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「ふざけとんのかワレェ!テメェ先週中に倍にして返すちゅうたやろがぁ!こっちが下手に出てりゃぁ調子に乗りやがって!テメェの女子供どうなってもええんか?おおん?」

 シガーの煙で白く霞んだ地下室の中、部下のだみ声が響くのを、ヤマトは革張りの椅子に座って脚を組みながら聞いていた。

「ふざけんじゃねぇぞこの野郎!こちとら遊びでやってるわけじゃねえんだ、女子供売るかテメェのモツ売るかして金作れやボケェ!」

 突然、電子音が鳴り出し、ヤマトは吸っていたシガーを灰皿に押し付けた。そうしておいて、ポケットから携帯電話を取り出す。

「ヤマトですが」

「娘よ久しぶりだな」ヤマトが良く知っている声だった。

「お久しぶりです、ボス」

「その呼び方はやめろと言っているだろう。イブと呼べ」

嫌悪感がヤマトの背を這う。イブ。どこかの国の言葉で母を意味する言葉らしい。貴様のようなクズを母親呼ばわりする義理は無い、という言葉を飲み込む。

「……イブ、今日は何の御用で」

抑揚の無いフラットな声、要するにいつもの自分の声をヤマトは自らの声帯から発した。

「ワタシのゴトだ。あとで資料を届けさせる」

「わかりました、イブ」

「しっかりな。絶対に失敗するんじゃないぞ」

電話が切れるのを待ち、ヤマトは電話をポケットにしまうと、さっきまで電話に向かって怒鳴っていた部下がいつの間にか携帯電話を仕舞い、こちらに視線を投げて寄越していた。

「リボルタの段取りはどうだ?」

 部下の視線に気付かないふりをしてヤマトは言った。

「今の所、リボルタそれ自体には問題はありません。スネークヘッドからの人員たちのリストも配布されましたし、その一部とは顔合わせも済んでいます。トラも届きました。今はここ以外にもシズオカとオオサカの事務所に置いています」

「直近でイブがスルガに現れたのはいつだ?」

「2週間前の金曜です」

「その前も2週間おきにスルガに来てるってのは確実なのか」

「少なくともこの半年はそうです。恐らく3日後の夕方にもイブはスルガに来るでしょう」

「……」

 リボルタ。イタリア語で蜂起の意だ。アルヴェアーレのトップ、イブと呼ばれる女を抹殺する。この計画をヤマトとその忠実な部下達はリボルタと呼んでいた。アルヴェアーレ、蜂の巣で起こる蜂起、リボルタというわけだ。

「ちょっと出掛けてくる。留守を頼む、スドウ」

イブからの電話の件を片付けるべく、ヤマトは立ち上がった。

「お気をつけて」

 スドウの声を背にヤマトは地下室の扉に向かう。外に異常が無いのを扉の脇の2つの画面で確かめてから、扉を開く。ドアを後ろ手に閉め、手を上に伸ばしながら真っ暗な中階段を登った。伸ばした手が冷たい天井に触れた辺りで、ヤマトは右側に手を伸ばす。ざらついた壁の感触の中につるりとした突起を探り当てて押すと、壁に埋め込まれた小さな液晶画面に明かりが灯った。画面下に並ぶ番号付きのボタンを幾つか押すと、微かな音とともにゆっくりと頭上の天井が動き始めた。

 やがて天井がなくなり、ヤマトは止めていた足を再度前へと繰り出し始めた。

 階段を登りきると、見慣れた廃墟の内装が、ヤマトの眼前に広がった。いや、廃墟というのは正確ではない。廃ビルを改造した建築物だ。20m四方の仕切りも何も無い空虚なスペース。上方には鉄骨や、防音材や断熱材の類がその姿を晒している。その中に紛れてひっそりと監視用の暗視カメラと高感度マイクが設置されている。ヤマトが階段を登りきって5秒ほど経つと、壁はゆっくりと元に戻り始めた。

 その無骨な、荒んだスペースの中をヤマトは進む。廃ビルの角まで進むと、ヤマトはしゃがみこんで地面を探り、突起を探り当てて暗闇の中でそれを押した。

 さっきと同じような小さな液晶画面の灯りが、今度は地面に灯った。さっきと同じ要領でボタンを順番に押し、解錠する。暫くは反応が無い。さっきここへ出てくる時に開いた壁が閉まるまでは開かないようにできているためだ。2分ほど待つと漸く、目の前の地面がゆっくりと動き始めた。

