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「ヤマトさん、今日は誰か付けてください。一人で行くのは駄目です」

「大丈夫だと言っているだろう。輸血もしたし傷口も縫ったし痛み止めも打った」

「それでも一人でイブと会うなんて無茶ですよ。せめて誰か一人付けてください」

「一人で会う訳じゃない。お前たちがすぐ外に居るじゃないか。何かあったらすぐに対応できる」

「駄目です」

いつもは従順な部下が、車の運転席に座って運転をしながら、ぴしゃりと言った。

「イブがどんな女か、誰も知らないんですよ?もしとんでもなく危険な人物だったらどうするんですか。俺はヤマトさんを危険な目に遭わせたくないんです」

「私は奴と二人きりで話したいこともある。誰にも邪魔されたくないんだ。わかってくれ」

「何故です?我々じゃ信用できないっていうんですか?」

「そうじゃない」

イブは4人乗りのオフロード車の後部座席に座り、溜息を吐きながら言った。

「……とにかく、私は今日は一人でオマエザキ灯台の中へ行く。お前たちは灯台の外で待機だ」

「何故です?リボルタの計画では我々が先頭に立ってイブを拘束する手はずだったじゃないですか」

「とにかく私の言うことを聞け。計画は変更になったと言っただろう」

「矢張り昨日何かあったんですね?」

「まあ、そうだ」

「教えてください」

いつもは従順な部下の口数の多さにうんざりしながら、ヤマトは口を開く。

「お前が知るべきことじゃない」

「いいえ、ヤマトさんは話すべきです」

部下の怒気を込めた声にヤマトは驚いた。

「俺が昨日どれだけ心配したと思っているんですか!ヤマトさんが一昨日出掛けて、昨日の夕方シズオカの事務所から連絡が来たから行ってみれば意識が飛んだヤマトさんが寝かせられてて、聞けば、いきなり血塗れでフラフラになりながらヤマトさんが帰ってきてそのまま気絶したって」

ヤマトは溜息を吐いた。フウコの言葉が思い浮かぶ。「お前の命は最早、お前ひとりのもんじゃ無くなってんだよ」その通りだった。

フウコ。もうこの世にはいない。本名も知らぬ内に私が殺した。そう考えながらヤマトは拳を強く握りしめる。

「今日の夕方に目を覚ました時はどんなに安堵したことか。わかりますか?なのに、何があったか俺達には何も言わず、挙句の果てにオマエザキ灯台にヤマトさん一人でマイクを付けずに行くとおっしゃる。出過ぎた真似と言われるかもしれませんが、ヤマトさんがもし怪我をされるようなことがあったらと思うと気が気じゃないんです。せめて、昨日何があったかぐらい聞かせてください。今日これから何をなさるつもりなのかも。それが出来ないと言うなら俺を一緒に連れて行ってください。……いえ、無理矢理にでもついて行きます」

車の窓から見える外の景色は暗く、すっかり夜の帳が下りていた。時々街灯の明かりが瞬いては後方に消えていく。

「お前に心配されるとは私も随分舐められたもんだ。いや、その前に謝るべきか。お前たちを心配させてすまなかった。」

ヤマトの口からそんな言葉が零れ落ちた。

「昨日あったことと今日これからすることか。それを話せばいいんだな?」

「ええ」

ヤマトは一旦瞼を閉じた。言うべきか言わないでおくべきか。イブからの、情報の漏洩は許可しない、という指令を思い出す。やろうと思えば、ここでスドウを怒鳴りつけ、何も話さずヤマト一人でオマエザキ灯台に行くことも可能だった。

