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レキには気の弱い、しかし優しい幼馴染がいた。他の男子と比べても背の低かったその幼馴染は、勉強もスポーツも得意ではなかった。社交性にも乏しく、内向的。ただ、絵を描くのが好きだった。彼は中学では美術部に入り、いつも油絵を描いていた。美術室で真剣に油絵を描いているその後ろ姿を、レキは今でも鮮明に覚えている。
その幼馴染とは対照的に、レキは活発でけんかっ早い性格だった。バスケ部に所属するものの幽霊部員で、放課後には他校の男子生徒と殴り合いのけんかをすることも多かった。
当時のレキにとって、人間はひどく鬱陶しい生き物だった。ただ、その幼馴染とは仲が良かった。唯一、まともに会話する人間だったかもしれない。
「良哉、まだ描いてたのかよ。もう下校時刻とっくに過ぎてんぞ」
レキは、絵を描く幼馴染の、良哉の姿を見るのが好きだった。
「あ、レキ君」
「いい加減その君付けやめろよ。レキでいいよ」
「でも…こっちの方が慣れてるから。…また喧嘩したの?」
レキの腫れた右頬を見ながら、良哉が心配そうに言った。
「ああ、でも安心しろ。俺の勝ちだぜ。へへ」
「もう、あんまり喧嘩しちゃだめだよ」
良哉はナヨナヨした口調で言ったので、俺は思わず笑ってしまった。俺と良哉がつるんでいるのは、他の生徒から見ても不思議そうだった。
中学2年の時、俺たちは別々のクラスになった。そして良哉は、いじめられ始めた。良哉が上級生に殴られているのを発見し、俺が止めに入ったことも何回かあった。ぼろぼろになっていく制服。鞄。そして、良哉。俺は良哉を励まし続けたが、良哉が学校を休む日は段々と増えていった。風邪、頭痛、腹痛、法事…。毎日毎日何かを口実に、良哉は学校を休んだ。そしてついに、不登校になった。メールをすれば返事はかえってくるものの、いつまでたっても学校に来そうな気配がないし、意志も感じられない。
俺は許せなかった。良哉をいじめる奴らもだが、それに立ち向かいもしない良哉にも。
その日、レキは学校帰りに良哉の家に立ち寄った。良哉の家はレキの家から少し離れたところにある、立派な一軒家だった。この時間、共働きの良哉の親はいないはずだ。そう考えながら、玄関のチャイムを鳴らした。
「…はい」
インターホンから聞こえるか細い声。案の定、良哉だった。
「良哉?俺」
「…レキ?」
「ちょっとだけでも話さないか。玄関先でいいからさ」
少ししてから開いたドアの向こうにいたのは、毛玉だらけのトレーナーにジャージのズボンという、明らかにパジャマ姿の良哉だった。その顔には生気が感じられない。
ドアは半開きのままで、それ以上開けてくれそうにもなかった。よく見たらチェーンまでしている。
外に出られそうならどこかに連れだそうと思っていたが、良哉のそんな様子を見て諦めた。とりあえず、言いたかったことを言うことにする。
「良哉、お前さ、学校に来いよ」
「………。」
「お前がいじめられてて大変なのはわかるけどさ、いつまでも逃げてたってなんにも始まらねえじゃんか。俺も一緒に戦うから、外に出て来いよ」
「………。」
「別に喧嘩しなくてもいいじゃん。悔しいなら、絵でもなんでもいいからあいつらを見返してみろよ」
「………。」
「…なんとか言えよ、良哉」
「僕は、」
良哉の声は、細く、小さかった。
「行けない…」
「だから、こうやってずっと引きこもってたって…」
「分かってる!だけど怖いんだ。僕は、僕は…今は逃げたいんだよ」
この言葉に、レキは怒りを感じた。良哉でない人間だったらかまわず殴っているところだが、良哉相手では殴る気にはさすがになれない。いらいらしながら、半開きのドアをがっと掴んだ。引っ張られたチェーンが、ガチャン!と派手な音を立てた。
「お前ふざけんなよ!いつまでナヨナヨしてるつもりだよ!!」
予想以上の大声に、良哉はきょろきょろした。近所の目を気にしているらしい。だが、俺にとってそんなことはどうでもよかった。
「立ち向かわなきゃなんにも変わんねえだろうが!!お前が学校を休んだって、何一つ進展することはねえぞ!!むしろやつらが面白がるだけだ!なあ、分かってんだろお前だって!!」
「分かってるよ!!」
レキの声につられたのか、良哉の声も少し大きくなった。
「だけどどうしても、今の僕には立ち向かう勇気が持てない!それがどれだけみじめで情けないことか、自分だってよく分かってるよ!」
良哉の目には涙がたまっていた。レキは自分の怒りの感情が、冷めた、諦めの感情に変わっていくのを感じていた。こいつには何を言ったって無駄だ。俺の中の怒りは、すっかり溶けてなくなってしまった。
「…レキ君?」
そんな俺の変化を察したのか、良哉が不安げな声を出した。俺は恐ろしいほど冷めた目で、良哉を見た。身長差の所為もあって、見下すような形になった。
「…もう知らねえよ」
先ほどまでの怒声とはうってかわり、冷静な声で囁いた。その声を聞いて、良哉は眼を丸くし、それから少しだけ顔をゆがめた。
「もうお前なんか知らねえ。一生家に閉じこもってろよ。一生そうやって逃げてろ」
軽蔑するような眼で、そう言い放ったことを今でも鮮明に覚えている。そしてあの時の、良哉の悲しそうにゆがんだ顔も。
訃報が届いたのはそれから二日後だった。良哉は自室で首を吊った。中学校の、制服を着て。