地面に穴が開くのを待ち、再びヤマトは真っ暗な地下へ下りる。3度目の暗証番号入力を済ませると、背後の扉が閉まるのを待ってから、正面の壁が滑らかにスライドした。

 正面からLEDライトの直線的な光が差し込み、ヤマトは思わず目を細めた。亜麻色の虹彩が収縮し、網膜に入る光の量を調節する。

 目の前に伸びる、清潔感あふれる白塗りの廊下をヤマトは進んだ。

「お疲れ様ですヤマトさん。今開けますんで」

廊下の突き当たり、扉のすぐ脇の狭苦しい守衛室に座るヤマトの部下が手元を操作すると目の前の分厚いガラス扉が開いた。ただのガラス扉ではない。防弾ガラス製の特注品だ。

「留守を頼むぞ、ハヤカワ」

 ヤマトがハヤカワに声を掛けてガラス扉をくぐると、ヤマトの目の前に明るい清潔感のあるオフィスルームが広がった。社員たちの挨拶に鷹揚に頷き返しながら、パソコンの列の間を縫ってオフィス出口を抜けると、人の行き交う地下街が目の前に開けた。

 手足の長い黒人、中国語を喋りながら歩く龍の刺青をした男女、瞳の青い白人……そんな雑多な人々が行き交う雑踏の流れにヤマトは滑り込む。見渡す限りの人、人、人とそれらが生み出す喧騒。道の両側には様々な店が並び、呼び込みの声もひっきりなしだ。そして、それらの光景に猥雑さを感じるのは、決して清潔とは言えない、どこか荒んだ店たちのせいだろう。東京大震災前の清潔感溢れる地下街とは大違いだ。

 人々に流されるようにして地下の大通りを暫く進んだ後、脇道へと足を踏み入れる。地下街を進むに従い、シャッターを閉めた店が目立ち始め、人通りも少なくなってゆく。10分も経つと、さっきとは打って変わって人影が疎らで店も無い、がらんとした地下街がその姿を現した。聞こえるのは頭上を走る車と地下鉄が発する振動だけだった。

 目的の地上出口、B-9から出ようとして、ヤマトは足を止める。階段の脇に、髪を金色に染めたアジア人の男が4、5人たむろしていた。何人かがこちらを見て、口笛を鳴らす。踵を返し別の出口へ行こうとしたが遅かった。

「お嬢ちゃんこんなとこで何してんのー?」

背後から走ってきた男が、ヤマトの進路を塞ぐ。デカい。身長が170cmあるヤマトの頭二つ分位上に男のスキンヘッドが光っている。

「こんな危ないところは、お嬢ちゃんみたいなカワイイ子が来たら危ないんだよぉ?」

「だからお兄さんたちが守ってあげよう」

 背後からの声に振り返ると、ストライプの入った派手なスーツを着た、金髪のアジア人がガムを噛みながら歩いてくるところだった。

「久しぶりの上物だぜ、兄貴」

スキンヘッドの男が言う。

「たまらねぇ」

スキンヘッドが背後からヤマトの肩を掴む。勘弁してくれと思いながらヤマトは口を開いた。

「私は急いでいる。済まないが通してくれ。それと、女は遊郭で探せ。貴様らみたいな不細工どもでもあそこでなら相手してもらえるぞ。あそこの女共はプロだからな」肩に置かれた手を振り払いながら言う。

「このアマ」

 いつの間にかヤマトは5人の男に囲まれていた。思わず溜息を吐く。スーツを着てくるんじゃなかった。面倒でも着替えるべきだったのだ。

「私をどうこうしようってのはあまり得策じゃない。私の名はヤマトだ」

ヤマトは最終警告を発した。

「へぇ、ヤマトちゃんって言うんだ。ヤマトちゃん、大人しく俺たちの言うこと聞いてもらおうか。でなけりゃ死ぬぞ」

金髪が懐に手を伸ばすよりも一瞬早く、ヤマトは自らのジャケットへ手を伸ばしていた。そこからは一瞬だった。

 流れる様な動作でジャケットから取り出されたヤマトの両手に一丁ずつ銃が握られていた。金髪に向かって突進しながらヤマトは躊躇なく右手に握られた銃のトリガーを引く。一瞬で金髪の体に数十個の穴が開き、赤い血液の飛沫が飛ぶ。崩れ落ちる金髪の体を押し退け、クズ共の輪から脱出した。ヤマトが振り返ると、間の抜けた顔で金髪を見やる男3人と、今ようやく懐に手を伸ばしつつこちらへ向かって突進してくるスキンヘッドが見えた。ヤマトは左手を構え、銃のトリガーを引く。スキンヘッドの体のあちこちから鮮血が吹き出し、その巨体が地面へと崩れ落ちる。