だが、任務を遂行し終わった今はおそらく話しても大丈夫なはずだ。つまり、私が話したいかどうかが重要だ、そうヤマトは思う。数秒間の逡巡の後、ヤマトは再び瞼を開いた。

「昨日の朝から、私はオマエザキ灯台で張っていたんだ。夕方にそこに来る男をワタせという指令を受けてな」

そこらからヤマトは、フウコを殺した一部始終を語った。

「ではその後、事務所に帰ったということですか?」

「フウコの死体を担いで、な。どうしても置いていけなかったんだ。あいつは私たちが入ったばかりの頃に色々教えてくれただろう?」

「ええ、最近は会っていませんでしたが。私とは階級が違い過ぎて」

「そうか。奴はこの5年ほど私の直属の上司だった。色々教えて貰ったし助けてもらった。そんな世話になった奴の死体を野に晒しておくなんてできなかった」

そして奴は、私にとって父親のような存在だったんだ、とヤマトは心の中で呟く。

「奴の身体を担いで車の中に寝かせた時だ。胸ポケットから封筒が覗いているのに気が付いた。どうしても気になって開けてみると中に手紙が入っていた」

そう言うとヤマトは目を閉じて昨日の出来事を思い返しながら、口を開いた。


フウコの胸ポケットに入っていた封筒を取り敢えずヤマトはスラックスのポケットにしまい、オフロードカーの運転席へと座る。ダッシュボードを開いて顆粒状の止血剤を取り出し、血を吸って赤黒くなった上着をどけて腹部の傷口に全て放り込む。たちまち止血剤がヤマトの血を吸って膨張し、傷口を塞いだ。

それが終わるとヤマトは、ダッシュボードの中からオピオイドを取り出し、震える手で腕の静脈に注射する。10分ほどで痛みが和らぎ、ヤマトは絞り出すようにして息を吐いた。ヤマトは後ろを振り返った。

微動だにしないフウコの死体が後部座席に仰向けに横たわっていた。車窓から差し込む夕日がその死に顔を全身を橙に染め上げ、その目は虚しく空中を見つめていた。

「夢じゃ、ないよな」

そう言ってヤマトはなんとか笑顔を作った。

「フウコ、やっぱりあんたのジンクスなんて信じるべきじゃなかったよ。忘れちまえば良かったんだ。おかげであんたをワタしちまった。父親みたいに思ってた、あんたを」

そう言うとヤマトはフウコの顔に手をやり、その瞼をそっと閉じた。上を向き、鼻をすする。私はエレナじゃない、ヤマトだ。そう自らに言い聞かす。強くなると、絶対に泣かないと自分に誓ったじゃないか。

ヤマトは慌てて自分のスラックスのポケットからさっきフウコからとった封筒を取り出した。何かをしていないと涙が零れてしまいそうだった。封を破ると、中から一枚のコピー用紙が出てきた。ヤマトはその文面に目を落とす。


ヤマト、私が最も愛する娘へ

任務は成功したようだな。おめでとう。だが休んでいる暇はない。次の任務だ。

一.明日の20時、私に会いにオマエザキ灯台に来ること。

二.ヤマト一人で灯台の中に入ること。もし一人で来なかった場合、私は自殺する。速やかに安楽死を行う用意が、私にはある。

イブより


「ふざけやがって」

ヤマトは歯を食いしばり、拳を強く握った。頭がみしり、と軋む。怒りが喉元からせり上がり、怒号となってヤマトの口から飛び出した。

「貴様は絶対に許さん、イブ。嬲り殺してやる。楽には死なせんぞ」

明日、か。ヤマトは己の傷を見やった。間に合うだろうかという思いが一瞬脳裏を掠めたが、すぐに思い直した。間に合わせるのだ、と。そのためには一刻も早く治療を受ける必要があった。ヤマトはキーを差し込み、エンジンをかけると車を発進させた。


「……そういうわけだ」

ヤマトは話し終えると、ほうっと息を吐いた。肩が軽くなる心地がし、その時初めて、ヤマトはこのことを誰かに話したかったのだと気が付いた。

「イブを簡単に死なせたくはないし、聞きたいこともたくさんある。それを達成するには私一人で行く必要がある。私以外の人間が行けばイブは自殺してしまうだろう。それも安らかに、だ。そんなことは絶対に許せない」

車内に沈黙が下りた。

「わかりました、ヤマトさん」

先に沈黙を破ったのはスドウだった。

「話したのだから、私一人で行かせてもらうぞ」

フロントガラスにオヤマザキ灯台が小さく見えて来て、車が減速していく。やがて、オマエザキ灯台の北側、50メートルほど手前でスドウは車を停めた。

「これだけは約束してください。絶対に無茶はしない、と。危なくなったら我々にコールを」

スドウが後部座席を振り返って言った。

「わかっている」

そう言うとヤマトはドアを開けた。

「ヤマトさんお疲れ様です!」

幾人もの声が夜空に響く。フィーリアが数十人程並んでいた。あたりにはトラックやSUVが数台停まっている。

「そういうのはいいから、静かにしろ。状況は?」

数十人の中から大柄な男が一人進み出て、口を開く。

「20分前に我々の第一陣が到着しました。ヤマト様の御命令通り、灯台には入らず、現地点で監視を続行中。高感度カメラにより、中からは僅かに明かりが漏れていることが確認されており、現在灯台内部に目標がいると思われます。以上です」

