腹部に衝撃と、少し遅れて熱を感じた。構わずトリガーを引き続ける。6発目、ヒット。7発目、外れ。8発目、ヒット。9発目、ヒット。人影がぐらりと体勢を崩した。ヤマトはそれでも手を休めず、トリガーを引く。10発目、ヒット。人影は完全にバランスを失って、螺旋階段から落下した。

 途端にヤマトの見る世界の時間の流れが元に戻り、右肩と腹部を耐えがたい激痛が襲った。呻き声を漏らしながら、ヤマトは腹部を見やった。大量の血液が傷口から噴き出し、ヤマトの服を真っ赤に染めている。ヤマトは上着を脱いで丸めると腹部に強く押し当てた。そのまま何とか立ち上がり、今しがた殺った敵のもとへと向かい、その顔を見下ろした。

「そんな……」

 そう言ったきり、ヤマトは絶句した。ヤマトの目の前に横たわる死体は、ヤマトの師であり、上司であり、数少ない信頼できる人物であった、フウコそのものだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