「動くなよ。動いたら殺す」

 ヤマトは残る3人の男にMAC11の銃口を突きつける。正確にはMAC11に手を入れてフルオート発射できるように改造したシロモノだ。このB5版に収まるほどのコンパクトなサブマシンガンは、特に近接戦闘に置いて非常に高い戦闘能力を発揮する。

「お前らのファミリーの名前教えろ」

 ヤマトの問いに答えるものはいなかった。間抜けなツラを晒し、金髪とスキンヘッドをただただ見つめるだけの3人の男。ふとヤマトは、スーツの袖口に黒い斑点状の染みが付いていることに気付いた。

「テメェらはどこのワーカーだって聞いてんだよ!このゴミクズ共が!」

突然のヤマトの激昂に、3人の男たちはハッとしたようにヤマトを見、それから顔を青くして脚を震わせ始めた。

「お、俺たちはスネークヘッドのワーカーだ」一人がポツリと呟く。「お、お前よくもやりやがったな!兄貴を殺りやがって……ウチのボスが黙っちゃいないぜ」

男の声は震えていた。

「嘘だな」

ヤマトは即座に否定した。

「お前らはスネークヘッドのワーカーじゃないはずだ。あいつらが私を知らない筈がない。大方、奴らに雇われたって所だろテメェら。素人がこんな危ないところうろつくとどうなるか教えてやるよ」

言い終わるや否や、ヤマトは両手のMAC11の引き金を引く。立っていた3人の体が声も無くくずおれる。2秒足らずで2丁合わせた全弾64発を撃ち尽くし、ヤマトは構えていた両腕を下ろした。薄汚れたコンクリートの床に赤い血溜まりが広がっていく。

 ヤマトはしゃがみ込むと、手袋を取り出してはめた。地面に転がった5つの体の脈を取る。5人全員が絶命しているのを確認して、それぞれの懐を探ると、5人それぞれのパスポートとキャッシュカードが見つかった。それらをしまいこんでついでに各自の財布から紙幣を抜き取る。全部合わせると20万円ほどになった。シケてんな、と舌打ちする。

 あたりを見渡すと、一台の監視カメラが目に入った。地上出口から続く階段を登りつつ、ヤマトは携帯電話を取り出して番号を押す。

「スドウ、番街のB-9地上出口付近の監視カメラの映像を処理しろ。至急だ。それと今から言う名前を調べろ。もしかしたらスネークヘッドと関係あるかもしれない」

先ほど始末した5人の名前を読み上げ、ヤマトは電話を仕舞った。おそらくそこまでしなくても良いはずだったが、念には念を入れておきたかった。

 階段を登り切って大通りを歩く。あちこちに更地が目立つ。所々、瓦礫が残っている場所すらあった。いつになれば東京大震災からの復興は終わるのだろうか。復興が進まないせいで治安の悪化が進展し、アルヴェアーレやスネークヘッドといった犯罪組織をのさばらせてしまうのだ。そんな考えがヤマトの頭をチラリと掠める。

 5分ほど歩くと、更地に挟まれてポツンと立つ、見慣れた廃ビルが見えてきた。赤レンガ調の外壁に走る大きな亀裂が痛々しい。

 廃ビルに入る直前に、ヤマトはあたりを見回す。誰もいないらしいことを確認し、廃ビルのドアを開けて中に入った。

「遅いぞ」

「すまない、フウコ。ゴミの始末と後片付けをしていたら遅くなった」

フウコと呼ばれた男は一瞬怪訝そうな顔をしたが、ヤマトのスーツに飛び散る斑点を見てすぐに理解したらしく、呆れた表情を見せた。

「そんなこと繰り返してると殺られるぞ。部下を付けろとイブにも何回か言われてるだろ」

「群れるのは嫌いなんだ私は。自分の身くらい自分で守れる。大体、私に身を守る術を叩き込んだのはあんただぜ?銃の扱いからゴトに関するジンクスまでな。あんたは自分の教育に自信が無いってのか?」

「馬鹿を言うな。俺は自分の技術と教育に関しては自信を持っているし、お前は優秀だ。だが自分の力を過信し過ぎだ。それにどうせジンクスなんて信じちゃいないだろお前は。両手撃ちなんていう下品な撃ち方を好むお前にとってはな。内容を覚えているのかどうかも怪しいもんだ」