その目標がイブであると知ったら、目の前のこの男はどのような反応をするだろうか、とヤマトは想像する。元々、リボルタの全容を知っているのもスドウとヤマトの二人だけだった。情報の漏洩を怖れた結果だ。

「ご苦労。様は付けなくていいぞ。後はスドウの指示に従え。スドウ!頼んだぞ。灯台内には誰も入れるな」

「はい」

スドウの声を背後に聞きながら、ヤマトは灯台の入口へと向かった。その背後で、スドウの指揮によりフィーリアが所定の位置へと移動する。

入口脇まで行ったところでヤマトは、MAC11を取り出し、右手に構えた。暗闇に目が慣れるのを待ち、中を伺う。

灯台内部に、簡易テントが張られていた。銀色のアルミ箔でコーティングされた小さいテントだ。ヤマトはMAC11を構えたまま慎重に灯台内部に入り、そのままテントに近づく。側面に回り込むと、ファスナーで縁どられた入り口が姿を現した。

「来たね。面倒かもしれないがファスナーを開いて中に入ってくれ」

テントの中から女の声が聞こえた。ヤマトはまだ痛む左肩を気にしながら左腕を伸ばし、ファスナーのスライダーを掴んで引き下ろした。

小さな、2メートル四方程度しかないテントの中に机と椅子を二脚持ち込み、その二つの椅子の内の一脚に腰掛けた女が、こちらを見て微笑んでいた。上から裸電球が一本垂れ下がり、弱々しく橙色の明かりを放っている。

女は黒い、革製の丈の長いコートを羽織り、フードをすっぽりと頭に被せている。フードから覗く顔は、記憶の中よりも老けてはいたものの、間違いなくあの時の女だった。悪夢の中から抜け出してきたような錯覚に捉われ、ヤマトは僅かに身震いをした。

「ファスナーは最後まで閉めてくれ。久しぶりだな、ヤマト。いや、エレナ」

テントに入るや否や、イブはそう話し掛けてきた。その呼び名に、ヤマトの心が揺れた。

「知っていたのか」

「何度も言わせるな。ファスナーを閉めろ。話はそれからだ」

ヤマトが後ろ手にファスナーを閉めると、イブが再び口を開いた。

「ではその物騒な銃を仕舞って、身に着けているであろうマイクを取り外してもらおう」

「貴様、馬鹿にしているのか?下らない命令ばかりしやがって。今すぐこいつでお前をワタすことだってできるんだぞ?」

「お前はそうしないだろう、エレナ。それじゃあっけなさすぎるからね。お前が私に向ける憎悪はそんなもので満たされるような、生半可なものじゃないはずだ」

「その名前で呼ぶな」

ヤマトは静かに怒気を込めて言い放ったが、イブは意に介さない様子で再び口を開く。

「それに加えて言ったはずだ、私には速やかに自殺する用意があると」

言うや否や、イブは羽織っていたコートを開いて見せる。

その内側には、数十個の筒が並び、さらにその1本1本から伸びた電線が束ねられ、イブが握りしめているスイッチへと接続されていた。

「プラスチック爆弾だ。15キロある。これだけあればこの灯台は跡形もなく吹き飛ぶだろう。さらに言えば、私がこのスイッチを離すと起爆する」

そう言うとイブは握りしめているスイッチを振って見せ、肩を竦めるような仕草をしながら微笑んだ。

「そういうことだ。不用意に私を刺激しないことだな。さもなければエレナ、お前も、外に居るお前の部下たちも皆死ぬ。さあ、そのMAC11を仕舞ってマイクを外せ」

ヤマトはイブの目を睨みつけ、イブはその目を真っ直ぐに見返した。ヤマトの背中をつう、と冷たい汗が流れる。暫しの睨み合いの後、ヤマトはゆっくりと右手を下ろし、MAC11を仕舞う。

「マイクは付けていない」

「それを信じろと言うのか?随分と無茶を言うものだな」

「貴様とこうして会うからにはプライベートな話をせざるを得ないだろう?そして、そんな恥に塗れた話を私が他人に聞かせるわけがない」

「……まあいい、マイクに関してはそういうことにしておこう」

「電話をかけていいか」

「ああ。だが、そこの入り口を開けてからこの場で電話しろ。このテントは電波を遮断する作りになってる。当然、お前がマイクを身に着けていたとしても外からは受信できないというわけだ」

ヤマトはテントのファスナーを下ろして携帯電話を取り出し、スドウへとかける。

「私だ。灯台から半径50メートル以内に人を近付けるな。標的はプラスチック爆弾を持っていて、指先一つで起爆できるよう細工している。標的が死んだ時も起爆する。非常に危険だ。絶対に近寄るな」

それだけ言うとヤマトは携帯電話を仕舞い、テントの入り口を閉めた。

「私の見込んだ通りだ。お前は部下の命を大切にする人間だ」

「貴様に聞きたいことがある」

ヤマトはイブを無視して言った。

「なんだ?」

「リボルタのことは知っていたのか?」

「勿論だ。でなければ半月前のあのタイミングで邪魔を入れることは不可能だ」

「どうやって……」

「世の中には盗聴器と小型カメラっていう便利なものがある。あとはわかるだろう?」

そう言いつつ、イブはズボンのポケットからシガーの箱とライターを取り出した。

「事務所か。だがどうやって?あそこのセキュリティは万全な筈だ」

「世の中に絶対は無い、という絶対の法則がある。セキュリティも同じだ。絶対に破られない万全なセキュリティなど存在しない。東京はうちの事務所の中じゃかなり強固なセキュリティを持っているが、それは建造が終わって電気が通り、運営を開始してからの話だ」

「まさか、事務所を建てる時にか?」

イブは先端に火のともったシガーを口から離し、煙を吐きながら、再度口を開いた。

「まあ、そうだ。だからお前たちの事務所の様子は最初から私には筒抜けだったのさ。建材にいくつか仕込んで地中から電線通してさ。言っとくけど東京だけじゃない。うちの世界中の事務所に仕込んである」

「取引を邪魔した人間は、実行犯は誰だ」

「フウコだ。一人でやってもらった。滅茶苦茶に引っ掻き回してくれたみたいで私は大満足だったよ。おかげでリボルタを今日まで引き伸ばすこともできた」

フウコ。その名を聞いた途端、ヤマトの感情の波が大きく振れた。貴様のようなクズがその名を呼ぶな、という言葉を飲み込み、ヤマトは次の質問を放つ。

「……盗聴していたということは、半月前の取引に関するリークは無かったということか?」

「いや、あった。蛇王本人からな。エレナ、お前は知らなかっただろうが、奴と私は昔からの朋友だ」

「じゃあ何故、3年前にアルヴェアーレとスネークヘッドは戦争したんだ?あの戦争じゃあ双方ともに大きな被害が出た筈だ。そこまで犠牲を払って何故」

「二つ理由がある。一つは不穏分子を一掃するため。アルヴェアーレとスネークヘッド双方の、ね。おかげであの戦争の後は人員の整理がなされて業績が多少はマシになった。もう一つの理由は、選別だ。淘汰と言っても良い」

そこで言葉を切ると、イブは冷たい笑みを浮かべた。

「どういうことだ?」

「……ところでヤマト、お前は私を殺した後どうするつもりだ?」

「まず私の質問に答えろ、選別ってどういう」

「後のことは深く考えていなかったんじゃないか?お前は恐らく、今まで私への復讐の為に生きて来たんだろう?復讐を遂げるまでは考えていたとしてもその後は深く考えていなかったはずだ。」

イブはヤマトを無視して語り続ける。

「だが、酷い混乱が起こるだろうということは誰にだってわかる。アルヴェアーレの最高意思決定者がいなくなるのだからな。内紛が起こるだろうし、他の勢力に攻め込まれることも十分に考えられる。私の可愛い娘たち、フィーリアが沢山死ぬだろう。その中にはお前が育てた部下も含まれているはずだ。お前は部下が死ぬのを黙って見ていられるような、そんな人間か?」

ヤマトは唾を飲み込んだ。イブの指摘は、ヤマトにとって図星だった。イブの死後の混乱を予想してはいたが、そこまで深く考えてはいなかった。リボルタのことだけを考えていた。

「……それは、違う。私は貴様をワタした後のことも考えていたさ。犠牲が出るのは覚悟の上で」

「嘘を吐くな。具体的なそのプランを話してみろ、さあ」

「蛇王と手を組んでやっていくつもりだった。アルヴェアーレの内紛や分裂が起こるだろうが、チャイナ南部一帯を広く支配するスネークヘッドと手を組めば、そう簡単に潰れることはないと考えていた」