「ちゃんと覚えているさ。グリップを握る手は利き手と逆の手で、利き手は添えろ、だろ?まあ両手撃ちするときには関係ないが」

「ほう、覚えていたとは感心だな。やはり俺の教え方が良かったらしい」

 フウコはにやりと笑って言った後、真顔になって再び口を開いた。

「話を戻そう。お前が傷ついたらお前の部下が責任取らされるっていう事実をお前は理解してるのか?お前の命は最早、お前ひとりのもんじゃ無くなってんだよ」

「その通りだな。だから群れるのは嫌いなんだ」溜息を吐きながらヤマトは言う。「まぁ考えとくよ」

フウコがヤマトの言葉に頷きつつ封筒を差し出した。

「イブからだ」

 差し出された封筒を黙って受け取ると、「じゃあな」と言ってヤマトは踵を返した。

「ヤマト」

フウコの声にヤマトは振り返った。

「お前、イブのことをどう思ってる?」

「……絶対的な上司だ。それ以上でもそれ以下でも無い。ボスのことは尊敬してるさ」

ヤマトは心にも無い台詞を吐いた。

「あの方のことはイブと呼べ、ヤマト。あの方もそれを望んでおられる」

「気が進まないな」

そうヤマトが返すと、フウコの顔が険しくなった。

「イブはお前を評価してるし、それなりの待遇をお前も受けてるはずだ。だったらそれに応えてやるのが、お前も含めた俺たちフィーリアの道理だ。お前のイブに対する接し方は無礼に過ぎるぞ」

「無礼?どこをどう見たらそう見える?自分の上司を母親呼ばわりする方が失礼だと思わないか?ボスからのゴトをドジったことは無いし、タンザクもナマで毎月納めてる。文句言われる筋合いは無いね」

 次の瞬間、ヤマトの目の前に、ごく自然にまるでそこにあるのが当たり前という様子で、リボルバーの銃口が黒々と口を開けていた。

「私を殺るのか?」ヤマトの顔の上に鉄面皮が降り、内心の感情の表出を妨げた。「蜂の巣になる覚悟はできていると見える」

「俺を舐めるな。お前がトラを構える間にワタせるさ。この近距離ならドジる方が難しい」

実際その通りだった。フウコの腕なら、この近距離からの射撃は完璧にこなせるに違いない。フウコの顔には、ヤマトと同様何の表情も浮かんでいない。ゴトの顔だ。不用意に動けば躊躇なく撃ち殺すだろう、とヤマトは直感する。

「イブを侮るような言動は許さん」

流石はイブの忠実な僕だ。ヤマトは嘲笑混じりに内心で呟く。そう思いつつも、内心ヤマトはこの男が嫌いではなかった。ヤマトがアルヴェアーレの一員となってから、この男から色々と教わった。尊敬しこそすれ、嫌うなどあり得ない。イブの僕であるという一点だけが致命的な欠点だった。ヤマトにとっては。

「悪かったよ」

誠実に見える表情と言葉のトーンをイメージしつつ、ヤマトは慎重に口を開いた。

「イブを尊敬していないわけではない。イブ、と呼ぶのが照れ臭かっただけだ。イブがいなければ今の私がいないことも理解している。私はこれからも、イブの子、フィーリアとして、アルヴェアーレの維持と発展のために己の力を発揮する所存だ」

 暫しの沈黙の後、フウコは銃口を下ろした。それと同時にヤマトは息を吐く。

「あんたのことは信用してるんだから、あまりビビらせないでくれ」

「嘘を吐いたな?」

ヤマトの言葉に取り合わず、フウコが言った。

「何の話だ?」

「白々しいな」

フウコが冷たく言い放つ。

「一つ、言っておく。イブも、俺も、お前の思う以上にお前のことをわかってる」

「へぇ、そりゃありがたい」

 ヤマトは無表情を装って、フウコの顔を見返した。その瞬間、フウコの目に複雑な色が浮かんですぐに消えた。哀しみ、憤り、諦め、そんな感情をない交ぜにしたような表情だった。ヤマトは少し驚きながら、それを眺めた。この男が、そんな迷いの表情を見せたのはヤマトの記憶にある限り初めてだった。

「行け」

 ヤマトは、その声に逆らうことなく、黙って廃ビルの出口へ向かって歩き出した。


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