ヤマトは苦し紛れにそう言った。

「だが最早その手は通用しない。お前、蛇王に宣戦布告したらしいじゃないか。蛇王から何とかしてくれと連絡が入っている。既にワーカーが日本国内で何人か殺されているらしい。関係の修復は難しいぞ。さらに言えば、蛇王はアルヴェアーレ全体に対する宣戦布告の最後通牒をつい1時間前に突き付けてきた。私がこの二日間連絡を全く取らず無視していたためだ」

「何故だ?貴様らは朋友なんだろう?」

「私亡き後のアルヴェアーレの混乱を最小限に抑えるためさ」

「どういうことだ?」

ヤマトの中で疑問が膨らむ。目の前の女は、自分が死ぬことを見越してスネークヘッドとの関係をわざと悪化させた、と言っている。

「さっき、スネークヘッドとの戦争は選別淘汰のためでもあったと言ったな?では、何を選別していたか」

じっとヤマトの目を見つめながらイブが言う。

「次期イブ候補だ」

「何?」

「戦争前に5人いた候補は、戦争によって見事4人が淘汰され、1人だけが残った。その1人は戦争をほぼ無傷で生き残っただけでなく、大きな業績を上げ、幹部にまで上り詰めた」

ヤマトの背を、厭な予感が這い登った。

「そのたった1人残った候補者が、エレナ、お前だ」

「はぁ?私が、次期イブ候補?」

「そうだ。お前がアルヴェアーレに入る前から、もっと言えばお前は生まれた時から次期イブ候補としてマークされていた」

「生まれた時からって、どういうことだ」

イブの言った内容がすぐに呑み込めず、ヤマトは思わず聞き返していた。

「お前も両親の素性については良く調べているはずだ。お前の母親は元フィーリア、しかも幹部だった。父親の方は南米のギャングのワーカー。違う組織のワーカー同士の恋愛の末の逃亡だ。お前も知っている通り、アルヴェアーレでは他の犯罪組織のワーカーとの婚姻を認めていない。だからお前の両親は南米のギャングの元へと身を寄せた」

ヤマトをじっと見据えたまま、イブは話し続けた。

「この時期のアルヴェアーレはお前の母親のように組織から逃亡した人間を敢えて泳がせていた側面がある。それはアルヴェアーレの次期トップ、次のイブを得るためだった。お前の両親もその中の一組だ。そして子供が、次期候補がある程度大きくなったところでその次期候補に対して、私への憎悪を植え付けた」

ヤマトの心臓の動悸が激しくなり、思わず左手で胸を押さえた。

「憎悪を植え付けるために、候補者には色々やったよ。やっぱり親にあたる人物を殺すパターンが一番多かったんじゃないかと思う。その後は適度に保護して、アルヴェアーレに来るよう適度に誘導した。アルヴェアーレに来るところまでいかなかった奴が大半だったよ。実際にアルヴェアーレまで来たのは全体の一割ぐらいだ」

「ふざけるな!」

ヤマトは激昂した。

「私は今まで自分の力で成り上がってきた!それが、それが貴様の掌の上で踊らされていただと?そんな話、信じてたまるか!しかも、そんな下らない理由でお前は、私の父と母をワタしたってのか?」

私が生まれたせいで両親は死んだっていうのか?とヤマトは内心で叫ぶ。

「下らない?私の元で働くフィーリア達の未来を保証するために必死でやったことだ。全く下らない事なんかじゃない。お前が部下を大切にするのと同じように、私もフィーリアを大切にしたかった。守りたかったんだ。それにエレナ、お前は一人でここまで成り上がったというが、今までおかしいと感じたことは無かったのか?」

突然吐き気が込み上げ、思わずヤマトは口を押さえた。

「まだ年端もいかない子供がストリートギャングとなって巷に溢れているような貧しい国の、それも貧民街で生まれた子供が、何故運良く孤児院に入れたと思う?アルヴェアーレの働きかけがあったからだ。お前が、両親を殺された日のことや、両親の敵について詳しく知ることができたのも、我々の働きかけがあったからだ」

そんな、それじゃ、それじゃまるで。ヤマトはくらくらする頭で必死に考えようとする。それじゃまるで、今までの私は両親の敵に、イブに助けられて生き残ってきたみたいじゃないか!ヤマトは必死に込み上げてくる吐き気を抑え込もうとする。

「お前がストリートギャングから簡単に足を洗えたのもおかしいと思わなかったのか?ストリートギャングってのは元締めが必ず居て、足を洗おうとしようもんなら本気で阻止しにかかってくる。そいつを黙らせたのは我々だ」

「黙れ!」

ヤマトが叫ぶ。

「例えそれが真実だったとしても、それでも、実際に今まで生き残ってきたのは私だ、お前の世話になどなっていない!」

「まあ確かに、一から十まで世話してきたわけではない。我々の助けはあくまでも間接的、補助的なものに過ぎない。エレナ、お前が生き残ってきたのは確かに、お前自身の力によるところが大きい」

混乱しつつある脳内を整理しようと、話の流れを変えようと、ヤマトは必死で言葉を搾り出した。

「それよりも、貴様は今の立場が分かっているのか?このままでは、貴様はどっちみち死ぬ。私を道連れにできるか否かの違いはあれど、だ」

「そうだな。そして、それは私の意思でもある」

ヤマトは目を見開いた。

「ワタされに来たと言うのか?」

「そうだ」

そう言ってイブは微笑んだ。

「私もお前と同じだ、エレナ。先代のイブに両親を殺され、復讐の為に生きてきた。それが終わった後も半ば惰性で何十年も生き続けてきた。私がいなければフィーリアが沢山命を落としてしまう、そう思ってな。だが今や、エレナという立派な次期候補が居る。そんな状況で、生きる意味が無くなってしまったのさ」

そう言うと、イブは足元に置いてあったバックパックからハードディスクドライブとノートパソコンを取り出した。

「この中に、私がやってきた業務、さらにアルヴェアーレで運用されているシステム、その他の資料のデータが入っている」

「黙れ!」

冷静になりつつあった心が再びぐらりと揺れ、ヤマトは激昂する。

「何故、何故貴様のようなクズの思うままに動かなければならない!私はイブなんてやらないぞ、貴様をワタした後、アルヴェアーレを壊してやる」

「いいやヤマト、お前は引き受ける」

そう言ってイブは冷たく微笑む。イブが自分を呼ぶ名前を、エレナからヤマトに変えていることにヤマトは気が付いた。

「お前は部下を見捨てることができない。お前の性格を私は良く把握している。お前はなるべく多くの部下、すなわちフィーリアを守ることができるような選択肢を選ぶはずだ。そしてその最良の選択肢が、イブの継承なのだよ。私からお前に交代したところで誰にも気付かれない。すなわち外から見れば今まで通りだ。外部勢力に気付かれることは無いし、フィーリアに気付かれることも無いだろう」

「そんな、そんなわけないだろう?」

「いいや。イブの素性を知る人間はごくごく僅かだ。私の顔を直接見ている人間は十人。その十人は私に絶対の忠誠を誓っていて、イブの交代について口外しないことを約束させた上で足を洗わせてお前の手の届かない所に私がやった。後は電話越しの私の声を知る人間だが、これもごく僅かだ。さっき言った十人以外にはヤマト、お前しかいない。イブの交代について口外する人間はお前を除けばこの地球上に存在しない」

「そんなの、確かめようがない、貴様が嘘を言っているだけかもしれない」

「考えてみろ、嘘を吐いて私にどんなメリットがある?私は今までアルヴェアーレのトップとして働いてきた。この組織、あるいはこの組織を構成するフィーリア達に対する執着はかなりのものだ。それを壊すような真似をすると思うか?」

「……」

「さっきも言った通り、蛇王は近いうちに宣戦布告をしてくるだろう。そうなった時にアルヴェアーレが分裂し弱体化していたとしたらどうなるか、予想がつくだろう?だがヤマト、お前が私の後を継げばアルヴェアーレの分裂は回避できる」

冷静になれ。そうヤマトは何度も自らに言い聞かせていた。必死に頭を回転させる。

「どうする?」

「黙れ!今考えているんだ。邪魔しないでくれ」

ヤマトは必死に考えた。確かにイブの言う通り、ヤマトの生きる意味は復讐それ一点のみに集約されていた。それが無くなってしまえば、あとには何もない。そのことに改めて気が付き、愕然とする。いや、気が付かなかったのではない。見ないように、目を背けてきたのだ。

だがそれと同時に、部下の命を失うのは避けたいという気持ちがあるのも確かだった。何故だろう、と考えてすぐにヤマトは答えを見つける。要するに、彼らはヤマトにとって疑似家族なのだ。両親を奪われたヤマトに人の温もりを与えてくれた存在。そんな彼らを失うのは、ヤマトにとってはこの上なく辛いことであるのは確かだった。

「質問させてくれ」

ヤマトはイブの顔を真っ直ぐに見つめ、問いかけた。

「なんだ?」

「何故フウコを私にワタさせた?」

沈黙が下りた。

「……お前の、私に対する憎悪を最大限まで大きくするためと、もう一つは最後の試練、イブにふさわしいかどうかのテストと言った意味合いもあった」

「それは本当か?」

「ああ、私がそう彼に命令した。彼は私にとって一番の部下だった。文句一つ言わずに引き受けたよ」

その答えにヤマトは安堵する。私を殺しに来たのは、フウコの意思ではなくイブの意思だったのだ、と。それ以上突っ込んで聞かなかったのは、ヤマト自身が怖かったからかもしれなかった。

「もう一つ、フウコの名前を教えてくれ」

「イーサ・ミハイロフだ。出身はエストニア。北欧の小さな国だ」

「最後の質問だ。貴様の本名を教えろ、イブ」

「ほう、名前を聞いてもらえるとは嬉しいな」

イブがにやりと笑った。

「赤川景子だ」

「ケイコというと、日本人だな」

ケイコは頷くと、ヤマトを真っ直ぐに見据えたまま再び口を開いた。

「ところで、イブを継ぐ決心はついたか?ヤマト」

漆黒の瞳がヤマトの目を射竦める。ヤマトはその視線を確りと受け止めつつ、口を開いた。

「……ああ」

「そうか」

そう言うとケイコは突然、右手に握っていた起爆スイッチをいじり始めた。

「何をしている」

「起爆装置の解体だ。お前がイブを引き受ける以上、お前を殺すわけにはいかないからな」

数分後、ケイコは起爆スイッチとコードを分解し、スイッチをテーブルの上に置いた。

「これでもう、爆発することはない」

「そうだな。そしてケイコ、貴様は自殺できなくなったという訳だ」

「……」

ヤマトの言葉に無言の微笑を返しながら、突然ケイコは椅子から立ち上がり、深々と頭を垂れた。

「フィーリアを、私のかわいい娘たちを頼む。そのためなら私の命など安いものだ」

ヤマトはその姿を見やりながら口を開く。

「貴様はどこまでもクズだな。私への謝罪は無しか?私だけじゃない。私の両親、フウコ、次期イブ候補の選別というふざけた名目で親をワタされ、死んでいった人間たちへの謝罪は無いのか?」

言い終わるなり、ヤマトはベレッタ92を取り出してケイコの右脛を撃ちぬいた。細かな血の飛沫が飛び散り、ヤマトのスーツに斑点を作った。ぐうっ、という呻き声をあげ、ケイコはバランスを崩しつつも、何とか後ろの椅子に座り込む。

「私の命は安いだの、殺されに来ただの、勝手なことばかり言いやがって。貴様はすぐにはワタさんぞ、ケイコ。苦しみぬいて死ぬがいい」

そう言い終わるや否や、ヤマトは再びベレッタの引き金を引き、ケイコの左腿を撃ちぬく。ケイコの全身が弓なりに反り、その口から呻き声が漏れた。その様子を一瞥し、ヤマトはテントの入り口を開け、灯台から出る。

「ヤマトさん!怪我は無いですか?」

灯台の入り口外側のすぐ脇に、スドウと、その部下たちが立っていた。

「灯台から離れろと言ったはずだ、何故命令に従わなかった」

「ヤマトさんが危ない目に合ってるっていうのに、俺だけ逃げるなんてできませんよ。ヤマトさんが死ぬ時が俺の死ぬ時です。それはここにいる他の奴らも同じです」

こういうことか、とヤマトは思う。こんなふうに闇雲に、自分に着き従ってくれる部下が私の下にはすでに何十人もいる。これから私は、部下たちの暮らしを守らねばならない。そうしなければ自分で自分を許せそうになかった。

「どうしたんですか?」

「……なんでもない。灯台の中にいる女と、女の持ってる荷物を私の乗ってきた車に乗せろ。」

そう言うとヤマトはスドウの耳元に顔を寄せる。

「女はイブだ。お前と私以外にはイブの正体を知らせるな」

スドウは目で頷くと、他のフィーリアを引き連れて灯台内部へと入って行く。それを尻目にヤマトは車へと向かう。

私がイブになる、か。車の後部座席に座ったヤマトは改めてその事実を認識する。同時にヤマトの中で再び激しい怒りが湧き上がった。まんまと嵌められたのだ。ケイコは、自らの命を餌にヤマトを鍛え、育て上げ、部下との絆でがんじがらめに縛り付けてヤマトの逃げ場を無くし、自らの後釜を作り上げた一方で、今度はさっさとこの世の舞台から降りようとしている。胸糞の悪くなる話だった。

せめて、せめてケイコにはできるだけ長く生きて貰い、存分に苦痛を味合わせねばならない、とヤマトは思う。それを思うとヤマトの中からは昏い喜びが溢れてくる。今までの20年以上にわたる苦痛と憎悪からのカタルシス。いまや、ヤマトの楽しみはそれだけだった。

間もなく、ケイコを抱えたスドウと、ケイコの荷物を持った別のフィーリアがヤマトの乗る車までやってきた。

「どこに乗せますか」

「両方とも私の隣へ置いてくれ」

ケイコは、玉のような汗をかきつつも、笑顔を崩してはいなかった。

「痛いか?笑顔を作るその余裕がいつまで持つか楽しみだ」

「私はそこまで長く持たないさ、ヤマト。それよりも私を運んで、今この車を運転してるこの男、こいつはお前の情夫か?」

ヤマトは無言でケイコを睨みつける。

「まあいい、あんまり男に溺れるんじゃないよ。それとヤマト」

その一瞬、ケイコは一際美しい笑みを見せた。

「私の勝ちだ」

そう言うとケイコは口を開け、それを見てヤマトは慌てて叫んだ。

「ケイコ、貴様っ!おいスドウ!医者を呼べ、至急だ」

ケイコの舌の上に、噛み切られて半分になったカプセル剤が乗っていた。

「どうしたんです?」

「イブが何か薬を飲んだ。多分毒薬だ、くそっ」

ヤマトの頭の中を、ケイコからの手紙の内容が駆け巡った。「速やかに安楽死を行う用意が私にはある」。ケイコが用意していたのは起爆装置だけでは無かったのだ。おそらく、ヤマトと会う前から、口内に薬を所持し、しかるべきタイミングでカプセルを噛み切って中の薬を飲んでいた。

ヤマトがケイコの口に指を突っ込み、吐かせようとした瞬間、シートにもたれていたケイコがぐらりとヤマトの身体へもたれかかってきた。

「目を開けろ、クソッ!」

ケイコの肩を掴んで揺さぶるが、反応が無い。ヤマトはベレッタを手に取り、ケイコの右腿に向かって発砲した。

「ヤマトさん、落ち着いてください!医者は事務所にあと数分で来るそうです!」

「おい開けろ、目ぇ開けろっ!痛くねえのか貴様!ケイコ!」

「ヤマトさん、落ち着いて、心臓は動いてるんですか?」

部下の言葉に慌ててヤマトはケイコの胸に耳を当てた。

「……」

ケイコの鼓動は完全に止まっていた。

「ヤマトさん?」

ヤマトは携帯電話を取り出し、LEDライトを点けるとケイコの瞼を開いて瞳孔に光を照射したが、瞳孔は収縮せずだらしなく開いたままだった。

「……死んだ」

ぽつりとヤマトが呟いた瞬間、電子音が鳴り響いた。

ヤマトはのろのろとした動きで電子音の発生源を探る。スドウが何事かを話し掛けていたが、ヤマトの耳には届いていなかった。ケイコのズボンのポケットから光が漏れているのを見つけ、手を入れると携帯電話が振動していた。

携帯電話の画面を開くと、蛇王からの電子メールが届いていた。アルヴェアーレに宣戦布告するという内容だった。

「……マトさん、ヤマトさん!事務所着きました、早く降ろしましょう」

ヤマトの周囲に音が甦り、はっとヤマトは我に返っていた。ヤマトの心に重い絶望がのしかかった。今までの20年以上の憎悪の行き場も、己の自由も、今までの人生の意味も、全て奪われ、後にはただただ膨大な量の課題を、部下の命を、預けられたヤマトという女が一人、いた。

「まだ、死んだと決まったわけじゃありません。医者に確認させましょう、きっと大丈夫です」

「……スドウ」

「何です?」

スドウは、ヤマトの只ならぬ雰囲気を察知し、思わず動きを止めた。

「その死体は取り敢えず保存しておけ。今はそれよりも大切なことがある」

ヤマトは、この一日で、自分が一気に年を取ってしまったような気がした。少なくとも、今日で自分の人生におけるある一つの時代が終わったことは確かだった。

「スドウ、今から私が言う人物を秘密裏に収集しろ。極秘に、だ。収集される本人以外に絶対に知られることの無いようにしろ。今後のアルヴェアーレについて重要な話がある」

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